98話、過去の事件・謎の爆弾魔
容態が安定して胸を撫で下ろしたジュリアは、それでもジェイクの悪あがきに付き合うつもりはない。あと三十分。もしくは敵影が見え次第で、吹雪の中を下山しようと心に決めている。
「……皇帝ユーガ様が崩御された後でシリウス帝国が割れた時だ。マリア様は度重なる誘拐や暗殺の危機に晒されていた。彼女の癒しの力は時代を問わず、何をしてでも手に入れたい“人の宝”だからな」
気を緩めども寝るわけにもいかない。子守唄代わりに思い出話で時間を潰そうと話す。
十三年前に起きた歴史的瞬間『天地が割れた日』。病に伏していた人類王が亡くなって初めて、彼等は動き始めた。シリウス帝国は割れて、大陸が戦乱の世へと戻る。
「私は当時王国との検問所で働いていた。どれだけ人手が必要とされていたか分からない。配属される地域を転々として、毎週のように配置が変わっていた」
建国からしばらくは事件が度重なる。密入国や暴動も日常茶飯事だった。誰にとっても大変な日々だったが、始まってしまった世界の流れは止められない。順応しなければならない。
「死んだのは私の友の……弟だ」
「……」
「私なら安心と預けられた部下だった。彼はお前のようにお調子者だったが、お前のように優秀だった……いや流石にお前とは比べられないが。とにかくお調子者ではあった」
怯えられることは多い。部下にも上官にも。
ブライスもまた怖がりながらも、よく声をかけていた方だった。文学をこよなく愛する姉よりも活発で、積極的だったように思う。まだまだ優秀に、より強くなるという確信があった。
「……突然の別れだった。その日も事件が起きたんだ……違っていたのは、対処が非常に困難であった事だ」
ジュリアは上官の指示に従い、手荒な行動も辞さずに出入国を取り締まっていた。特に聖国へ入る者は厳しく取り締まっていた。少しでも怪しさのある者は、兎にも角にも入国禁止。
だが、その事件の首謀者は、思わぬところからやって来た。
「その日は所長に客が来ると聞いていて、私達で所長室まで案内した。知人と聞いていたし、警戒はしていたがまさかあんな真似をするとは思っていなかった……」
自爆。紅蓮技による大規模な爆発で、検問所を吹き飛ばそうとされる。所長室に通された知人は所長と握手を交わす。どうなっていくのかを知った今では、ゾッとするほど自然な談笑を楽しんでいた。
「思い出すと今でも恐ろしい……自然な笑顔で違和感なく耳に届く友人同士の会話。出された茶も警戒心なく飲んでいた。緊張感も恐怖もない。そこにいたのは本当に良識的な常人だったんだ」
犯人は所長の知人。武術を習った事すらない貴族出身。聖国へと居を移したばかりで、旧友の所長に挨拶をと赴いた一般人だ。
けれど、その自爆技だけは卓越したものだった。それも不気味だが、ジュリアの背筋を凍らせたのは事件発生寸前だ。
「私には今も理解できない。あの男は精神に異常をきたしていたとしか思えない。常人のまま弾けてしまったのだから」
会話が途切れたわけではない。他愛ない会話をしながらお茶を飲み、知人はハンカチでも取り出すかのように、スーツの内ポケットから鋼器を手にした。
その時の表情は所長の娘の話をされて、微笑ましそうに頷いている。祖父が孫を見るような目をしていたと明瞭に記憶している。
「……我ながら間抜けな話だ。鋼器を復元されてもなにかの自慢話が始まるだろうと思っていた。マナを込め始めて、やっとテロだと気付いた。その時も犯人は変わらず所長と会話していた」
首から下だけが別の意志で動いているようだった。ダガーが復元されると人格も人柄もそのままに、紅蓮技が始まる。自爆だけが始まる。
「私はまだ疑いながらも、犯人を抱えて窓を突き破った。神足通で空を駆け上がり、検問所を守り通した」
しかしジュリアは犠牲となって死ぬ。ブライスはそう考えたのだろう。すかさずジュリアを追って空へ駆けた。
