68話、久しぶりの戦場
騎士隊から飛び出したジェイクはまず、バナナの皮を投げてみた。
先頭を務める将を任されたオークの足元へと。武装も骨格も他のオークよりも立派。歪に欠けた刃の大剣を両手に携えて歩んでいた。
「おらぁ!」
「……!? ヌグウっ!」
「ぬおっ!?」
踏み出した足が着地する瞬間、放り込んだバナナにオークが足を滑らせた。成功するとは思っていなかったジェイクが慌てて隙を突く。
「グウゥ……」
「――」
斜めに振り下ろされた斧が、鋼の閃きを残す。
軌跡の線は起き上がろうとしていたオークの首に走り、間を置いて――緑の体液が飛び散る。
「グアっ!? オオグッ、ガアアア……!」
深い切り傷から体液が溢れる。
徐々に力尽きる尖兵。副大将を失ったオークは狼狽の一途を辿る。強制された憤りにも変化が表れ、憤怒による一時的な能力上昇は薄くなる。
「ド、ドウスルっ! ドウスル!」
「コロセ! トニカク、コロセッ!」
ジェイクは次に指示役に回ったオークへ狙いを定めた。この群れでは年功序列で決まるらしい。ボスはまだまだ後方に控えているだろう。正式な指示が飛ぶのはまだ先で、前線を崩せば騎士隊が勢い付く筈だ。
「久しぶりに暴れてやらぁ!」
裂帛の気合いを叫び、振り下ろすように斧を投げる。オークも正気を疑う行為だ。武器を失って次には死あるのみ。
「ヌン!」
やはり単純な投擲は弾かれる。年配のオークは頼れる縁の下の力持ちで、指揮権を待つに相応しい防御だった。
「【神足通系第七等技・大鐘音開】」
しかし、銅鑼の音が鳴る。放った斧を囮に懐に飛び込んだジェイクの蹴りだ。見ている側からはオークの体が歪んで見えていた。
「……ゴフっ」
内部を出鱈目に破壊され、オークの目や鼻や耳、口から体液が漏れ出る。蹴られた臍の下から体内に響くマナの振動。反響するのに応じて体内を震わせ、内部から臓器を崩す凶悪な蹴り技だった。
「どらぁ!」
「グオア……!? ドオっ――!?」
落ちていた大剣を投げ付けてから殴りかかる。赤いオーラが滲むジェイクはもう止まらない。目につくオークから喧嘩を売っている。
しかし、その実は指揮権を持ちそうな個体から順に倒しているとしても、見抜ける者はいない。
「わ、私達も続くわよ! 彼が死んでしまう前にっ!」
「行くぞぉー!」
暴れ回る小さな人間に動揺するオーク達を目指す。両国の騎士達が慌てて走り出した。
「着火っ!」
「は、はい! 【紅蓮技一式・火花】!」
副隊長が指揮を取る南側にも変化が。調理油やランプの油を染み込ませたテントや物資に火をつける。マナ・アーツによる火の粉を巻いて着火した。
「……! ……!?」
「……っ!」
立ち昇る炎は壁となってオークを阻む。灼熱の熱波が風に煽られてオークを押し退け、揺らめく炎のカーテン越しに見るオーク達は騒然となっていた。
「私達も北側に向かおう。事態は一分一秒を争う」
「北を殲滅させなければ、か」
「新人達は炎が消えないように全力を尽くしてくれ! 乗り越えてくるようなら第二陣にも火をつけるように!」
指示を残して副隊長も前線へ。残された学生は急展開の連続に思考が止まり、不安ばかりが募る。
「……だ、大丈夫なのか?」
「さっきのってクリスの弟よね……」
「じゃなくて自分達だろ! どうでもいいさ北側なんて!」
「怒鳴らないでっ……!」
余裕なく苛立つ若手には炎を見守るのが関の山だった。これが最善の作戦だったのだと彼らは後で知るのだが、今は察する術がない。
北側オーク総勢三十六体と接敵する合同騎士隊五十一名。この時はもう勝利は濃厚と見ていた。前線を崩したジェイクを助けに飛び出したヒューゴを皮切りに、オークを押し込む。伝わる動揺が半ばから後陣まで達した時にはもう遅い。
「……」
オークリーダーは我が目を疑う。オークを撲滅するために派遣された人間達がいる。この情報は近隣の群れを激怒させた。普段は敵対するボスオーク達とも手を組み南北から挟み打ち。込み上げる怒りはオークを奮起させて勝利は確実だった。だったのだ。
「邪魔だ!」
先頭付近で著しい活躍をする細長い剣の雄。手間取る騎士達を率先して助けている。
「撹乱はジェイク君に任せて、前に出過ぎないように! シッ――!」
矢のように槍で貫く人間の雌。常に人間達の中心にいる。常に人間達へ声をかけている。
「グラア! ニンゲンっ!」
「――」
けれど、問題は一体の子供だ。どこからともなく出現した紅い大剣を地面に突き立て、護衛として連れる側近の斧を楽々と受け止めてみせた。体格差も無関係に真正面で受け止めた。
「よう。その首、もらおうか」
「……!?」
その人間は人間に非ず。
「狡賢い人間に騙されたんだろうが、こっちも黙って殺されるわけにはいかないんでな」
悪魔の側面が現れる。顔の半分に悪魔を被って側近の斧を蹴って弾く。またどこからか取り出した紅いナイフを手に飛びかかった。
「同情はするけどな」
その右目には紅い炎が宿る。弱みがすべて透けて見抜かれる感覚。無意識に数日前の熊狩りで負傷した腹を庇う。
「この目は死がよく見える。隠しても無駄だ」
体に纏わりつくように移動する小さな人間。側近もどうすればいいのか分からない。自分も腹と急所を庇って防戦一方。無情な刃が肌を裂いて肉を削ぐ。全身から血が飛散するのを、どうしても止められない。
「……! オレハ長ダゾッ――!」
意図的に焚き付けられた怒りが爆発する。仲間も何もなく、頭が真っ赤に染まる。気付いたら全力で大剣を振り回していた。侍るオークの頑丈な体をいとも容易く裂いていく。自分はここまで強かったのかと興奮に、快楽成分まで分泌されて更に燃え上がる。
「ギャ――!?」
「ガッガッガッガッ!」
小さな人間を追って振り回す大剣で屈強な護衛が裂かれる。一撃で横腹が割れ、防いだ斧も砕けて仲間が飛んでいく。
「ガッガッガッ!」
「怒りと高揚で自分を見失ったか。悪いな、人間のせいで」
憐れみが送られた。横目に見れば、薙ぎ払った大剣に乗る人間がいる。そして気づく。自分は泣いていた。涙を流しながら剣を振り回し、家族仲間を斬り殺していた。
「あばよ」
人間が飛びかかる。首に酷く熱い感覚を覚えて――視界は暗く染まって終わる。
解体が、完了した瞬間だった。




