第72章
「そんなボロボロな機体でよく僕の前に出てこられたね。死ぬ覚悟でもできたのかな? 嫌悪の剣だけで勝負になると思ってるの」
『ヘリオスに何をした』
「ふ……ふふ、彼女は今、僕のパートナーだ。僕がコイツに何をしようとも君には関係のないことさ。まさか、怒っているのかい? あの君が? ふふふっ」
ゼロの問いにフツフツと笑いを漏らすネロ。そして、栓が抜けたように声のトーンが上がっていく。
「僕の魔力を頭ん中とお腹ん中に注ぎ込んであげた時のヘリオスの顔ぉ……君にも見せてあげたかったぁ……僕色に染め上げたヘリオスの顔をね、クククッ」
ヘリオスの頭を撫でながらゼロへ見せ付けるように笑った。
ネロは何でもない様子だが、恐ろしいまでに冷たい眼光をモニター越しに受けたイダデルは眼つきを変えた。
「大将の知り合いのようだが。仲が良いとは言えねぇようだな」
「僕とゼロは一心同体のようなもの。相性が悪いわけが無い。でもね……同族嫌悪って言葉もある。ゼロが目の前に現れると、全身の細胞がこう……沸き立つんだよ」
わなわなと両手を振るわせるネロの姿は邪悪そのもの。言葉一つ一つに呪いを込めているがごとく口を動かす。
「何はともあれ、アイツと殺りあえってんだろう? これから殺す相手のことを知るのは野暮ってもんだ」
イダデル機が漆黒のMFの前に一歩出る。
「オイ、黒いの。こちとら豚小屋から出たばかりでよ。久々に外の空気を吸えたと思えば、次から次へとしちめんどくせぇ命令三昧……いい加減オレも本気で戦いてぇわけだ。ちょいと戦いの感覚を戻すために付き合ってもらうぜ!」
『っく!』
イダデル機が漆黒の騎士に斬りかかる。接近武器しか目に付かないゼロの機体に、だ。
「片腕に大剣一本、極限まで薄く設計された貧弱な装甲ときた。こんなコンバットナイフでも刺さるといてぇだろう? 腕一本でどこまで捌ききれるか見せてくれよぉ!」
激しい攻防……とまではいかない。イダデル機がゼロ機を圧倒的な手数で翻弄している。
ゼロは大剣の影に隠れながらイダデルの斬撃を凌ぐしかできていない。下がりながら距離を取るタイミングを計っているようだが、距離を取らせまいとイダデル機は追随していく。
「整備不良で喧嘩吹っかけてくるとは大した自信だよなぁ! 月並みの意見だが、機体と武装が噛み合ってねぇんだよ! 軽量級の速度を殺す重量武器……人外の大将を殺りに来たってんだから、機体か武器に何か秘密があるってとこかい?」
片腕の機体でイダデル機の圧倒的な斬撃を耐え凌ぐゼロ。
大剣を握り直し、剣の名を叫ぶ。
『嫌悪の剣!』
ゼロの呼びかけに応える黒い剣。刀身に赤い魔力光が走り彫刻してある術式が発動。
「やっぱりか! 剣の魔科学兵器!」
イダデル機が斬撃を剣に与えたはずなのだが、斬りかかった側のナイフがぽとりと地面に落下、真っ二つに切断された。
ただの盾と思っていたものが途端に刀身を切落とす切断機に変われば誰だって驚く。
『貴様に嫌悪をくれてやる』
「いらねぇよ……んなもん!」
新たなナイフを腰部マウントから抜き放ち、なおも一歩踏み込むイダデル機。魔科学兵器の威力を見ても、なお距離を詰めようというのか。
「その刀身の魔術、確かに厄介だ。だが、切味が何倍かに上がったてとこだろう。なら、“剣に触れず、振らせず”を徹底すりゃ問題ねぇよなぁ!!」
『消えろッ!』
横一閃。
切先に接触した木々、舞い落ちる葉ですら音も無く両断。魔力を注がれたこの赤黒い剣の前では触れたものは全て切断される。
後退しようとも大剣の刀身の長さに、しゃがもうとも首から上が落ちる間合い。
イダデル機は確実に致命的なダメージを受ける。
そんな中、彼は前進した。
「動きがぁ! 見え見えなんだよ! 攻撃ってのはなぁ、性格が出るよなぁ。てめぇは馬鹿正直で確定だぜ!」
二の腕にあたる部分を両腕で固定。ゼロの大剣が動きを止める。
「てめぇは一本、こちとら腕は二本ある。もう一本、へし折ってやんよ」
『やらせはしない……』
