54話、解体天使事件
大天幕から混濁した色合いの強烈な光が漏れる。一瞬だけの時間をかけて、禁じられし魔術の発動を確認する。
「てめぇ……!」
「なんということを……」
キメラ作成を悪とは考えていないキャロルは一方で、キメラ作成がどれだけ悪とされているかを知っている。だからこそ環境が変わっても、その都度に渡って常に万全の備えで組織から下された指示を遂行していた。
「は……はははっ! これで最高のキメラが誕生したわ! 恐ろしく大雑把で緻密さを欠いた魔術で生まれた、ただの化け物だけどねぇ!」
《金毛の船団》や《ノアの方舟》を見ていたキャロルは、自分も大魔術師の仲間入りを果たしたような妄想に取り憑かれていた。強い興奮と満たされる自尊心。彼女は他者の犠牲を顧みず、神の如く生命を操る全能感に酔い痴れる。
「さあ、私が作った本日の魔物を見に行ってみましょうか……!」
「おい」
「あら何か、し……」
呼びかけに振り返ったキャロルの声は霞んでいき、少年の変貌に掻き消される。
「――うるせぇ」
激烈な怒りを秘めた風貌と語調を以って絶句を強いる。
燦々と太陽が輝くように、荘厳に山脈が佇むように、抗い難く威光で捩じ伏せた。
「どれだけ見てくれが醜くても、醜悪に染まったお前よりも遥かに美しくて尊い生命だ。殺さなきゃいけないのが無念でならない」
「……っ! 勝手に言ってなさい!」
天幕を超えて地鳴りが鳴っている。訳も分からないで暴れているのだろう。魔物とされて苦しんでいるのだろう。
多くの意識が混濁して自我は失われかけている状態のはすだ。決して解消されない苦しみから、暴れ続ける事でしか悲痛を訴えられない怪物とされてしまう。
「……」
「ジェイク……どうする。アレは倒せるものなのか……?」
逃げたキャロルを追って天幕へ踏み込む。内部は舞台の篝火が照らす薄暗い空間だった。魔術を免れた幸運な者達が騒然となり、中央の物体から逃げようと慌てている。
『ま乗タあ呑んぁ顔ら演とスも鳴び少ケ母ま良テきゃ』
恐怖の象徴。醜悪の根源。そういった言葉が相応しい化け物らしい化け物がいる。数多の人間の顔や手足。それにライオンや熊などを加えた巨大な肉塊。集められた数が多く、完全には混ざり合うことのない自我が各々で慟哭を上げている。意識はない。無意識にひたすら苦しみを喘ぐのみだ。
「……」
「わ、ワトソンさま……指示をっ」
このような未曾有の危機に、なにをどうすれば良いのかも分からない。アレは魔物としてもあり得ないものなのだ。
暴れる様子からも倒せる強さではない。金属でできた舞台装置に腕が当たると容易く形が変えられている。人間が受ければ骨格が砕けるのは容易に想像できた。
「あたしのサーカスが……! なんでっ……なんでこんなことになってるんだよぉ! あの子達がなにをしたって言うんだよ! 楽しんでいるだけの客にっ、どんな罪があるって言うんだよぉぉ!」
化け物を前にハフナだけが悲痛に叫んで泣き崩れる。彼女の人生をかけて積み上げたものが崩れていく。努力も愛も血も汗も、そして生命さえも何もかもが瞬時の悪意に瓦解していく。
「なんでサーカスを楽しみに来て、こんなに苦しまなきゃならないんだよ。ふざけやがって……」
「……ジェイク」
「俺がまとめて面倒を見る。あんたらは客の避難とキャロルを捕まえてくれ」
キメラとされて終わりのない苦しみに苛まれる生命。終わらせられるのはジェイクだけだ。
少年が強まる存在感を纏って前へ出る。
「こら。俺がではなくて私達がだろう?」
頭を軽く小突いたグロリアがジェイクに並ぶ。
「騎士の諸君は生き残った観客を安全な場所まで避難させるんだ。私は犯人を警戒しながらジェイクを補佐する」
「承知しましたっ! くれぐれもお気をつけて!」
訓練された騎士隊が指示を受けて始動した。避難誘導ならば目的も手段も明確で、彼等は機敏に行動を始める。
「どうするんだ? キメラが逃げる観客を追って出て行ってしまいそうだ」
「少し時間を稼いでくれ。それからはキャロルに集中してくれていい」
「なにか策があるんだな。了解した」
電雷を弓から放ちながら駆け出した。グロリアなら時間を稼がせることに不安はない。その時間を割いて、新たな悪霊にマナを注ぎ込む。
「おい――やるぞ」
悪霊を現界させるべく、ありったけのマナを注ぎ込む。
「出番だ――【第一の悪霊・解体執事フリード】」
シリウス帝国の首都を震撼させた連続殺人事件『解体天使事件』。被害者は老若男女様々と多岐に渡る。特徴的だったのはその殺害方法と犯行時間。
霧深い日の夜に決まってそれは行われた。被害者はみんな生きた状態から拘束されて――胸から腹を裂かれていた。脈動する臓器を露出させられ、生きたまま丁寧に解体されてしまう。
空き物件や廃墟で行われる狂気の犯行。まだ温かい臓器は床に決められた配置で並べられていた。目撃情報も少なく、捜査はなかなか進まずに犯人は長く捕まらなかった。進展があったのは四十九人目。その際にユーガ自らの手で事件は解決をみる。
「……行くぞ」
現れた紅く悍ましい執事……フリードの執事服の裾から紅い霧が噴き出す。十秒もしない間に天幕を超えて広場ごと包み込むに至る。
「……!? なんだこの霧はっ! キメラかっ!?」
「キメラじゃない……こんなものは知らないわよっ……?」