「あいつは……空へ犯人を投げ飛ばすつもりだった。抱き抱える私の体勢では投げられない。だから追ってきたあいつは犯人の襟首を掴んで、私から引き離し……もう一度高く跳び上がった」
投げる体勢のブライスが光る。閃光に次いで空に爆炎が生まれ、吹き付ける熱風にジュリアは地へと落とされた。
結果、自爆の犠牲者はブライス一人。聖国で初めての英雄だとして、マリアや所長達から称賛されることとなる。
「ブライスの行動は最善だったと思う。逆の立場なら誰も犠牲にならずに済む道を私も選ぶ。だが忘れられない。あいつの気合いの入った掛け声が爆発に飲まれる瞬間が、脳裏に焼き付いて離れない」
真っ赤に閃いた空は、すぐに黒煙と混ざり合い地獄の空を思わせるものに。
その業火の中で、ジュリアの代わりにブライスが死んだ。死体も残さずに砕け散った。もちろん命を助けられた事を感謝はしている。
ブライスの姉に合わす顔はなく、付き合いは途絶えたが。
「私はいつも、あと九年の命と他人の命を天秤にかける。優先されるのは当然後者。私は最後にお前の未来を護る」
「俺もだ……」
「……?」
「あと九年も時間が残されてるお前を死なせるわけにいくかよ。この俺がついていて、そんなわけにいくか」
娘よりも若い少年が馬鹿げたことを言う。
だが言い返せない。今にも死にそうなジェイクから向けられる視線は本気。真面目で誠実で……逆らえない迫力というのか、口が開かなくなる圧を感じる。
「……」
「その自爆した犯人は誰かに脅されてたのか?」
「……そのような証拠も出てこなかったようだ」
あとから調査した結果でも、その知人は極めて一般的な人物であったとされた。裕福な家庭に生まれて健やかに育つ。道を誤ったこともあるが誰もが通るヤンチャな時分。家庭を持って外交官になるとすぐに頭角を表す。順調に出世して同僚や友人達からの評判も良かった。
「奇妙な事件だった。犯人には動機もない。何が目的で何を考えていたのかも見えてこない。家族の話でも不審な素振りはなかったようだ。政治にも聖国にも、なんの不満も示していなかった。当日も出かけるその時まで、いつも通りだったのだそうだ」
「……」
「隠れて悪事を働いていたわけでもなさそうだ。それに……」
出会ってから所長室に案内し、室内へ通して雑談を交わす。それから犯行に及ぶ時までが、あまりに自然過ぎる。動揺、殺意、緊張感、一切なし。それが一番の気掛かりだった。
「……もう過去の事件だがな」
「殺人鬼の匂いがするな」
「なに?」
「なんでもない……」
頭を振って嫌な記憶を追い出す。ジェイクがなにか呟いた気がするが、目を閉じて誤魔化される。
よく考えてみればジェイクは会話をしている。猛毒が体に回って死んでもおかしくなかったのは、ほんの先ほどのこと。これもまた有り得ない。
「腕を見るぞ」
「どうぞ。でもまだ腫れてると思うぞ」
確かに腫れている。痛々しく赤く腫れていて変わっていない。患部は炎症していて三十分で変化することはないらしい。捉え方を変えれば悪化していないことが、おかしいようにも思う。
「……!」
洞窟の出口方面に顔を向ける。目付きを険しくして天眼通を通す。吹雪も木々も透過して、遥か向こうに巨影を捕捉。同時に飛び回る忌々しい人影も。
「逃げるぞ。街まで耐えろ」
「きたか……」
抱き上げようとするが、ジェイクは――自らで立ち上がった。
「じ、ジェイクっ、まだ動くのは無理だっ!」
「動き回ったりはできない。けどあの邪魔な騎士とヒュドラはやれる」
どれだけの毒だったのかなど明白だ。即死級の激毒。四十分で動き出すなどあり得ない。動けたとしても自殺行為だ。戦闘など言語道断だろう。
「ジュリア、騎士とヒュドラは倒す。だけど俺は動けなくなるだろう。それからは毒に専念しないといけない」
熱に浮かされた顔で、吹雪を背に宣言する。あのヒュドラとジロウ隊の騎士を、必ずや打倒すると誓う。代わりにジュリアにも約束を求めた。
「さっさとあの鬼を倒して、凍死する前に見つけてくれ。俺達でやるんだ。頼むぞ、相棒」




