21話、バッハの弟
早朝のウィンター家は騒がしく、正門前に停まっている馬車を見送る者で溢れていた。
朝食後に一休みも置かず、ただの平民を見送る為に集まっている。
「――お世話になりました」
バッハ夫妻やクーガー等を前に、別れの挨拶をくれてやる。格段の温情である。
我が家よりも気を遣わずに過ごした屋敷を、とうとう去る事に。懐かしくあった贅沢にも慣れて、いよいよ滞在する理由付けに苦しくなったので酪農家暮らしに戻ろうと思う。
「またいつでも戻って来るといい。予めの報せも不要だ。我が家と思って訪ねなさい」
「ありがとうございます。まっ、兄ちゃんの様子を見にまた来るのもいいですよね。テロリスト如きに負けちゃうんだから、まったくもう」
「……本当にあの事件には関わっていないのだな?」
何故か、しつこく繰り返されるこの質問。訝しげなバッハから、真意を見定めようという意思を感じる眼差しを送られる。
無礼者め、眼球をくり抜くぞ。
「危なそうなんで普通に逃げましたってば。いい女をナンパしたんで、そいつと一緒に遊んでました」
「……そうか」
デカい図体で俺を見下ろしていたバッハが、人類王から情報が取れるとでも思っているのかバカタレがと、俺に心中で毒吐かれながら引き下がった。
「さてさて、昼寝も混ぜ込みながら帰るぜ……じゃ!」
馬車に乗って寝床を整え、寝転がりながら扉を閉めてしまう。
なんと帰りはバッハの奢りで、この執事見習いの御者と馬車での旅。何の不自由もする事なく、武器……と悪霊の情報を求めながら、南の町経由でホクホクと帰る。
「……」
「……」
……なんかカティアとかいう娘っ子が、扉を開けて入って来たんだけど。洒落た洋服と旅行鞄を見る限り、やはり同行するつもりのようだ。
「案内役だ。仲良くしてやってくれ」
バッハも俺とカティアをくっ付ける気が満々。世話をしたという理由で格上を瞬殺せしめる殺人鬼になっている事など、予想すらしていない。
「はい、仲良くさせてもらいます」
「てめぇが言うんじゃねぇよ」
妙な同行者を連れる事になったが、バッハ弟のところへまた旅に出る。どんな奴なのやら。
「ではさよならぁ」
今度こそ扉を閉める。
嫉妬天狗シズカに見られる前に、カティアも返却しなければ。あいつに反抗できるとしたらオードーンを取り戻すか、鍛えに鍛えた肉体と以前の感覚を取り戻すかしかない。
つまり、今のところ目処が立たないくらい不可能。今の人類王は、学生を脅して悦に浸る小物テロリストを殺せる程度の弱々人類王なのだ。
だが鍛えると決めたからには、以前以上の実力を身に付けてみせる。志は高くあれ。
「膝枕させてください」
「結構です。あれって寝にくいんだよ」
仏頂面になったカティアへウィンクをくれてやり、昼寝を決め込む。良い馬車なので揺れも少なく、張り切って朝稽古に励んだ疲れを、気持ちばかりの仮眠で癒す。
「……メイドとのスキンシップが足りないのではありませんか?」
「朝稽古も見てやってるだろうが。付きっきりだろうが……お前の母ちゃんを狙ってたのに」
「急成長させていただき、感謝しています。これならば本当に兄にも勝てるでしょう。だからこそ御奉仕は義務。何かご要望をください」
「って言ったってねぇ……」
横になった俺を見下ろすカティアを見る。
あまり感情を表に出さないカティアだが、二人っきりになった事でソワソワしているように見える。屋敷ではクーガーも一緒にいたから、考えてみれば確かに二人だけのシチュエーションは少なかった。
「……お前さんがイチャつきたいだけだろ?」
