95話、刺客乱れ打ち
ジュリアの願いが届いたのか、天候は味方する。雪は本格的に降り積もる前に止む。時刻のほどはまだ午後二時あたりだろう。いやそれよりも前か。下山はこの機を掴むしかない。
「ジェイク、ご老人にトーマスを連れて出立してもらうよう伝えろ」
「はいよ!」
「戻って来られなさそうなら、そのままトーマスと街へ行くように。応援は少数でいいから、天候を見て明日の朝には送ってくれ」
ジュリアの指示をジェイクが手話でラムへ通達。趣旨を理解したラムは頷いて承諾を表す。トーマスと縄で頑丈に拘束した三名を連れて下山に向かう。
「では僕は街でお待ちしています!」
「ああ」
唯一の不安材料が手を振って去る。ラムには苦労させるが、馬車までの辛抱だ。取り決めとして伝えたのは、口枷や拘束を緩めない。三人と会話をしない。ラムの指示のみに従うといった注意をした。だがそうであっても心配になる。
「……俺らはどうするつもりだ?」
「無論周辺の捜索に決まっている。ついてこい」
「おう」
いるかも分からないヒュドラの捜索が始まる。やはり問題は天候。最大の敵はいつだって大自然だ。雲行きには細心の注意を払い、遭難だけは避けなければならない。
「ふぅう! 寒くなってきたぜ。手でも繋ぐか?」
「巫山戯ていないで周りを見ろ。私とはぐれるなよ。体調に違和感を覚えたらすぐに知らせろ」
「はぁい」
「もうお前はこの任務に従事する相方だと思って接する。子供扱いはしないから覚悟しておけ」
ジュリアはたしかにジェイクを戦力として見ている。二階に連れられて驚異の洞察力を知らされた時から。もはや任務に向かうにあたって、これ以上の人材はいないとすら思える。
「おう。よろしくな」
「……」
差し出されたジェイクの拳。未経験の距離感だった。驚きが表情に表れるも、すぐに気丈な彼女に戻る。それから柄にもなくジュリアも拳を返して応じた。
「グロリアのところに帰れるな。良かったじゃねぇかよ」
「ああ」
「いつ帰るんだ? 極秘任務は終わったんだろ?」
「すぐにでも。あのテイラーから送られてきたんだ。悠長にしている時間はない。ただちにマリア様にお知らせしなくてはならん」
場合によっては二番手の聖母候補者であるシャーリーも狙われる危険性がある。殺人を強行してでもジュリアを始末しようとする連中だ。一刻も早くマリアの耳に入れなければ手遅れになりかねない。
「なら俺ん家への招待はまたの機会になるな」
「悪いが約束を破ることになる」
「気にすんな。また時間があるときにだな。うちはいつでも来ていいぞ」
「ああ。覚えておく」
「好物は? 用意できるものなら用意しなきゃ。グロリアみたいにパンケーキか?」
「……私は料理に関して好き嫌いはない。甘いものを避けているくらいだ」
「なら酒だ。だろ?」
「そうだな。酒はよく飲む」
談笑しながら雪山をゆく。目撃情報のあるポイントは山の上にある小さな湖。辿り着いたのは一刻も歩いた頃だった。
「……これはいないな」
「どうしてそう思う」
「湖が小さすぎる。基本的に水を飲みに来た動物や魔物を捕食するヒュドラだ。これじゃあ泳げない。ストレスで鱗が剥げて無くなるって」
「帰還時間ギリギリまで待機するぞ。まだ幼体であるのかもな」
「寒いのに……」
少し離れた木の裏で待機する事に。信憑性も怪しく、危険の伴う見張りを敢行する。
が、周りの地面を見渡して、ジェイクが嘆息混じりに告げる。
「あ〜あ、めんどくさ……気付いてるか?」
「ああ。油断するな」
「靴の足跡は複数人だ。あんたを狙っているのはテイラー派だけじゃなかったわけだ。人気者だな」
天眼通で捉えた薄らとした真新しい靴跡。雪に埋もれる前に察知したそれは、人道から外れた場所についたものだった。直前までその場に何者かがいたことは明白。白い吐息のように煙を吐くジュリアは、何者なのかの見当がついていた。
