64話、ガキと戯れる
学校長オーフェンは悩んでいた。またもやバッハ・ウィンターから要請文が届けられたのだ。
内容はまたジェイク・レインに関するもの。あの信じ難い学長室籠城事件を引き起こし、シェフの特製パンケーキを強奪したイカれた子供に関するものなのだった。
「任務……いやしかし訓練も受けていないジェイク君に公国へ向かう任務を任せるのは、どうなのだろうな……」
「可能なら一人で行きたいっす」
「……今の呟きが聞こえなかったの? 断り文句への布石だったのだけどね」
朝早くから学長室へ踏み入って来た(ノック無し挨拶無し)ジェイクの実力は、あのガスコインを倒したことからも証明済み。
だが周りを納得させることが困難。特例ばかりで既に八方から不満の声が上がっている。
「……ああ分かった。いい任務がある」
「じゃあそれで」
「内容くらいは聞きなさい?」
三頭公国と合同で魔物の群れを壊滅させる、訓練としての討伐任務がある。何名かの成績優秀な生徒が国の騎士に混じって参加することになっているのだ。これならば将来性を見込んでの見学とできる。
「ただし魔物が強い。いくら見学と言っても危険はある」
「構いません。いつですか?」
「もう出発済みだ。今から書状を書くから午後には出発してもらうことになる」
「いいね。都合がいい」
やはり特別なのだと感じる。酪農家の息子が戦場に向かうことになんの恐怖も抱いていない。これはとても異常なことだ。
「では適当に時間を潰して……そうだな、お昼を食べ終わったらまたここに来なさい」
「結構時間が空くなぁ。だったら未来の騎士達でも見学しましょうかね」
呑気なジェイクは気構える事なく、扉の外で待つカティアの元へ向かった。
「どうでしたか?」
「午後には出発することになった。多分ここに帰ってくるのは三日後くらいだな」
「……それではまともにお喋りもできませんね。とても残念です」
また当分は生活を共にできると思っていたカティアは落胆を余儀なくされる。そこへジェイクはすかさず揶揄い始めた。
「屋外で暮らせばいい。その間はどこにいたって空気を通じて同居してるようなもんだろ? 俺は普通に屋内で寝るからあれだけど」
「……」
無言と微々たる剣幕で凄むカティアは、いつもの調子に戻っていた。
「そんなに俺が好きで好きで仕方ないなら、練武場で久しぶりに日頃の成果を見てやるよ。俺の言った通りにやってたら、お前の兄貴あたりには絶対に負けないくらい強くなってる筈だ」
「待ってください」
ジェイクはカティアの呼び止めようとする声に応えない。暇潰しにカティアを圧倒して揶揄いたくて我慢できないからだ。
「わははははは! ぶっ飛ばしてやるぜ!」
「どうしてそんなに人が悪い事を言うのですか……」
「え、調子に乗ってるガキを思い知らせるの楽しくない?」
「私は調子に乗ってはいません」
練武場に到着。自主鍛錬を許される七位以内のカティアは、教官の指導のもと集団で訓練する生徒を横目にジェイクへ構える。
対するジェイクは模擬戦用の木斧を肩に担ぎ、気も楽にしていた。
「来いや小娘」
「言い付けられた以上の事を毎日こなしています。あの時と同じだと思っていたら旦那様と言えど怪我をするでしょう……」
「そうだな。それを教えてやった俺はどれだけ強くなったんだろうな。怪我しちゃうよな、お前。気をつけなくちゃ。教えてくれてありがとう」
「――!」
盾と槍を憤慨しながら構え直し――突進。獲物を見据えて高速移動。漏れ出るマナが散り、雪原を舞う細氷の如き幻想的な光を放ち、文字通り妖精のように華麗に踊る。
避けられても突く、防がれても突く、突く、突く、突く。一つ一つが力強いだけではない。目で追うのがやっとの速度で、位置を変えて拍子を変えて執拗に突く。
以前とはまるで別人となったカティアは、明らかにクリスの域に片足を踏み込んでいた。
「ハァ――!」
「いいね。よく見えてる……あ、ちなみに俺の話ね」
「く……!」
だがしかし、斧は更にその上を行く。悔しさから歯噛みするカティアの槍は力強く、自然と教官や生徒の目を集めている。
しかし槍を打つ斧の軽やかさと精密さは、それを大きく上回るものなのだった。
「はあ、はあ、はあ!」
「……」
模擬用の木槍は片手斧によりボロボロ。呼吸荒いカティアをジェイクはじっと見る。
「……虫の息!」
「いちいち言葉にする必要はありません……!」
四分間の攻め合いを制したのはジェイク。上級で最も強い部類のカティアを圧倒してしまう。呼吸も乱さず、その場から動く事なく、噂以上の腕前を見せた。これには教官達も目を見張る。
「あんた、やるじゃん」
「さ、もう一度やろうぜ」
「……あんた、やるじゃん」
「ほらカティア。早く呼吸を整えて」
決戦さながらの顔付きをしたドミニクが声をかけた。ここに来て突然に現れたこのドミニクとはカティアの同級生で、密かな恋心を持って虎視眈々と彼女を狙っていた男子訓練生だ。
教官だった以前の婚約者アイクが相手では諦めざるを得なかったが、歳下に相手役が変わったのをいい事に決闘を持ちかけにやって来たのだ。
姿を現したと噂を聞き付けて駆け付け、意気揚々とジェイクに声をかけるも無視される。聞こえなかったのかと二度も声をかけるも無視されてしまう。
「旦那様」
「なに?」
「ドミニク君から話があるようです」
「でもこれに応えたらこいつは多分恥をかくよ? 大人な俺は弱い者イジメして悦に浸る趣味はないの……ああ今カティアを相手にそれをやってるな」
自覚もなく弱い者イジメを楽しんでいる自分に気がつく。ジェイクはドミニクに向き直ってみた。
「なんか用か?」
「……どこまでも嘗めやがってっ」
「もっといけるよ? 凄いよ俺は」
「んなこと聞いてねぇよ。お前だろ? ウィンター家に取り入ってカティアの婚約者になったのは」
「そんな話は知らないけどね。俺は彼女いるし」
「な……! どこまでも嘗めやがってっ!」
「もっといけるよ? 俺は凄いんだから」
堂々巡り。掴みどころのない性格をするジェイクはドミニクを躱し続ける。
「俺はお前と違ってカティア一筋だった! 本当にカティアと結婚するつもりがないなら今すぐに別れろッ!」
「……でもカティアは俺のことが好きだと思う」
「はあ? そんなわけがないだろ」
ジェイクが現れて二ヶ月。過ごした時間はドミニクとは比較にならない。ドミニク達の視線は麗しのカティアへ。
「……私は旦那様に生涯どころか死後までもお仕えしますので」
ススッとジェイクの背後に回り頬にキスをし、これでもかと見せ付けてから宣言した。冬の妖精と呼ばれる透き通る美貌は、ヘラヘラとニヤける嫌な少年のものとなる。
「――」
「あ、崩れ落ちた」
ドミニク、落ちる。
公国へ旅立つ午後までの時間を、学舎の若者と共に有意義に過ごしたのだった。




