リスタート
【プロローグ】
ある不動産サイトに、1件の賃貸物件が掲載された。
何年も閲覧している人なら、時折掲載されるこの”破格の物件”が記憶にあるかもしれない。
内容を簡単に書くとこうだ。
・3LDK(住人専用プール利用可)
・特別価格!即入居可。
・人気物件につきお早めに!
【美沙の日記より(抜粋)】
4月30日(水)
きっかけはささいなことだった。
大学の新入生歓迎コンパで同じイベントサークルの恵里香に「この子、ちょっと陰キャだからみんなが盛り上げてね」と、ご丁寧に1人ひとりに笑いながら紹介された。
確かに私は人付き合いも下手だし、恵里香のように美人でもない。
だからといって新しく入った後輩や他の学部の男の子にまでこんなことを言うなんて。
いつもマウントをとる恵里香にずっと我慢してきたけど、今日は少し酔ったこともあって帰り道に思い切って不満を伝えた。
恵里香は「あなたのためを思って」というが、そうは思えない。
5月8日(木)
ゴールデンウイーク明けに、久しぶりにサークルに顔をだした。
なぜかみんなよそよそしい気がする。特に女の子からはそんな感じがした。
私が帰り支度をして廊下に出ると、こそこそ話を始めていたけど、なんて話しかけていいのか分からず学校を後にした。
恵里香があの日のことで何か言ったのかな?
6月14日(土)
みんながよそよそしいのは気のせいじゃないと確信した。
恵里香がサークル内で私の悪口を言ってまわっている。
間違いない!
美人で要領のいい恵里香の言うことは、みんなすぐ信じてしまう。
私の大学での居場所がどんどんなくなっていると感じる。
田舎の親にでも愚痴を聞いて欲しい気持ちだが、現在離婚に向けて協議中らしい。
誰とも心から話せない。
アパートに帰れば隣人トラブルが相変わらずで、騒音やゴミ問題で毎日ストレス。
もう限界。
6月18日(水)
今日は雨が降っていたので、外出せず部屋で課題の合間にネットを観ていた。
不動産サイトでたまたま見つけたマンション。
写真では綺麗で広くて安い。
ここならリスタートできる予感がする。
1つ心配なのは、家賃と見合ってないこと(事故物件?)。
とりあえず明日、見学に行く予定だ。
6月19日(木)
今日も雨が降っていた。
頑張って見学にいったマンションは、全てが想像以上だった。
俗にいう「高級マンション」だ。
なんと住人専用のプールまであった。
管理人さんも常駐していて、住人のトラブルも聞いたことがないらしい。
しかも、この築30年の古いアパートと同じくらいの家賃。
事故物件じゃないと聞いて安心した。色々疑っていたけどゴメンナサイ。
日当たりのいい、明るい部屋だった。
すぐに申し込んだけど、希望者が多いらしく抽選になると言われた。
私の人生であんな所に住むチャンスは二度とないだろう。
7月11日(金)
今日から新しい部屋での生活が始まった。
4階の4号室。
前のアパートは本当にひどかったけど、ここは違う。
初めて会った住人も笑顔で挨拶してくれて、なんと引っ越し作業まで手伝ってくれた。
管理人の佐伯さんも優しくて、「ここの住人はみんな家族だから」って言ってくれた。
7月12日(土)
久しぶりにサークルに顔を出した。
みんな相変わらずだったが、電話をするふりして聞こえるように自慢してやった。
恵里香は聞こえてないふりしていたけど、明らかに嫉妬している顔が最高で少しすっきりした。
絶対に招いてあげないけどね。
サークルにも退会届けをだした。
最高のリスタートだ。
7月13日(日)
今日はこのマンションの目玉、屋内プールに行ってみた。
見学の時に案内してもらったが、少し怖かったので、昼間見に行った。
水は透き通っていて本当にきれいで、まるで水に吸い込まれるような感覚だった。
小学生の時、近所で通っていたスイミングスクールを思い出す。
今度は水着を持って来よう!
7月23日(水)
水着を持ってプールに行った。
何人か子供とお母さん達がいたが、みんな優しく挨拶してくれる。
昼間にプールでのんびりできる大学生の特権に感謝しながら泳いだ。
中学を卒業して泳いでなかったけど、体が覚えているものだと思う。
それに泳いでいると嫌なことを忘れる気がする。
プールから出るときに小さな話し声を聞いた気がしたが、見回しても誰もいなかった。
疲れているのかな?
