82話、ロイド家殺人事件
アーロンは国からかなり信頼されているらしい。いくら腕が立つといっても民に過ぎない筈なのだが、事件の記録を閲覧できてしまう。
問題ありと思うが主人であるバッハの指示で、戦闘任務にも駆り出されるようだ。情報漏洩を注意すれば少しの特権は黙認されるらしい。
「……」
アーロンと老齢な騎士に背後から見られながら、事件の記録に目を通す。
王城すぐ横の騎士隊本部まで戻って書庫に連行。成り行きに任せていたら資料を目の前に出されてしまったから。
「アーロン殿。彼が噂の?」
「ええ、ジェイク・レイン様です。無理を言って事件を再度、紐解いてもらおうかと」
俺は名探偵ではない。事件捜査のプロフェッショナルでもない。アーロン達より真実に近づけるとも思えない。でも人質を握られている以上はやるしかない。
「……あんたの言いたいことは分かった」
資料半ばにして振り返らずにアーロンへ返答する。彼がどのような答えを求めているかを理解したからだ。
「この殺人事件の犯人が、ガスコインなんじゃないかって思ってんだろ?」
「はい。ご推察の通りです」
これまでの悪事が白日の元に晒されたガスコイン。アーロンは気掛かりだった殺人事件にガスコインが関与していたのではないか。そう考え始めていたらしい。
「事件が起こったのは五年前。当時ガスコインは王都に宿泊していました。王都を拠点に軍や騎士学校で教鞭を執っています。可能性は高いはず」
「動機は?」
「なにか犯罪の証拠を掴まれたのではないでしょうか」
ロイド夫妻殺人事件。五年前に起こった惨劇だった。ある嵐の夜にメイロードストリート一番街にある王都の自宅で、凄惨な死体が見つかる。
「被害者は新婚のロイド夫妻。アイク・ロイドは頭の切れる軍人であり、優れた武芸者でもありました。そして妻はホーリー」
「旧姓はホーリー・ゴール」
「私の娘です」
斬撃痕が多数刻まれた夫婦はリビングで庇い合うように倒れていた。抵抗する暇もなかったのか揉み合った痕跡もなく、犯人の一方的な犯行と見られている。
「相応の実力を持っていて、室内に招き入れられる者。アイクが学生時代に騎士学校で面識のあったガスコインしか考えられません」
「……俺の考えの前に少し言いたいことを言う」
「なんでしょう」
俺は資料や捜査方法の指摘から入る。資料を指で突きながら姑の如く。
「捜査が杜撰すぎる」
「な……!?」
「犯人が右利きか左利きかも分からない。死体の倒れ方も分からない。刃物で数箇所の傷って曖昧な記載もだ。どんな刃物なんだよ。何箇所でどこについてたんだよ。室内にあった靴の跡も模写とかすべきだ」
人物関係などは調査されているが、現場や被害者の情報が少ない。動機を頼りにし過ぎている。殺人担当の責任者らしき騎士が腹を立てているが、改善点は改善点として伝えておく。
「わ、我々は子供と違って次々と事件を処理しなければならない。毎日毎日、事件は起きているんだ。そのように一つの事件に時間をかけられないのだっ」
「処理……処理じゃなくて追及しないと。どんな殺人だって見逃さないように。次々と生まれる犯罪を効率的に暴く捜査法改善が、今一番必要なんじゃないですか?」
「……っ」
「あと被害者遺族の前で、そういうことは言わない方がいいですね」
二の句が継げられなくなる老騎士だが、俺の忠告に我に帰って隣を見上げる。
「こ、これは思慮が足らず申し訳ありません」
「私もジェイク様から至らない点を学ばせてもらいました。互いにまだまだ不勉強のようですね」
「いやはや申し開きもない……」
男同士が慰め合っている間に、俺はある資料へ手を伸ばす。開いて再度……目を通す。
「……それで俺の結論なんだけど」
「聞かせてもらいましょう」
「殺したのはガスコインじゃない」
切り傷という点だけ考えても、聞けば以前からガスコインの仕込み杖は周知されていたというのだから、可能性としては低くなる。用意周到で慎重派なガスコインが、刺し傷切り傷で殺人をするとは思えない。
ただ、俺とカティアへやったように殺し屋や刺客を雇った場合は別だ。
けれどその場合は、その犯人を捕まえさせて事件を終わらせる筈だ。未解決事件のように、半端なまま片付けはしないと考えている。スピード事件の流れから、そう読んでいた。
「やるにしても、あいつなら自殺とか装うだろうな。これは間違いないと思う」
「……そうですか」
「ただもしかしたらガスコインは、犯人を知ってるのかもな」
「……」
肩を落としていたアーロンは予想外な俺の推察に驚きを露わにした。
捜査した騎士達は実家が金持ちであることやエリートであったアイクが妬みで殺されたと疑っている。周囲からよく思われていないアイクの両親も命を狙われた経験があり、私怨を感じさせる死体から方針を決定したらしい。
だが俺が気になったのはアイクが当時担当していた仕事内容だ。
「ホーリー・ロイドの方に殺される動機があるのかをまだ確認してないから断言はできない。ただアイク・ロイドに関しては特殊な仕事をしてたみたいだ」
騎士国北西クレール検問所所長。出入国の検問所は検査が厳しく、王都はそれに並ぶ。違法な品や制限されたものは勿論。騎士国では基本任意の聖国と違って、人類王の遺品や遺産はすべて国に提出しなければならない。
「所長がアイク・ロイドに変わったのは殺害の一ヶ月前。貴族か誰かに買収を持ちかけられたのかもな。アイクはそれを密かに国へ報告するつもりだった」
