47話、三体目の悪霊・フリード
深い海を思わせる青髪の美女が声をかけたのは、マッスグ族の少年だった。随分と親しげな声色で、接し方からは好意的である事が分かる。
「何をしているんだ? 知らない人に付いていっては駄目だと言ったじゃないか」
「ジェイク……?」
不審な顔となるカーターが、呼びかけられたジェを見下ろす。女は明らかにジェへ話しかけている。ジェイクと呼んで。
「……この少年はマッスグ族のジェ・イだ。ジェイクとは誰を指して言っているのだね」
「何を言っている。そいつは酪農家の息子のジェイクだ」
「酪農家だとっ?」
語気を強めるカーターがジェを睨んで釈明を求める。まさかとの疑念が生まれ、それは急速に怒りへと変わりゆく。仮に騙したのだとすれば、ユーガの品を扱う詐欺師となるからだ。
大罪人を見る目を向けられ、固まったジェは暫くすると動き出した。示した行動は耳を貸せという仕草。カーターは手招きに応じて耳を寄せる。
「……何かね」
「あの女、かなりの美人でしょう。なんか……明らかに服に隠れた体もいい感じでしょう?」
「そうだが。それと酪農家に何の関係がある」
「お忘れみたいですが、私は年頃の男子です」
「……」
「あの女とはここに来る馬車で出会ったのですが、マッスグ族は秘密中の秘密。身分を偽るのは必須です」
「……」
「ここの品を見物する間を活用して、あの女に宿を取らせておりました。恥ずかしいのであまり知られたくなかったのですが、分かるでしょう? 仕事が終わったらその宿で、その……ね?」
カーターはジェの言い分を受け取る。すると思い至った瞬間に手を打って何が言いたいのかを完全に把握した。
「可能なら私に合わせてください。戦火を行く旅の癒しなのです」
「……」
ジェの釈明を受けて屈んでいた上体を起こす。数秒だけ視線を交差。判決はその後に下された。
「……」
同じ男として、カーターはウィンクを返した。
「……よお、アンナ! 宿は取れたか?」
マッスグ族の上から酪農家の皮を被り、完璧な人格偽装で女へ歩み寄っていく。果てのない旅路の中で培われた技なのだと容易に分かる。
「宿は取れたが……あの人は誰なんだ? 密談を交わしていたようだが、なにか吹き込まれたんじゃないだろうな」
「偶然なんだけどさ。前に父ちゃんを訪ねていらっしゃったおじさんと会ったんだよ。家の人に紹介させてもらうことになったんだ。だからチョチョっと顔を出して茶でも呼ばれっかなって」
ジェを案じるアンナは不信感を露わにカーターを見る。だがジェの言葉が届いているカーターは肯定を意味するお辞儀を返した。微笑みまで添えて。
「……ならばその格好はなんだ」
「馬鹿野郎! このジェイクたる者、普通に挨拶なんかできるかよ!」
「ああ、それはお前ならあり得そうだな……」
「そういうわけだから時間を潰しててくれる? 集合時刻までには戻るから」
「分かった。くれぐれも失礼のないようにな」
納得したアンナは喫茶店にでも寄るつもりなのだろう。カーターへお辞儀をしてから、広場方面へ向けて後ろ手を振って去ってしまう。すれ違いの度に通行人が振り向く。やはり目立つようだ。あの風体では無理もない。
その背も見えなくなるとジェが戻り、まずは謝意を込めて声をかけた。
「ありがとうございました。いやぁ……なんともお恥ずかしい限りです」
「恥ずかしがることではない。男として当然の欲求だ。そうだな、あれほどの獲物は確かに逃せない」
「分かっていただけたところで、鑑定に向かいましょうか」
「そうしよう」
カーターの馬車に乗り込む。揺れる馬車は十分もかからずして屋敷へ到着した。街中はサーカスが盛況となってから、大通り付近と宿屋周辺を除いて空いている時間帯が多い。その影響と考えられる。
屋敷に入ると、逸る気持ちから足早に宝物のある部屋へ向かい、蒐集した品々をジェへと披露した。
「これは有り難い。一箇所に集まっているなら短時間で正確に鑑定ができる」
「それは良かった。一応、目録もあるので活用してもらいたい」
「見落とす事がなさそうで結構。保存状況もいい。すぐに取り掛かりましょう」
「よろしく頼む。金もだが、茶と菓子を用意させておく。せめてそれくらいは出させてくれ」
「お金は初回なので取りません。記念館でも館長が気絶してもらえませんでしたから」
「いいや、そういうわけにはいかない。無料より高いものはないのだから」
「……では偽物が出た際の処分料と茶菓子でどうでしょう」
記念館で受け取れなかったジェが拒否する気持ちも分かる。プロフェッショナルだからこそ譲れないのだろう。カーターは苦渋の決断をする。
「……分かった、そうしよう。だが次の鑑定では色を付けさせてもらう。異論は許さないよ?」
小粋なカーターの去った部屋で、マッスグ族が鑑定を始める。
……わけもなく。
「……うま! うまうまっ!」
本物か偽物かなど無関心以前に、判別など出来ない。出来ない鑑定などよりも、ポケットから羽ペンを取り出して宙に放り上げる。それから帽子と丸眼鏡を外し、昔馴染みへと告げる。
「出てこいよ、フリード。お前も使ってやる」
禍々しく燃え上がる紅い炎。羽ペンから飛び出した悪霊がジェイクの炎に呑み込まれる。主人の道具として使われるために、第一の悪霊が舞い戻る。
始まりの悪霊にして、最も親しかった殺人鬼・フリード。
彼の常軌を逸した趣向と害意が引き起こした事件。その厳罰として再び《人類王》の傀儡となる。




