39話、弟と街へ買い物に出た日のこと
十歳になる。ジェイクは八歳。月日が経とうとも弟は変わらない。仕事を手伝う以外は、趣味のコレクション蒐集に関連する行動しか取らない。
「ジェイク、俺の鋼器を買いに行こうぜ」
「ガキが武器なんぞを欲しがんな、よ……。……まっ、でも変なの買うかもしれないから、付いて行ってやるかぁ」
丸一日かけて友達と探した形のいいクルミを放り投げて、機嫌を取ってから誘う。
同行を父の友人に頼むか迷ったのは一瞬。ジェイクは鋼器を見たことがあるのかすら怪しいが、これまでの実績から判断した。
「初めて買うんだろ? 金はあるんだろうな。初めは安モンで済ませようとか考えるなよ。常に出来のいい物を使って稽古した方が伸びるに決まってる」
「何個か候補はある。どれでも買えるくらいには貯めた」
「ふぅん、大金じゃねぇか」
この日だ。この日に、ジェイクが選ばれた存在であると確信することになった。
「久々の街だな。兄ちゃんが彼女に振られた橋が見えてらぁ」
「余計なこと言うんじゃねぇよ!」
いつも巫山戯てばかりの弟を連れて武器屋を目指す。
昔は街を行き交う人々がお洒落に見えていた。そうでもないことに気付いたのは、武力派遣組合の資格を取ってから。依頼を達成していくと、いつの間にか普通の一般人ばかりに見えていた。
「……」
金を稼いで服を買い、飯屋で飯を食い、好きな事に費やし、大人の仲間入りをしたからだろう。我ながら誇らしい。
貯金した財布の中身を確認して頬を緩める。
「……俺この街きらぁい」
「は? なんでだよ」
「兄ちゃんが大金もってるのを見た武芸者が後を尾けてるぞ」
「はぁ!?」
慌てて背後を見る。するとジェイクの言う通りだ。人混みの中でも男が三人、しっかりとこちらを見据えている。
目は合った筈だがニヤけている事からも、標的とされているのは明白だった。
「バレてもおかまいなしね」
「は、走るぞっ。衛兵の待機所まで行けば助かるっ」
「近い待機所はまだまだ先。追いつかれるよ」
走り出そうと手を掴もうとするも、ジェイクはその手を避けてしまう。突然の危機に動揺するも、ジェイクは迷わず昼食を取る人で賑わうテラス席を縫って歩き、路地裏に入ってしまう。
「馬鹿っ! こんなところに入ったらやられちまうぞ!」
「いいから下がってろって」
「お前がだッ! っ……!?」
背後から聴こえる足音を察知して振り返る。視界に飛び込むのは、やはり追尾していた三人組。格好からして、間違いなく武芸者だ。
だがこちらとて一年もジェイクに鍛えられているのだ。一人一人となら勝てるかもしれないが……三人同時では勝ち目はない。
「分かってるだろ? 金さえ渡せば何もしない」
懐から鋼器を取り出して見せられる。これで一人を相手にしても勝てるか分からなくなる。
気が動転していて、この時はただ怖気付いて焦っていた。
けれど、ジェイクは違った。
「さっさと金を――」
「あんたらさぁ、知ってる?」
背後から肩を引き込まれ、代わりにジェイクが歩み出る。
小さな背中で、前へと踏み出した。
「お、おいっ、馬鹿ッ! 帰って来い!」
「資格持ちの武芸者から強盗された時って、殺しても犯罪にならないの……知ってる?」
怯える様子も取り乱すこともない。ジェイクは赤ん坊から路地に入るまでと、まったく同じだ。ポケットに手を入れて気も穏やかに、眼前の武芸者を見上げている。
「……ははっ、らしいな。だからどうしたんだ?」
「このガキ面白いな」
武芸者も気を楽に笑う。当然だ。目の前にいるのは八歳の子供なのだ。しかも武術どころか、鍛えることもしたことがない貧弱な子供だ。
「なんだ。知ってるのか」
笑う三人を前にして、気安く肩をすくめた。ジェイクはその動作を取る。
「……っ! ぐぁぁぁぁ――!?」
直後に上がる絶叫は、武芸者からだった。倒れ込んだ武芸者は、食事用のナイフが深く突き刺さった太腿を押さえて悶絶する。
「だ、ダニエルっ!!」
「知ってるならいい。殺すだけだ」
ジェイクがやったのだ。肩をすくめる動作でポケットからナイフを取り出し、武芸者が察せない挙動で突き立てたと予想できる。
「ウ――!? お、おいっ! 待て、待ってくれ……!」
右の男は倒れた男へと駆け寄り、左の男はジェイクから首筋にフォークを突き立てられていた。
皮膚にフォークの先端が埋まり、あと少しで突き破られることは一目で分かる。
「殺される覚悟があってやってるんじゃなかったのか? 鋼器を見せて脅しただろう。そんで俺に殺す権利があるってのも知ってたよな」
「ち、ちがっ、ちがう……!」
「チャンスをやる。強盗を止めろ。武芸者も辞めろ。他の道で真っ当に生きろ。武芸者として限界が見えたからこんなことをしてるんだろ?」
「……」
「約束できないなら、ここで三人とも殺す。返事は?」
鍛え上げた時間。手にした武術。ある程度の自由が効く気ままな生活。
そう簡単に手放せるものではない。仮に自分が逆の立場でも即決は出来なかったはずだ。
「……」
だがジェイクは言い淀んだ武芸者を目にして――倒れた男の太腿に刺さるナイフを蹴り付けた。対峙する男と目を合わせたまま、視線も向けずして的確に、痛烈に。
「ぎっ、がぁぁぁっ!? ギャァ――!!」
「やくそくするッ! 辞める! 辞めるから止めてくれぇ!」
のたうち回る男を目にすれば、もはや決断するしかない。
蹴り方に躊躇いがないのだ。本当に殺すつもりでいると分かってしまう蹴りであった。
「そっちの二人は?」
「や、辞める! 絶対に辞めるッ!」
悶え苦しむ最後の一人は訊ねるまでもない。誰よりも強烈な恐怖を刻まれてしまっていた。
「行け、仕事はいくらでもある。合わないなら辞めてもいい。だが日の当たる場所で働け」
脚を使えない男に肩を貸して、三人は路地裏から飛び出していった。まるで悪魔から逃れるようにして、脱兎の如く去っていく。
その背中を見届け、見えなくなっても呆然と立ち尽くす。
「お〜い、兄ちゃん」
「……! な、なんだ……?」
「なんだじゃねぇよ。早く鋼器を買いに行こうぜ」
いつものジェイクだ。巫山戯てばかりの生意気なジェイクに戻っている。
「ったく、クルミ一個に釣り合う労力じゃねぇよな」
先程のレストランから掠め取っていたらしいフォークを端の木箱に置いて、気怠げにボヤきながら歩き出す。
「……」
ジェイクは人の皮を着た魔人なのではないか。このときばかりは兄でなくともそう考えて不思議はないだろう。
街で見る人間、世に生きる人々、それらとは明らかに中身が違うとしか思えなかった……。




