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38話、幼少期のレイン兄弟

 長期休暇に入り、クリスが騎士学校を旅立つ。輝かしい成績を残して。

 今季もシーザー王から表彰される栄誉を授かり、順風満帆な行く末を約束されて、ローリー聖国へと帰省する。


「久しぶりの里帰り、気分はどうだい?」

「……大したことねぇよ」


 国営の聖国行き馬車に乗るクリスの顔色は、何故か優れない。

 隣合う同級生ショーン・ギアはと言えば、相反して柔らかい面持ちで会話を楽しんでいる。試験小隊も一時解散し、後腐れなく休暇を満喫しようというのだろう。

 だがそれはクリスも同じはず。


「聖国からの学生は早めに長期休暇に入れるっていいよね。旅路を計算に入れてくれるのは、公平でいいと思う」

「……」

「何が……そんなに憂鬱なんだい?」


 気分を沈める理由が分からない。騎士学校随一の実力を持つクリスは、将来も選り取り見取り。異性からの人気もある。

 ならばテロリストに負けたから? いや負けず嫌いのクリスは悔しさを思いに変えて鍛錬している。


「ジェイクくんだっけ。クリスの弟。ウィンター様に気に入られたって噂になってる子」


 首都スクーイト襲撃事件を思い出していて、偶然その人物が気になった。唯我独尊のクリスがたじろぐ存在が、まさか弟だとはと学内でも話題になっている少年だ。


「……だから?」

「ウィリアム・ガスコインって人を覚えてるだろう? あの天耳通の教官を倒したって噂。あれは本当なのかな」

「ジェイクなら有り得る」

「……」


 自他共に厳しいクリスが、素直に他人を認めるところを初めて目にする。

 ガスコインと言えば、二人も教わったことのある天耳通の教官だ。その腕前は二人も知るところで、未だ学生で彼に技を掠らせた者はいない。


「気になるな。旅の退屈凌ぎにジェイクくんの話でも聞かせてもらえないか?」

「……」


 クリスは渋い顔をするも、窓の外を横目に見た。

 流れる景色は小川沿いの緑溢れるもの。まだまだ実家のある故郷ユントへの道のりは続いていく。

 退屈な時間を持て余すならば、気を紛らわす為にも過去話もいいかもしれない。


 ♤


 酪農家の長男クリスに、待望の弟が生まれた。

 名前はジェイク。髪色も黒ずんだ赤紫色でお揃いのものだ。


「……ジェイクはまったく泣かないな」

「泣くわよ。授乳の時だけ悲壮感を出して泣くのよ、面白い子よね」


 夜泣きもしない。勝手に歩き回らない。玩具で遊ぶこともない。離乳食となっても好き嫌いもしない。


「……」

「お兄ちゃんをジッと見ているわね。クリスが好きみたい」


 母親に抱かれるジェイクに見つめられる。感情に揺れることはなく、本質を見抜くような知的な瞳。今でも強く記憶に残っている異質な眼差しだ。


「……こわい」

「えっ? なにか言った?」


 心待ちにしていた弟なのだが、クリスはジェイクが恐ろしかった。理屈ではなく、本能的に恐れていた。


「こら、待ちなさい!」


 三歳になったジェイクを母が叱りつける。あれからも親を困らせることはない。手がかからないジェイクは育てるというよりも勝手に育っていった。


「うるちぇ! 三ちゃいにもなって親と風呂はいれっか!」


 三歳のジェイクは親と入浴することを激しく拒んでいた。

 おしめをしたまま母親の手を掻い潜り、風呂場の前で仁王立ちして叫んでいる。


「何を言っているの! ジェイクくらいの子はみんなママに手伝って入るものなの!」

「かんべんしてくれ! ゆっくり一人で入らせてくれよ! あとオシメももういらん! パンツくれ!」


 ジェイクはタオルを肩に担ぎ、徹底して母に反抗。授乳が終わってから、両親と言い争うのはこの時だけだ。ジェイクは誰の目から見ても普通ではなかった。


「そんなに小さい体で、(おぼ)れたらどうするの!」

「おぼれてますぅ! って叫ぶからそのときは助けてくれ」


 ついにジェイクを説得することはできなかった。両親が定期的に覗くことで合意され、風呂場から鼻歌が聞こえるようになる。


「二人とも、算術をお勉強しましょうか」


 聖国建国から五年。五歳のジェイクと七歳のクリス。学校は誰もが通える場ではない。立地や学費の関係で、二人もまだ通える環境ではなかった。


「じゃあ初めての問題は――」

「二」

「え……?」

「答えは、二」


 母がテーブルの小石を手に取る前から答えてしまう。この時はジェイクが何を言っているのか分からなかった。ただ母が現実を疑っていたことだけを記憶している。


「どうせコレとコレを一個ずつ持って、合わせたら何個って言うつもりだろ? なめんじゃねぇよ」

「お父さん! うちの子は天才よっ! ちょっとお父さん!」


