1話、人類王、動く
最も新しい神話であった。大陸に生きる全ての生命は種族に関わらず、史上最強最大の帝国を恐れ、人類史上において唯一無二と知らしめた《人類王》を崇めた。
王は一代にして文字通り、全てを手中に収めてしまった。神と同義の龍を殺し、魔境を踏破し、大陸さえも統一し、考え得る全ての偉業を成し遂げ、権力は無論のこと女や力、富や名声、それらの頂きを望むままに我が物とした。
この世界にあって、永遠に語り継がれるべき王の中の王となったのだった。
「――皇帝陛下、我が娘達です」
ある夜、広く薄暗い謁見の間に、独特な民族衣装を着た男が玉座へ告げる。
種族はエルフィン族。耳が長く顔は細く、人外の証を表している。男の隣には緊張を隠し切れない、容姿に優れた同族の少女が三名。
中央に座するその両側の端には、名高き屈強な武将達が列とを成して立ち並び、客人達の動向を注意深く窺っている。
「よくぞ参られた、エルフの王よ。……エルフと言っても、娘達の種族は違うのだな」
ただ一人の為に設られた荘厳な玉座に座る皇帝が、目の前に跪く青年程度の見た目をしたエルフへ、粛々と告げた。
皇帝の言うように、エルフの娘等はそれぞれ水色や金、緑色といった鮮やかな髪色をしている。各自異なる特徴を持ち、男を含めて共通するのは、限りない畏怖を秘めた瞳の色合いのみだった。
「多種あれど、皆エルフ族なのです。私も――」
「あぁ、エルフ王には妃が多いのだったな。身籠る女性側の種族が違ったか、失念していた。ふむ……」
皇帝の迷う気配を察して、首を垂れるエルフ王は慌てて言葉を返した。
「皇帝陛下のお気に召しますれば……娘達をお側にと思いまして連れて参ったのです……」
「あぁ、だろうな。じゃないと意味分からんもんな。謁見でいきなり家族紹介されても困るもん。しかしだ……俺は結婚とかはしてないんだよなぁ。若い時から煩く言われて、子ももう十分に残したし」
「それは百も承知です。けれど我等に捧げられるものは他にはなく……」
皇帝は紛れもない人類の頂点。
生まれながらの王にして、無数の不可能を覆した歴史上唯一の特異点。いかなる状況であろうとも常に飄々と生き抜く皇帝を、無意識に羨んでしまうエルフ王であった。
「そんなこともないだろう。別に郷土料理でも民芸品でもキャッキャと喜ぶぞ、俺は。エルフの飯もまた興味深い。でも遠いところ来てもらってなぁ、何も無しってのもな。少し前なら事情が違ったんだが、どうするか……」
肘掛けに頬杖を突いて考え込む皇帝を前に、エルフ王達は冷や汗を滲ませてただ黙する。
「……もうすぐ、人生完了のはずなんだけど……ん?」
皇帝は何事かを呟いた後に、ふとした視線に気付く。
「……」
「……ふっ。妻にはできないが、どうしても誰かを選べって言うんなら、そいつを迎えようか」
好奇心を覗かせるユーガが、一人のエルフを指差して指名した。
その時だ。最もあってはならぬ不敬者が現れる。
「っ……ユーガ様っ!! 何故このような劣等種族を――」
立ち並ぶ配下の中から一人の騎士が、歯軋りを立てて飛び出した。歴戦を勝ち抜いた超人らしく目にも留まらない踏み出しである。
だが、ほぼ同時に取り押さえられるのだった。
「……!?」
「動くな、男爵。あろう事か陛下の御前でっ、これ以上に罪を重ねてくれるなよ」
他の超人達によって、方々から剣や槍に取り囲まれる。
この世にあって常軌を逸した禁忌とも言える実力を持つ、人外の配下〈金羊の船団〉、及び人間族の部下〈ノアの方舟〉達だ。
皇帝に立ち塞がる一切を、過剰に余る武力により無慈悲に破壊する、絶対忠実なる神話の兵士達だった。
「おい……」
『っ……』
そんな彼等が、揃って戦慄する。
「なんだ、てめぇ……エルフはマナ量に優れてんだろ。しかも長命だろうが。劣等ってなんだ。それは誰が決める。お前か? こいつらか? 違うな、俺だろうが」
纏う雰囲気が一変した玉座のユーガが、不敵に笑い、その身から青黒い炎を立ち昇らせる。底恐ろしい不気味な炎は禍々しく猛り、際限なく燃え盛り、様々な殺人鬼の悪霊を形作る。
数多の悪霊達で謁見の間を埋め尽くし、最後に現れた巨影がそれら一切を見下ろした。
『……』
玉座上に浮かぶ縦に割れた巨龍の眼。全ての悪霊達を足して尚も足元にも及ばない蒼炎の龍が、人類王ユーガの傀儡として顕現した。
「……輪廻龍、オードーンッ……」
絶大なる存在を前に、途方もない恐怖に苛まれるエルフ王が、か細い震え声で呟いた。
神と呼ばれるに相応しい超自然的にして異次元の生命体である龍。破壊と破滅を併せ持ち、死すら持たずして暴威を振り回す唯一の存在、それが龍だ。
「へ、へいかっ、私はお諌めしたく思い……!」
「いらね。お前、二ヶ月前だったか、勝手にエルフの民を殺しただろ。今日お前を呼んだのは、そういう事だ」
「ぐっ、それはっ……必要――」
男爵の頭が消える。
「失せろ、殺戮は許さん」
首から斬り飛ばされ、その頭蓋は消失していた……どの殺人鬼が行ったことすらも分からない。超人である側近らを除き、悪霊達をよく知る配下でさえ、特定できていなかった。
「っ……」
「……す、すぐに片付けます」
かつては神と崇められ、空想上の存在とされていた最高位の龍であるオードーンから順に、悪霊達がかき消えて行く。
