6話、基礎こそ真髄
「……」
「……」
バッハのみならずカティアまでもが興味津々の眼差しを少年へ向ける。
斜向かいのジェイクを前のめりになって見つめ、挑戦と受け取ったジェイクもまた前のめりで見返す。
その様子を見たバッハは、ある内心を秘めながら声をかけた。
「……カティアはジェイク君の面倒を見ろ。空き時間には基本四種の手本を見せてあげなさい」
「承知しました」
二つ返事をされる。
だが当の本人はこれに異を唱えた。
「大丈夫ですよ? 二週間って言っても、兄貴に教えてたから理論は分かってたんです。ちなみに、そいつに会いに騎士国へ行くんですよ」
「ふっ」
思わず嘲笑を漏らしたのは、最年少のダグラスだった。
田舎の喧嘩自慢といった、典型的な井の中の蛙そのものである。基本四種をできたつもりになっているようだが、日頃から血の滲む鍛錬をする騎士学校の生徒を見れば愕然とするだろう。誇りも自信も粉々に砕かれ、意気消沈の果てに立ち上がれなくなるやもしれない。
「ふむ、自信があるようだが、君は学校には通わないのか?」
「酪農家にあの学校に通うだけの金なんてないっすよ。なんでか知らないけど、兄ちゃんは通えてるんですよね」
「そうか、それは不思議だな」
考えられるとすれば、特に優秀で将来的に活躍が見込める両国民へと与えられる、学費免除の特権。
だが入学ができたとしても、それからも在学六年間の内、毎学年で三位以内を取り続けなければならないという厳しい規則がある。激しい競争下にある騎士学校において、これは非常に難しい。
「兄ちゃん、今も他心通が分かってないっぽいからなぁ。心配だからまた見てやるんですわ」
「……君は他心通を使えるのか?」
「使えますよ? 基本四種を鍛えたんだって言ってますやん」
俄には信じ難い話であった。他心通は他の三種に比べて難易度が段違いに高く、学年三位以内を獲得するダグラスやカティアでさえ未習得である。
「それより俺ってザーマ族なんすけど、ザーマ族って知ってます?」
「申し訳ないが、聞いたことはないな」
「でしょうね。わけの分からん部族ですから」
少年は鞄から木彫りの人形を取り出して、恐れ知らずにもバッハへ言う。
「これは……?」
「俺の彫ったザーマ様です。一年に一回、自分で彫るんですよ。俺が病とか危険な時には、こいつが身代わりになってくれるらしいんです」
異様な形状の人形を愛でる手つきで撫でながら、ジェイクはザーマを語る。
「ひっ!?」
「……」
子供達が悲鳴混じりに唖然となるのも構わず、少年はあろうことかバッハの眼前に人形を突き付け、忠告を口にした。
「……頭を割られんのは適用外らしいんで、そこんところは注意が必要。風邪とかも普通になっちゃうけど、意味ないじゃんなんて言っちゃダメ。本当に身代わりになってくれるんなら、ザーマ族もっと栄えてね? なんてのは絶対に言っちゃダメ」
「言わないとも」
「一番の禁忌は、この像を壊しちゃうこと」
どうしてなのか、この時ばかりは気難しい父も調子良く会話に付き合っている。むしろ気を良くしているように見受けられる。
「これだけは本当にっ、何が何でも回避しなきゃいけない。皆さんも悪戯でも傷つけないように。絶対最強の掟だから。本当に途轍もないことが起きるらしいから。これが壊れた時には俺にとんでもない災いが――」
突如として、馬の嘶きと共に馬車が急停止した。
「キャっ!?」
「はい、キャッチ」
急激な停止を受け、反動により前へ転ぶカティアとアリアを、来るだろうなと構えていたジェイクが受け止めた。
「あ、ありがと……」
「気にしない気にしない。助け合いじゃん……ん?」
受け止めたのも束の間、ジェイクが足元にある……アリアが踏んで首の折れたザーマ人形に気が付いてしまう。
「ああーっ!? 世紀の恩仇が今ここにぃぃ!」
「うるさっ……別にいいじゃん、そんな人形」
「なんだと小娘っ! ザーマ様に謝れ! いや、これから何かが起こる俺を励ませっ!」
言い争う二人と別に、倒れ込むダグラスを片手で制したバッハは窓を開け、慌てた様子で近寄る執事を目にする。
地形は街道から小川沿いの山道に入ってすぐ。考えられるのは……。
「クラウス、何があった」
「緊急事態です。オークが現れました」
「……種類は?」
「グリーンオークが三体です」
老執事の返答に眉間へと皺を作り、窓から覗き込んで前方を伺う。
『コロセッ、クウゾ! 早くクウゾ!』
「何でこんなところにオークが……!」
戦闘可能な執事見習いや御者達が剣や槍を手に、馬車を背にしてグリーンオーク三体に立ち向かっていた。
苔のような緑の肌をした巨影。身長が三メートル近くある人型の魔物と遭遇してしまう。
