4話、トレーニング開始
旅立ちには準備が付きもの。
鍛錬をサボっていた今世に、多大なる喝を入れる時が来た。
言い訳をするならば、駆け抜けたユーガ時代の反動があったのだ。激動の六十五年間だったので、のんびりな農家の日常がやけに染みたんです。俺としてはツッコミ役のシズカを迎えに行って、そのまま気ままな酪農家暮らしもいいと思っていた。
「……騎士学校のある首都スクーイトに向かう運送馬車が出発するのは、二週間後……」
国営の運送馬車を予約して取れたのが、約二週間後の席。最低限に鍛えるならば十分だろう。
まずはマナを駆使する武術・マナ・アーツの“基本四種目”を、このジェイク・レインの身体に馴染ませる。体作りは間に合わないが、以前の感覚を少しでも取り戻せたなら最低限度に戦える状態にはなる。
通常なら何年もかかるものであっても、前世でアホみたいに使っていたので、当たり前ながら練習するまでもなく出来る。
森羅万象に宿り、ありとあらゆる存在の源であるマナは、己が内にも当然あり。すぐに取り掛かろう。
「にいちゃ?」
「リュート……いま兄ちゃん、世間と戦う準備してっから、少しだけ待ってな」
牛共が放されている高原を見下ろす我が家の裏手で、切り株の上に座って瞑想中。人形遊びに飽きたリュートには悪いが、兄に生存の術を身に付けさせてくれ。
基本四種とは、以下の四項目である。
天耳通……周囲の気配を敏感に察知する能力。マナを放つ攻撃系の技もこれに分類される。
神足通……身体能力を向上させる能力。マナを駆使した肉体的な技はこれに分類される。
天眼通……様々な形での視力を向上させる能力。未発見なものが多く、未だに新たな技も確認されている。
他心通……対する者の思考を読む能力。または誤情報を悟らせるもの。一般的には最も難易度が高いとされる繊細な種目。
ちなみにこれ等、いきなり全力で使用することはできない。ボスゴブリンの際に死にかけても、ほんの少ししか使えなかったのには理由がある。説明はしない。何故なら俺は知っているから。改めて心中で確認する必要ある? この思考がそもそもなに? 何で一人でこんな考えを巡らせてんの?
「……リュート、懲りてないんか?」
「……!?」
天耳通を使用し、こっそりと俺の側を離れようとするリュートを察知後、即叱る。周囲へと、こまめに身体からソナーのようなマナの波を送り、跳ね返ってくるものをキャッチ。常時、超音波を使うコウモリのようにして周辺状況を正確に把握する。
「はい、楽勝。次、天眼通」
これなんか基本的なものに関しては一番簡単。目玉にマナを送り、更に俺式は目玉の奥にある視神経にまで染み渡らせる。
遠く遠ぉくの山々、木々まで丸裸となる。この天眼通は素質も関係あるのだが、ジェイクとしての体は不便することはなさそうだ。
とは言え、発動まで二分近くかかっていると話にならない。こちらは慣らすのに一週間はかかりそうだ。
「……あ〜あ、面倒だけど神足通いっとくかぁ」
俺が訓練しなかった最たる理由。神足通の訓練に移る。
これは慣れるまで、使用中使用後に痛みが伴う。いわゆる関節痛や筋肉痛だ。おまけに骨や腱や神経系、関節に負担がかかるので、少しずつ体を順応させなければならない。
何で強くなるのに、こんなに大変なことをしなければならないのだろう。疑問を引きずること三十分、ひたすらに身体に神足通を通して馴染ませる。
「ちっ、蘇らせられたとしたら、どいつだ……? 見つけたら拷問してから殺してやる」
それから木の棒で地面に円を描きつつ、舌打ち付きでボヤく。殺人鬼の悪霊を回収する過程に備えても必須科目であるだけに、悪態を吐くくらいしか鬱憤を晴らす術がないのが無念だ。
「リュート、いい遊びを思いついたぞ」
「あそぶの!?」
円の中から呼びかけると、今世のトレーニングパートナーがすぐに駆けつけてくれた。
「この中で追いかけっこだ。兄ちゃんを捕まえてみな」
「……」
この小さな円ではすぐに捕まえられるに決まっているだろ馬鹿がと、幼い顔でありありと物語っている。三歳児に嘗められる人類王……。
「……えっ、何? まさかまさかなんだけど、もしかして兄ちゃんに勝てるとでも思ってんの? それ幻想だから、永遠の課題だから、生まれ落ちて三年が粋がってないでかかって来な? ワールドカップより短い分際でどの面下げてんの?」
「ぬらぁっ……!!」
高度な煽りの意味が分かるのか、激ギレして掴みかかるリュート。その意気や良し。
「――!」
「ふわっ!?」
足腰に神足通を通し、一瞬にして三歳児の背後を取る。俺の姿が視界から消えた生後三年は、周りをキョロキョロと見回して困惑するばかりだった。
「貴様は天に唾を吐いたのだ……」
「……!?」
ギョッとなって振り返るリュート。いい機会なので言いたいことを言わせてもらう。
「もし、俺を捕まえることが叶わなかった時……絶対に食わず嫌いをしないと誓え。あと飯も自分で食べるようにしなさい。というか食べさせてもらってもいいから、俺以外にしなさい」
「……イヤァ!!」
契約、ならず。負ける未来が見えたようで、約束を結ばないまま手を伸ばして来た。
「――」
三歳が小狡さを覗かせた瞬間、足腰を構成する細胞一つ一つにマナを染み渡らせる。あくまでイメージだ。
元々の基本四種・神足通では、体にマナを流すという酷く曖昧な表現で培われる技術であった。
文句を言うのも憚られたので、それで俺も練習していた。けれど脚にマナを通すと言っても、何に作用しているのだろうか。骨なのか筋肉なのか、はたまた血液なのか詳しく知りたくなった。
そして研究の末、到達した結論は……『細胞』だ。
神足通で通すマナは細胞に作用している。それも流すのではなく、体中から絞り集めたマナを細胞に染み込ませる。そのイメージで神足通を通した時が、最も高い効果を叩き出した。
「うらぁぁ!」
「甘いっ! それで王に触れられると思うてかぁ!」
高速移動で半身になって躱し、または跳び越え、あるいは大人げなくフェイントを入れ、突進する幼児を翻弄する。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラっ!」
「……!? ……!?」
止めとばかりに反復横跳びで三体に分身。三歳相手に本気を出して、明日の厳しい筋肉痛と引き替えに圧倒する。
「ふわぁぁ……ぱたり」
「人生三周と人生三年の違いを思い知れ……」
目を回して倒れたリュートを見下ろし、ガクガクと震える脚に鞭を打って切り株に戻る。
「よいしょっと……」
一息を吐きながら腰を下ろして、想像力を働かす。
あと二週間……この俺が直々に基本四種を教えてやった兄ちゃんくらいにはなれるだろうか。
「ま、あとは拳骨を鍛え始めないとな」
最後に頼るのは結局のところ、剣でも槍でもなく鍛え上げた体だった。目指すからには徹底的に、かつ向上心を持って鍛えよう。
じゃなきゃ、あのバケモノ共と事を構えるなんて夢のまた夢だ。