53話、命をもてあそぶ頭目
強張る頬に汗が伝い、不吉な寒気によりキャロルが身震いした。情報を引き出したジェイクが戦意を携えて眼差しをくれる。それだけで放たれる威光に体が竦んでいた。
「大人しく捕まれ。逃がすくらいなら殺すつもりでいる」
「でしょうねっ……」
鋼器を取り出す仕草は見せない。二人とも。大きな一歩で踏み込める間合いで対峙する。
狭間の空気は緊迫するに従い揺れていく。ただ立つジェイクと身構えるキャロルは不動のまま睨み合い、挙動の始まりを読み合っていた。
「……――!」
先に動いたのはジェイクだった。
だが仕掛けたのはキャロル。靴底に仕込んだ術式符にマナを送った。おそらく転移だろう魔術の予兆を察知したジェイクは、即座に飛び込む。
キャロル自身の転移は術式符によるもので、発動前に僅かな時間を要する都合上、ほぼ確実に阻める。
「――」
「ちっ――!」
魔術を囮に誘い込んだキャロル。迎え打ちで蹴った足刀は見破られる。奇手を屈んで避けたジェイクが、足を払ってキャロルを転倒させた。
キャロルは機転を効かせて靴底の魔術を発動させながらジェイクを蹴ろうと試みる。
「……っ!」
なんにせよ回避するしかない。転移もしくはキメラ作製の魔術だと推測される。キメラならば神足通を通して抵抗可能だが、転移は何が起こるか分からない。自分がどこかに飛ばされるのか、何かが飛び出るのか。
今回は後者だった。魔物か動物が転移される。察したジェイクが出現前にキャロルの捕縛を強行する。
「――」
避けた足裏から浮かび上がる魔術陣。そこから現れたのは虎で、薄らと眩い魔術陣から縞柄の体が歩み出るのと交錯してキャロルへ飛びかかる。
立ちあがろうと上半身を起こすキャロルの頭を掴み――地面に叩きつけた。
「ダッ――!?」
後頭部を打ちつけられたキャロルだが、ジェイクは胸中で舌を打つ。ロスティーナのメイドをしていたキャロルは、危機となれば彼女を護るために戦う最低限の訓練を受けていた。神足通も並の騎士を大きく上回る。
「く――! この野郎ッ!」
気絶させられずに跳ね起きられて、打撃の応酬を交わす。行き交う拳と蹴りは六回だけ。
虎により視界に収められた途端に、獲物として意識されたと察知してキャロルから後退した。一度だけジェイクの拳が顎を打つも、決定打には遠いようだ。
カイワンのように殺し合う意気で臨まれたなら既に倒せていただろう。だがキャロルは“逃げ”の姿勢を徹底しており、秒単位の攻守では決め切れなかった。
「ジェイクっ!」
「そいつが犯人だっ。そこそこやるから油断するなよ!」
姿が見えないことを案じて捜していたグロリアが駆け付ける。何をしているのだろうとジェイクの背を見て駆け寄り、背中の向こうにいる警戒状態の虎を見ると、焦りながらも鋼器を展開させて参戦した。
「……! まず虎をやるッ!」
「こういう時は雷霆技の出番だな」
熟練度で威力に大きな差が出る雷霆技。しかし速いのは同じ。敵を無力化させるのにも適している。
「【雷霆技三式・飛雷刺】ッ!」
白い弓を引けば、マナが乗った手先から電雷が生まれる。引く動作と同調して雷は矢へと形を変え、放たれた矢は細く速く虎の眉間を刺した。
「驚きの精度をありがとう!」
「ちっ……! 猫畜生の癖に使えないわねぇ!」
雷の矢は針。刺さったまま虎を痺れさせ続ける。絶妙な電流で倒れる虎を飛び越え、ジェイクが走る。
「おらっ! ふ――! ――!」
宙返りや曲芸で跳ぶキャロルを追い、殴る蹴る。木箱ごと殴り上げ、樽ごと蹴り壊し、煉瓦塀ごと突き砕きながら追撃する。
「なんでも学んでみるものねっ。サーカス団で習った軽業のお陰で、物が多くても自由に舞えるわ――!」
ケラケラと笑いながら軽妙に飛び回る最中にも魔術発動。隙を見てサーカス団で調教している熊やライオンを呼び出す。
「そのまま追ってくれ! 【雷霆技三式・飛雷刺】ッ!」
