23話、スピード違反
「どういう意味だ……!」
「うん?」
巨体でジェイクを見下ろし、威圧感を与えながら尋問する店主。その肉体は若干の贅肉があれども、容易に怪力を予想させるもので、雄牛も彼にかかれば軽々と投げ飛ばされるであろう。
「……っ」
事実として同年代ではトップクラスのカティアなどは、店主の放つ圧によって沈黙させられていた。差し障りのない言葉を挟み、お茶を濁すことも許されない。固唾を飲んで見守るのみだった。
「……どういう意味で使いもんにならねぇって言ったんだって聞いてんだ」
「腕毛濃いね、ぶちっ」
「イテぇ!?」
手を伸ばしたかと思えばジェイクは、なんと強面な店主の前腕に生えた毛を毟り取った。
「まあまあ、そんな怒らんと。冷静になろうや」
「お前がだ! 抜くなっ、抜くなぁーっ!」
初対面である巨漢の腕毛をブチブチと毟り取るジェイクに、早々と危うさを確信した店主は怯え始める。
「はぁっ、はぁっ……!」
「……だって上の斧は職人の手間やら装飾で値段が上がってんだろ? 斧に斬れ味やおめかしなんて求めてねぇよ。出来が良けりゃ、この下のだって――」
「そんなのもうどうでもいいっ! 帰れぇーっ!」
所々の毛を失って水玉模様の腕を隠しながら、店主は怒声を浴びせる。真っ当な怒声を浴びせかける。
「いいの? 俺、バッハさんの紹介で来てるけど」
「知らんっ! 儂は誰にも媚びんっ! と言うかお前みたいな一から十までイカれたガキに刃物なんて売れるかぁ!」
「でもぉ……今日売ってくれないと、また明日来て毟るよ?」
「……!?」
店主は真正面から脅迫するジェイクに驚愕する。本当に衛兵を呼ぼうかと思案する。
「毟られたくなけりゃあ黙って売れってことだ」
「……分かった。もう衛兵を呼ぶ」
「勝手にしなさい。だけど果たして、衛兵君達はウィンター家の兄弟から推薦されてやって来た俺を、連れて行けるかな?」
「……」
伯爵位を持つバッハ・ウィンター、更に領主代行のモルツ・ミューズ。チラリと横目をやれば見覚えのある令嬢がいる。
現実と受け止められない自分がいるが、世も末な事にどうやら真実であると伺える。
「どっちだと思う? 連れて行かれるのは俺とお前、どっちだと思う?」
「儂が連れて行かれるパターンがあるのかっ!? あるわけがないだろうが! 日々懸命に生きている儂がっ!」
「虫だってテメェ以上に懸命に生きてるけど、鼻垂れのガキに連れて行かれるだろ? 世の中なんてそんなもんだ」
驚きに声を上げる店主ガマツへ背を向け、相手にできないとしたジェイクは斧を改めて選び始めるのだった。
「どんなのにしようかなぁ……」
「……用途は」
「はい? 接客するつもりになったの? 俺が勝ったの?」
「帰って欲しいのっ!!」
キョトンとして訊ねるジェイクを怒鳴り付け、ガマツは適当な斧を手にして告げる。
「ほらよ、もうこれでいいだろう。頑丈な上にお前みたいな小僧でも扱える大きさ。成長すればより軽々と振れる」
「……うわっ! これ毛が付いてんじゃん! これは流石に値下げしろよな!」
「テメェが毟った毛だろうがぁぁぁ!!」
怒り狂うガマツを置いて、ジェイクは勧められた斧を手にする。
鋼の刃は片刃、大きさは長めでデザインも無骨と言われないくらいには工夫されている。持ち手も滑らかで握り易く、ここでも剣を受けられるであろう強度を感じる。
「……へぇ、なかなかいいじゃん。これって木の伐採にも使える?」
「使えん事もないが、手入れは必要になるだろうな」
「よし、ならこれにする。金は勘弁してやるよ」
「黙って払えっ! 馬鹿がぁ! この大馬鹿がぁ!」
先を行くジェイクの襟を掴み上げ、ガマツがズカズカと音を立ててカティアの元へ。
