61話、グロリア帰宅
ユントの街を後にしたグロリアは、記憶に新しい道を引き返して聖国首都ラランズへと帰還する。
到着するなりグロリアは、荷物も置かず寄り道もせずして本部騎士団へと向かった。聖母関係者のみが利用する大神殿を通り過ぎ、聖国騎士団本部のホリット団長室を目指す。
「……! グロリア!」
「ただいま戻った」
道中、驚きを表情に示す同僚へ最低限の返礼。足は止めずに通り過ぎ、団長室へと急ぐ。
「ま、待ちなさい! 少しでいいから待って!」
「団長へ会う方が先決だ」
「いきなり特別任務でいなくなって心配していたんだよ!?」
「私達は騎士だぞ。そのようなこともある」
肩に掴みかかる手も払って団長室へ。
「グロリアです!」
『入りなさい』
穏やかな声音での返答を聞いてから入室する。今回はあの男はおらず団長のみで、その顔には喜びと安堵が溢れていた。
「ただいま帰還しました」
「よく戻ってきたわね」
「帰還命令とのことですが、何があったのでしょうか」
団長は満足げな顔付きをしていた。出発時の沈んだ表情はなく、いつもの調子を取り戻していた。
「私の人脈を使ってなんとか帰還命令を出せたのよ。事件を共に解決したと報告を受けたけれど、間に合ったのよね」
「間に合った、と仰いますと?」
「翌日に接触して旅に出るだなんて、あなたの割り切った仕事の早さには驚かされたけれど、まだジェイク・レインに体を求められてはいないわよね?」
「ジェイク・レインは強姦魔ではありません。タリナから送った緊急の報告書にも書いてあるはずです」
ライラから見てもグロリアは明らかに憤っている。務めて冷静だが、聞き手に分かる程度には語調を荒らげている。これまで彼女はどのような事態にも公平さを欠いたことはない。取り乱したのは、この特別任務に任命されたあの時が初めてだった。
「……ぐ、グロリア? ジェイク・レインとキメラ事件を解決したことは知っているわ」
「ではどうしてジェイク・レインを貶める発言が出たのでしょうか」
「……待って」
察しが付いたライラは眉間を揉む。痛み始めた頭でグロリアの状態を観察することにした。
「帰りたかったのよね……?」
「否定します」
「……この特別任務は嫌だったのよね?」
「否定します。任務に嫌も好きもありません」
「正直に言いなさい。任務が仮に拒否できないものだとしても思うのは自由よ」
「ジェイク・レインに出会うまでは嫌悪していました」
この台詞が出るということは行き着く結論は一つだ。初めは嫌で仕方なかった特別任務が、ジェイク・レインと出会ったことで苦ではなくなった。だとするならどうだろう。
「……惚れたの?」
「……」
「ジェイク・レインに惚れたの? この短期間で……」
「……肯定です」
惚れさせる任務のはずが数日で返り討ちに遭ってしまう。しかもあの堅物のグロリアが心酔しているように見受けられる。
これでは何のために駆け回ったのか分からなくなっていた。
「……」
「可能なら引き続き特別任務を続行。ジェイク・レインと真剣な交際を望みます」
「……駄目に決まっているでしょう。私がどれだけ手を尽くしたと思っているの?」
目を覚ましてもらうしかない。グロリアに期待する上司が少なくない人数も動いた。彼等の面目やグロリアの将来、聖国の行末を思えばユントへ送り返せるわけもない。
しかしグロリアはライラも予想だにしなかった行動に出る。
「……」
「……なんですって!?」
前進したグロリアはデスクの上へ辞表を提出した。これには説得の方法を模索していたライラからも、驚きと憤りの入り混じった声が上がる。
「あなた正気!? よく考えてから行動しなさいっ!」
「この特別任務から考えても、聖国騎士団には利権が絡みすぎています。汚職だらけだ。私は弱者に寄り添うジェイクのような騎士になりたい」
「どこもそうよ! 聖国だけじゃないわ! その中で上手く出世して、できるだけ清廉な騎士団を目指すの!」
「団長に期待します」
「そうではなくて! あなたにそうなってほしいと期待する人が多かったから、この任務も取り消せたの!」
時間と熱意をかけて諭すも、グロリアは頑としていた。固辞を通して時間だけが過ぎていく。
「……ではこうしましょう。しばらくは休暇を与えます。ただしジェイク・レインに会うことは禁止。休暇後に思いが変わらなければ別の形で任務を与えます」
「別の形と言いますと」
「例えば……正式に将来へ向けて、レインに対する騎士団への入団交渉とかよ。キメラ事件やウィンター家のこともあるから許可される可能性は高いわ」
「休暇に入ります!」
「はいどうぞ……」
恋をしても堅物だけは治らなかったグロリアを前に、疲労感から背もたれへと脱力する。椅子に身を預け、機敏に退室して行ったグロリアに頭を悩ませる。
「グロリア! 何があったの!?」
「休暇をもらった。早速実家に帰るとする」
「どういうことか説明して!」