 勉強するつもりはないジェイクは計算に無関心。それからは母と二人で勉強し、ジェイクは石や木の身を集めることにのみ熱心だった。

 このときは母を独り占めできるので、不服はなかった。


「おらぁ! オラァ!」


 自分が九歳になる頃には、父の友人に憧れて武術の練習を始めていた。マナ・アーツを実際に目にすると、逞しさも相まって憧れずにはいられなかった。

 木の枝を振り、武芸者に教えてもらった型を繰り返して続ける。


「男の子だねぇ」

「おるぁ!」


 七歳のジェイクは切り株に寝そべり、剣術の練習を眺めていた。気怠(けだる)げにキュウリやパプリカを(かじ)りながら。山羊みたいだ。


「兄ちゃんは騎士になりたいのか?」

「……なれないだろ。そのくらい分かる」

「なりたいかどうかを聞いたんだ」

「そりゃなりたいだろ。なりたくない武芸者なんているかよ」

「あっそ。いると思うけどあっそ。なら教えてやろうかな」


 キュウリの端を投げ捨て、ジェイクが立ち上がる。小柄な体と大きな態度でやって来る。

 このとき取り巻く環境が、王の如く歩むジェイクを彩るようだった。通り抜ける風も背後の森も、青空も軽やかな鳥の(さえず)りも。ジェイクを引き立てるもののように思えてならなかった。


「教えるってお前……」

「理論は分かってる。俺の言う通りにすれば一か月で父ちゃんの友達超えを約束してやるよ」


 できる筈はない。こいつは馬鹿なのか。


「武芸者からなんか教わった?」

「剣の型と神足通ってのと、天眼通ってやつ……だな」

「忘れろ。なにもかも。田舎の胡散臭い流派なんざ」


 だがここにいるのはジェイクだ。まだ信じ難いながら、おそらくは何かを確信している。ジェイクの異才を一番理解しているのは兄の自分なのだから間違いない。


「こうかっ!」

「ん? ……違う。まだ普通の神足通だな」


 三本の線を引いて素早く(また)いで跳ぶ。何度も何度も行ったり来たり。反復横跳びというらしい。


「だから言ってるだろ? 速度が明らかに変わる。これで色々試してたら自分で分かるから」

「くそ! 本当に変わるのかよ!」

「俺が手本を見せたいんだけどな。鍛えるのは面倒だから自分で感覚を掴んでくれ」


 ジェイクは助言をするのみだった。虫と虫を切り株で闘わせながら、神足通の合否を判定するだけ。


「そろそろまたコツでも教えてやろうか」

「あるなら初めから言えよ……」

「鍛錬や習得は決してこんなにお手軽なものじゃない。ここで試行錯誤する知恵を付けておかないと伸びないぞ……伸びるかも。でも兄ちゃんが苦しむ姿が面白いから苦労しな」


 難しいことを言われる。このときは理解ができなかった。

 だがジェイクの言う通りにした方がよくて、この汗を流した時間は必要なのだろうと、朧げに呑み込んだのを記憶している。


「樹に背中をつけて腰を落としていってみな?」

「……こうか?」

「そうそう。膝が直角に曲がったら止まる」


 厳しい体勢だ。早くも太腿に疲労感が生まれる。


「……」

「……脚が焼けるように熱くなってきたら言って。それまではお互いの時間を大切にしよう。いつも一緒にいる必要はない。寝室も別にしよう。他に部屋を借りる事にした……って感じで別れる夫婦っていそうだよね。じゃあな」

「いやっ、もう無理かも……!」

「あ、そう」


 去ろうとした足を止めて振り返り、ジェイクは痛みを伴う太腿を指差して独自の理論を展開する。


「その熱くなってるところは全部筋肉だ。そこにマナを通す。でもイメージは大量に水を吸う布に、マナという液体を染み込ませていく感じ。ただ通すだけじゃダメ。本当は細胞だのを説明したいけど、理解してもらえないって知ってるからこれでいこう」


 一部理解不能ではあったが、熱くなっている箇所にマナを水のように染み込ませるらしい。


「……っ! おおお……!」


 マナの量は地元ではある方だと自負している。父の友人達からも、同年代に比べて段違いに多いと言われた。ならばジェイクの言う『新式の神足通』を習得できたなら、騎士になれるかもしれない。

 想像するのは(おけ)の水。浸した服が水を吸い上げる様を思い浮かべ、想像しながらマナを焼ける太腿へ。


「……うおっ――!?」

「はい、できたな。まだまだだけど一般の神足通からは抜け出したな」


 身体が羽のように軽くなる。今ならこれまでの倍は速く走れるような気さえしている。

 ジェイクの理論は本当だった。


 全身に通そうものなら、負ける気がしない。誰が相手であっても、一発でも当たれば勝てるのではと思うほどだった。この瞬間の感覚から、後にパワー特化型になっていったのだろう。

 この頃はまだ……ジェイクは特別に賢いだけなのだろうと思っていた。だがそれは間違いだと確信する出来事が起きる。

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