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27話、《ノアの方舟》

 エルラ・トリラ大図書館。世界の知識が集まる場所であり、各国から何処の国家にも属さない事を認められた独立自治区だ。『知』、『人』、『歴』なる三つの塔があり、敷地内へは厳重な審査を通らなければ足を踏み入れることはできない。


 仮に侵入できたとしても、ここには《ノアの方舟(ノアズアーク)》の一人が常駐している。愚か者は即座に裁きを受けることだろう。


「モトイ様、少々よろしいでしょうか」

「はい、もちろん。何か助けが必要ですか?」


 人の塔にて読書に(ふけ)っていた老人に、司書が最大限の敬意を胸に声をかけた。

 モトイと呼ばれた白髪白髭の老人はベージュの衣を身に付け、特別に用意されたテーブルへ本を置き、糸目を司書へと向けた。


「王国と共和国の戦により、例の魔物が暴れ出しました」

「……こればかりは根気良く努めなければなりません。くれぐれも無理をしないように。急いで向かいます」

「モトイ様に頼り切りで、誠に申し訳ございませんっ……」


 筒状の吹き抜けの空間には壁伝いに天まで登る棚があり、隙間なく本で埋め尽くされ、無限とも思える書物が集められている。

 日々増える書物を扱い、モトイは多忙な毎日を送る司書を(おもんばか)る。柔らかな手付きで肩を叩き、労いを述べた。


「役目なのです。私は偶々(たまたま)ユーガ様から教えを授かったので、現場を受け持つ。あなたは蔵書の管理を担う。互いにお役目を果たしているだけで、上下などありません」

「モトイ様っ、《ノアの方舟(ノアズアーク)》ともあろう御方と私が同格であるはずがありませんっ! おやめください!」


 恐縮極まり、厳粛な大図書館にて声を荒らげる司書だったが、直後に気付いて自らの口を手で塞ぐ。

 モトイは変わらない微笑みでそれを目にし、茶目っ気で口元に人差し指を当て、仕草のみで咎めてから現場へと向かった。


 目的は伝説の魔物として名を馳せる個体。生物として貴重で、学術的観点からも保護が望まれる一体である。


「目だけは絶対に見るな! 取り囲んでモトイ様を待つんだ!」


 その魔物が現れたのは、大図書館から北へ行ったところにあるマゴダ遺跡。大戦時にモトイの部下として活躍した部隊がその魔物を囲み、人間の騒ぎに(いきどお)る魔物を外に出さないよう努めていた。


「くっ、我等だけでは抑えるのが精々か!」

「……本来の私達は衛生兵だからな。しかも相手がこいつだ」


 バジリスクだ。蛇の王とも呼ばれており、石化の魔眼と巨大な身体は生物として強者を約束された証。森林に囲まれ、地下に蟻の巣のように伸びる石造りの遺跡から、地上で煩わしく(うごめ)く人間に苛立って出て来てしまった。


「……みんな! もっと離れて!」


 部隊員の一人が異変を敏感に察知して注意を叫ぶ。鼻腔に届いた微かな異臭から、危険を悟っていた。


「毒だと……?」

「バジリスクは石化の魔眼だけではなかったのか!?」


 バジリスクの吐息からは、猛毒の毒気が放たれていた。変わらない毎日であっても、その王は進化していたのだ。

 通常、身体を大きくする蛇は獲物を丸呑みにするため、毒を必要とせず、対して小さな個体は毒を用いて餌を仕留めるようになる。

 だがバジリスクは自然と更なる武器を得てしまう。


「おそらく、麻痺毒だ……」

「伝説というだけはある。何をせずとも新たな成長を果たすとは」


 尾っぽを振り下ろせば岩は砕け、目を合わせれば有無を言わさず石化し、更に毒まで吐く。鎧の役割を担う鱗に加えて、食い付く速度も瞬く間だ。


 戦闘部隊ではないモトイ隊では、手が付けられない化け物だった。


「皆さん、お待たせしました」

「モトイ様っ!」


 神足通を用いて降り立ったモトイに、隊員達は肩の力を抜いた。


「わざわざご足労いただき、申す言葉もありません!」

「何を仰る。この為に控えている老骨です。存分にコキ使ってください」


 バジリスクへと歩みを止めずに畏まる隊員達の心労を思い遣り、すぐに深緑色のマナを両手に灯す。


「何度も何度も、我慢強く辛抱させて申し訳ない。あなたは静かに暮らしたいだけだというのに……」


 マナをバジリスクへと送り込む。敵意を宿した縦に割れる瞳と目を合わせ、体内のマナ循環にて抵抗して石化することなくマナ・アーツを使用する。


「……流石はモトイ様。これでもう安心だ」

「凄い……やはり《ノアの方舟(ノアズアーク)》の方々は引退しても《ノアの方舟(ノアズアーク)》なのよね」

「だな。分かっていた事ではあるが、他の方々と違って強大な力の扱いも間違えないしな……」


 掠れる威嚇音を立てていたバジリスクはモトイのマナを受け、彼を見下ろす蛇の眼から憤りの色が薄まっていく。落ち着きを取り戻したバジリスクは元の温厚な気質を見せ、毒息もすぐに霧散して失せていった。