「……金」
「あ、はい、わかりました……」
慌てて財布を取り出して代金を支払う。お釣りが発生したところで、ガマツは店内の奥にある金庫へ向かった。
ジェイクは斧を腰のベルトにに差してから、その背中を追って先程の一件に関して訊ねた。
「なあ、ここの街って前から治安悪いの?」
「……」
先程の一幕はやはり気掛かりだった。都市に店を構える住民ならば、より自然な情報が期待できるだろう。
ジェイクから問われたガマツは、やや困惑気味に答えた。
「……いいや、そんな事はない。ここ最近の話だ。お前達も今は街を歩かない方がいい。特に若者が集まる薄暗い場所はな」
「原因は? それが分かってんなら、今から戻ってミューズ家に伝えておくぞ?」
「はぁ……それが困ったことに、さっぱりだ。本当に一気に不穏な奴等が増えちまって、モルツ様にもここ数日の間に耳に届いたってわけだ」
「ふぅん、なら調べてみっか」
話題に反して軽い調子で答えるジェイクに、眉根が寄るのは大人ならば当然だろう。ガマツは釣りをカティアへ渡して、無愛想な細目でジェイクを見下ろした。
「まさか関わろうって考えは持ってないだろうな」
「そんな訳ないよ。ちょっと諸悪の根源を見に行くだけ」
「それが関わるってことだ、馬鹿もんがっ!」
叱咤を飛ばしたガマツに襟首を掴まれ、ズカズカと店外へ歩むままにジェイクは宙に揺られる。
店内から停車していた馬車まで移動し、慌てた御者が開いた馬車内へと放り込んだ。
「……このまま何処にも寄らずに帰れ。危ない事に首を突っ込むなよ」
「じゃあな、また来てやるよ」
「もう来るなっ!」
車内から手を振るジェイクに再び怒鳴り付け、顰めた顔を翻してカティアへと言い含める。
「お邪魔してすみませんでした」
「お前さんは何も悪くない。ただ……帰るまではあの小僧から目を離さずにいる事だ」
「分かりました、失礼します」
ガマツの威圧感に耐えかね、カティアは深々とお辞儀してすぐに馬車へ。
御者と数度だけ言葉を交わしたガマツは後腐れなく店内へ向かい、馬車はゆるりと走り出す。
「……くぁぁ」
「……」
窓際に頬杖を突いて欠伸をするジェイクを、カティアは腑に落ちない様子で見る。
「まさか本当に事件の捜査をするおつもりですか?」
「……あれだ。まずはモルツさんに報告して、情報がもらえるならもらって、それからまた考えればいい」
「そうですか……」
「任せておけ、手を出すなって言われたらそれまでだ。俺等がウロチョロして脚を引っ張るより、大人が解決できるならそれに越したことはない」
率先して行動するのではと思われたジェイクだったが、予想に反して非常に合理的な返答を見せる。好奇心から何にでも首を突っ込む性分ではないらしい。
♤
正午のミューズ邸は昼食時にも関わらず、衛兵や騎士が広場に集まり、険しい顔付きをするモルツへと次々に報告していた。
馬車で帰還した俺に気が付いたモルツは、軽く手を挙げて出迎えるが、部下との会話をしながらだった。やはり街の問題は深刻化しているらしい。手が足りないか、もしくは事件の調査が難航しているのだろう。
下車した俺もまた手を挙げて応えるか、小石を投げ付けるかの二択になる訳だが、今回は手を挙げて応える方を選んだ。
「……」
「こんにちはっす」
モルツの元へ歩み寄る際に一人の老人と目が合うも……強い。流石にモルツ程ではないが、それでも多くの戦場を経験していると分かる。
モルツ等の集団から距離を置いた木陰の椅子に腰掛ける老人から会釈され、挨拶を返した。紳士ハットの縁に手を添え、仕草からして優雅なものであっただけに、ただの客人ではなさそうだ。身なりも紳士的と言えば良いのか、シックな茶色いスーツ姿だ。
