75話、やっと公国に侵入完了
「……まずいな」
ある部隊が旧山岳地帯で発生した戦闘を監視していた。人数は八名。ライドクロスと共にオークを誘導した直後から、今に至るまでのすべてを見ていた。
「ライドクロスが逃げてしまったか……」
「口ほどにもないな……。それで失敗したわけだが、プラン通りに我等の手でやるのか?」
合同演習に参加する両国騎士隊の壊滅は絶対条件。隊の主力が戦闘不能な状態の今では、何の苦もなく成し遂げられるだろう。
「鋼器、確認」
全員で向かい合い鋼器を展開。不備がないかを自他共に目視で確かめる。
「南南東にある部隊を殲滅。並びにライドクロスの双剣を回収。これを迅速に達成する」
「……」
隊を率いる隊長格が指示を出した。任務の内容を再確認してから全員が頷いたのを見て言う。
「プラン七で戦闘を開始する。では行動開始」
「プラン七ってどんなのなんだ?」
「……!?」
精鋭部隊が突如として生まれた男の声に騒然とする。気配を掴めずに隊長の真後ろにいた男に驚愕する。同時に、鋼器を構えた。
「……こ、《孤狼》様」
「やあ、帰るついでに挨拶でもってな」
そこにいたのは《孤狼》ブライアン・ブラッドリー。先ほどまで山を二つ越えた先で、《山界》アグンと神話の戦いを繰り広げていた《ノアの方舟》だった。
「こそこそ観ていただろう? なにをしてるんだ?」
「わ、我らは特別な任務で控えている部隊なのです」
「へぇ、どこの国だ?」
「……新聖シリウス帝国です」
棺桶を担いだブライアンは穏やかで危険はないように見える。だが彼等の危うさを知る部隊長は、言葉を選んで慎重に会話を試みていた。
「新聖シリウス帝国ねぇ。コダマ達が付いたんだっけか……ああ、そうなのか。だったらオークであの騎士達を虐めてたのは、あんた達なわけだ」
「これは国家の安全保障に関する任務ですので、《孤狼》様と言えど申せません」
「そうかそうか、俺には無関係だ。気にしないさ」
内情を気遣う口振りのブライアンに安堵する。あからさまな溜め息まで聴こえる程だった。
「それじゃあ……」
「……!?」
だが――棺桶の蓋が開く。《孤狼》が棺桶を地面に落とした衝撃で蓋を開いた。開いてしまったという事は、意味するところは一つ。
深淵の暗闇に、赤い目が爛々と幾つも浮かんでいく。その一つが飛び出してさえしまえば、何千もの戦士を葬れるであろう地獄の番狼達だ。
「悪いね。俺は新聖シリウス帝国も長男の帝国も嫌いなんだ」
「《孤狼》様ッ! お待ち――」
八人の姿が――消滅した。
♤
俺は騎士国の隊ではなくエスメラルダ隊と行動中。スリープ伯爵の領地は危険ではないかというので、アグンの領地にある宿屋で一泊。入国許可証再発行後に、手配された馬車で検問所から騎士国に帰ることとなった。
「私達はこのまま直行します。カワザ様に一刻も早く報告しなければならないから……この剣を証拠にね」
最寄りの街の手前にある街道で別れる。
エスメラルダは憤りを表して馬車に置いてあるライドクロスの双剣を睨みつけている。休みもなく寝ずの旅で、《狒々公》カワザを目指すつもりみたいだ。追手は間違いなく放たれる。その前にカワザの元へ辿り着かなければならない。
「ま、大丈夫だろ。先にカワザ様へ文を送ったんだろ?」
「ええ。私の鷹がすぐに届けてくれるわ」
「なら向こうから保護の部隊がくる。刺客が間に合うことはない」
「あなたも気をつけて……と言ってもあなたはきっと騎士国に帰ったと思われているから、心配はいらないだろうけどね」
「おう、だからもう行きな。急ぐに越したことはない」
エスメラルダの腕を叩いて先を急かす。部隊は名残惜しみながらも、二つの馬車へ乗り込んだ。エスメラルダは最後に馬車後方から告げる。
「また会いましょう! あなたは私達の恩人よ!」
「全員の勝ちだ! あんまり気にすんな!」
手を振る騎士隊に別れを告げる。カワザなら上手くやるだろう。
「……公国でシズカと合流するだけで、なんでこんな事になるの?」
血が滲む包帯だらけの全身。過去一番の大怪我をしてしまう。
とは言っても街道でいつまでも立っているのも奇妙だ。さっさと街へ行って休もう。
「……」
街は人間とドワーフがほとんど。《山界》アグンのお膝元であるから仲良く賑わっている。人間が力関係で泣きを見ることがないのは珍しい。あの不器用なアグンが上手くやれているようだ。
「すんません。オススメの宿屋はありませんか?」
「ああ、宿ならココとかが人気だな。ただ飯が付かないから飯屋は自分で探さないとならん」
「そうですか。ご親切にありがとう」
「いやいや。ようこそヤジカの街へ」
気さくなドワーフが勧める宿屋へ入る。
「いらっしゃ……いませ。お客様、大丈夫ですか……?」
「ちょっと事故に遭っちゃって。一泊お願いできます?」
