第73章
ゆさゆさと肩を揺らす小さな手の温もりが感じられた。
続いて襲ってきたのは胸焼けがするほどの頭痛。
後頭部に意識を集中すると脳髄から喉奥まで鉄芯が通過してくかのような痛みで、吐き気が込み上げてくるのだ。
気を紛らわそうと両手足を動かしてみるが手も足も意識に反して十分に動かせない。
重傷だ。それだけはわかる。
リオンは重い瞼を薄っすらと開けた。
「……リオン?」
少女の声と気配が近づいてくる。
声の他には焼けた草の臭いと血の臭いが入り混じっている程度しかわからない。
樹海の真っ暗闇に目覚めて、孤独を感じなかったのは幸いだ。
細い指で瞼を持ち上げられ、携帯魔力灯の光を絞り込んで瞳孔に直撃させられる。もはやビームである。
せっかく瞼を開けたというのになんて仕打ちだろうか。
「……魔力加減間違えた。私の声、聞こえる? 私がわかる?」
「り……り、ぃ?」
「ん、意識が戻って良かった。敵に捕捉される可能性があるからもう光は消す」
目を瞑っているのか、開いているのか、それすらわからない闇の世界へとまた戻る。
だというのに、銀髪の少女は何事も無いように手を動かしていた。
「こんなに暗いのに見えるのか?」
「森の中ならたいてい見える。私でもそういう力はある」
「リリィはエルフ……だもんな」
「皆、勝手にそう言うけど、正確には違う。私は人とエルフのハーフ、本物はMFを使わないし、絶対に人前には姿を現さない神聖な存在。私も見たことは無い」
「でも、その耳は――ん!」
それ以上聞くな、とリリィの小さな手で口を塞がれる。
「み、耳は時間が経つと元に戻るの!」
口調に乱れが出ている。本当に耳のことは気にしているようだ。
情報の塊を頭の中にそのまま落とされた気分だった。
亜人という存在自体が夢か幻と呼ばれているのに、そんな亜人と人の間に子どもができるものなのか。
そもそもリリィの話からすると人前に現れないらしい。
……どうやってハーフが生まれるのだ。
金髪眼鏡の魔術師と博識なドMドワーフならば答えてくれそうなのだが。
しかし、目の前の本人がハーフだと言い切るのだから納得するしかない。
そうとわかれば納得いく点もある。
魔術師でも軍人でもない、子どもの身でありながら【夜光】という高出力サウザンドを容易く扱えるのは、その身に流れるエルフの血が……潜在魔力が桁違いだったということなのだろう。
そうこう考えている間に、視界が暗闇に慣れ始めてきた。
「ん? リリィ?」
少女の顔に違和感を感じ、よく確認しようと見つめると、リリィは尖がった両耳を見られていると思ったのか慌てて長い耳を隠す。
「耳、見るの禁止……」
「み、耳じゃなくて顔を見てただけだ! 暗くて何してるのかも全然わかんねぇんだぜ?」
「……顔もダメ」
「じゃ、どこ見て喋れってんだよ?」
後ろを向いてしまったリリィは、少し悩む仕草をして言い切った。
「壁?」
「心の病気か俺は! いっ……いてぇ」
「それだけ喋れるなら身体は大丈夫そう。セレネの方は怪我してなかったみたい。あれだけの戦闘があったのに……無傷なんて」
痛みの信号に気を付けながら、ぎこちなく上体を起こす。
リオンは周囲を見渡し状況確認。
断片的なことは思い出せるが、記憶がまだはっきりとしない。
出来事の順番を頭の中で整理していく。
リオンが周囲を警戒していることに気が付いたのか、医療セットを片付けながらリリィは背中で語った。
「敵はもういない。ひとまず、ここは安全だからゆっくりするといい。痛むところある?」
「まだ頭が痛い。後ろのところが痛ッ、あぁ、ズキズキする」
「そこ、物凄く出血してからしばらく痛むと思う。血は止まったから安静にしといて。傷薬があって助かった。これは結構、高価な品」
「よくこんなに道具を揃えていたな。もしかして、誰かと合流できたのか!? ……いってぇ! 痛過ぎて頭が割れる」
「実際割れてたの。だから、まだ横になってないとダメ」
呆れた口調で銀髪の少女が言う。
大人しく横になるリオン。地面に頭を置くとダクッダクッと後頭部の脈が聞こえてくる。
頭に巻かれている包帯もそうなのだが、針、薬草、清潔な布など、カーニンに連れ去られる寸前だったリリィが携帯していたとは思えない。
指差しをしながら少女が疑問に答えてくれた。
「見える? カーニンのコックピットに色々備え付けてあった。軍から盗むのは義賊の仕事」
「……頼もしい限りだ」
装甲板が吹き飛んで座席が丸見えの軍用MFを人差し指で指すリリィ。
軍人ならば非常時に備えて物資を常備していてもおかしくはない。
リリィの愛想がどんどん無くなっていくように感じるのだが、元々特別仲の良い関係を築けていたわけでもない。この非常時、誰しも自分のことで気持ちがいっぱいになって当然だ。
「こんなことになってすまない」
