2話、【悪霊の炎】
長〜い休暇を挟んでしまうと、この緩やかな生活にすっかり馴染んでしまう。大戦時下であった前世基準で行う激しい鍛錬が面倒で、あれから既に一週間。
俺は転生呪縛について一人で熟考していた。
おそらくだが、何者かの思惑で意図的に生まれ変わらされている。よく分からない地球からの一度目はともかく、二度目はより可能性が高い。
それと世界中で暴れる奴等を、どうにか落ち着かせなければ。
まず行動するのならば、最優先すべきものは明らかではある。
ひとえに、戦力だ。ただ前世で裏切られ過ぎたせいか、人間を頼るという選択肢が全く浮かんで来ない。無論、例外はいるが。
しかし頼るなら、分かっていたことだがやはり、アレ等を集めるしかないだろう。
『お〜い、ジェイク。もう夕方になるぞぉ、出ておいでぇ』
二階にある自室の外から、父の呼ぶ声が聴こえる。しかもまだ午後になったばかりだと言うのに、大嘘まで吐いて。
「……嫌だねっ! この世界には俺の敵しかいねぇ!」
『何を言うかと思えば反抗期か? そんなことより今日はチーズ祭りの日だぞぉ? お手伝いした後のチーズは最高だぞぉ?』
「いつもチーズだろ! 来る日も来る日もチーズだろ!」
俺がチーズ好きでなければ、早々に旅立っていたことだろう。
我が家は酪農家だけあり、乳製品が食卓によく並ぶ。うちの牛乳を知り合いの業者が加工した物が、毎週末に運ばれてくるからだ。
食費は抑えられるだろうが、流石に大好物かと問われたならパンチを返すだろう。
『まったく……リュートが遊んでくれと泣いていたぞ』
「……たまには一人になりたいじゃん? 言い負かせない時にすぐリュートを出すの、止めてくんね?」
ベッドで丸まって苦言を放りながら徹底的に抗議する。寝よ寝よ、久しぶりに昼寝しよう。
『――リュート!? リュートぉぉ!!』
母さんの叫び声が、玄関辺りから生まれる。金切声にも似た語調に漂う緊急性は、誰にも明らかだった。
「――」
跳ね起きて扉から飛び出し、先に二階から駆け降りていく父を追う。
「どうしたっ、母さん!」
「り、リュートがいないの……」
母から事情を聞き出す父を追い越し、母の指差した先にあるリュートの為に作られた砂場へ向かう。
「……」
砂場に残った足跡で、直ぐに事態は判明した。
(ゴブリンだな)
率いる強い個体を有するゴブリン達だろう。足跡の方向やサイズから、四匹以上はいる事を確認する。
ただ近くのゴブリンの群れは、街の人達の力も借りて出没し次第に徹底して駆除している。
少数であることから察するに、外敵から逃げて山を越えて来たゴブリン達だろう。
縄張りに触れる距離に棲家があって、訓練を受けた国軍や武芸者による討伐作戦があったという話は聞かないし、専門家ならば取り逃がしはしない。
流れ着いて俺達の様子を何処からか窺い、ガタイのいい父を見て勝てる確証を得られなかったからなのか、リュートだけを攫ったようだ。
「こりゃゴブリンだわ。四匹はいる。血はないし、鮮度を保つ為に生捕りだな。でも直ぐに追わないと食われちまうかも」
「あ、ああ……!」
薪割り場の薪に刺さった片手斧を引き抜き、動揺に腰元のナイフを慌てて確認する父を急かす。
「ああっ、ユーガ様っ……どうかあの子をお助けくださいっ、どうか……!」
「おい母ちゃん、祈るなら中で祈りな。暇な神様ならどこにいても見ててくれるよ」
膝を突いて俺頼みを始める母へ告げ、父の準備が整ったのを確認後に速やかに森へと駆け出した。
慣れた森を急ぎながらも静かに走る。狩りをしている父が戦力になるのが実に有り難い。
「……いた」
足跡や草木の押し潰された痕跡を辿り、川沿いを見つけた直後にその姿を目視する。
「やっぱりか……」
「クソっ、ボスゴブリンか……!」
父より僅かに下回る背丈、ごつごつしたジャガイモ顔の太ったゴブリンが、息切れをしながら四匹の手下を連れて歩いている。緑や黄色の肌をした他の小柄なゴブリン達に合わせ、巨体で走ったから疲れたのかもしれない。
通称、ボスゴブリン。
小さな群れを率いるに相応しい強さだが、数の揃った集団からすれば害獣同然。個としての強さだけでは太刀打ちできず、追い払われたのだろう。
「これは……厳しいな。俺が後を付けるから、ジェイクは急いで街の人達を呼んで来てくれ」
「ダメだね」
「っ、こんな時まで我儘は止めろっ……!」
苛立ちに顔を歪め、脅すように激昂する父へと間髪入れずに告げる。
「リュートを抱えているのはボスゴブリンだ。疲れてるのにわざわざ自分で持ってるってことは、真っ先に自分で食うからだ」
