1-2:魔王みたいなわたしと半獣人の子供
「ハハ! ハハ!」
ん……なんか、子供のような声が聞こえるような……。
「ハハ! ハハー!」
女の子かな……? ……というか、さっきから何? 『ハハ、ハハ』って……何か面白くて笑っているの?
「ハーハ!」
うぅ……ちょっと身体ゆすらないで……って、待って。わたし……今、どこにいる?
「……」
ようやくそこで、わたしは目を開けた。
すると、まず目に飛び込んで来たのは、まんまるの大きな金色の瞳を輝かせる、四歳くらいの幼い子供の顔があった。
「……っ!?」
わたしは驚いて身体を起こす。
……あれ? そういえば身体……全然痛くない! だってわたし、トラックに轢かれたはずで……。
「……んん?」
いや、そもそもなんだこの服……服、というか、衣装というか……。
わたしはなぜか、漆黒のレースのドレスを着ていた。
胸元は大胆にも大きく開いていて、今のわたしは、自ら着るとは思えないほどのセクシーな格好をしていると、鏡を見るまでもなくわかる。
……っていうかわたし、なんか前より胸大きくなってない? 気のせいかしら?
――よし、一旦落ち着こう。
まずはこの子供のほうが先決……よね。
わたしは再び子供を見た。
よくみればその子供は、普通の子供とは姿が違っていた。
人間の子供と同じような見た目ではあるけど、頭にはもふもふとした三角形の大きな耳が生えていて、腰のあたりにはくるんと丸まったふさふさの尾、ほかには肩の部分や胸の部分、関節のところなどに、身体を守るようにしてクリーム色のふわふわの毛が生えていた。
ひと言でいえば、ファンタジー作品などでよく見るような、所謂半獣人の子供だ。
わたしは、そんな不思議な存在を実際に目の当たりにして驚きつつも、恐怖心を抱いていないことに気づいた――むしろ、愛らしいと感じるくらいだ。
子供は笑顔でわたしのことを見ていて、目が合った途端、わたしの胸に飛び込んできた。
「わっ!」
「ハハー!」
わたしにぎゅっと抱きついて、ぐりぐりとわたしの胸に顔を埋める子供。その仕草は、まるでお母さんに甘える子供みたいで……。
「……ん? ハハ……お母さん、か」
わたしは呟き、ようやく子供の言葉に合点がいく。
わたしは最初、この子は何か『ハハ』と笑っているのかと思っていたけど、違う――この子は、わたしに向かって『母』と言っていたのだ。
「えーっと……お母さんと間違えちゃってるのかな? わたしはお母さんじゃないよー。もしかして、ま、迷子なのかなー?」
やっと事態を掴んできたわたしは、子供に向かってそう聞いた。あまり小さい子と関わる経験なんてなかったら、ぎこちない感じになってしまったけど。
子供はきょとんとした顔をして、首を大きく横に振ると、言う。
「マイゴ、ちがう。母もちがくない。母はムイの母。ムイ、母よびだした」
「呼び出した……?」
わたしは訳がわからず、なんとなく視線を下におろすと、何やら魔法陣みたいなものが描かれていることに気づいた。
ちょうどその真ん中にわたしが座っているような感じだ。
なんというか、これは――まるで、わたしが召喚されたみたいな状態だった。
……ってことは、呼び出したって、もしかして……。
「あなたがこれを描いて、わたしを召喚したの?」
子供――ムイちゃんは大きく頷くと、
「うん! しょーかんした!」
と、元気よく返事した。
なんだか、急な状況についていけないんだけど……今わかる情報から整理すると、わたしはトラックに跳ねられて事故死した末、このよくわからない場所に転生してきた……ってことよね。
一体誰に……というか、何に転生したのかしら。見慣れた人間の手足が見えるし、とりあえず人間に転生したとは思うんだけど、召喚とか言葉が出てくるのを聞く限り、ここはわたしのかつていた世界とは、まるっきり常識が違うことだけはわかるわ。
まさに異世界転生ってわけね。
――ああ、でも……ムイちゃんがわたしを召喚したっていうのは、にわかに信じ難いわね。だってこんなに小さな子が、こんな精密な魔法陣を描けるとも思えないし、『ムイ』って名前があるみたいだから、きっとそれを名付けてくれた、本当の親がどこかにいるはずよね?