かつて切り捌かれた被害者達と同様に、視界を失い惑わされる生物はフリードの標的となる。
「……」
主人が手を出すと、意を察して紅いナイフを手渡すフリード。受け取ったジェイクは冷たい目で禍々しい執事の悪霊を見上げた。
解体天使は、ユーガの執事を務める内の一人だった。
「……一人一人に安らかな死を与えていく。苦しませずに丁寧にやれ」
多くの生物を捌いたフリードは、生命の――捌き方が見えるようになった。悪霊化した後はより的確に視認可能となり、主人であるジェイクにも共有される。
「……」
どこを斬り裂けば死ぬのかが見える。どう切れば解体できるのか視える。生命にとって最悪の能力により、フリードと主人にはキメラの死が診えるように。
「――!」
赤と紅が飛び出す。霧は天使の悪戯だという迷信がある。霧の日の殺人は、普段は隠れている天使の悪意が顔を出すからだと噂された。
「なんだ……霧の中に何かがいる」
血色の濃霧の中をキメラを中心に、斬撃の線が走る。何か複数の影が瞬時に通過、交錯、疾走。キメラの数ある命を一つずつ斬殺し、終わらせていく。
「キメラが勢いを無くしていく……死んでいるの……?」
暴れるキメラを観客席から見下ろすキャロルは、誰よりも霧の全容が見える位置にいた。
生みの親としてキャロルはキメラの変化を具に観察。霧の中で赤い何かと紅い何かが恐るべき速度で行き交い、キメラを殺している。無数の命を削ぐように。命を天へと送るように。
「――! ――……っ!?」
ふとした時、ジタバタともがくキメラの脚が偶然にも掠める。転倒したジェイクは即受け身を取り、起き上がった。
しかし顔を起こした時……それを見てしまう。
「……」
複合体であるキメラの体。そこから生える食べかけのタコスを持つ子供の手が伸びていた。
「……――!!」
膨れ上がる激情が全身を容赦なく叱咤した。動け、止まるなと胸中から激烈に鞭打つ。
深い悲しみと燃え上がる怒りが、ジェイクを更に加速させる。やれることは殺すことのみ。嘆きを癒やすのは死のみ。救えなかった命を己の手で終わらせる。ナイフからの感触で、確かな死を感じながら。
「グロリア! 翔雷龍だ!」
「……! 了解したっ!」
もっと速く。ずっと速く。フリードにも叱責の思念を送る。指輪からもマナを取り出し、加速するジェイクのマナは――【幻炎】に至る。
だが未だ斬撃は止まらない。線のみが刻々と刻まれる。
「――!」
威力自体は常人に留まるフリードでは、キメラの核となる命に届かない。死骸に埋まる生命線には届かず、他の悪霊を出すマナもない。
けれど今は『私達』で戦っている。
「フリードッ!」
命じたフリードと揃って交差するようにキメラを切り裂いた。重なる刃の軌跡。そこから肉が裂かれて露出した心臓のような核に、投擲したナイフが突き刺さる。
「あそこだっ!」
「了解、もっと離れてくれ!」
雷霆技で火力と言えばの代表格。この技ならば最後の命にも届く。
弓に注ぐマナは申し分なく。ジェイクが常に全力全開で駆け回ったように、一矢に全てを捧げる。
「これが私の全力だ。【雷霆技六式・翔雷龍】っ――!」
弦を摘む指先から雷光が爆ぜる。稲妻は矢の姿から漏れ出るまでに帯電し、叫びにも似た嘶きを上げる。
そのとき紅い霧が嘘のように晴れ、目標を補足した後に弾けて狂う青雷が矢となって発射される。
束ねられた膨大な電流は青龍となって駆ける。霧散していく霧の余韻も吹き飛ばし、キメラに刺さったナイフに牙を立てた。
目を焼く発光が空間を埋め尽くす。同時に爆雷が内部からキメラを焼いて、尚も飛散した。勢いあまり天幕を内側から焼く。
「……私のキメラが」
光にやられていた目が治る。残っていたのは、焦げ臭さと黒焦げになったキメラの死体。目を疑う怪奇現象と呆気ない結末を、キャロルは唖然として見届けた。
「……!」
ふと我に帰り思い出す。ここにいてはいけない。早く逃げなければ……と振り返ったキャロルは後悔する事になる。
「……」
「……っ、ま、まって……!」
振り返った眼前にいたジェイクと目が合う。無機物を見下ろすような無情な目は物語っていた。交わす言葉はもうない、あるのは裁きだと。
「まベェ――!?」
正面から顔面を殴られて、段になっている観客席を転げ落ちる。鼻が曲がり、骨は割れ、血が飛び出る。
「あ……ああ……」
顔の中央は美貌の要。手探りでさえ分かる酷な仕打ちに、キャロルは嘆きを漏らす。だがそれだけで終わるわけもなく、降りてきたジェイクは呆然とするその顔を踏み抜いた。
「……舌を噛み切らないように歯を折っておかないとな」
「っ……」
起きた時に絶望するであろうキャロルを見下ろす。
偶然その場に居合わせた騎士達は恐怖に凍りついていた。その強さに。その無情さに。自然に人の顔を踏みつける少年に。
「騎士さん、こいつ頼める? キメラを作った犯人だから」
「お、お任せてください!」
「自害も含めて死なないように注意してね、よろしくぅ」
少年を心底から恐れていた。しかし同時に憧れていた。だから王に返すように返事したのかもしれない。だからその背中が見えなくなるまで、敬礼で見送ったのかもしれない。
この日の事件は、ローリー聖国に激震をもたらす。謎の組織〈八頭目〉とキメラ魔術、そしてキャロルの投獄。彼女達は何が目的でこのような魔術を使い、大それた事件を起こしているのか。
続報を待て。