「……!」
「多分、そろそろ殺して食い始める。今しかない」
俺達を見て引いたとすると、強さはそこまで高くない筈。それでも父とも殴り合えそうだ。
「父ちゃん、俺が移動を始めて二十秒後にリュートを担いだボスゴブリンの右側のヤツ……あの離れてるのを斧を投げて仕留めてくれ。あとナイフと斧を交換して」
「なに……? ど、どうするつもりだ……」
「ボスゴブリンも含めて五体。俺が注意を引くから得意の斧投げで普通のゴブリンを減らしといて。そんでリュートを確保したらすぐに逃げてくれ」
素直に渡されるよく研がれたナイフを左手に、そう指示を終えると返事を待たずして駆け出す。
後方から父の問う声がするも、接戦になりそうだから詳細は告げられない。二十秒ほぼぴったりで、ゴブリンを見下ろす低い崖に到着した。
「……」
明確に敵の位置を確認し、ナイフを右手に持ち換え、右下の草むらから父が斧を投擲するのを待つ。
それが、一手目。
「……!」
ついに投擲される。きらきらと川からの反射光を受けて光る斧の刃。と、同時に自分もナイフをボスゴブリンのリュートを持つ腕と反対側の、右腕へと投げ付ける。
「ギぃぃ!?」
「ギッ――!?」
ボスゴブリンの右腕に深々と突き刺さるナイフ。同じく日頃から使い慣れた得物とあって精度もあり、父の斧もゴブリンの頭蓋を見事に割る。
ほぼ合わさって上がった叫びに、ゴブリン達に動揺が広がる。前世で習った技だが、今でも遊びがてら暇な時に練習しておいて良かった。
ここから二手目。
「ふん――!」
ナイフを投げ終えて直ぐ、ボスゴブリンの右側の一体へと飛び降りる。片手斧で脳天を叩き割り、リュートを傷付けないよう、続けて狼狽するボスゴブリンの鼻っ面を切り付けた。
「ギィっ……!?」
「父ちゃんっ! リュートをっ、早く!」
頭蓋を破壊されたゴブリンが膝から倒れ、ボスゴブリンもまた血が流れる顔を押さえてたじろぐ。更に蹴りで押し出してスペースも作り、父の入り込む“間”を確保した。
駆け寄る父に構わずして、勢いそのままに動転する他のゴブリンの首元を狙い裂く。残りは、怒りに目を血走らすボスゴブリンと、たかがゴブリン一体となる。
「ジェイクっ、お前も引けっ!!」
「こいつらを足止めして、逆側に引き離してから逃げる。先に帰って街の人達に知らせてくれ」
慌てて駆けて付けた父へ、取りこぼされて地面へ転がるリュートを託す。気絶はしているのか、意識が朦朧としているのかは不明だが、一見すると擦り傷程度のようだ。
「……分かった、絶対に逃げ切れよっ!!」
普段からやればできるところを見せて来たお陰か、指示を受け入れてくれる父パーズ。三度目がこの聞き分けのいい父親で良かった。
一度目は若干のモラハラ気質を持つ親父で、二度目は息子達をも暗殺しようとするハラスメントの究極体みたいな奴だったから尚更に。
走り去る足音を背に、父の投げた斧を砕けた頭蓋骨から引き抜き、二つの斧を両手に構える。
「うし、やろうか……」
こいつらは、今ここで殺すしかない。ゴブリンはその場で皆殺しが鉄則だ。ゴブリン種は執念深いし、明らかに俺等はこいつの恨みを買った。
俺なら逃げ切れるかもしれないが、こいつらが逃げてその後に討伐隊が見つけられなかった時、機を見て仕返しに来る可能性がとても高い。
ゼロに戻った人類王だが、がんばろうか。四手までいけば勝てる。
「フーッ、フーッ!」
「ギッ……」
ボスゴブリンが腕から抜いたナイフを忌々しそうに投げ捨て、血の滴る腕で棍棒を拾い上げる。
空腹なのもあって憤激の度合いは異様に高く、鼻息荒く俺を睨んでいる。
それじゃ、三手目……。
「――!」
棒立ちから緩急を付けて砂利を踏み締め、素早くボスゴブリンへと駆け出す。
「――ギッ!?」
慌てて身構えるボスゴブリンから、接敵手前で普通のゴブリンへと向きを変え、右手の斧で強襲した。
二段階で不意を突くが、流石に真正面から視認されているだけあって、一撃目は咄嗟の反応でゴブリンの棍棒に防がれるも、
「フンッ!」
「ガッ……!?」
続けて振られた左の斧が首を切り裂く。血が噴出して顔を汚すのに構わず、四手目を――と試みた直後だった。酷く鈍く、寒気を覚える打撃音が鳴る。
「カッ……!? ぐっ……!」
頭が焼き切れそうな激痛と共に、一瞬にして意識が飛ばされていき、霞む視界の端でボスゴブリンの醜い笑みを薄っすらと捉える。
♤
妙な威圧感を放つ人間に心底では臆していたボスゴブリンだったが、棍棒越しの手応えから勝利を確信し、胸がすく思いと大きな安堵から満面の笑みを浮かべた。
