19話、ウィンター家掌握
バッハを前にして、アーロン等を前にして、ただの平民が追及を口にした。生まれ持った特別な器を感じさせる堂々たる振る舞いで、その視線を受けた者は否応なく射竦む。
「試したのだとしたら、二つの意味で無礼です。私を見縊ったこと、そしてこの期に及んで疑いを抱いていたこと」
膝にかけていたナプキンの端で口元を拭き、そのまま膝に戻すことなくテーブルへ置く。静かに席を立ち上がり、素気無くバッハへと告げた。
「……残念ですが、この話は無かったことにしてください」
「待ちたまえ」
背を向けたジェイクへ、間髪入れることなくバッハは制止の声をかけた。
「誤解だ。まさかシャンティの実力を見抜くとは思っていなかったが、クーガーが名を告げなかったのは理由がある」
「……」
「確かにシャンティはかなりの武芸者だった。だが腰を壊してからは完全に現役を退いている。もう神足通を万全に使用できないのだ。だからこそクーガーは妻を除外し、皆も納得していた」
背中越しに説得を受けたジェイクは、少しばかりの時間をかけてから席へと戻った。
「考え過ぎでしたか、すみません……あむっ」
「参考までに聞かせてくれ。何故、シャンティの実力を見抜けた」
更に関心が深まり、それはその場の者達も納得するものである。もはやバッハの判断を疑う者などいない。
サマンサや執事達も興味深く、何食わぬ顔で食事を再開したジェイクを見る。
「まあ、一つは他心通で悟られないよう身体から滲むマナを遮断している点です。バッハさんとかアーロンさんには遠く及びませんけどね」
「単純にマナ量に恵まれていない場合がまず考えられる筈だ」
「それだけではありません。初めてご挨拶した時に握手したシャンティさんの手は、長い間も剣を使い続けている武芸者の手でした。それに稽古の時もリカルドさんや子供達に声をかけていたでしょう。その後、彼等の動きが良くなっていたので、心得があっての助言なんだろうなって思ってました」
止め処なく紡がれる根拠は、悉く的を射ている。日常に埋もれている些細な情報を、恐るべき慧眼は決して見逃さない。
接点の少なかったシャンティであろうとも。
「……君には度々、驚かされるな」
「申し訳ありません。自然と気付いてしまうもので」
無意識かつ驚異的な洞察力で、おそらくはこの場の人間全てを網羅しているのだろう。
「……」
「サマンサも納得したようだ。お前達もジェイク君を見習え。ここにいない兄弟達にも伝えておけ」
上機嫌で自身も食事を始めるバッハが、並ぶ我が子達へと発破をかけた。
同時にサマンサはジェイクの荒く思えた食事マナーが、様になっている点にも気付く。思えばマナーなども指摘できる点は見当たらない。
食べっぷりの良さはあれども、所作の端々に気品を見る。
「……他人を見る目がここまで無いとは。カティアを嫁がせるのも良いのかもしれませんわ」
「凄い子ですね。旦那様が気に入るわけです……」
小声で話し合うサマンサとシャンティ。夫婦となれば考えが似るのか、一口だけ白身魚のムニエルを口にしたバッハが言う。
「かもではない。カティアを嫁にやればいい」
「ご英断です……」
小さなカティアの呟きはバッハに届くことなく、辛うじてサマンサ達数名のみが耳にする。一方でバッハは確実にジェイクを取り込む算段を思案しながら食事に手を進めていた。
♤
「……」
“第一期カィニー騎士学校最優秀騎士賞、シャンティ・マロン”。
普通に飾ってあるんだよなぁ……と、数々の賞を飾った棚を前に、ほのぼのと思う。屋敷探検をした際に廊下で見つけたもので、シャンティさんが授与された賞が幾つも置いてある。他のウィンター家の奴等のもだ。
これだけ主張の激しいものを置いておくものだから、少しばかり気になっただけだったのだが。
「……」
「これをご覧になられていたからなのですね?」
「そうです。さっきのは後付けのこじ付け」
賞を眺めていると、サマンサが歩み寄ってくる。これまでの敵対心はなく、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ご機嫌よう、レインさん」
「ジェイクでいいですよ。伯爵夫人から畏まられるような家柄じゃないっすから」
食前食中食後問わず、食い甲斐のありそうな人妻サマンサと挨拶を交わす。
切れ長な目のキツい顔立ちを見ると、どうにも人妻ハンターの血が『落とせ』と騒ぐ。
「それでは、ジェイクさん。先程は……いえ、これまでたいへん失礼をしました」
「ぜぇんぜん。むしろあのバッハさんを我が先に諫めようって気骨に感心し切りでしたよ。あなたは素晴らしい女性です」
