第69章
操縦桿に頭を垂らすリオンは無気力そのものであった。
唇を噛締めながら何度も何度も頭を操縦桿に叩きつけたせいで、額と口からは血が滴り落ちている。
【月花】のパイルバンカーはサウザンドのコックピットすら吹き飛ばす貫通力。そんなものを至近距離で発射されたリリィが生きている道理はない。
「ざけんなよ……てめぇ……ざけんなよ……てめぇ」
「さっきから何回同じことをいっておるのじゃ? 呪術かや? 呪いかや? 耳障りでかなわんわ」
月花の言葉を切るように何十回目かの頭突きを今までで一番強いものにして終える。
「どうしてだ……どうしてリリィを殺したぁ!! 殺すならさっきの軍人を殺せよ! アイツは村の人達をなぶり殺しにしたヤツだ!! 仲間も使い捨てにして自分だけ助かろうと逃げ去ったクズだ!! 殺されて当然のヤツだったさ! だけどリリィは……リリィはぁぁ!」
「あの場合、娘を殺したほうが興が乗るじゃろう?」
座席から身を乗り出していたリオンが月花の威圧的な視線に一歩引く。
「言ったはずじゃ、余興とな。今まさに貴様が妾を興じさせておるではないか。小汚い面が更に醜くなってよもや道化そのもの。いやぁ、骨の無い戦で冷めてしもうたが、最後に中々面白いものが観れたのぅ」
「興が乗る……面白い? ふざけんなぁ!! てめぇは人の命をなんだと思ってやがる! リリィは皆のために最後の一人になってまで戦い抜いた義賊だ! そんな子を殺して人殺しを見逃すなんてどうかしてやがる!!」
「どちらも同じ肉塊よ、ならば破壊して愉しい方を抉るのが当然じゃろう?」
「は……」
何を言っているのかわからなかった。目の前の少女は何の悪びれも無く、まるでお菓子を選ぶような感覚でリリィにパイルバンカーを打ち込んだというのか。
肉塊? 愉しい方を抉るのが当然? だからリリィは死んだ?
納得いかない、いくわけがない。リリィには殺される理由なんて無かった。たまたま居合わせてたまたま殺された。そんなレベルの理由で殺されていいはずがない。
「お前は……一体何なんだ」
「貴様の質問にいちいち答えてやる義理もないのじゃが、まぁ良かろう……興が乗った。妾はメタルフレーム月花、いや、魔女月花とでも呼んでもらおうか」
「魔女は……セレネだ」
全てを否定したくて絞り出した声だったが認めざるを得ない。
「違うな、今この瞬間からこの身体は妾のモノ。故に妾が魔女」
シリスの死を悼んだセレネが自らの手でリリィを殺してこんなに涼しげな表情ができるはずがない。
「っく……馬鹿な」
面白くなさそうに漏らす月花は、頭を押さえながら何かを振り払うように首を振る。
脚部パイルバンカーを引き抜くと草木の混じった土砂がパラパラとリリィの収容されたコックピットに降りかかる。
直撃していればコックピットは影も形も無くなっているはず――つまり。
「生きてる……」
たまらず声をあげるリオンに月花は鼻で笑うだけだ。
サウザンドのコックピットは健在。抉られて風穴が空くこともなく、湾曲こそしているが中身は無事であろう。
「月花……冗談が過ぎるぜ」
「笑わせるな人間。妾は潰す気であったぞ? 前の主の仕業じゃ。まったく……無意識化で妾に干渉してきおるか。存外にしぶとい。心まではまだ渡さんという腹つもりか」
掌を見つめながら身体の調子を計る月花を確認。心なしか両手が震えているようにも見えた。
この距離で彼女が狙いを外すはずがない。目の前にいるのはセレネではなく、今や機体を意のままに操縦できる月花なのだから。
戦闘では眉一つ動じさせなかった月花が物思いにふけている。
そして何を思いついたか、背もたれに全体重を預け、ドンッと操縦桿に両足を乗せた月花はコックピットの天井を眺めながらこう言った。
「致し方あるまい……人間、休める場所へ妾を運べ」
「は……」
「この姿勢を見てわからぬか? 貴様は阿呆という人種かや? 少し眠ると言うておるのよ」