「それはこっちの台詞。こっちの戦いに巻き込んでしまった。謝るのはこっちの方、ごめんなさい」
リリィはそのまま続けざまに淡々と語る。
「生きて樹海を出られたとしてもカーニンが情報を持ち帰れば私達は必ず処罰される。顔も見られているし、戦う力を集め直す必要がある」
……何かおかしくないか。
包帯を片付けるリリィに疑問を抱くリオン。
戦力は無くなった。それは事実だろう。
戦闘中にMFが機能停止すればただの的だ。
武器を取り上げた集団を狩るなど軍人にとって造作も無い。
義賊の仲間から慕われていたリリィが拉致されそうになったあの時、血の気の多い義賊が誰も助けに現れなかったということは……全滅しているということなのだから。
「……ちくしょう」
「人のためとはいえ命や物を奪う以上、罪は罪。罪人の末路は処刑。早いか遅いだけ」
明らかにリリィの様子がおかしい。
仲間が殺されてこんなにも冷静でいられるなんて、憤りすら感じる。
「だから、殺されても仕方ねぇのかよ。物分かり良すぎるだろ……俺は!」
「国に盾突くということはそういうこと。義賊に入った時から皆、覚悟はできている」
そんなものなのか、そんな報われないことがあるのか。
人のために盗み、奪うことを罪と言うなら、人の命を盗み、奪ったアイツらは一体何だ。
MFに乗る以上、命を落とすこともあるだろう。
義賊など荒くれ者の集団で生き残っている連中など命知らずばかりだっただろう。
だから、仲間を失っても悲しまないというのは道理から外れている。
心が強過ぎる。不気味とさえ思うほどに。
親しい仲間が理不尽な殺され方をして、納得できるなんて……彼女にとって彼らはその程度の存在だったとでもいうのか。
背中しか見せない少女の肩を思わず掴む。
「リリィ! っ……お前……この血、どうしたんだ」
「手を離して」
彼女に触れ、顔を見て、全てを悟った。
絶対に、この手を離してはならない。
手が千切れようとも、この少女から今……手を離してはならない。
「敵はもういないって……ウィッツのおっさんは……」
意識を失う瞬間、ウィッツの顔が視界に写ったのを覚えている。
背後から襲いかかってきたあの男がリオン達を見逃してくれるわけがない。
その答えは、目の前の少女が全て物語っているではないか。
「顔見るの、禁止って言ったのに」
無表情で彼女は涙を流していた。
どれだけ流していたのか、血に染まった彼女の頬に涙の道筋が走っている。
あらゆる感情を涙と一緒に洗い流し、最善の状態を保とうとしているかのように。
声音は多少震えていたが、何事も無かったように語り始めるリリィ。
「また仲間を集め直して、それから……」
止めろ。今、お前が口にするのはそんなことじゃないはずだ。
家族同然であろう仲間達が殺されたんだ。
信頼していた仲間に裏切られたんだ。
裏切ったとはいえ、かつての同胞を何の感情も無く殺せるほど彼女は壊れていない。
壊れた人間がこんな……泣き方をするものか。
「MFがいる。装備も調達し直さないと……」
リオンはこの少女のことを過小評価していた。
痛いものを痛いと言い、悲しいことを悲しいと言う。そんな無垢な少女だと思っていた。
今の彼女は親しい人間が踏み殺され、例え家族を捻り殺そうとも心を殺し、“義賊のエース”として行動することで自我を保とうとしているのだ。
普通の人間にそんなことができるか。
「もう……いいんだ、リリィ」
「上手く逃げ切れていれば、サイやチョベリーと合流して……」
こんな小さな身体で、どれだけの命を背負う覚悟なのだろう。
彼女をこうまで追い詰めてしまったのは、無抵抗なリオンとセレネを助けるためでもあったのだろう。
迂闊に【月花】から降りて、ウィッツに襲われていなければ、リリィが彼を手に掛けることはなかったのだから。
彼女だけに全て押し付けていいわけがない。
だから、言わなくてはいけない。
残酷な一言を。
「義賊“戦争のハイエナ”は全滅した。だからもう……」
「違う、私は義賊のエース。だから、皆の仇を取らないといけない」
「仇は取っただろう! こんなに、ボロボロで……どうやって、どうやって……戦うんだよ!!」
小さな身体をそっと抱きしめてやる。
少女の身体はズタズタで衣服に血が滲み出ていて、人の治療などしている場合ではない状態だ。
医療キットがあるのに処置をしていない。
まるで、自分に対する罰のように傷を受け入れているようだ。
「だって皆、殺された……」
「あぁ」
少女の温かい涙がリオンの肩を濡らす。
「みんな、大好きだった……」
「あぁ」
言葉がたどたどしくなっていく。
「ウィッツのことも――大好きだった」
そこから先は言葉が出てこない。
塞き止めていた涙は勢いを増し、声が溢れ出し少女は飲み込みかけた理不尽を吐き捨てた。
草陰から垣間見える髭面強面の男の首は、どこか満たされたような顔立ちで転がっていた。