ゼロ機が刺々しいフォルムの脚部で敵機コックピット目掛けて蹴り上げる。一発、二発、三発、四発と繰り返される胸部への蹴り。脚部の装飾は破損と湾曲、イダデル機の胸部は陥没。
イダデルも堪らず腕を放す。
「おもしれぇ!! おもしれぇぜ、お前! 騎士風なのは見てくれだけか! そうこなくっちゃなぁ!」
『距離を……!』
「チッ、逃がすかよ! なに!?」
一瞬の隙、ゼロはブースターを展開……フルスロットで後方跳躍。暴風が落ち葉と木々を吹き散らす。
インファイトを続行しようとしたイダデル機は驚異的なブースターの風圧で足を止められる。
見かねたネロからの通信。先ほどまでの余裕はあまり見られない。
「機体の調子は良いようだけど、分は悪そうだね。僕も手伝うよ」
紅の鎧を纏った機体【焔】の進行に対し腕で静止を促すイダデル。
「フフフッ……ハハハッ! いや~ハッピ~だね~! 待ってくれよ、大将。機体は文句無し、相手もおもしれぇ! こんなおもしれぇ状況に水を差さないでもらいたいねぇ。今回はオレの慣らしも含まれてんだろう? なら、もう少し慣らさせてくれねぇか……オレの勘もそろそろ戻ってきたからよぉ」
「イダデル、君を雇ってるのは僕……だぞ……」
思わぬ意見に面を食らったネロだが、それ以上に今のイダデルの表情に言葉が続かなかったのだろう。
金眼の……獣だ。飢えた獣がここにいる。
食欲の赴くまま、相手の骨までしゃぶり尽くす血に飢えた獣がここに。
「ゼロ……コードネームか何かだろうが、関係ねぇ。オレはてめぇという存在を殺したい、そうしたいねぇ!!」
背中にマウントされていた大型ライフルを腰溜めに構える。
砲身が長く遠距離狙撃に適した武器だが、ゼロ機とイダデル機の間合いで使うには近過ぎる。
着地と同時に再度、愛剣に魔力を注ぐゼロ。
そして、自機の間合いまで一気に詰め戻す。
『嫌悪の剣!』
「試し撃ちと……いきますかぁ!!」
まともに食らえば、ゼロ機が中破する威力の弾丸が数発発射されているが、ゼロは容易くこれを回避。
マシンガンのように弾をバラ撒かれれば命中していたかもしれないが、一発一発が重たいライフルで狙いを付けずに発砲しているのだ、イダデルとて当たればラッキー程度の考えであろう。
『遅いッ!』
「そんなでけぇ得物じゃ――」
高速戦闘を得意とするゼロ機に掛かれば、弾幕の薄い戦地の距離を詰めることは容易い。
今や大型ライフルの長い砲身は邪魔でしかない。元来、近距離攻撃に対応できる武装ではないのだ。
加えて、重たいライフルを構えているイダデル機の動きは鈍重。軽量機が重量武器を扱う噛み合わなさの指摘が皮肉にもそっくりそのまま自身に返ってきた。
今さら回避は不可能。大剣の切先から逃れる術は無い。
メタルフレーム――鉄と鉄が衝突する音が空気を振るわせる。
『なっ……!?』
「――振り下ろすまでに時間掛かんだろう?」
怒りの表情を露にしながらも冷静さを失っていなかったゼロだが、ここに来て、この状況になって初めて……驚きの声を漏らす。
ゼロ機の剣撃を両手が塞がっているイダデル機が受け止めている。
イダデルは自機の脚部を巧みに操り、剣を振り下ろすゼロ機の腕部を片膝で抑え付けている。
両手持ちならば大剣の重量と機体出力により脚部もろとも叩き切られているだろうが、破損した機体かつ片腕のゼロ機では、いくら上から振り下ろしていようともオーバーホールしたばかりのイダデル機の出力には敵わない……理論上は。
「言っただろう、“剣に触れず、振らせず”ってな。てめぇの剣筋も馬鹿正直とくればこうなるのは必然よ」
『くっ!!』
何かを察知し、大剣を放棄し距離を取るゼロ。その一瞬後、ゼロ距離からのライフル弾が放たれた。
避けきれず、黒い甲冑の一部が抉り取られ黒い欠片が散る。
「あと一瞬、剣に執着していればコックピットごとズドンッと殺れたのによ」
片足立ちの姿勢から何事も無かったよう、ゆっくりと機体の脚部を地に戻すイダデル。
操縦感覚・稼動域を確認するためか肩を鳴らす仕草を取っているイダデル機の動きは人間そのもの。生きた動きである。
