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幸せの定義を知らない  作者: 目田 不識
希望と記憶 ―「生きることの証」
22/26

未来の自分の回想 Ⅴ

 ――二十二歳の春、僕はもう一度「幸福」という語の意味を考えていた。


 それはもはや、哲学のテーマでも、卒業論文の題目でもなかった。

 それは“生きてきた時間の痕跡”そのものとして、静かに僕の中に残っていた。


 大学の屋上から見える景色は、四年前と変わらない。

 キャンパスの先には同じ街並みが広がり、風はまだ少し冷たい。

 けれど、自分の見ている世界はもう同じではなかった。

 同じ風景の中に、かつては見えなかった“層”のようなものが浮かび上がっている。

 それは、痛みと喪失と、それでもなお続いていく時間の透明な積層だった。


 ――幸福とは、あるいはその層の厚みによって測られるものなのかもしれない。


 昔の僕は、幸福を「状態」として求めていた。

 “うまくいくこと”“満たされること”“痛みがないこと”――

 幸福とは、そういう“静止”のかたちだと信じていた。

 しかし今思う。幸福とは、むしろ運動だ。

 痛みの中でも、なお善を志し、他者を想い、生き続けようとする力。

 それは定義ではなく、生の方向性そのものだ。


 論文を書き終えたあとも、僕の体調は相変わらずだった。

 季節の変わり目には熱が出て、夜は眠れない日が続いた。

 それでも、不思議と恐怖はなかった。

 痛みはもはや“敵”ではなかった。

 痛みは、世界と僕とをつなぐ糸だった。

 この痛みがある限り、僕はまだ生の中にいるのだと分かった。


 ある晩、机に向かいながら、僕はふと思った。

 幸福とは、もしかすると**「自分が生きていると気づく瞬間」**ではないか。

 その瞬間は、苦痛のただなかにこそ訪れる。

 幸福は“痛みの否定”ではなく、“痛みの中での同意”なのだ。


 ふと、恩師の言葉を思い出した。

 「君はまだ、問いの途中にいる。」

 その言葉は今も、僕の呼吸のように胸の奥で響いている。

 幸福の定義は、きっと永遠に完結しない。

 だが、その未完こそが、人間であることの証なのだろう。


 僕は今、幸福を“到達点”ではなく、“持続の形式”として考えている。

 それは、理解できない他者を愛し続けること、

 終わりを知りながらも生を続けること、

 痛みによって形を変えながらも、なお意味を求め続けること。

 幸福とは、その“続けること”の中にある。


 かつて、彼女が言った。

 ――「触れようとすることのほうが幸福に近い。」

 あの言葉の意味が、今ようやく分かる。

 幸福とは、決して触れられないものに手を伸ばす運動。

 届かないという事実が、幸福を形づくる。

 もしそれに届いてしまえば、それはもう“幸福”ではなくなるのだ。


 哲学者レヴィナスは言う。

 > 「幸福とは、他者に対して責任を負うことの中でのみ現れる。」

 この言葉を初めて読んだとき、僕は涙が出た。

 幸福は個人の内部に閉じるものではない。

 幸福とは、他者の存在に開かれている“関係”そのものなのだ。

 他者を思うとき、そこに痛みが生じる。

 けれど、その痛みの中にこそ、幸福の可能性は息づいている。


 幸福の“可能性”という言葉が、僕は好きだ。

 それは、完全な形を持たない。

 いつも揺らぎ、変化し、掴もうとすればするほど遠ざかる。

 けれど、そこには不思議な安らぎがある。

 幸福は、完成ではなく約束なのだ。

 まだ訪れていない未来への、小さな肯定の予感。

 それを信じること――それが、今の僕にとっての幸福である。


 卒業式の日、恩師が学生たちに言った。

 「学ぶとは、希望の形式を保つことです。」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は胸の奥で何かがほどけるのを感じた。

 学ぶこと、考えること、そして問い続けること。

 それらはすべて、“希望を失わない方法”だったのだ。


 式が終わり、校門を出ると、風が強かった。

 桜の花びらが舞い、空を渦のように回っている。

 その光景を見ながら、僕はふと空を見上げた。

 雲の切れ間から光が差し、遠くの街を白く照らしていた。

 あの光は、かつての僕が求めていた“幸福”とは違う。

 それは定義できない。

 ただ、存在を確かめるために照らしている光だった。


 僕は歩きながら、心の中でつぶやいた。

 ――幸福とは、名前を持たないまま、ここに在ること。

 世界が痛みを含んでいる限り、幸福もまたそこに宿り続ける。


 夜、部屋に戻ると、机の上に古いノートが置いてあった。

 そこには、まだ20歳の僕の文字でこう書かれていた。


 > 「幸福とは、痛みを持ってなお善を志すこと。」


 その文字のかすれ具合を指でなぞりながら、

 僕は小さく笑った。

 あの頃の僕は、きっと苦しみながらも真剣だった。

 今の僕なら、その下にこう書き加えるだろう。


 > 「――そして、その志が続く限り、人は生きている。」


 幸福は、結論ではない。

 幸福とは、生が続いているという事実のかたち。

 それ以上の定義は、きっといらない。


 窓の外では、風が静かに吹いていた。

 街の灯がひとつ、またひとつ消えていく。

 それでも、空のどこかでかすかな星が光っている。

 その光は、遠く、そして確かに今も届いている。


 幸福とは、たぶん――その“届いている”ということなのだ。

 たとえ自分が見えなくても、

 誰かの世界のどこかで、何かが光を放っている。

 それを信じて、生きていけること。

 それが、幸福の可能性。

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