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幸せの定義を知らない  作者: 目田 不識
診断の日 ―「名づけられた痛み」
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未来の自分の回想 Ⅰ

 あの頃の僕を思い出すとき、最初に浮かぶのは音のない世界だ。

 春の光が差し込む窓辺、閉ざされた部屋、呼吸の音だけがかすかに響いている。

 世界はまだそこにあったはずなのに、僕の感覚はそれを受け止めきれず、まるで透明なガラスの向こう側に生きていた。

 それでも、僕は必死に“現実”を掴もうとしていた。

 指先で机の角をなぞり、壁のひびを数え、ペンの重さを確かめる――そうやって、自分がまだこの世界に属しているという証拠を集めていた。


 今振り返れば、それは生きるということの、いちばん原始的な形だったのだと思う。

 “感じられない”という絶望のなかで、それでも感じようとする意志。

 幸福とは何かを考えるよりも先に、幸福を“探している”という事実そのものが、すでに生の運動だった。

 当時の僕は、それを知らなかった。


 「うつ病」という言葉は、僕にとって呪いであり、同時に地図でもあった。

 その言葉を与えられたとき、世界は二つに分かれた。

 “病である自分”と“病でない他者”。

 だがその境界線を見つめ続けるうちに、僕は一つのことに気づいた。

 ――境界は常に曖昧で、誰もがそのどちらにも属している。

 病むことと生きることは、別のものではない。

 むしろ、生きるとは絶えず何かを病むことなのかもしれない。


 あの時期、僕は“名づけ”の力を恐れていた。

 言葉が現実を定義し、意味を与える。

 それは同時に、可能性を奪う行為でもある。

 けれど今の僕は、少し違う見方をしている。

 名前を与えられることは、たしかに痛みを伴う。だが、名を持たない痛みは他者に届かない。

 名づけは、世界との接点でもある。

 名前を持つことによって、初めて人は「わかってもらえる可能性」を得る。

 あの時の僕は、その希望の側面を見ていなかったのだ。


 大学の図書館で読みふけった哲学書の数々――

 ベンサムも、カントも、フーコーも、僕にとっては救いではなく“反響”だった。

 彼らの言葉を読むたび、自分が世界からどれほど遠ざかっているかを思い知らされた。

 幸福は定義されるたびに、僕の手の中からこぼれ落ちた。

 だが今ならわかる。幸福とは、定義されることを拒む現象なのだ。

 それは形を持たず、ただ瞬間として現れ、すぐに消えていく。

 幸福を「定義」しようとする努力こそが、幸福を失わせる。

 あの頃の僕は、その矛盾のなかでもがいていた。


 夜、ノートに書きつけた言葉たちを今読み返すと、

 まるで別人の手紙のように見える。

 > 「幸福とは、名前を持たないものではないか。」

 > 「幸福とは、現実を感じられる力。」

 > 「では、満たされない人間は、生きていないのか。」

 問いはどれも未完成で、答えはどこにも書かれていない。

 けれど、それらの未完成さがいまは美しいと思える。

 言葉が途切れた場所にこそ、生が滲んでいる。

 幸福とは、もしかすると“定義しきれなかった言葉たち”の総和なのかもしれない。


 僕は二十二歳になり、いまでも薬を飲んでいる。

 完全に治るという感覚は、もう手放した。

 病を克服するのではなく、病と共に生きること。

 それを「敗北」と呼ぶか「受容」と呼ぶかは、人によって違うだろう。

 けれど僕にとっては、それがようやく“生きる”という動詞を手にした瞬間だった。


 幸福を感じる力は、まだ不完全だ。

 けれど、不完全であることそのものが、幸福の条件なのかもしれない。

 完全に満たされた幸福は、もはや動きを失い、死と変わらない。

 不完全だからこそ、人は問い続け、考え続け、他者を求める。

 幸福は完成ではなく、運動であり、連続であり、願いそのものなのだ。


 ある日、昔のノートを閉じながら、僕はこう思った。

 「幸福の定義を知らない」ということは、無知ではなく、可能性だと。

 知らないままでいるということは、世界に対してまだ開かれているということ。

 あの頃の僕が抱いていた閉塞感は、世界を閉ざしたのではなく、自分を守るための壁だった。

 その壁があったからこそ、今の僕はこうして言葉を紡げている。


 窓の外を見れば、街の明かりが滲んでいる。

 あの夜と同じように、風の音がかすかに聞こえる。

 けれど今、その音は恐怖ではなく、安らぎに近い。

 僕はようやく理解したのだ。

 幸福とは、外の世界が変わることではなく、自分がその世界に“触れ直せる”ようになること。

 現実を感じられなくなったあの日から、僕は少しずつ、現実に触れる方法を学び直してきた。

 それは誰かに教わることのできない、時間と痛みの中でしか見つからない作法だった。


 幸福は、定義されないまま、いまも僕の中で呼吸している。

 それは病の影と共にあり、孤独の中にあり、時には沈黙の形をとる。

 けれどその沈黙の奥に、確かに光がある。

 その光がある限り、僕はまだ“生きている”と言えるのだと思う。


 幸福の定義を知らないまま、僕は今日も息をしている。

 それは未完成なままの生であり、

 未完成なままの幸福だ。

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