「特別任務だぞ……できるはずがないだろう」
一方的な恋慕で言いよる同僚に辟易する。そこで気づく。自分がそうなってはいないだろうかと。
今だけは友人から訓戒を学び、胸へと刻んだ。
「ただいま戻った」
「ぐ、グロリアちゃん。こんなに急に帰ったのかい? 長期の任務と言うから、一年以上は会えないものと覚悟しちゃってたよ」
実家の屋敷に戻る頃には夜になっていた。飲食店を中心にいくつも事業を展開する父と、玄関先で鉢合わせする。
「父上、相談が」
「なんだい? ほしいものがあるなら言ってごらん。パパはお金持ちだからなんでも買ってあげるよ?」
厳しい母とは違い娘に甘すぎる父に思うところはある。だが今は迅速に要件を伝え、助力を請うべきだ。
「蕎麦の材料を入手することは可能だろうか」
休暇をただ休んで過ごすつもりはなかった。
♤
「……あの子が蕎麦を作りたがっていると?」
娘のグロリアが戻ったことを知ったのはベッドの上で、夫のビルからだった。互いに夜遅く帰り、家政婦も既に帰っていたので気付かなかった。
ランプの灯りを頼りに読書しながら、喋り続けるビルが心を弾ませて語るのを耳にする。普段から聞き流すものとしていたが、任務の内容を知っていただけに気にかかる。
「そうみたいだよ。僕に手料理を作りたいのではないかな」
「それはないな」
「……ぐすん」
女々しい夫に付き合っていられない。明日の朝にはグロリアへ真意を訊ねることにする。
「グロリア、ビルから蕎麦を作りたいのだと聞いた」
「そうだ。休暇を利用して美味しいものを作れるようになりたい」
「なぜだ」
朝食の席で言葉も選ばず率直に訊ねる。
グロリアはこれまで最低限の料理しかしてこなかった。目玉焼きや簡単な野菜スープ。あとはベーコンを炒める程度。甘いものを食べることも少ない。腹が満たされればそれで満足していたし、唯一の拘りとしてパン屋はいつも同じ店を懇意にしていたくらいだ。
それが急に、蕎麦を打つという。当然、難易度は高い。
ほんの少し気掛かりになり問うてみたわけだが、娘の返答は予想しなかったものだった。
「好ましい殿方と出会ったんだ。彼が食べたいと言うので是非作ってやりたいと思っている」
即答された内容に朝食の場が固まった。
「ぐ、グロリアちゃん!? 誰っ、その馬の骨は! パパは絶対に認めないぞ!」
「ビル。グロリアもいずれは誰かと家庭を作る。みっともなく喚くな」
「ぐっ……ぐぅ……!」
夫に関しては予想通りの反応だ。子供っぽく、商才の代わりに我が儘っぽさが抜けない点はいくら言っても治らない。
「どのような人物だ。お前がこれまで色恋になんの関心も持っていなかったので、私は独り身で終わることも考えていた」
「酪農家の次男だな。天賦の才と優れた洞察力、そして騎士の精神を併せ持つ理想的な人だ」
「……まさかジェイク・レインか?」
聖母の護衛も務める星座騎士団に所属している都合で、グロリアが受けた特別任務の詳細も知り得ていた。不憫とも思い、私情を挟んででも娘の帰還に動いたのだ。
「そうだ。だが母上、父上がいる場でその名前は出すな」
「……すまなかった」
娘に叱られる日が来るとは思っていなかったが、嬉しくも寂しくもある。ただ今はジェイクという少年の話だ。
「どのような性格なんだ?」
「いつも巫山戯ているな。面白いほどの個性だ」
「……お前が嫌いな系統に思えるが?」
「そうだろうか……。だが実際はそんなところも愛しく思っている。それに僅かな違和感も見逃さず、実力も高く芯が通っている。人間としてジェイクほど完成された者を見たことがない」
「凄い評価をするものだ……」
饒舌に語る娘を初めて見た気がする。自分に似て冷淡で堅物なグロリアは、理想の騎士を追求することにしか興味を示してこなかった。だからだろう。
「ジュリア、僕はもう聞きたくないよ……」
「では泣きながら仕事に向かえばいい。忙しさが悲しみを忘れさせてくれる。あとは私が聞いておこう」
嘆息混じりに席を立ち、夫を食堂から送り出して改めて席へ。
「一度こちらに呼んでみろ。旅費と滞在費は私達で持とう」
「断る」
「……なぜだ」
良かれと思っての提案で、喜ぶものと思いきや帰ってきたのは拒否だ。理由に思い当たらず、さぞ間の抜けた顔をしていたことだろう。
「私と母上が似ているからだな。容姿も性格も。多少の違いはあってもおおよそ似通っている」
「……何が言いたい」
「母上はジェイクに惚れるだろう。母親と恋敵にはなりたくない」
冗談を言っているようには見えない。言える器用さもない。いつも通りの面持ちと口調から察して、本気でそう考えているようだ。
「馬鹿馬鹿しい……私はお前と違ってそれなりに男を経験している。この私が優秀だからと少年に入れ込むことはない」
「私は確信しているがな。ジェイクは器が違う」
娘の戯言を鼻で笑う。そのようなことはある筈がない。ジュリアは未だ世間知らずの娘に呆れ果てていた。