あとは……おそらく彼は目が見えていない。
「戻ったか、ジェイク。遅れるから先に飯を食っていてもいいぞ。父上も母上も中だ」
「何で若者が学校行ってないのか分かった?」
「……な、なぜそれを知っている」
「いいのいいの、驚かなくて。俺が凄いってだけだから」
歩み寄った俺の声かけに騒めきが生まれ、騎士達が道を開けたところを悠然と行く。
「そ、そうか……まあ、問いに対しての答えは肯定だ。その原因は判明した」
「聞かせてもらえるもの?」
「……構わないだろう」
モルツが隣の男へ手を差し出すと、騎士はすかさずある物を置いた。巻きタバコのような長細い代物だ。
「何これ」
「これは“スピード”と呼ばれる薬物だ」
煙草にしか見えないそれは、ドーピング作用のある薬物であった。
「最近になってこれが出回っているらしい。大元は不明だが、悪しき大人が学生を中心に売り捌いて荒稼ぎしているようだ」
「これ吸ったらどうなんの? 吸ってみてくれない?」
「俺で実験しようとするな!」
小洒落た冗談を挟み、スピードという薬物を手に取る。
「……原料もまだ分からないが、どうやらマナ強度が一時的に上昇するらしい。学生達は規律や厳しい訓練よりも、学費をスピードに当てて楽をする道を選んでいるわけだな」
「未熟なガキを狙って、まぁ狡賢いこと」
「無論、副作用がある。依存性が高く、脳への負担も大きい。加えて接種中や接種後に限らず、次第に理性が保たれなくなる」
わぁお、やはりゾンビになるわけだ。カティアには大人に任せるべきと言ったが、俺は大人なのでガキの為に一肌脱ごうと思う。
「……うん? なんだっけ、なんか似たような葉っぱがあったような」
「まさか心当たりがあるのか? 薬剤師などに相談しているが、なかなか見つからないくらいなのだぞ……」
「ど……ド……ドニ……」
指で頭を叩いて懸命に記憶を辿る俺に、誰もが固唾を飲んで見守っている。
「……ドレミファソラシド?」
「うん、やる気なくなった。もういいや」
モルツが機嫌を悪くしたことにより、思考は停止した。
そのうち思い出す事もある。語感は喉元まで出かけているので、また夜にでも記憶を探っておこう。
「分かった時は報告してくれ。まだ背後に何があるか分からん。未知の薬物という事もあって、闇組織が関わっている場合も有り得る。ジェイク、動くなよ?」
「分かった。でもちょっとならいいでしょ?」
「動くなと言ってるんだよっ!」
スピードをモルツへ放り投げ、領主への接し方に驚愕する騎士達の中を縫うように抜けていく。
「面白い方ですな」
「ガスコイン……どこが面白い。いや面白い小僧ではあるが、自ら危うきに近寄ろうとしているのだぞ」
ガスコインと呼ばれた先程の紳士が立ち上がった。朗らかな笑みを浮かべて歩んで来る。
目が見えていないとは思えない確かな足取りで、一歩ずつ。手にあるステッキも腕にかけたままモルツへ向かう。
「ではどうでしょう。こちらの方には私が同行するというのは」
「ガスコインが? 確かにそうしたならばジェイクの身に危害が及ぶ事はないだろうが……」
「お任せください。モルツ様のご要望に添うことでしょう」
ウィリアム・ガスコイン。後に本人から聞いたところ、この紳士は天耳通に秀でた武芸者で、特別講師として騎士学校で教鞭を執っているのだという。
武術の腕前も現役騎士達を大きく上回り、度々モルツの願いから手合わせの相手なども務めているようだ。あのモルツと組み手をする化け物だということになる。
普段ならば男を連れて歩くなど笑止千万なわけだが、この日は例外で、俺もまた同様にこの男へ興味が湧いていた。




