66話、神話の激突……その裏で
《孤狼》ブライアン・ブラッドリーは寡黙なアグンを前に棺桶を傾ける。蓋を一度閉じて、昔の同胞との会話を楽しむつもりだ。
「……確かにあんたの領土では、あんたのルールが適用される。俺はお邪魔している側だ。従うつもりだとも。アグンさんがそこらに厳しいのは知ってるし、そんな阿呆なと思いながらも心のどこかでこうなることも想定してた」
豊富な髭で表情が読めないアグンが手に持っている大槌もまた王器。しかもこの巨体。側から見ればブライアンはまるで蟻のように見えるだろう。
「でもさ、あんたの国の民を守ろうって人間も許さないってのはいただけない。融通が効かないにも限度がある。理解したか? 分かったら引くことだ」
「……」
「俺は別に謝罪なんて求めないから体裁的にも安心だろう?」
だがブライアンは《ノアの方舟》だ。むしろ挑戦的に。益々神経を逆撫でしてアグンを誘う。大胆不敵に堅物なアグンへと笑みを向ける。
「……」
沈黙するアグン。だが毛むくじゃらな顔から見える眼差しで分かる。ブライアンへ怒りを示し、力を使うことを意識している。
これに浮き足立つのは、アグンがどれだけ破格な実力かを知る山の民だった。
「たいへんだぁ……あ、アグン様はまさか戦うつもりなんか……?」
「こりゃあ大変だぞっ。山脈の麓でアグン様が本気になられたら、俺達もタダじゃすまない!」
「避難準備をしておくかっ?」
「やっておいて損はねぇさ。ほらほら行った行った!」
山脈を蟻の巣穴のように掘り、地中で生活するドワーフ族。アグンは規格外としても、大小様々なドワーフ達が穴蔵から遥か離れた麓に立つアグンを見ていた。今にも振るわれるドワーフの神による裁き。この恐ろしさは誰もが痛いほど知っている。
「……」
一人のドワーフが左へ視線を流す。視界に入る黒い山。山脈には及ばないまでも、ドワーフ族に危害を加えた盗賊団に振るわれたアグンの裁きは、新たな焦げ山を築いた。
「……っ」
ドワーフが当時を思い出して息を呑む。盗賊団の拠点ごと、直下から巌土技により燃える山を打ち上げた。
炎は九十九日もの間も山を焼き、残ったのがアレだ。あの時は足踏み一つ。王器すら使用していない。今回は《孤狼》相手と聞いて迷わず王器を持ち出していった。
「……」
「留まるってことはそう言うことだな。走り出した好奇心は止められない。俺もあの噂話には興味があるんだ。証明なんて人間の方が早く死んでいくんだから、年々難しくなってるしな」
「……」
「《ノアの方舟》と《金羊の船団》。どちらが優れた武芸者だったのか……一例だけど確かめてみようか」
なんの因果なのか。袂を分かった世界最高峰の武芸者達が、こうして出会った。ぶつかる理由と好奇心を持って。
「……」
沈黙を破ったのはアグン。足踏みして先制。ブライアンの真下に広がる大地は――十字に裂ける。落下したブライアンは地表から姿を消した。地底のまだ下にある地盤まで長い時間を落下――することなく、またアグンの足踏み一つで亀裂は閉じる。
「……」
アグンはその場を動かない。大地をも自在に操るも、これは小手調べ。ブライアンの実力がどうなっているか、確かめているに過ぎない。
案の定……四秒後に変化が表れる。数千の黒い狼達が地面を食い破って天高く駆け上がった。
「残念なことに腕は鈍ってないようだな。流石は《山界》アグンさん」
巨大な狼に掴まるブライアンが空から賞賛を送った。
「……!」
賛辞にアグンは鎚を地面に打ち付けて応える。山脈が震え始めるとアグンを中心に、周りの地面から土の棘が隆起。それも無数に。蠢きながら鋭くブライアンを迎え打つ。
「岩や金属なら砕いて終わりなんだけどね」
川の流れは砕けない。同様に土の流れを食いながらアグンへ迫る狼の集合体だが、数はメキメキと減らされている。空を覆う黒い影がみるみる薄くなっていく。
「パワー型は相変わらずか。いいじゃないか、久しぶりにまともに戦える」
狼は動きを変え、土の棘を避けながらアグンへ。駆け降りる郡狼を目にするアグンは、不動の構えを解いて大槌を振った。
「……!」
片手で振った大槌が初めの狼を破裂させる。そのまま振り抜くと気流が乱れ、竜巻となって狼の大部分を巻き上げた。マナ・アーツではなく、ただ武器を振っただけで。
「……」
全てを凌いだわけではなく、既に降りていた狼達に噛みつかれても、アグンはこの程度は気にも留めない。並の狼ではアグンの肌を破ることはない。無関心でブライアンが乗る大きな狼の顔面を大槌で破裂させる。
「よっ――!」
間合いが近過ぎると判断したブライアンはすぐに飛び降りる。すかさず鎖を伸ばして回転させた棺桶で殴りつけた。
背後からの攻撃だったがアグンは手を翳して受け止める。風圧は広がり噛み付いていた狼は弾き飛ばされ、竜巻さえもかき消す。
「――!」
棺桶は続けてアグンを打つが山は不動。むしろ受けながら進撃し、大槌を振り下ろす。
「おっと!」
手元に戻した棺桶を解放。氷気を宿す狼を数百とアグンへ送り込む。凍り付けになるアグンはそれでも止まらない。
「……!」
「いい拘りだ。変わってなくて嬉しいよ」
大地は大槌を受けて爆発。木々や岩も根こそぎ巻き上げられる。それでも空へ回避したブライアンはこう言う。
「……お互い近くに人がいると全開ってわけにはいかないわな。できる範囲でやるとしよう」
「……」
歯痒い小手先の技が連続する。苦笑いするブライアンにアグンもこれには同意を示して瞼を下ろした。
「そんじゃ、まっ、できる範囲でね」
改めて棺桶が開く。黒い影が飛び出してアグンを見下ろす。
出てきたのは三つの頭を持つ狼。今倒した狼よりも大きく、口から各々、火、冷気、電気を呼吸の度に漏らす地獄の使者だ。
「……」
憮然とするアグンも負けてはいない。大地を大槌で叩く。
アグンの周囲は灼熱のマグマに変わり、髭にも火が付き、ブライアンの知る戦場のアグンへと近づいた。
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度重なる衝撃に騎士隊は混乱していた。天変地異がどこかで起こっている。オークの足音も消してしまう轟音。不規則な突風。状況把握は困難だった。
「くそっ! エスメラルダ隊長! 全員で背後を破って撤退だ! それしかない!」
「しかしそれではこの大災害が起きている方角へ向かうことになるわ! やるなら北よ!」
「勝てない規模だ! 万が一にかけるしかない!」
隊長同士の激論。騎士達にもどちらが最善かは分からない。だがここにいても、天変地異かオークにより死ぬだけだと予感していた。この頃からほぼ全員が狼狽し始める。
「すみませぇん。騎士学校から追加できましたジェイクです。書類の確認をお願いしま――ヘクチっ!」
「こんな時に!?」
そんな時に現れたのが、その少年だった。