「男の子としてもお慕いしています。私も学生なので、興味があるのは当然とも言えませんか?」
「青春真っ盛りか。でも俺は小っ恥ずかしくていけねぇや」
ストレスが殺人鬼の資質に悪影響を与えるかは不明だが、精神的に幸福であれば健全な方向に進むかもしれない。
しかし遠い遠い過去の話である俺は、青春などもう思い出せもしない。幼稚園でサッちゃんに恋したあの日は、もう記憶にすら朧げだ。
「……」
「……ん〜まっ」
期待感も露わに見つめてくるので、仕方なしに投げキッスをしてみた。昼寝前に心ばかりの愛を贈っておいた。
「……」
変わらずの真顔が、一瞬にして真っ赤っかになってしまう。これで満たされてくれるとは何とも安上がりなメイドである。
そんなこんなで夕方まで走り続け、やっと目的の街へ。
バッハの弟が領主を務める領地は、王都より南に行ったところにあり、名をモルゾワース領という。
かつてはシリウス帝国でも武家が多く点在していた地域でもあり、今はウィンター当主バッハの代理として弟のモルツが指揮を取っていた。
「来たか、ジェイク・レインとやら!」
到着したのはドーフォンという街。家族らしい人達を引き連れたデカいおっさんが、玄関前に停止した馬車から降りる俺へ大声を上げた。
この喧しい奴が、モルツ・ミューズだろう。あの堅物バッハの弟だ。
「……来ましたぁぁぁ!!」
「ぬおっ!?」
とりあえず嘗められないように大声を出しておいた。軒並み仰け反らせる声量をぶつけ、第一印象を悪くしてみた。
「……ナッハッハッハ! あの兄貴が気に入るとは何事が起きたのかと思えば、このような無礼者とは恐れ入った!」
「ダッハッハッハぁ!」
「ナッハッハッハぁ!」
何故か気を良くしているので、俺も一緒になって笑っておいた。
「しかぁぁぁしっ!!」
相撲の四股と同じく、下半身とマナを鍛える基礎的な動作【練歩】にて大地を踏み付け、屋敷を揺らし、傍迷惑にもついでにご近所も揺らし、口の端を持ち上げたモルツは俺へ言う。
「実力無き者を我が家へ通すわけにはいかん!」
「じゃあホテルを探さなきゃ」
「ぬぅ!?」
俺の大嫌いな試験システムの匂いを感じ取り、荷物を持って街へ歩む。後でバッハに怒られるといい。自分の好奇心を満たす為に、訳の分からない腕試しを試みたことを、後でバッハに怒られるがいい。
「背を向けて逃げるかっ、臆病者!」
「ええ? だって俺は別にあなたに鍛えてもらいに来た訳じゃないし……」
しかしモルツは身体から電雷のようなマナを漲らせ、大気を鎮めさせて告げる。カイワンなど比べ物にもならない。本物の大戦級戦士が発する【幽雷】だ。
モルツは明確にバッハの域にある。同格と言っていいだろう。
「武人が腕を試すのに理由など要らん! 常時備えよっ、武と共にあれ! 積み上げた修練を誇れっ、研鑽した時を想えっ! さすれば自然と拳は握られている!」
「そんなわけないやん」
「なにをぉぉ!?」
不可思議な人体反応を説くモルツに常識を教えてやり、リュックを御者に預ける。
すると無礼だなんだと騒ぎ始めるモルツのガキども。
「き、貴様ッ、父上にそのような口を効くとは何事かぁぁ!」
「すっこんでな、坊主」
「坊主!? なんだこの礼儀のなっていない子供は!」
鮮やかな自前の赤いマナを放ち、怒鳴り声を上げる青年に構わずモルツへ歩む。左手で右拳を包み込み、押し固めるように握り込みながら……。
「今から試すところなんだからよ……」
「ほう……試す、とな?」
「あんたがどの程度かを試すんだよ。俺が、あんたをだ」
騒めきが広がり、恐れを知らない不遜な物言いに騒然となる。