8月3日(日)
隣の奥さんが焼き菓子を持ってきてくれた。
小学生の男の子が2人いて、引越の時も一緒に手伝ってくれた人だ。
「何かあったら遠慮しないで声をかけてね」と優しく言ってくれたが、どこか申し訳なさそうな顔だったのは思い過ごしかな。
戴いたお菓子はおいしかった。
8月5日(火)
大学から帰宅すると、佐伯さんが私の部屋の前を掃除していた。
挨拶して夏休み中の予定などを話した。
私が今年は帰省しないと伝えると、いい情報をくれた。
普段、夏休み中のプールは家族づれの住人や遊びに来た友達が多く利用するのだけれど、お盆の時期はみんな帰省していないらしい。
「プールは貸し切り状態だからおすすめだよ」と笑顔で教えてくれた。
サークルを辞めて、この夏は予定がなかったから、少し楽しみができた。
8月6日(水)
夜のプールで泳いでいたら、耳元で声がして慌てて飛び出した。
何となくだが「おかえり」と聞こえた気がする。
振り返ると、入口に佐伯さんが立っていた。
備え付けのタオルの交換に来たらしい。
「ちょうど良かった、はいタオル」と持っていたタオルを差し出してくれた。
あと、来週のスケジュールを聞かれた。
どうもマンションの皆さんが私の歓迎会を企画してくれているらしい。
「そこまでしてくれなくても…」とも思ったが、せっかくのご好意なので参加することにした。
8月12日(火)
今日はマンションの皆さんがささやかな歓迎会をしてくれた。
明日からお盆。
聞いていた通り、みんな実家や旅行に行くらしいので、その前にということらしい。
私も来年はいい友達(できれば素敵な彼氏も♡)つくって旅行に行きたい。
それにしても、ここの住人はみんなやけに優しい。
「ここに来てくれてありがとう」ってみんなに言ってもらえて嬉しかったけど、まるでお別れみたいだと思った(笑)
【管理人・佐伯の日記より(抜粋)】
6月19日(木)
今日、美沙さんという若い女性が404号室の内見に来た。
彼女は疲れていて、どこか孤独そうだった。
案内したプールでは誰もいない水面から、突然「ぽちゃん」と小さな水音が響いた。
彼女がこの場所にふさわしいと認められた証だ。
美沙さんが帰ったあと、すぐに不動産に電話を入れた。
「抽選の結果、あの子に決まった」と。
8月13日(水)
今夜、美沙さんがプールで消えた。
念のために彼女の部屋を調べてたら、引き出しから日記が出てきた。
目を通したが、不都合な記述はなく安心した。
順番からいくと、旅立ったのは23年前に404号室に住んでいた林さんだろう。
「いってらっしゃい、林さん」
これで”こちらの家族”もしばらく安泰だ。
8月19日(火)
美沙さんのご両親が警察とマンションに訪ねてきた。
この時がいつも一番緊張する。
部屋も見せたが、ここでの事件性は確認されなかった。
その内、自分で失踪したか、何らかの事件に巻き込まれたのかで落着するだろう。
色々と質問をされたが、答えはいつも同じ。
事件など何もない。美沙さんはここに居るのだから。
2月10日(火)
この数か月、娘がいつ帰ってきてもいいようにと家賃を振込み続けていたご両親から解約の申し出があり、今日荷物を全て引き取って行かれた。
早速、404号室の新たな募集をいつもの不動産サイトに掲載することにした。
・3LDK(住人専用プール利用可)
・特別価格!即入居可。
・人気物件につきお早めに!
2月17日(火)
今日は驚くことが起きた!
なんと、あの日記に書かれていた恵里香さんが内検に来たのだ。
ぽちゃん!
「絶対に招いてあげない」と言っていた彼女が、許したばかりでなく、家族に”招いて”あげたのだ。
彼女の優しい心に感動して、思わず涙ぐんでしまった。
歳を重ねると涙もろくなっていけない。
すぐに不動産に連絡をしてあげた。
3月20日(金)
今日、404号室に新しい住人が引っ越してきた。
みんなが優しく接するのも、彼らなりの罪悪感のあらわれだろう。
みんな共犯者で協力者なのだから。
3月21日(土)
この土地には、長く続く連鎖がある。
時代毎にそこにあるものは変化していくが、必ず水にまつわる場所になるらしい。
大昔は川や井戸だったらしいが、今はプールになっている。
そしてそこに何者かがいる。
彼ら(彼女ら)が自由になるためには新しい誰かが必要になる。
1人が加われば、1人が自由になる。
何故なのか、何時からいるのか誰も知らないが、必ず7人いて増えも減りもしない。
数年に一度、彼らは新しい家族を要求する。
次の年ということもあれば、3年後ということもある。
しかし連れて行くのはお盆と決まっている。
住人たちはこの時期、みんなマンションを離れる。
せめて罪から逃れようとしているのか、かわいそうで見たくないのか分からない。
そのことを前の管理人から引き継いだ当初、とても信じられず私は知らないふりをした。
あの時は悲惨だった。
代わりにこのマンションの住人が1人消えた。
それから住人全員で話し合い、その人が住んでいた404号室を貸し出すことにした。
今後、”こちらの家族”が”あちらの家族”にならないように。
2つの家族を守るため、私は今日も新しい住人を探している。
もちろん、美沙さんが旅立つ時も私が責任を持って見届けるつもりだ。
【エピローグ】
今日、プールを覗くと水底に7人の白い影が集まっていた。
薄っすらとして、ゆらゆらしているが、最近見ることができるようになった。
その中に、美沙さんの楽しそうな笑顔があった。
彼女はもう孤独ではない、この“家族”の一員なのだから。
私は静かに水面に声をかけた。
「おかえり、美沙さん」