「え、ええ、もちろん。どの部屋にしましょうか」
一番いい部屋を用意してもらった。何故ならシズカが迎えに来る。高い飯でも奢ってもらおうと、俺は鍵を持って四階へ。二部屋しかない内の南側を開ける。
「危なかったですね」
「……危なかったよ。アグン達も暴れてやがったし冗談じゃない」
既に愛しの彼女がいた。艶やかな黒髪の巨乳天狗に出迎えられる。どうもアグン達にさえ悟られないように観ていたらしい。
「最近は事件に巻き込まれすぎる。これが終わったらユントに引きこもる事にした」
「今夜は休んでください。明日か明後日に出発しましょう」
流石のシズカも気遣う大怪我である。半端な少年体で相手をするには危険な相手だった。
手を貸してベッドまで連れていかれる。
「仙道で治療するので寝ていていいですよ」
「いやらしいことしないでね? エッチ!」
「……」
「……すんません」
病人の心臓を止めかねない龍の目付きで睨まれる。包帯を取ったり顔を撫でる手つきは愛で溢れているのに。
「……どうしてあのようなことになったのでしょう。あの部隊が全滅することで、スリープ伯爵になんの得があるのでしょうか」
「騎士国にもエルフを売りたいんじゃないか?」
「……」
「騎士隊が全滅したのは、検問所にシーザーが課した規則の厳しさが関係しているとか抜かしてさ。あそこは公国だったけど一番近い応援要請先は騎士国検問所だ。壊滅させた後に応援要請を送って、迅速な入国ができなかったから壊滅したんだって言われたらそうも取れる」
規制を緩めれば騎士国の富豪や貴族相手にも商売できるかもしれない。駄目で元々、規制を徐々に緩和できたなら儲け物という認識だっただろう。
スリープ伯爵はまだ金儲けをしたいらしい。
「そのために自国の騎士隊を手にかけようとは……」
「そんな悪党はどこにでもいる。足元の民の事なんざ、上の連中には視界にすら入ってないんだよ」
ベッドに軽く腰掛けて手を翳すシズカ。ほんのり白く明るい光が傷を癒やす。スリーブ伯爵に怒りながらも優しさ爆発中だ。
「これは俺達よりもカワザやアグンの問題だ。ここは乗り越えられたことに満足しようぜ」
顰めっ面が似合うシズカの美人顔を撫でて機嫌を取る。すべすべでスケートリンクにできそう。どうやって洗顔や化粧をしているのか、母ちゃんがとにかく気にしている。
「……そうですね」
「それより暇だからイチャイチャしたい」
「怪我人は安静にしていなくてはなりません。食事も私が買ってきます。胃に優しいものが売っていればよいのですが」
「お前の料理が恋しいのう……」
「……我が儘を言わないっ」
顰めっ面がキツくなる。喜んでる喜んでる。可愛いったらない。胸がキュンキュンしているのが手に取るように分かる。ジジイ相手なのに。
「帝国の子爵は?」
「います。スリープ伯爵の元に辿り着きました。早速公国内で遊び回っています」
「エルフは?」
「……もう既に購入したようです。多数を帝国に連れて帰る準備をしています」
人道的には解放した方がいい。
だが俺はより危険に晒される。ただでさえライドクロスに関わってしまった。より注目される羽目になるだろうから、暫くは大人しくしないと。
「……分かったよ。助けたいんだろ?」
「そのような話はしていません」
「協力させておいてお前の頼みは断りますじゃあ筋が通らない。ただし、助け出した後も考えないとな」
表情に出さなくてもシズカの性格で分かる。賢いシズカは行動すべきでないことは理解していて、口に出して言わないだけ。なのでついでにエルフは助けよう。
「問題は脱出経路だな」
「……やはり無理をする必要はありません。今回は止めておきましょう」
「いいや、やるなら今回だ。成長すればもっと注目される。こういう行動を取るなら今しかない」
ちなみにシズカにいいところを見せる為なので大嘘。半端な優しさで子爵殺害および悪霊化以上を望むのは、可能な限り避けたい。今の俺はそこまでの危険を犯せる段階にない。
「私のために言っていることくらい分かります。やはりこのような行動は控えましょう。気持ちだけ受け取っておきます」
「……いいのかよ」
「数十人を助けたところで根本的な問題解決にはなりません。それよりもあなたが捕まりでもすれば世界が危険だ」
善の心しかないのではとも疑われていたシズカの成長。人類王の胸にも感慨深い思いが込み上げる。
「お前は裏表がないから心地いい……」
「……子供だとでも?」
「そんなエロい体して子供なわけないだろ。こんな大怪我をしてるガキも誘惑しやがってっ……」
「黙りなさい」
怪我をしていて良かったのは、悪戯をしても《烏天狗》に仕置きされない事だ。
さて少し賭けにはなるが、囚われのエルフにチャンスを与えよう。エルフ脱出大作戦の開始だ。