「前所長を調べてください。それ以前も」
アーロンの願いに騎士が慌てて出ていく。
「そいつらも口封じで殺されてたらこれで当たりだな。薬物か何かの取引、もしくは遺品を集めている貴族がいるかもしれない。それが例の組織関連なら、そのとき王都にいたガスコインもなにか手を貸した可能性がある」
「現所長も尋問させるべきでしょうか」
「まだ決まりじゃない。決まったら調査した方がいいだろうな」
だがこの推察は空振りに終わる。前所長もその前の所長も生きていた。アイクが初めて取引を持ちかけられたのかもしれないが、他にも可能性を探るべきだ。
「う〜ん……ガスコインには会ってみた方がいいな」
「お手数ですがお願いします」
「明日以降だ。今日はまだホーリー・ロイドについて調べる。彼女は仕事とかしてたのか?」
「ウィンター家のメイドを。結婚後はオータム侯爵の紹介で、アイクの勤務地近くにあるクレイン男爵家でメイドを務めていました。アイクが転勤後からは専業主婦を」
問題は無さそうだ。アーロンの平坦な言い方に表れている。
「……現場はもう片付いて他に売ってるよな?」
「維持しております」
「執念だな。有り難い」
俺はアーロンに現場へ案内させた。仮にアイクが本当に有能なら、身の危険を感じてなにかメッセージを残しているはず。
「……金持ちって割には一般的な家だな」
「王都はたまに立ち寄る程度でしたので」
規則正しく立ち並ぶ縦長の住居。騎士国で一般的なマンション形式だ。アーロンの自費で維持されるロイド家は、ここの三階にあった。
構造上、侵入は難しい。これで行き成りの強盗という線も消える。
♤
ジェイクを連れてロイド家を訪れたアーロン。まだあの忌々しい事件の全容は見えてこない。だが兆しが見えている気がしていた。
「……触ったりしちゃダメなものは?」
「ご自由にどうぞ。ジェイク様で解き明かせないなら迷宮入りでしょう」
室内を見て回るジェイクはまるで内覧をしているようだった。大まかに全体を眺める。ふと鞄や食器を手に取って、また見て回る。
「掃除は?」
「定期的に私や妻がしています」
「五年前だもんな……完全な保存には無理があるか」
望ましい状況ではないらしい。ジェイクは当時の現場そのままを知りたがっていた。
「……」
……進展はないようだ。自然と目を閉じる。元より無理難題を言っている自覚はある。
だがジェイクならばと、バッハから提案されて頼み込んだ。犯人がガスコインであれば話が早かったのだが。
「……おい」
「……? なにか疑問でも?」
「もしかして……殺された時は食事か料理中だったのか?」
確かに資料には記載されていなかった点だ。問いへと完結に返答する。
「はい。ホーリーが料理をしていたようです」
「ふぅん……紙とペンを用意してくれ」
木べらを手に素気なく言われる。要望に応えてみよう。一度キッチンのあるリビングを離れてアイクの書斎へ。机の上には当時からあるインクとペン。引き出しには紙もある。それらを手にリビングへと戻った。
「……」
リビングでジェイクは、机や椅子を動かしたり床を這っていた。瞠目を強いられるもジェイクは真剣だった。話しかけられる雰囲気ではない。
「犯人が持っていけないとか、持っていこうと思わない物ってなんだと思う?」
「……家具、ですか」
「そうだ」
だがそれがどうしたのか。疑問に思うも答えはなく、ジェイクは手を差し出した。
「……こちらです」
「はいどうも」
指示した物を受け取ったジェイクはひっくり返った椅子を戻して座る。紙を広げてペンの先にインクをつけ、メモ書きをし始めた。
「……おそらく犯人を迎え入れたのはホーリーさんだ」
「……」
「アイク・ロイドが優秀かは分からなかった。けどな、ホーリーさんは優秀だったぞ」
ジェイクがなにかを発見したらしい。書く手を止めずにロイド夫妻と事件を語る。
「ホーリーさんは来客が不穏だと気付いて、自ら招き入れた。夕飯でも食べていくように勧めてな。あれこれと話をしてアイクさんと時間を稼いでいたんだ。アイクさん本人が気づいていたかは知らない」
来客を見て心当たりがあったホーリー。調理中のホーリーはなにも知らないフリをして、いつも通りに犯人と接する。
「ホーリーは料理をしながら、この家にメッセージを隠した。殺されることを知って未来の誰かに声を上げたんだ。犯人を捕まえてくれることを信じて諦めなかった。あんたの娘はとても賢くて勇敢だな」
爪で引っ掻いた木べらに始まる。食器棚の扉。椅子の脚。机の裏。フォークやナイフも使い、来客に気づかれないように。恐怖に震えながらも諦めなかった。
「木べらも鍋のスープに浸けておけば隠れる位置に模様みたいに書いてある。指先は火傷してたんじゃないか? 平時を装いながらも急いだんだろう。爪が欠ける強さで棚にも刻まれてた」
ホーリーの執念をアーロンが維持したことで、五年の時を超えて彼女のメッセージを受け取る者が現れる。一字ずつ並べて並べ替え、彼女の伝えたかった言葉が復元される。
「これがホーリーさんの最後の言葉だ」
泣いていた。自慢の愛娘を誇りに思って涙が流れる。厳しく育て過ぎてしまった後悔もある。だがこうして自分などよりも遥かに賢く育っていた愛娘が心から誇らしい。
「――ク、レ、イ、ン」
「ありがとうございます、ジェイク様……」
答えはクレイン男爵家にある。