「セイっ!」
『グァ!? ――ニンゲンがぁぁ!!』
「――!?」
脛の薄皮を切られて激怒したオークの棍棒が、飛び退く執事見習いの眼前を通過する。
棍棒は一メートルを超える凶器で、重量も見ての通りだ。重低音で通過した恐ろしい風切り音に背筋が凍りつく。大雑把にでも接触すれば、必然的に破砕や死を与えられるだろう。
「下がれ! 天耳通系第二等技っ、【斬波】ッ!」
別の見習いが槍を払って分厚いマナの斬撃を打ち込む。槍の鋭利な穂先から放たれる掘削の波動は、背中に受けたオークの分厚い肌を削る。
だが討伐には遠い。
しかし彼らでは近接戦闘は危険極まりなく、定石通りに中距離からダメージを稼ぐしかない。騎士学校を卒業後に厳しい試験を潜り抜けて採用されただけに、執事見習い達は危うさはあっても無難に戦っていた。
「グリーンオーク。オークか……カティア達で一体は倒させてみるか……? いや、オークでは一撃でやられる可能性がある。まだ早いか……」
「騎士達でさえ一体ずつ、それも複数人で戦う魔物ですから」
嫁入りしてウィンター家を出た長女ならば、苦労はしても二体を相手にできただろうが、まだカティアでは下手を打つ可能性が高い。複数体の魔物は学生が相手にできるものではない。
「……馬車列の護衛は下がらせろ。このまま見習い達にやらせる。時間をかけていいので焦らず倒せと伝えろ。怪我人が出る程度に手こずるようならクラウスが纏めて殺せ」
「かしこまりました。では旦那様方は車内にてお待ちを――」
その時であった。
「――とぅ!」
バッハが背もたれにもたれ、執事が窓を閉める間際、ジェイクが頭から飛び込むように車外へ出てしまう。前転も華麗に決めて立ち上がり、オークを睨む。
「なっ……!? ジェイク君っ!」
「レイン様っ! 外は危のうございます!」
当然に焦るバッハが声を荒らげ、老執事の手が伸びるも、するりと避けたジェイクは走りながら肩越しに叫ぶ。
「ザーマ族がザーマ様やられて黙ってられるか! 漢ジェイク、そんな賢い生き方はできねぇぜ!」
そしてバッハが確保を決意し、開けた扉から飛び出した瞬間。
「この暴漢魔共がぁぁ!」
ジェイクの身体から明確に発せられる赤い光を目にする。
それは生命の輝き。光の強さは生命力の指標であり、どれだけ出来るかを知らしめるものだ。
「……」
「可視化!? ただの酪農家の少年がここまでのマナ強度をどうやってっ!」
第一線へ投入可能な騎士学校を卒業する訓練生でさえ、あれだけのマナ強度が見られる者など半数にも満たない。
「フッ――!」
『コロセ! コロセ! コロ――ゼァッ!?』
腰元に下げた片手斧を手にしたジェイクの姿は掻き消え、執事見習いとの戦闘に集中していたオークの首筋が裂ける。
鮮血を飛び散らしながら、早々に一体のオークが崩れ落ちた。
「お速いっ……」
「神足通……彼の体であの速度ならば、理解度は大戦を経験している我々の域か……? いやまさか、それよりも……」
身震いを余儀なくされる才覚であった。
マナ強度のみならず、何よりも体の使い方がバッハですら感嘆するほど洗練されている。走り方ひとつを取っても美しいが、跳躍から斧を振るまでの形が完成された理想的な動きだった。
『フゴっ!? ダレダ!!』
「俺だっ!」
背後から振られた棍棒を、そちらも見ずに身を翻して躱す。
「……紙一重で。完全に見切っている……」
余韻に浸らせる事なく、バッハをまたもや驚嘆させた。
今のは神足通や天耳通でできる芸当ではない。天耳通でも知覚できただろうが、着地後間もなくだった為に予め意図を察していたと分かる。
つまり習得率一割未満の他心通……しかも正面ではなく背後の敵が発する微弱なマナにより、その意思を探り当てていた。
「お前こそ誰だっ!」
『ゴァァッ!?』
空振りして地面を打ったオークの膝を斧で割り、手をつきながら払われる巨腕をしゃがんで回避。気も楽に引き抜いた斧で、腹部を斬りつける。
そしてまた掴む手を避け、次は喉を裂く。流れるやり取りで難なく致命傷へ至らしめてみせた。
淡々と、易々と、巨体を誇る魔物を殺していく。
「……」
「あ、あいつ……なんなんだよっ」
馬車から降りたカティアやダグラスも執事見習いと共に呆然自失となる。一体目の不意打ちとは異なり、真正面から接敵した二体目もほぼ瞬殺しつつあった。
それも自分と変わらない肉体で、一撃必殺の腕力が舞う懐にて迷いなく振る舞っている。
「オラァ!」
『っ……』
三手を終えて頭が下がったところで、背中に飛び乗ったジェイクが止めに後頭部を割った。前のめりに倒れ込む二体目のグリーンオークに乗ったまま、最後の一体に視線をくれる。
