86話、国を切り裂く剣
目の前にいる少年が人間かすら怪しく思える。そのような体験を初めて経験することとなる。とても人が発せられる気質では無い。
『――俺が所属した国家は勝ってしまう。だから聖国にも所属しません』
各国には《金羊の船団》や《ノアの方舟》がいる。それら規格を飛び抜けた怪物達が散らばり、世界は途轍もない力でひしめき合い、絶妙な拮抗状態となっている。
だがジェイクは軽々と言い放つ。人類王の血筋や神話の戦士達の国々すらも切り裂き、自国のみを勝利せしめるのだと断言した。
「……」
「……」
豹変して不敵な笑みを見せる少年に沈黙させられる。肌で感じるのみで十分だった。本当に確信して発言しているのが分かってしまう。
なにより問題なのが、事実として出来てしまえるのだろうと納得している自分にある。それは決して有り得ない。であるのに、心中では納得しているのだ。
「俺という剣を手にして、振らない自信はありますか?」
ジェイクは手を差し出す。勧誘に応えると言うのだ。その手を取れば騎士になるという。
けれどライラ団長は動けない。
「振り下ろせば他国を斬り裂ける。その剣を持つ覚悟はありますか?」
汗ばむ。呼吸は荒くなる。ニヤけるジェイクはただの言葉を紡ぐだけ。だというのに、凄みに心魂を焼かれるようだった。
短いはずの長い長い時間が過ぎる。
「……冗談ですよ? 子供がなにを言ってんだって笑ってくれないと」
「そ、そう……ごめんなさい。その手の冗談をすることがなくて分からなかったわ……」
ジェイクが肩を窄めることで金縛りが解ける。息を潜めていた騎士達が、やっと呼吸を取り戻した。胸を撫で下ろすという行為をここまでしっかりと体現するのは、初めてのことだった。
「ジェイクには騎士適正がなかったって伝えてもらえます? こんな巫山戯てばっかりのやつを騎士にはできないでしょ」
「……確約はできないわ。ごめんなさい。これは私が行える裁量の範疇を超えているわ」
「ガキが使えない奴だったって報告するだけでしょ……」
嘆息混じりに言って、話は終わる。ジェイクが席を立ったことで終わりを強いられる。
「グロリアと話はできますか?」
「ええ。私達はホテルで一泊するので、彼女はご家族のご厚意で夕食をいただくようよ」
「皆さんは?」
「この人数ですから。お邪魔になるので街でいただきます」
団長が視線を向けてグロリアへと許可を出す。気丈に努めるグロリアも敬礼で応えた。
「私達は失礼します。急に押しかけてごめんなさい」
「いえいえ。グロリアの友人としてならいつでもどうぞ」
「それはどうでしょうね……」
ライラ団長を先頭に団員が外へ出ていく。
「ジェイク、久しぶりだな」
「よう。元気してた? 俺は死にかけた」
扉を出る直前にギョッとする。あの堅物なグロリアが夫を相手にするようにジェイクの頬を撫でている。融通も効かず母譲りの頑固なグロリアが、貞淑な妻となっている。
「……」
最後の同僚だけは嫉妬の眼差しで歯軋りを残し、それから少々強めに扉を閉めた。
そして外に出た途端だ。隊員達の話題はジェイクで持ち切りとなる。
「……あの噂は本当なのかもしれませんね」
「ライドクロスを追い払ったという報告ね。公国は真っ赤な嘘だと否定しているようだけど……真偽不明で落ち着いたというのに、彼には可能なのではと思えるわ」
「私は勧誘を続けるべきと考えます」
意見を求めない限り意思を表明することのなかった団員からの提言。驚いたライラだが他の隊員からも発案が提示される。
「いっそのこと男女に拘らず、我が団で独自に契約するのはどうですか?」
「正式な騎士団が武芸者と?」
「はい。騎士が嫌で本格的な採用を回避したいようでした。これなら協力という形で取り込めます」
「……検討するわ」
団員達はジェイクの魔術で未だ夢の中にある。彼に強く引き付けられてしまっている。どんな強さよりも賢さよりも、あの数秒間が恐ろしい。
「早く夕食にしませんか? こんな見窄らしい場所から早く去りたいので」
「……なぜそんなことを言うの。口が過ぎるわよ」
「あら団長もジェイク・レインに惑わされちゃいましたか?」
「謝罪しなさい」
ライラは嫉妬からジェイクを敵視する団員に命じる。温厚な一面はない。厳しい騎士団長の顔で鋭く睨む。
「レイン家に体を向けて謝罪しろ。協力的な民への非礼は許されん」
「……申し訳ありませんでした」
他の団員達も同感だと視線厳しく見る。敵を作るだけだと諦めて、レイン家へ謝罪する。ライラは反抗的な隊員に溜め息をついて、自ずと馬車へ向かう。
「ディナーは肩の力を抜いて食べましょう。オススメを聞いておけばよかったわね」
空気を入れ替えて夕食へ向かう。ジェイクという少年に刻まれた衝撃を胸に、明日には聖都ラランズへと戻る。
♤
面倒な騎士団が帰った。生意気で扱いが難しそうな面をしっかり見せておいたから、しばらくは俺に接触しようと思わないだろう。
「ジェイク、夕食作りを手伝おう。先程までは家の事を何も手伝えなかったからな」
「それじゃあサラダ用の野菜を千切ってくれ。俺は特製激ウマピラフを作るから」
買って帰った海老を使ったピラフを作る。母が家業を手伝っているので今日は俺が晩飯を作ろうとキッチンへ。
するとグロリアは寄り添って俺の厨房に並んでくる。
「急にすまなかったな」
「いいよ。土産も貰ったみたいで迷惑でもないし、グロリア達も任務だろ」
「うむ……き、騎士国に行っていたと聞いた」
ぎこちない会話だ。少し間が空いたので気恥ずかしいらしい。
「なんだよ。照れてんのか?」
「かも、しれない……先ほども見惚れてしまったので、その影響もあるだろう」
「ふぅん。なんかしたっけ」
海老の背腸を取る作業も怠らない。母がしているところは見たことがない。料理って、こういう一手間で差が出るのだろう。あと火加減。
「……騎士国も物騒だから当分は行かないぞ」
「それがいい。私もユントへ戻って来られるかもしれない。その時にいないと寂しいからな。禁止されていたが、次からは手紙も送れるだろう」
「送られてきた日の晩に念じるから、返信は上手く受け取ってくれな? あんまり受け取ってくれる奴がいないから、困ってるんだ」
「……きちんと返事を書いて送り返すんだ」
甘美なコラ。頭を軽く指で弾かれる。これが欲しくてグロリアに悪戯してしまう厄介なジジイです。
「明日には帰らなければならない。複数任務を同時に遂行している最中だ」
「ならデートはまた今度だな」
耳たぶをプニプニして海老の匂いをつける。
「……ああ。待たせて申し訳ないが、また今度だな」
デレデレ女騎士は健在。愛おしそうに海老臭い手を両手で包む。凛とした甘々お姉さん。愛人候補生に敬礼。
「……?」
訳もわかっていないグロリアから、律儀に敬礼を返された。




