3話、人類王、死にかける
力無く眠るリュートを抱いたパーズが、駆け込むように自宅前へ飛び込んだ。
河原方面を振り返る勇気すら持てず、情けなく顔を歪めながら転がり込む。
「母さんっ、リュートを頼む!」
「リュートっ! リュートぉぉ!」
家に戻ると緊急時に騎士や武芸者を呼ぶ狼煙を見て、近場に住む顔見知りの腕利き達が家の中に集まっていた。
「パーズ! 良かった、リュートは無事か……!」
「ああ、しかしすまんが付いて来てくれ。まだジェイクがボスゴブリンの囮をしているんだ」
「何っ!? お、お前っ、ジェイクを置いて来たのかッ!」
怒りを滲ませる幼馴染に、返す言葉は当然に無い。
人の親として言いたいことはよく分かる。未だ小柄なジェイクを残すべきではなかった。
「言い分も説教も後で聞く。今はすぐに付いて来てくれっ」
「……分かった。早く案内しろ」
武芸者二人に木こりが三人。今度は装備も万全だ。
いかにボスゴブリンと言えども、全員でかかれば恐るるに足らず。弓に槍に斧にと、警戒しながらも物音など気にせず疾走していく。
「ジェイク……!」
あまりに頼りになるが故に、置いて来てしまったことを後悔していた。感情に任せて怒鳴り付けてしまったことも。
親として未熟だと思い知り、鬱な思いを抱えつつも、もうすぐ先ほどジェイクと別れた河原に出る頃合いだ。
だが、そこは道すがらに通り抜ける筈であった。本人から『逃げる』と聞いていたのだから。
「っ……! ジェイクっ!」
全てが倒れ伏していた。ジェイクも、ゴブリンも、ボスゴブリンも。何が起きたのか、合戦後のような凄惨な光景となっている。
誰もが血に塗れ、痛ましい傷を抱え、生気を失った果てた姿で転がっている。
しかしそれよりも安否を確かめようと、慌ててジェイクの元へ駆け寄った。
「ジェイクが、一人でボスゴブリンを……?」
「……傷口は全て斧とダガーだ。本当に倒してしまったらしい……」
「凄いじゃないか……しかし、あの怠け者がどうやって……」
背後では仲間達がジェイクの所業に驚愕し、信じられないと談義している。
「おいっ、何だっていいから運ぶのを手伝ってくれ!」
「あ、あぁ……」
息はある。まだ死んではいないが、出血している頭の傷の具合が分からない。急いで医者に診せなければならなかった。
「パーズ、俺は先に戻って医者を呼ぶ」
「助かるっ」
ジェイクが英雄だろうが怪物だろうがどうでもいい。またふざけて笑ってくれるのなら、それだけでいい。
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「――にいちゃぁぁっ! しなないでぇぇ!」
俺の枕元で三歳児が暴れ回っている。咆哮している。ミイラさながらに包帯を巻かれ、朝も早くからこの有り様だ。
「……リュート、兄ちゃんを静かに休ませちゃくれまいか。毎日毎日ご苦労だけども、もう激闘から二週間だ。お前さんの大声で頭の具合が悪いくらいだよ」
「にいちゃぁぁっ!!」
「オッケ、少し寝るわ」
喚くリュートを置いて目を閉じる。
「にいちゃっ!? ……しんだぁぁーっ!!」
「死んでねぇよ」
傷跡もほとんど無くなったので、落ち着いて今後についての思考に励む。
まず弱過ぎる。やはり弱過ぎる。漫然と過ごしてきたとは言え、日常生活でも死のリスクがあるようだ。
「……鍛えなければ」
何をするにしても鍛え直さなければならない。
そして前世にて【悪霊の炎】で傀儡としたアレ等を優先的に回収するべきだろう。
「……殺人鬼共……」
奴から譲り受けた、俺の知る限り最凶の能力である【悪霊の炎】。この炎で創り出した使い勝手のいい傀儡達だ。
人類王として傀儡とした中でも凶悪極まる殺人鬼達で、だからこそ各々異なる物や場所に隠しおいた。ほとんどは燃やし尽くしたが、業深き者に関しては罰として残しておいたのだが、こんな形で回収することになるとは。
俺の裁量で燃え尽きる時期は様々で、悪質であればあるほど刑期は長い。そういった奴等は漏れなく強力なので、問題なく回収できたなら兵力としては十分。
あれ等があれば獲得した悪霊の能力次第で、俺単独でも国家を相手にできる。問題はそれを隠した場所だ。一つは隣国のカィニー騎士国にある筈なのだが、入国はできても目的の場所に入るだけで苦労しそうだ。何か考えなければ。
「日常生活に仕事をしながらだから、かなり後回しになるけどやるか……」