程良く熟れた女を前に、自然と口から流れ出る誉め殺し戦法。皇帝時代に培った人妻堕としの技能が、遺憾なく発揮される。
「俺もサマンサさんみたいなお嫁さんが欲しいものです。いいえ、叶うならサマンサさんが良かった」
「……」
「もしくは、こうして僕たち二人が巡り会ったのなら、今からでも間に合うのではないでしょうか」
照れてしまったのか、少し顔を赤くして言葉を失ってしまった。
「……あ、あまり揶揄わないでくださいませ」
「冗談に聞こえましたか?」
目を合わせたまま手を取って、その甲にキスをする。カッと熱くなるサマンサの肉体。人類王の色気が人妻を焼き尽くす。
「……い、嫌だわ、私ったら。笑ってください。息子ほども歳の離れた方に、動揺してしまいましたの」
「それは気がある証拠です。でしょう?」
「え、ええ……い、いえ! それでは私はこれで!」
目礼して急ぎ気味に去っていくサマンサ。はい、もう堕ちたな。
三十半ばくらいのサマンサは、正直に言うと手を出したい範疇の真っ盛りである。芯がしっかりしてるし、綺麗だし、カティアの母だけあり胸も尻もデケェし、バッハとは政略結婚らしいし、人妻だし、人妻なんだし。
「……」
「よし、学校行くか」
曲がり角からジトっとした目で見ていたカティアを連れて、脇腹を抓られながら騎士学校へ遊びに向かう。
♤
騎士学校へ到着後、兄貴の稽古を見る約束までの間に、所用があるというカティアと別れて、何をしようかと彷徨っていると気になるものを発見。
「……」
本館らしき建物を見ると、窓が開いている部屋を見つけた。漂うお高めな紅茶の香りに誘われ、窓から侵入する事に。
「……? ぶーっ!?」
中にいたおっさんが俺を見つけるなり、ばっちぃ紅茶の霧を吹いた。
「こんにちは、いいお天気ですね」
「な、なんだねこの状況っ! 誰だね君は!」
格式高い室内にいたのは、やけに声量の大きな初老だった。まだ昼前なのに紅茶とパンケーキを食べようとしている。
「あなたは知らない人に個人情報を渡すんですか? 僕達の今の関係性って、侵入者と小汚いおっさんですからね?」
「誰が小汚いおっさんなのだっ!」
「良いもの食べてますねぇ。俺にもくださいよ」
「嫌だとも! 断固として嫌だ! 侵入者の自覚があるならば、縛に付きたまえ!」
掴みかかってくる手を避けて、非模範的な学長へ説教する。
「ていうかおじさん、今は仕事中でしょ? 午前から優雅にパンケーキを食べる暇があるなら、訓練生のひとりでも稽古つけてあげれば?」
「わ、私は学長のオーフェンであるからして……」
「じゃあますます手本にならないと。教官や訓練生のお手本にさぁ。何してんの、お前」
「それはそうだが……ん? お前?」
「はいはい、さっさと行った行った。みんなオーフェン学長に教わりたいに決まってるでしょ? 何しに高い金を払って入学したと思ってんのっ」
「イタタタっ! ち、ちょっとっ、そんなに強引にしないでもらいたい……!」
もみあげを引っ張って椅子から立ち上がらせ、オーフェンの背中を押して廊下へ出す。そして尻を蹴り出した後はすかさず扉を閉めて鍵をかける。
『ちょっとぉぉ! これ犯罪であるからしてぇぇ!』
「……」
どうせ窓側から回ってくるので、窓も閉めておく。棚から吟味して好みのカップを取り出し、新しく紅茶を注いだ。そしてまだ手付かずのパンケーキへ向き合る。
「……あの間抜け、クリームなんて乗っけてやがる」
『正気の沙汰ではないっ! 私は学長のオーフェンであるぞ!』
窓に回り込んだオーフェンが喧しく騒いでいる。良いBGMになるので、このままハチミツたっぷりパンケーキを食べる事に。
……久しぶりのハチミツパンケーキは美味いな。フワフワ系じゃないのは残念だが。
『本当に食べているだと!? ここまで世にも奇妙な物語が現実にあるのかね!』
そこまで腹は減っていなかったが、意地で食べてしまう。
「……ふぅ」
『歴史に名を刻んだなぁ、君はっ! このオーフェンを本気にさせたのだから快挙だよ、君は! このオーフェン騎士学校は両国の繁栄を象徴するっ、最たる施設なのだぞぉー!』
パンケーキを食べ終え、窓の外で蝉を真似して騒ぐオーフェンを眺めながら紅茶を飲む。
ざわざわと集まる兵士や訓練生に醜態を見せるも、一切構わずに俺を楽しませてくれる。美味しくて面白くて、彼には感謝しかない。
「……ちらっ」
『え……』
飲み終えたカップを投げて割ろうとする素振りを見せてみる。するとオーフェンの顔色は、徐々に血の気が薄くなる。
『……ま、待ちたまえよ、君。美味しく食べておいて、それはあまりにも非道ではないかねっ? 不文律なのではないかね!?』