すると、ようやく金縛りから動けるようになった部下等が、大急ぎで死体をユーガの前から始末し始めた。
「おう、よろしく……多分、今のが悪霊達の最後になるだろうな。別に惜しくも悲しくもねぇけど、こいつらをどうにかしとかないと」
皇帝はこの謁見の翌年、この世を去る。
やり残した事はない。悔いもない。最高のエンディングだと皇帝は己れの最期を評したという。
後に《人類王》、《人類神》など、最も尊き呼び名で偉業を讃えられ、同時に多くの変化が大陸に巻き起こる。
「寿命を待ってないで、寝込みくらい襲ってみろよ……見舞いの数が少な過ぎるだろ」
最後の最期まで少年のように遊び心を忘れない王であった。大陸に生きる大部分の民は涙を流し、密かに胸の内で異を唱えていた者は奮起し、災害を超える力を有する配下達は解き放たれ……。
そして、十三年の時が経つ。
♤
コン……コン……薪を割る小気味良い音が、森林の中に佇む木造の一軒家前で生まれる。
背の高い樹々の隙間から射し込む気持ちのいい陽の光を浴びながら、小鳥の囀りに混じって、少年が黙々と斧を振っていた。
ここはザーマ族の酪農家が住まう高原。
「……ふぅ……リュート、振りかぶるなよ。俺がちょっと食い込ませた斧の背をトントン叩いていけば割れるから」
ジェイク・レイン、十三歳になりました。
立派な健康男児です。赤紫の混じった黒髪(お洒落)の真面目な優良物件。流れる汗を首に巻いた布切れで拭い、隣で薪と悪戦苦闘する小さな人影に告げる。
「あいっ」
いい子だ。三歳になる弟は本当にいい子。今、俺は孫を見るお爺ちゃんみたいな微笑みを浮かべているに違いない。淀みがなく、濁っておらず、悟りを開きそうだ。
「リュー君はいい子だねぇ。兄ちゃん、リュートの為ならもう一回大陸統一しちゃいそう」
「とーいつ?」
「いいのいいの、そんなもん覚えるより兄ちゃんのデッケェ背中を追っかけた方が、立派な大和男児になれんだから。さて、もう少しだから気合いを入れて……」
微笑みを讃え、斧を振り上げたまま硬直する。
「にいちゃ……?」
統一……統一?
「ダハァァァ――!?」
「はぇっ!?」
いかん。また思い出してしまった。
「神様ァァ! 何が気に食わんとですかぁぁぁ!!」
「あわわわわ……」
膝を突き、天へ物申す。怯えるリュートには悪いが、俺は恐ろしくて仕方ないのだ。
「もういい! もうやり尽くしたってぇぇ! なんで!? なんでまた転生してんの!? お前、やり過ぎだってこと!? もうちょっと痛い目見ろってこと!?」
日本の普通な大学生だった俺が事故死し、王族に生まれ変わって醜悪な欲望に塗れた王位争いへと身を投じる羽目に。
更には仲間を失って悲しみに明け暮れたあの時。初めてこの手で人を殺し、罪悪感に蝕まれたあの日。初の敗戦を味わって歯を食いしばったあの平原。ざっと思い出しても数え切れない程の葛藤と悲痛に苦悩。
魂ひとつ分が背負うには、充分過ぎるのではなかろうか。
たくさん殺して殺されて。裏切られたりも幾度も経験したし、分かってもらえない事も多い。辛かった思い出の方が遥かに多い。
楽しかった事なんて……まあ、彼女は可愛かったか。性格と顔面のレベルもカンストしていて、胸も尻もデケぇし。あいつは元気にしてるかな。
「――リュート、お前の兄ちゃんはたまにおかしくなるんだからほっとけ。薪も後はジェイクがやってくれるから、中にお入りなさい」
「いやっ、いや!」
「いいから、いいから」
家から出て来た父が、俺大好きなリュートを連れて行く。慣れたものらしい。
だが転生し続けるとなると、本当に生き地獄だ。精神が保たない。子供心を忘れなかったとは言え、後期高齢者には辛い仕打ちだ。
「多忙な前世と違って、ゆっくりはできるけど……」
何が辛いかと言えば毎回赤ちゃんをやって、母乳を吸って、孝行しなければと母に甘えて、知識も知らないようにしないと、それで徐々に育って、働きに働いて……ね、しんどいでしょ?
「オゥノォ……」
だが考えてみれば大陸の南西端にあるローリー聖国で、十年以上の安穏な時間を過ごせた事は幸運とも言える。
かつての配下である超越的な力を持つ者達は、俺の死をきっかけに解放され、好き勝手の暴れ放題。俺の前では猫を被っていた息子や娘、孫達も配下に負けず劣らずの能力で覇権争いだ。大陸は今や荒れに荒れている。
「拮抗して静かになるかと見守るつもりだったんだが……むしろ拮抗して国取り合戦に盛り上がってやがる、馬鹿共が」
文学少女並みの身体能力となった今の俺では歯が立たないが、暴走している者も少なくない。
風の噂でも何度となく非道な事件を耳にしている。後は時の流れに任せるつもりだったが、目に付いた悪党の掃除くらいはしてみようか。
「ぼちぼち動いてみるかぁ……」
何よりどうして死ねなかったのか、なぜまた転生したのか、誰かの意図なのか、そもそも一度目の地球からの転生はなんだったのか、これらの疑問と向き合う時が来たのかもしれない。
「まぁ、この人生を楽しみながらぼちぼちな。だーはっはっは!」
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