MFに内蔵されている機械靭帯を知り尽くし、関節の稼動域を理解し、機体重心がどこにあるかを把握していても再現するのは至難の業。
勘が戻ってきたというのはハッタリなどではないのだ。
ネロは笑いを押し殺しながらイダデルとゼロの激戦を眺めている。
「ふふ……はははっ! 僕の目に狂いは無かった。君は想像以上に狂っているもはや戦闘狂! さぁ、殺してくれよ。そこの邪魔者をさぁ!」
興奮するネロを余所にゼロは丸腰になった自機のコンディションを横目で流し見る。
『嫌悪の剣、ロスト……ブースターコンディションは……逃げ切れるか』
イダデルという男は現在のゼロ機では敵う相手ではない。
イダデルは機体の慣らし運転をしているに過ぎない。機体性能をまだまだ引き出せる乗り手だ。
ネロの操る【焔】単機ならば、乗り手の虚を突くことで勝機も見出せたかもしれないが、イダデルの変則的かつ正確な動きにペースを捕まれている今、これ以上戦えば負けるのは必然。
ブースターを前方に展開、後方跳躍と同時に方向転換、一気に戦線から離脱。
「いいねぇいいねぇ~。敵ながら引き際を弁えてやがる」
「イダデル! まさか、逃がすつもりじゃないだろうね?」
「って言ってもなぁ。こちとら機体がオーバーヒート寸前だ。速度ではアイツのが何枚も上ときてる。どうやっても追いつけねぇな」
「追いつけなくてもいいじゃない。君には、ほら、その獲物がある」
言いながらイダデル機の大型ライフルを指差す紅のMF。
やれやれと気乗りしない仕草を取りながら、具合の良い立地を探し始めるイダデル機。
「まだ試してぇ武装がいくつかあるってのによぉ……結局これを使うハメになったか。狙撃は気乗りがしねぇんだがなぁ」
イダデル機は踏み鳴らした地面に大型ライフルのスタンドを固定。片膝に構え、スコープを覗き込みトリガーに指を引っ掛ける。
そして、常人が持たない右眼に魔力を注ぎ込む。
コックピットにいるイダデルの金の瞳は輝きを増し、瞳孔には見えるはずも無い“敵機の影”。
迷いもなく、一連の動作確認の一環のようにトリガーを絞るイダデル。
空間を穿つ発射音。
木々を砕きながら強力な弾丸が樹海を直進。
樹海に満ちた自然魔力によってレーダーの類は全て無効化されている。距離を空けたことでゼロのモニターには敵襲を知らせるアラートすら届かない。
弾丸はゼロ機の脚部に直撃、機体はバランスを大きく崩し駆け抜ける勢いのまま転倒。
樹海に巨大な荒れ道を作って活動を停止した。
「……機体を直撃寸前でずらしやがった。どんな操縦テクニックだありゃ」
偶然なのか定かではないが、着弾の瞬間、確かに機体挙動のパターンが変わった。
おかげで、ゼロ機のコックピットを射抜くことは叶わなかったのだ。
「……大将、アイツは一体何者だ。この魔弾、容易く避けれる程落ちぶれちゃいねぇつもりだったが。止めを刺しに行くなら、今なんじゃねぇか?」
親指で樹海の暗闇をクイクイと指し示すイダデルに対してネロは首を振る。
「チッ、止めを刺したいところだけど。少々厄介なところに転がってくれたね。彼女にはまだ会いたくないんだ……それにそろそろこちらのヘリオスも限界だね」
苦しそうに首を震わせながら呻く少女。体中から汗が滴り落ち顔色は熱にうなされているように赤く染まっている。
紅く長い髪を鷲掴みにしネロは少女の顔を自分の方へ向けた。
「対面するだけでここまで呪術が緩んじゃうなんて。まったく……呆れるほど自我の強い子だなぁ。次はもっと念入りに躾をしておこうか。言うことの聞かないパートナーを連れ歩くなんてみっともないからねぇ。イダデルも腕鳴らしは済んだなら良しとしようよ。今度、ゼロを殺してくれればいいからさ」
「あんまり期待されると困るんだが、報酬次第でモチベーションと仕事の質が変わるのは傭兵の宿命だぜ」
「扱い易くて助かるな。今回はこれで手を打ってよ。威力は君が身を以って感じたんじゃない?」
持ち主からの魔力供給が無くなり色を失った黒い大剣、嫌悪の剣を【焔】が拾い上げ、イダデル機の前に突き立てこう続ける。
――近いうちに戦争が起こるよ、僕らが勝てば報酬は望みのままさ