 隊員の一人が戦争を行う他の《金羊の船団(アルゴノート)》、《ノアの方舟(ノアズアーク)》を暗に揶揄(やゆ)する頃合いには、バジリスクには一切の害意が残されていなかった。


「王であるあなたがいくら我慢強くとも、また限界を迎える事でしょう。その度に私が何度でもその心を癒します。どうか人間を許してあげてください」


 いつものようにモトイの言葉を受け取ると、バジリスクは何十メートルもあろう長い胴体を唸らせる。


「……」


 しかし……モトイが右の細目を軽く開く。どうしたことか、遺跡へ戻ろうとしていたバジリスクが止まってしまったのだ。


「……どうしたというのだ」

「様子がおかしい。また暴れるでもなく、完全に硬直している」


 意思による停止ではなくて、バジリスクにとっても不慮の何かがあるように見受けられる。不審に思う隊員達がモトイに声をかけようとした時、その声が聞こえて来た。


「これがモトイか、大した人間には見えないけどね」


 遺跡を向くバジリスクの胴に降りた少年。身なりは貴族のように質が良く、不健康にも思える肌の白さをしている。

 外見だけの特徴から、その正体に行き着いたのはモトイのみだった。


「……吸血鬼の方が、私に何の用でしょう」

「吸血鬼っ!?」


 バジリスクと同じく伝説に謳われる強大な種族である吸血鬼が、このような森の中に現れた。偶然ではないだろう。吸血鬼はその強さの代償なのか個体数は少なく、滅多に人間の前へ姿を見せる事はない。


「耳障りな声を上げるな、人間」

「っ……」


 そもそも人間を同格とすらせず、餌としか見ていない。寒気のする冷酷な視線で一瞥(いちべつ)され、生物として別格の風格に息を呑む。

 少年の姿ではあるが、間違いなく自分達よりも遥かに長い時を生きているのだろう。宿り、備わる何もかもが、人を上回っているのだと視線ひとつで分かる。


「彼等ではなく、私と話しましょう。用があるのは私なのでしょう?」


 モトイでさえも汗を滲ませ、個体として人間の遥か上を行く吸血鬼に覚悟して臨む。いや、破格を体現する吸血鬼の《金羊の船団(アルゴノート)》を知るモトイだからこそなのかもしれない。


「ああ、話が早くて助かる。我等が王がお前を迎えたいらしい。僕には理解ができないけど、言われたなら従うしかないからね」

「以前からお断りしている筈ですが……」

「駄目だ、僕が来たからには連れて行く」


 この者が吸血鬼の王から褒められるだろう事を期待しているのは、モトイのみならずその場の隊員達も察することができた。


「うだうだやるつもりはないから、早く行くよ」

「残念ながら私はどこの勢力にも加わる事はありません。そうお伝えください」

「うぅ〜ん……あまり聞き分けがないと、説得の方法も変わってきちゃうよ?」


 モトイが何を嫌がるのか、人間の生態を知っている吸血鬼ならば簡単にその方法へと思い至る。


「他の人間を殺す。頷くまでな」

「それはっ、それはおやめください! 彼等はただこの交渉の場に居合わせただけのこと!」

「だったら来い。早く帰りたいんだ」


 吸血鬼はバジリスクを打つ足先で苛立ちを感じさせながら、焦るモトイを睨み下ろす。


「……できません。それだけはユーガ様のご意志に反する」

「ふぅん……」


 話に聞いていた以上だったのだろう。頑なに固辞するモトイに、吸血鬼は意外そうな声色を上げた。


「もしかして、僕が本当に殺さないと思ってるの?」

「っ……そうは思っておりません」

「そうだね、試しに一人、殺してみせようか」


 言葉とは裏腹に、吸血鬼には殺意はない。だがモトイは吸血鬼が人間を殺す際に殺意を持たない事を知っている。食事に殺気を放つ人間がいないように、吸血鬼が人間を殺すのはいわば調理。


「いや、これの血にも興味がある。こいつにしておこう」


 人間のみならず、彼等にとって他の生物とは食料である。


「お、お待ちください! そのバジリスクは何の関係もないっ!」

「僕がこいつの血を飲む間に心を決めるんだ」

「無関係な者に手をかければ、私はより頑なになるでしょう! 思慮深くお願いします! でなければ――」


 吸血鬼はモトイの話に取り合わず、伸ばした爪をバジリスクの首へと振った。


「――私はあなたを殺さなければならなくなる」


 神話の一人(モトイ)が、その片鱗を覗かせる。


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