5話、快適な旅、隣国の貴族を添えて
筋肉を付けるのに大切なこと。トレーニングと同じ比重で、食事も重要となる。
本来ならば一日で四から六回に食事を分けて、常に身体に栄養を回すのが理想だろう。タンパク質を多めに脂質を少なく、芋などの炭水化物も摂る。
途絶えることのない栄養素の吸収が効率的だ。
けれど今の俺は贅沢に毎日毎日、お肉を食える家庭ではない。
それでも腹一杯に食えて、しかも卵料理や乳製品といったタンパク源が食えるので、たいへん恵まれていると言える。
不満があるとすれば母の味付けが薄味なのと、例えば今みたいな夕食時……。
「ほら、もう少し食べな?」
食べの悪いリュートの口元へ、スプーンですくったシチューのじゃがいもを差し向ける。もう見慣れた蝋燭の灯火の下で、リュートの木皿を持って育児に励む。
「……もうお腹いっぱい」
「もう? ならヨーグルトは無しだぞ? もう食えないんだろ?」
「……」
おっとマズいぞと表情に苦戦を表すリュート。迷う三歳児。甘いデザートをたくさん食べたいが為に、夕飯を疎かにしようとする浅知恵だ。
「……えへへ」
「じゃ、もう三口だけ食べたらデザートにしよう。……そんなにヨーグルトが食べたいもんかなぁ。ただでさえ乳臭い環境に住んでんのに」
はにかんでお茶を濁すリュートに、いつもの提案をし、何とか誤魔化しながら完食を目指す。この小さなジャガイモを小さな口に運ぶ、これに要した時間……五分。幼児の食事は長い。
するとその様子を眺めていた両親は、何気なく無神経な発言を始めるのだった。
「……うちは子育てが楽だな」
「ジェイクは特殊過ぎたけど、まさか三男まで手がかからないとはねぇ……少し寂しいくらいね」
じゃあ代われや。
「じゃあ代われや。筋肉痛で早く寝たいんだから」
「怖っ……」
胸中の声を世界に発信していくスタイルを取る俺は、人類王の覇気と共に両親に牙を剥いた。
ジェイクとしては初めての鍛錬後なのだ。身体を少し動かすだけでも億劫だ。やはり神足通を慣らすのが一番苦痛を極める。
「そ、そう言えば、ジェイクが通る山から二つ離れた森付近で事件があったって話よ? だからここにもゴブリンが来たらしいわ。少し時期をズラしたらどう?」
「……いやぁ、ますます二週間後の便に乗りたいなぁ」
「なんでなのよ……たとえ乗らなくちゃいけないとしても、乗り気になるのは変でしょう……」
若干だけ考慮するも、やはり時期はズラせない。この機を逃せば、次にあの悪霊を回収できるチャンスは未定となる。下手をすると、丸一年後だ。
しかも比較的確実に回収できる類なので、早めに奪取しておきたい。
「ほい、次」
「……コレがいい」
「はいはい、ニンジンね」
旅から帰って来た頃には、リュートも少しは兄離れしていることだろう。今の俺くらいの年齢になったら基本四種を教えてもいいかもしれない。
それで精々モテるといいさ。調子こいている嫌な奴をぶっ倒して持て囃されるといいさ。女の子を助けてエッチなこともすればいいさ。
俺は調子こいてない奴でもぶっ飛ばすし、女も助けずにエッチなことするけど。今から都会のお姉さんに会うのが楽しみでならない。
この日から二週間、俺はみっちりと基本四種を身体に叩き込むことになる。
そして薄っすらと風味を感じるくらいには感覚を取り戻して迎えた、旅立ちの日。およそ二週間を目処にした旅行が今、始まろうとしていた。
「じゃ、行ってくんでぇ」
「本当に大丈夫なのだろうか……」
心配性な父の見送りで、町外れの馬車駅にやって来た。国営の馬車に加え、民間や個人の馬車も含めて六台の馬車列。内一つは有名貴族の馬車で、護衛を務める騎士もいるそうなので安心。予想外に安全な旅路となりそうだ。