「おう!」
グロリアの後方支援が駆けるジェイクよりも早く動物を射る。
それを一瞥すらせずキャロルへと迫る。
「ちぃ、このマタタフスカタがよっ! いつまでも逃げられやしないんだぞっ!」
「どうかしらね!」
だがやはり自身が転移する魔術は、完了まで一定の時間を必要とする。瞬時に行うのは高等技術で、キャロルには不可能。ジェイクが見失わない限り、退避は見込めなかった。神足通自体はジェイクの上を行くが、戦闘能力で大きく差があることはもう判明している。戦う選択肢も頭にない。
けれどキャロルに不安はない。
「ほら――目醒めなさい」
跳躍の間に手袋を付ける。手の平にもキメラ作成の魔術式が描かれている。それを――ライオンと熊に当てた。
「てめぇ……」
「言ったでしょう? 私もユーガ様のように駆け抜ける。犠牲者には悪いと思うけど、私はそれだけの結果を残しているわ」
「悪いなんて思ってないだろっ」
獅子と熊の頭を持ち、熊の体と獅子の四足を持つキメラ。合成したことで動物の枠を越え、魔物へ。魔物の定義である『マナや魔術による歪んだ進化』を果たす。
「グロリアはあいつが転移の魔術を使わないよう見ていてくれ」
「了解した」
腰のベルトから引き抜き斧を手に取ったジェイク。雷を構えるグロリアにキャロルを任せてキメラへ向かう。
「転移は使うつもりはないわ。まだもったいないもの」
「……」
電撃の矢に照準を定められる。だが積まれた木箱の上に立つキャロルはニヤつくばかりで逃げる様子はない。狙うグロリアには――彼女が何かを待っているように見えていた。
しかもそれはもうすぐ。少しだけ先にあるような気がしてならない。
「さてさて、謎の少年ジェイクの実力やいかに」
「【神足通系第二等技・一刀】」
刀剣を扱うような所作。振り上げた斧を体重を乗せて振り下ろす。斧の牙には赤いマナが走り、斬れ味も抜群。一撃で獅子の額を割った。
「――」
獅子の爪を避けると、続けて斧で熊の頭蓋を割る。刃を眉間に突き立て、文字通りに割った。
「……」
「……」
沈着冷静に見えるもジェイクは怒りに怒っていた。今の【一刀】を見れば明らかで、最中に垣間見た憤怒の形相を目にした二人は動けなくなる。
「……そろそろ観念しろ。情報を持ってるからには殺したくはないからな」
「……あんたはここで殺しておかないと危険だわ。普通じゃない。あまりにも普通じゃなさ過ぎる」
「よく言われる。殺されたことはないけどな」
「カイワンを殺したのも事実なのかもねぇ。彼よりは弱いと思うけど、あんたなら殺せる気がする」
キャロルは決意した。機も熟した頃だ。
「……今頃は動物達の出番よね」
驚嘆の音が絶え間なく生まれる大天幕を横目に言う。少年達の演舞は前半が終了、動物達の芸を挟んでもう一度。
「つまりあそこは動物と人間が入った籠みたいなものということ」
「いったい何を言っている……」
会話の間に赤い閃光を放つ人影が、グロリアの照準に割って入った。神足通を最高出力で通すジェイクがキャロルを殺しにかかる。本気で。
だが殺すつもりの斧は避けられる。跳躍したキャロルはくるくると宙を回り、狂気を振り撒いた。
「ジェイクっ……!?」
「撃てッ! 奴を殺すんだッ!」
あのジェイクが明らかに焦っていた。醜悪な笑顔を浮かべるキャロルの意図を、正確に読み取っていたからだ。
「もう遅いわよ! さあ――私のショーは楽しんでいただけるかしらっ!」
周到に用意していた術を起動する。念には念を。いくつか用意しておいた術式の出発点から、マナを送り込む。中央の舞台を囲む観覧席。計算されて貼られた術式符は線で繋がっていた。外まで引かれた導線から送られたマナは術式符を通り、巨大な術式を構築する。
天幕の中にいる生命を繋げた――凄惨極まるキメラが生まれる。生命を歪に繋ぎ合わせ、強引に混ぜ合わせた禁忌の魔物が誕生する。