この点からも、バッハ同様にモルツの実力を疑う者はおらず、英雄視されているのが容易に察せられる。雑兵風情が笑えるじゃないか。
「騒ぐなぁぁぁ!」
改めてマナを激らせるモルツが一喝して雑音を収める。放った怒号はマナと重なり空気を痺れさせ、一度にして静寂を勝ち取った。
「これは、俺と小僧。男と男の力比べだ……」
馬鹿は嫌いじゃないらしい。ニヤリと笑って腰に手を置き、俺の拳を待ち受けている。
「来いっ! 大言に相応しき実力を以って、俺を唸らせてみせろッ!」
「はっ! 俺は大して期待してねぇよ!」
久しぶりに、あの技でも使ってやるか。俺が初めて自作した記念の技だ。
♤
威勢だけはいい。その少年はマナ可視化まで至った事に驕り、モルツとの実力差も分からず傲岸不遜な態度を取る。
対するは、あのモルツだ。今は貴き人類王が天へと昇り詰める以前、バッハと共に南部制圧作戦にも参加した勇士である。終局へ向かう大戦を人類王の軍勢として共に駆け抜け、生き残った伝説であった。
そのモルツを相手に、少年は見るも痛々しい虚勢を続ける。
「来いっ! 大言に相応しき実力を以って、俺を唸らせてみせろッ!」
「はっ! 俺は大して期待してねぇよ!」
幽雷の域を彫像の如く勇ましい立ち姿に纏い、一歩目を踏むジェイクを待つ。
結果は予想の通りで微動だにせずに終わる。仮に巨岩が打ち込まれようとも、今の“受け”の体勢を取るモルツを傷付けることは叶わないだろう。
誰もがそう思っていた。
「――!」
少年の姿が消える。
異様な加速で次に現れたのは、モルツの眼前であった。【神足通系第五等技・縮地】により、鋭い踏み込みから拳を構える。
打ち出された第二のマナ・アーツは、人類王ユーガが編み出した打撃系マナ・アーツだ。打撃の瞬間火力を高めるという高難度ながら単純明快な技だった。
「ナ――!?」
唯一その挙動を完全に見切っていた、さしものモルツも瞠目する。
繰り出されたのは、【神足通系第六等技・偽弾】と呼ばれるものだ。
「フッッ!」
足先から生まれた力で右脚が捻られ、前へ押し出される腰。左脚へ乗る体重、それは右腕へと流れる。伝わった力みを左半身により瞬間的に溜め、マナの流れと共に解き放つ。
この流れを突き詰める。限りなく短時間に押し込める。
そして、破裂したように突き出される拳。力みの瞬発的暴力が振るわれる。着弾した際には破裂音を響かせ、モルツの腹部へと打ち込まれた。
「ヌゥゥゥんッ!?」
引き絞られた腹直筋のみでは威力は耐えられず、力むモルツの身体は真後ろにズレていく。巨体で踏ん張れども後退を止められずに地を滑っていく。五メートルほど後方にズラされるも、モルツは不動のままにジェイクの【偽弾】を受け切ってみせる。
「……」
「……」
鮮烈な光景を終えた両者は微笑み合い、不穏な視線を交錯させる。緊迫する屋敷前は今にも空気が張り裂けてしまいそうだった。
殺し合いが始まる……そう予感する程に。
「……ぬはっ、ぬははははははぁ!」
「ダハハハハハぁ!」
「兄貴は何故なのかは知らんが、俺は気に入ったぁ! 技もそうだが気骨が計り知れん! と来れば小僧っ、いやジェイク!」
「何や!?」
「中に入れっ! 存分にもてなしてくれるわ!」
「よっしゃぁ、なら入るぞ!」
先導するモルツは尚も高笑いを響かせ、腹を撫でながらジェイクを招いた。
密かに流れる冷や汗を隠し、内部に残った爪痕を感じながら未知の少年を思う。
(まだ拳の重みが残っておる……。この芯まで届くほどの重い拳……ジェイク・レイン、何者だ?)