目の前で自分の打撃を頭部に受け、ふらふらとよろめく人間を優越感に浸りながら目にする。手下と餌を失ったが、何日かはこの人間で食い繋げられる。
斧もある。死んでいなければ鬱憤を晴らす為に四肢を落として、じわじわと痛ぶろう。そのような思惑を瞬時に企むボスゴブリン。
だが、待てども待てども倒れない人間を不審に思う。
「……?」
中々、倒れない。それどころか――
「――」
紅黒い炎が、人間から溢れ出した。
悍ましく、激しく、猛烈に感情を掻き乱す邪悪な炎が、人の身から噴き出したのだ。
それは人間を取り囲むように広がり、生々しい意思を感じる生物じみた蠢きで彼に従事し始める。
「――【悪霊の炎】よ」
「ッ……!? ギァッ……!」
人間の、人間を超える威光迸る眼光と目が合い、ゾッとしたのも束の間に炎の揺らめきにより視界が捻れる。
「前から気に入らなかったことがある……どうしても受け入れられなかった事だ。慣れろと何度も言われた。仕方ない、必要なことだってな。でも最後まで腹が立って仕方なかった」
使い手たる少年を中心に紅い炎が一帯へと広がるも、身を焦がすあの熱はない。地面に敷き詰められ、宙へ巻き上がる膨大な炎に害はなく、しかしそれでも、明確で致命的な危機感を感じる。
「良い奴から死ぬんだよ。俺を慕って、護って、戦場行って……良い奴がだぜ? それは仕方ねぇから慣れろって何度も言われたよ――うるせぇ。俺が気に入らねぇって言ってんだ」
紅炎は悪魔の如き唸りとなって手下の屍に群がり、貪り、魂を燃やしながら業火の内に取り込む。大火の海に呑み込み、咀嚼するように猛り狂い、嗤うように波打って陽炎を打ち上げる。
『……』
『……』
悪夢が始まる。謎の炎に燃やされた手下の屍から、ドス黒く燃える魂が剥がれ、人間に服従して自分へと敵意を向ける。
様変わりして凶暴な面相となった紅暗いゴブリンが出現し、怪物として悲痛な雄叫びを上げる。
「悪党が戦え……俺が死んでも使ってやる……」
それは完全なる隷属。完璧なる従属だった。
「――行け、悪霊共」
血を流す人間の王が、紅昏き炎のゴブリンへ命じた。直後、四匹の悪霊ゴブリンが武器を取り、静かな号令に従ってボスゴブリンへと殺到する。
「ギィアッ、ギィィ……!?」
目を疑うボスゴブリンだったが、迫る悪霊の形相を前に自然と決死の反撃を見せた。
出鱈目ながらも腕を振り、棍棒を振り、やはりゴブリンと比べ物にならない種族的な強さを知らしめる。
だが四匹同時では、一蹴に伏すとはいかない。
「ギィィーッ!」
倒れようとも何度でも起き上がる炎のゴブリンが、腹、膝を打つ。
「ギ、ギィアっ……」
胸、腕、そして顔へと、意志も自我も捻じ曲げられた悪霊達が襲い掛かる。
まるで縋るように、赦しを乞うように、死を懇願をするように全身全霊で殴りかかっている。
その死に物狂いな様がボスゴブリンにとって、何よりも恐怖であった。死ねば死ぬよりも恐ろしい結末が待っているようだと、無自覚に悟っていたのかもしれない。
「……!?」
「じゃあな」
最後に垣間見たのは、頭から血を流しながら揶揄うように舌を出す人間。そして自分の横顔辺りへ高速で振るわれた右手だった。
それが急激に歪んでいく。視界全体の色彩が混ざり合い、急速に濁っていく。直後、ごとりと足元から崩れ落ちる音がした。
ボスゴブリンの思考はここで終わる。
「はぁ……はぁ……」
ふらつくジェイクがボスゴブリンの横っ面を半分ほど抉った斧を引き抜く。
白目を剥くボスゴブリンは、目や鼻や顔の至るところから血を噴き出させて背中から倒れゆく。確かな重量感を思わせて倒れたボスゴブリンの死を確認し、膝から崩れ落ちた。
「ぐっ、久々の喧嘩は堪えるな……」
四手目。棍棒の直撃を避けながらも、油断させるべく手応えのみは残して頭を掠めさせたつもりだった。しかし未熟な肉体は思い描いた動きに追い付けず、せめてもと頭を逸らし、何とか持ち堪えてみせた。
三匹の悪霊だと心許無く、四匹目を殺し、怠けた弊害でボスゴブリンの棍棒を完全には受け流せず、飛ばされそうになる意識を繋ぎ止めてやっと、苦しくも殲滅に成功する。
あまりにも情け無い、長期休暇の弊害であった。
「く、そ……」
ともかく、父パーズが最寄りの町の人達を連れて来てくれるだろう。出血も多く、割られた頭の痛みが激しい。どうにも動けそうにない。
朦朧とする意識の中で、力なく倒れ込むのが精々だ。
「……あっ、一応ボスゴブリンを悪霊にしなくちゃ」