「……」
駄目なら止めておこう。そろそろテロリスト襲撃時に私腹を肥やしていた失態は許してやる事に。扉へ歩み寄り、ドアの取っ手にカップを引っ掛ける。
『な、何を……』
もちろん外にはオーフェンへ媚びたい教官が俺を取り押さえようと待ち構えている。俺はオーフェンへドアノブを回せばカップが落下する仕組みになっている事を手振りで教えてあげる。
『……』
それから……扉の鍵を開けようと手を伸ばした。
『止めてくれぇぇーっ!!』
切迫した面持ちで扉側に走り出す。
それを見てから取っ手のカップを取り、テーブルへ置いてから窓へ。外に出てから次の行き先が決まるまで散歩をする事に。
「旦那様」
「お? 早いな。掃除は終わったのか?」
そう思っていたらカティアが急ぎながら駆け寄ってきた。兄貴リカルドの試験部隊用に充てられた部屋は、無事に掃除できたのだろうか。
「はい、あまりやる事もなかったので先に戻らせてもらいました。旦那様をお待たせする訳には参りませんので」
「結構。じゃあ兄ちゃんの稽古でも見てやりに行きますか」
「かしこまりました」
今日は貸し切りではなく、兄貴も他の訓練生と一緒になって鍛えていると聞く。俺は練武場の端からカティアに膝枕を強要されて、寝転んだままアドバイスを送る。
「……心なしか天耳通の索敵が上手くなったな」
兄貴がご執心の神足通を見てやってから、一通り確認後に苦言という鞭打ちと一欠片の飴を投げ付ける。
「だろ? 騎士国中の学校を回って教えてる教官が、この間までここにいたんだよ。その時にみっちり教わった」
「マシな教官もいるんだなぁ。アイクも学長もあんなだったのに……」
「お前はいつまでこっちにいるつもりなんだよ。リュートはいいのか?」
拳で腕立て伏せをする兄貴は末っ子を心配するが、それはもう両親に任せたい。リュートも多少は自分で自分の事をし始めなければいけない。というか自分の為に時間を使える今が楽しくて帰れない。
「手頃な武器を探してるんだよ。鋼器じゃないやつ。これが中々なくてな」
「……武器なんていらねぇとか言ってなかったか?」
「いらねぇよ。でもウィンター家が買ってくれるんだから、良いのを買うだろ。うちは木こりもやる事あるし、将来的にリュートも使える手頃な斧がいい」
「相変わらず老いた考えをしてんなぁ……」
テロリストに負けた兄が、腕立て伏せを終えて呆れた目を向けてくる。
あれから昼夜もなく鍛えているらしい。程々に休息を入れるよう忠告に来たのだが、逐一記載するよう言ってあった鍛錬ノートを見る限りは大丈夫そう。
「……なあ、あんた」
「私ですか? 何でしょう」
兄貴が必然的にカティアへ声をかけた。
というよりも終始注目を浴びている。バッハに気に入られたという噂はあるので、それを利用してカティアを連れ回していると既に囁かれ始めていた。
「あんまりうちの弟を甘やかさんでくれるか。ウィンターさんのところから出て来なくなる」
「甘やかされているのは私であり、クリス先輩なのではありませんか?」
「……まあ」
カティアの方がよく分かっている。最近は殺人鬼ブリーダーとしてカティアにも教えているので、是非とも兄貴くらいには使えるようになってもらいたい。カイワンレベルと人目のある場所で戦う事になったら大変だ。
「こっちにいる間は教えてやるから、もう変なのに負けんなよ。訳の分からん事故がなかったら危なかったんだろ?」
「もう二度と負けん」
奮起する兄を見て成長を実感する。現実的な目標をこまめに立て、着実に成長している。子供の成長は早いな。
するとカティアが誰もが気になる疑問を呟いた。エロい体で練武場の男の集中を乱しながら、真面目な話題をするつもりらしい。せめてものお詫びに俺もズボンを上げてセクシーな太ももを見せてやる。
「カイワン……あの者達は何が目的で、何者なのでしょうか」
「本命は地下倉庫だっていうから何かの宝とかじゃないの? 襲撃を受けてから警備が厳重になった。ここはもう狙われないんじゃないかな」
「カイワンは兵士を育てるのだと言っていました。それに人類王様の信者であるような物言いも」
……初耳だった。という事は俺の妄信者集団か? だとしたら何を企んでいるのやら。
「……兵士っていうなら戦闘を想定しているわけだな。そしてそれはシーザー王はもちろん、《烏天狗》様がいても敵対的な姿勢を見せるほどの目的だと分かる。近々、また動きがあるぞ」
この時には誰にも想像できなかった。〈八頭目〉という組織が如何に危険で、約半年後に騎士国聖国がひっくり返る事になろうとは……。