「おいおい、男ともなったら一度は旅をしなきゃ。飛び込むんだよ、未知に。磨くんだよ、己を。目指すんだよ、頂きを。それが男ってもんだろ」
「……知見を広めるのは良いことだろうが、怪我が治ってすぐに稽古をしていたのだぞ? 心配にもなるだろう……」
「この手負い感がいかにも旅人って感じだろ?」
「意味が分からんぞ……」
ザーマ様もリュックにおられる。今の俺は人類王時代から考えればハエ以下だが、最低限は基本四種も身に付けた。
旅立ちの時は今。
「ボスゴブリンを殺してから反省したんだ。あれから二週間、みっちり鍛えたから大丈夫っしょ」
「あのな、ジェイク……お前は気分屋だから言わなかったが、マナ・アーツってのは基礎だけでも、どれだけっ、どれだけ早くても一年は費やすものなんだ」
「常人はね? 俺は違う。何故なら俺は生まれながらのチャンピオン」
「なにこいつ……どうかしてるんだが、我が息子」
無礼にも父親が頭を抱えている。すると背後から馴れ馴れしく男の人が歩み寄る気配を察知した。
「はっはっは! 君は面白い子だな」
やたらと質のいい背広を来た大柄な男性……思いっきり貴族臭のする男が声をかけて来た。
腰にある意匠の凝ったサーベルを見れば、かなり位の高い騎士であるだろうと察せられる。
「おっす!」
「はじめまして、私はバッハ・ウィンターと言う。騎士国では伯爵位を頂いている者だ」
めちゃくちゃ偉い人だった。
ウィンターって言うと、確か四大貴族の内の一つだ。四季貴族とか言ったかな? 特に武力の高い家名が選ばれるのだとか聞いた覚えがある。
「ウィンター伯爵様っ!? じ、ジェイクっ、頭を下げなさいっ!」
「他人に言われて下げる頭なんかねぇ! 自分の意思で下げるわ! ……いま下げたら父ちゃんに言われて下げたことになるから、下げられなくなっちまったじゃねぇか!」
「いいからっ、父ちゃんが悪かったから今だけは下げてくれっ!」
貴族恐怖症の父に頭を押さえ付けられ、隣国の伯爵に挨拶をかます。
「この酪農家んとこで次男やってる、ジェイク・レインです。馬車列で一緒に騎士国に行くみたいなんで、どうかよろしくお願いします」
「ふっ」
バッハさんは俺の自己紹介を受け、目を細めて静かに微笑んだ。蔑むでもなく、愉快そうでもなく、それ以外の不思議な面持ちで。
「レイン……ああ、よろしく。ところで先程、興味深い話をしていただろう。どうだろう、君達さえよいのなら私の馬車で、道中の暇潰しにでも談笑に花を咲かせようではないか」
どうやら乗車予定の国営馬車ではなく、高級な馬車による快適な旅が約束されたようだ。
♤
ウィンター伯爵家の馬車に、一人の同行者が現れた。出張先からの帰路の旅路、残り三日の旅程で初めての事態が巻き起こった。
あの厳格なバッハがこれまでに誰かを……それも他国の平民を乗せるなど有り得る話ではなかった。
「ジェイク・レインっす。十三になって溢れる才能に気付いたんで、思い切って旅に出る事にしたんです。よろしく、お三方」
それも見るからに平凡で、軽薄そうな少年だ。どちらかと言うならば、バッハが最も嫌うお調子者寄りと見受けられた。
「……ジェイク君が挨拶をしているだろう」
とにかく他者に厳しいバッハの叱責を受けた子供達は、打ち据えられたように身を震わせ、焦った五男から順に開口していくこととなる。
「ダグラス・ウィンターだ、宜しく頼む」
「はいよろしく」
難しい顔をする五男のダグラスは最低限の言葉で応え、その様子からもジェイクをよく思っていないことが伺える。
他国の平民とは言え、騎士国切っての貴族家としての誇りがそうさせているのだろう。それはジェイクが年上であっても変わらない。
「カティア・ウィンターです。年齢は十六歳で、ジェイク君より三つお姉さんですね。よろしくお願いします」
「え、十六?」