異世界に来てやることもないし……とりあえず、今はこの子の本当のお母さんを見つけてあげよう。
「えっと……ムイちゃん、だよね」
「ムイだ。ムイちゃんちがう」
「……フフ。わかったわ、ムイ。とりあえず、外へ出ましょうか。ここは肌寒くて……ちょっと薄暗いから」
「うん! おでかけする!」
無邪気に満面の笑みを浮かべるムイ。ああ、きっとこの子のお母さんは、この子がいなくて今も不安で悲しんでいるに違いないわ。早く会わせてあげないと……!
わたしはムイと手を繋いで、外へと出た。
広がる青空の下、太陽の光を思い切り浴びて、わたしは改めて生を実感する。
風が心地よく、気温もちょうどいい。
まさにおでかけ日和だ。
振り返れば、わたしたちがいたところは、どうやら大きな岩穴だったみたいだ。
このあたりは自然一帯が広がっていて、人気がまるで感じられない。
さて、ここからどこへ進もうかと思ったけど、遠くから水の流れる音が聞こえてきたのに気づき、わたしはムイを連れて、その音へ向かって歩いてみることにした。
しばらくして、川を発見した。
ふと川の水面に映る自分を見てみれば――なんとわたしの頭には、大きな禍々しい角が二つ生えていた。
「うわっ!?」
わたしは、恐る恐る角に触れてみた。……うん、確かにある、生えている。真っ黒な、硬くて太い角が二つも。
それに、ウェーブのかかった赤黒い髪に、口を開けたら、本来八重歯であるはずの歯が鋭い牙になってるし、何よりも目を引くのは、この紅い瞳だ。
ものすごく、全体的に邪悪さを感じる。
「今のわたしって、例えるなら……RPGの最後に出てくるラスボスね」
ラスボス――そう、さしづめ『魔王』といったところかしら。
……。
……いや、魔王って……そんなことある?
とんでもない悪役に転生してますけど……?
「母、川みてどした? サカナいた?」
ムイがわたしの顔を覗き込んできた。……そうだ。今は自分のことはひとまず置いておこう。
……ん? ちょっと待って。ここに川があるってことは……もしかしたら、この川の流れにそって下っていけば、村や町があるかもしれないんじゃないかしら。
可能性としては、なくはない話だ。
そうとなれば、向かわない手はないでしょう。
「……ムイ、今から下のほうへ降りていこうと思うけど、歩けそう?」
「うん! ムイ、げんきある! あっちいったことないし、たのしみ!」
「よし、じゃあ行こうか」
ムイは行く先がとても楽しみなのか、わたしの手を振り払って先に下へと駆け下りて行ってしまった。それはまるで犬のように、手と足を使った素早い身のこなしだった。
わたしは「待って!」と叫んで、慌ててムイのあとを追う。
ああ、なんでわたしったらドレス姿なんだろう……! 動きづらいったらありゃしない!
ムイの姿はどんどん小さくなっていき、そのうち見えなくなってしまった。
「ヤバい……ムイ! まだ近くにいる!?」
わたしは必死になって追いかけた。幸いなことにすぐに森は開け、町が見えてきた。
――よかった。あそこなら人がいそう。
わたしはムイがそこにいることを願って走った。
町へ入る直前、ムイの姿が見えた。しかし、ムイに追いつけてひと安心――というわけにはいかなかった。
「母ー! 母ー!」
――ムイは、二人の兵士によって取り押さえられていたのだ。