「……今度こそジロウだろうな。大きな裸足の足跡があった」
「姐さん、俺を連れてきてよかったでしょ?」
「くどい。既にお前を戦力として見ていると話したはずだ」
「なら話は早い。罠に飛び込んで壊滅させて終わりだ。あっちは俺って想定外な存在が、どれだけやるか知らないわけだ。さっきと同じく短期決戦で仕留める」
「ジロウ以外は捕縛を試みろ。可能ならばで構わない」
「了解」
マナの波動による網に反応がかかる。隠す気も策を弄す気もない。決戦に相応しい開けた場があれば最適。真っ向勝負上等と、その部隊はジュリア達の前に降り立った。
「やあやあ! ジュリア・ワトソン! このような辺境で奇遇である!」
「ジロウ、相変わらず小娘の小間使いが板についているな。同族の恥だとシュテン様がさぞ嘆かれる事だろう」
「カッカッカ! 口の悪さは上達するばかりらしい! 聞き納めになるとは皆もちと寂しかろうて!」
ジロウは鬼として一般的と言える。赤い肌に額から空へ向かう一角。ニメートル近い背丈と筋肉質な肉体。暴れ回るためにあるような種族だ。根っからの山賊として暴れ続ける喧嘩人だ。
「聖母争いなど不毛。興味なし。ならばこそあの娘である!」
「あれは浅はかだ。他人を妬み比較して沼に嵌っている」
「おう! 妬み辛みばかりだ! しかし利害は一致した!」
ビビ・スタントンは聖母マリアを超えたい。マリアを超える存在と問われて確実な人物は誰だろう。誰もが口を揃えて言う。人類王ユーガのみであると。並ぶ事は出来なくとも、マリアを上回る聖母になれば、かの伝説に近付ける。
「大陸統一は不可能であろう! だが大陸最強国家なら叶う! 我らが新たな悲願に違いない!」
「戦が望みか。馬鹿な娘と鬼だ」
「馬鹿で結構! あの頃を忘れられない馬鹿で本望!」
部下の数は五名。金棒を担いだジロウを相手にしながらこれを打倒する。ジュリアは煙草を咥えたまま鋼器を展開。薙刀を右手に持ち、石突で地面を打ち付ける。
「……馬鹿は馬鹿でも呆れた馬鹿だ」
「大馬鹿だな。お前らの好きにはさせない。俺がいる限り大将の首は取らせねぇよ」
斧を回して歩み、広く陣形を取るジェイク。湖に背を向けて立ち、脳内で制圧までの流れを組み立てる。
「……おい。あまりそちらには近寄るな。もそっと近くへ」
「はあ? なんで?」
「何故もなにもヒュドラがいるだろう。ぬるりと丸呑みにされたいのか?」
「……だっはっはっはっはっは!」
ジロウの忠告を受けたジェイクは間の抜けた表情となる。
だがやがて大笑いをして場をどよめかせた。何を言うのかと。湖面に波紋一つないにも関わらず、何を馬鹿げた事をと。
「大声を出すべからず……! ヒュドラを刺激するだけだ!」
「馬鹿言っちゃいけねぇよ! だっはっはっは! こいつっ、まだ俺がヒュドラがいると信じてると思ってやがる!」
「いるだろう!? なにを言っている!」
「こんなところにいるわけないだろ! 人間からしたら畳一枚分だろうが! 女も連れ込めねぇよ! 仏壇置いて終わりじゃねぇか!」
「意外と底が深いのだ! 底に広がる地底湖型と見た!」
「うるせぇ! しつこいんだよこの――」
ジェイクが怒鳴り上げた声に反応して湖が持ち上がる。半球に膨れた湖を割って現れたのは、水色の大蛇。それも二十メートルを超える頭上から見下ろす大きさ。九つの頭でジェイク達を見下ろしている。
「……だから申したのに」
警告を無視したジェイクに天罰が下る。ヒュドラは最も近く、丸呑みに出来そうなジェイクを見ている。舌を出して獲物を感じ取っている。
「……ま、ママぁ。僕だよ? 小蛇のときに生き別れになった僕だよ?」
ジェイクは咄嗟に身内を気取り、命乞いを始めた。