「はい。発育のせいで勘違いされがちですが、十六歳です」
ダグラスとは対照的に薄らと微笑むカティア。雪のように透き通る美貌を持つ、薄紫の長髪をした美しい少女だった。
十六歳と言うには大人びており体つきも女性的で、特に大きな胸などは老若男女の視線を奪う迫力がある。騎士国界隈の人気も高く、幼い頃より婚約の話が度々舞い込んでいた。
だが褒め称えられる容姿よりも、ジェイクはカティアに関して他の点で疑問を抱く。
「……なんでメイド服着てんすか?」
「メイド道を嗜んでいるからです」
「あ、それでかぁ……ってなるとでも思ってんの? 分かるように言ってもらえる?」
「メイドという存在が個人的に好ましいからです」
「あ、それでかぁ」
貴族の息女が職にしているわけでもなくメイド服を着ている。風変わりとも言えるカティアに関心が引かれるジェイクだったが、同時に第六感なのか違和感も感じていた。
だがその前に最後の一人へと目を向ける。対面に座る同年代らしき短めな紅髪の少女。
「……で、あんたは?」
「……アリア・サマー」
「あんただけウィンターじゃないのか」
猫のような目でジェイクを睨む可憐な人物は、アリアと名乗った。年齢はカティアの二つ下。着崩した制服の胸元も開き、比較的小柄でカティア程ではないにしても扇情的な谷間を露出している。
アクセサリーにも拘りが見られ、スカートも短くしており今時の少女といった風貌だった。
「どうした、不機嫌そうに。コンプレックスでもあるのか? 自分だけウィンター家で迷子になって引け目を感じてんのか。気にすんなよ。今からは俺がいる」
「……あんまり正面で顔を固定しないでくれる?」
「なんでだよ」
「ジェイクって人間を正確に認識したくないから」
「ジェイクをどんだけ嫌ってんだ! いま会ったばっかだろ! 少しは歩み寄れ!」
毒舌が持ち味らしいアリアに鬱陶しそうにされながらも、退屈しない旅路を予感していた。
「アリアは昔馴染みのサマー子爵から預かったのだ。私の出張に同行して稽古を付けていた」
「へぇ……こんな不良娘も武術やるんすか」
「武術方面でもアリアは優秀な方だ。確か学年主席だった筈だ」
「この不良娘がねぇ……」
意外な心境を露わにした視線を向けるも、眉根を寄せた不快そうな横目で睨まれる。
ジェイクは気分から、それをあえて真正面から凝視して応えた。
その様子を見て、バッハは率直な感想を述べる。
「……ジェイク君はカティアやアリアを見ても変わらないな」
「はい?」
「二人共にこれだけの容姿を持って生まれた。男なら心が揺れ動かない筈はないのだがな。なんと呼ばれていたか……《冬の妖精》や《夏の美姫》などだったか。現に二人を求める声はとても多かった。偶然にもこの馬車に同乗できた幸運を活かすべく、口説くなりするところだ」
確かに滅多にある事ではない。
二人の容姿は抜きん出ており、たまたま乗り合わせるなど有り得ない。初対面では、しどろもどろとなるのが常だった。
だがジェイクは動じるどころか何一つ変わらない。貴族相手にも顔色を伺うでもなく、いかにも平然としている。
「まだ二人とも子供ですからね。それに見てくれがいいってだけじゃあね……二人が生まれ持ったものだけじゃなくて、きちんと努力しているのは分かるけど、俺は容姿だけで惹かれる虫みたいな男ではないの」
「上手い事を言う。確かにそのような男は虫のようだな」
「一つ確かなのは、幸運なのが俺の方じゃないってことっす。俺と出会えて良かったな、お嬢さん方。あんたら、ツイてるぞ」
ユントの街で鐘が鳴る。何者かの旅立ちを祝福するように、数奇な出逢いを演出するように、丘を越えていく馬車を厳かな音色が送り出す。
その旅はすべての始まり。新たな伝説の始まりとなる予感をさせていた。