完治後の朝、ベッドから起き上がって現実を語る。当たり前だが、俺にはジェイク・レインとしての日常がある。
酪農家の朝は早い。早過ぎて癇癪を起こしてしまいそう。大抵の人は朝日が登って「はい、おはよう」だろう。それを朝と認識していることと思う。
「ふわぁぁ……」
朝日なんて登っていない。真っ暗。
「ザーマ様、今日も頼んます」
リビングに設られた神棚の木彫り人形“ザーマ様”へお祈りしてから、俺の一日は始まる。
ザーマ族は各々自分で木を彫り、自身の分身たるザーマ人形を作る。自身に降り掛かる厄災を肩代わりしてくれるらしい。俺が頭を割られた際には、こいつはピンピンしていたが。
「晴れそうだな……」
毎日の日課をこなすお陰で、随分と夜目が利くようになったものだ。木造二階建ての我が家から出て、少し離れた場所に隣接する牛舎へ向かう。
「お〜っす、元気かぁ?」
まずは牛達の確認。盗人、魔物、獣の被害に遭っていないか、病気や体調不良になっていないかの確認をする。
父もやっているだろうが、俺もやる。こんな小さなところにも人間不信の後遺症が残っている。
「加藤も白鳥も岡村も佐藤もゴンザレスも木下も中村も……中村? ……中村ぁぁーっ!」
「ど、どうした!? 何があった、ジェイク!」
「中村がおらんぜよっ!」
どこかで作業をしていた父が慌てて駆けて来て、乳牛舎の扉から顔を出した。
「あ、ああ……ナカムラなら子を産みそうだから移動させてある。というかもう変な名前を付けるのは止めなさい……」
「あ、そなの」
どうりで来ている筈の他の従業員がいないわけだ。
搾乳は終わっているようだから、後の清掃や餌やりを終わらせよう。かつて戦場を駆け回っていた時の若い自分を取り戻すべく、張り切って作業する。
「はいはいはいはいはいっ!」
都会っ子の俺は前前世に置いて来た。もうすっかり異世界っ子。さっさと諸々の課題を解決して、ほのぼのスローライフを送りたいものだ。
糞や食べカスを取り除き、倉庫にある牧草を与えていく。
「ふぃぃ、やっと終わったぜ……」
一時間以上かかったが、やっと終わった。従業員として雇っている未亡人メアリーさんも手伝ってくれたので、予定よりも早く朝食にありつける。
「……母ちゃん、飯」
「にいちゃ!」
着替えを終えて、水場で頭や手だけをサッと洗い、家の中へ。抱き着くリュートを抱き上げて食卓に着く。
「はいはい、今日は――」
「どうせ蒸したジャガイモとシチューだろ? それ以外が出てきた試しがねぇもん。それ以外あるなら言ってみな。言えるもんならな」
「ハムもあるわ。クリスから送られて来たのよ。あんたとリュートに食べさせてってね。ハムと一緒に卵を焼いたわ」
「うちに、朝からハムがある、だと……?」
この地方の朝食は質素であるのが一般的だ。その代わりに朝昼晩の三食に分けて食事する。我が家も例に漏れず三食。だが夜に少しいいものを食べる為、朝は一般家庭よりも量が多くとも、単調な食事が主であった。
「ありがてえ。余すことなく我が血肉となれ」
「今度の長期帰省の時にでもお礼を言いなさいよ」
「こんな牛しかいないとこに帰って来んの? モウモウモウモウ朝から五月蝿えのに……」
「こら、ちゃんとお祈りしなさい」
「……人類王様のお恵みに感謝します」
最低限度で己への食前の祈りを終え、セロリやニンジンの入ったシチューと、バターやチーズと黒胡椒でジャガイモを黙々と食べる。
「あそぼっ、あそぼっ」
身体を揺り動かす弟に急かされながら、兄クリスの存在に考えを巡らせる。
現在は隣の国にあるオーフェン武練騎士学校で、武術や教養を学ぶレイン家の長男だ。
「……試してみるか」
思い立ったが吉日。これはまさにそう。
午後、本日前半の仕事を終えて、リビングで茶をしばく父にお願いしてみた。
「父ちゃん、兄ちゃんとこに遊びに行って来ていい?」
「……オーフェン騎士学校に? き、興味があるのか……?」
「あるわけねぇだろ。他人の為に体張るなんて馬鹿じゃねぇの? 興味も金もねぇよ」
学費に怯える父へ旅費くらいはくれないかなという願いを込めての相談だ。父は怪我が治ったばかりなので渋りながらも、何かに積極性を見せる俺を好ましく思った母から後押しもあって快諾。旅が決まる。
後から思えばこの旅から帰るまでに、三人もの現代の殺人鬼と対峙する事になるなど、誰が想像できただろうか。