「何者だ、この少年は……」
「……まるで鬼神のようだ」
陣形を整えて包囲網を敷いていた騎士や馬車列の者等は、突如としてオークを蹂躙し始めた少年へと目を釘付けにする。
肉体的には騎士達が上だろう。マナ量も。だがだからこそ、こうまで圧倒的に戦う少年が異常だと分かる。
『ゴァ……! オワァァァァ!!』
「腹減ったオークは一匹でも逃がせやしないよな……」
少年は自前の斧ではなく、自分の背丈にも及ぼうかというオークの棍棒を拾い上げ、逃げ去るオークへ振り返る。両手にしっかりと持つ棍棒を思い切り振りかぶり、その場で振った。
「――!」
棍棒は空高く投げ上げられ……やがて重量により加速しながら落下する。
地上で見守る人達の視線が、棍棒の行方を追っていく。
見送られながら降下した棍棒は、遠退きつつあったオークの頭頂部へと着弾し、鈍重な打撃音を残して最後のオークも呆気なく力尽きた。
『……』
「……南無三っ」
寸分違わず先読みした落下地点。分厚い頭蓋骨を叩き割り、脳漿を垂れ流すオークを遠目に看取る。
その後に斧を引き抜いた少年は、何食わぬ顔でウィンター家の馬車へ。
「……」
「っ……」
驚愕の視線をくれる衆目にも我関せずの様子で、近くに立ち尽くしていた執事見習いの胸元からハンカチーフを抜き取り、体や斧の血を拭いて……少しだけ悩んだ末にそっと戻した。
「君は……」
「新しいザーマ様を掘りたいんでツツの木を買うんですけど、請求ってウィンター家にしていいっすか?」
「……あ、ああ、そうするといい」
「わぁい」
呆気に取られるバッハと執事の間を通り、馬車へと舞い戻った。
「あらよっこいしょ」
「お、おいっ……まさか、兄というのはクリス・レインかっ?」
目を疑う光景に絶句していたダグラスが、馬車に乗り込むなり騎士学校随一の実力者であるクリスの名を告げた。
クリス・レイン。騎士学校において伝説と言えるまでに突出した強さで、訓練生の羨望を一挙に集める存在だ。
「おっ、兄をご存じ? 兄ちゃんには子供の頃から教えてやってたのに、神足通がそこそこできるだけの小僧のままだったから虐められてないか心配なんですわ」
「……」
「基礎だけでいいのに。基礎をしっかりやり込めば、俺みたいになれるのに……俺みたいには無理か、無理だな」
問いかけたダグラスだが、開いた口が塞がらない。
だがジェイクは真実を語っている。クリスは天性の麒麟児なのではなく、戦いや基本四種を理解するジェイクにより叩き上げられていた事実を知る。たった今、目の前で行われた光景がそれを証明していた。
「う、嘘をついたなっ!? 何が二週間だ! 二週間でオークを倒せるわけがない! 本当の事を言え、卑怯者めっ!」
「……嘘じゃないけど、一週間でも二週間でも一年でも結果は変わらないよ」
「なにぃ!?」
「その時この手にあるものを駆使して倒すだけだ。何が相手でも、どんな状況でもな」
目を焼くほど強烈な光を見るようだった。
「俺にはそれが出来る」
「……」
不敵な笑みは確信の証で、平然と言い放たれる。時代を切り拓くような人物がいるとするなら、ジェイクのような人間だろうと誰もが鳥肌を立てて耳にした。
「君は、神童だな……」
派手なマナ・アーツや強力な武器、または降って沸いた常識外れの能力ならまだ納得できる。
だがジェイクが見せたのは、しっかりと根付いた実力。不純物の無い純粋な強さ。常識の範疇にある非常識だった。
「神童ではありません。俺はただ、初めから偶々理解していたというだけです。それは通常ならば時間をかけて気付くもので、ただ他人よりも早かったというだけなのです」
「確かに神童ではないのかもしれない。時間をかけてそこに至れるだけでも神童や天才と呼ばれるに相応しいのだからな」
「あと俺って、昔からユーガ様を研究してるんです。それこそ物心ついた時から座学だけをとにかくね。だから大体こんなもんだろうって想像が頭にはあったんです」
「それは素晴らしい。ユーガ様を知る事はあらゆる面での成長が見込める。そうか、ユーガ様を研究か……」
表情を引き締めて謙虚に言うジェイクに感心を深め、馬車に乗ったバッハはとある提案を決意する。
「……ふむ、ジェイク君」
「ほい?」
「首都スクーイト滞在時には我が家を拠点にするといい。君の大事なザーマ様も壊してしまったことだし、衣食住の面倒を見させて欲しい」
「旅の出会いに感謝。亡くなられたザーマ様に哀悼」
了承を得て安堵するバッハは、胸中にて様々な思惑を画策し始めた。
同時に尽きぬ関心から、問いの言葉は止まらなくなる。
「斧は誰に習った。流派は?」
「あ、斧は家にあったから持ってきただけです。武器を買いに行くの面倒だったんで」