わかるはずもない唐突な要求。
あれだけの戦いを繰り広げた戦闘地帯のど真ん中で彼女は寝ると言いだした。
「運べって言ったって、コイツを操縦しろってことか? それに休める場所なんて!」
「ただの人間風情が妾の助力無しで動かせるものか。運べとはこっちの身体のことじゃ。それもできんのなら、虫けらが寄ってこんように祈りながら見張りでもすることよ。しかしまぁその場合、次の奇襲があれば恐らく貴様死ぬぞ」
「お前はリリィを殺そうとした。この後も何をするかわからねぇ殺戮者をこのまま放っておくわけねぇだろう! 俺だって――」
「無理じゃ」
言い終わる前に全てを見透かした月花がセレネの声で言いきった。
「貴様からは覚悟が見えん」
「なっ……」
「覚悟無い生物が何をしようと他愛ない」
そう……だったのか。
刃向ってくる人間に対して容赦無い月花がどうして自分を殺さないのか疑問だった。それが今やっとわかった。
リオン・オルマークスは月花にとって蟻にも等しい物体だったのだ。
何も成し得ないとわかっているからこそ、放置していただけ。ただ、それだけだったのだ。
リオンのことなど余所に電源が切れたように操縦席ですぐさま眠る月花。
月花が身体を奪った時にセレネの身体は限界を迎えていたはずだ。その後に体内魔力のみでこれだけの機体を動かしたとなれば死んでいてもおかしくない。
魂が戦いを求めていようとも身体の方が先にシャットダウンしてしまったのだろう。
「息はしてる……よな」
沈んだ気持ちが声になってしまった。
無防備な横顔が垣間見えるが雰囲気はセレネと違う。
自由奔放。自身が法であり自身が全て。それ以外のものは取るに足らないもの。
支配者のみに許された威厳……王のような気迫が眠っている少女からまだ感じ取れるのだ。
無理矢理接続していたケーブル痕も例の再生能力で治癒済み。傍から見る限りセレネの身体に問題は見られない
リリィを殺せなかったと仮定するとやはりセレネがそうさせたのではないかと思いたくもなる。
医者に診せたいところだが、こんな不安定な彼女を診せて大丈夫なものだろうか。そもそも魔女を診断できる医者など存在するのか。
まずは生き残った人間を探して状況を確認するべきであろう。
これ以上取り返しのつかない事態になるのだけは避けなければ。
コックピットハッチを開け、月花を担いで地上へ降りる準備を始めるリオン。
アイツに言われた通りに動くことは癪に障るが、全て月花の言う通りだ。
ここで次の奇襲があれば確実に殺される。担いだ無防備な少女を痛めつける覚悟も……ない。
「セレネ……」
自分にもっと力があれば……。
セレネが命を削って作ってくれたチャンスを棒に振ることもなかっただろう。
凡人……魔力も扱えない自分では【月花】を制御することすらままならなかった。
そんな落ち零れが英雄になりたいだなんて呆れを通り越して笑えてしまう。
弱い自分が嫌で、何かを変えたくてもがいても何も成し得ない。
全てをやり遂げる力が無いからだ。
MFの魔科学兵器すら使いこなせる名家に生まれていればこんな惨めな想いをしなくてすむのに。
魔女のような力があればたくさんの人を守れるのに。
「ッ! 馬鹿……野郎」
抱えた少女の肌に震えた指が食い込んでいたのだ。罪悪感に駆られる中、乱れた呼吸を整え、下界の草木に視線を移す。
切り替えろ、私情は捨てて、切り替えるんだ。今はリリィの無事を確認することが先決。外敵の脅威も無くなり殺戮マシーンも活動を止めた今しかチャンスはない。
【月花】の装甲板を飛び石のように渡り地上へ着地。
枯葉や枝を踏みしめる音がこの時、一つで無かったことに疲弊したリオンが気付くはずもない。
「リリィ! 今出してやるからな! 怪我してるなら無理に動くなよ! 義賊の連中と村の人も探さな――」
ドシャリと音が聞こえたと同時にひんやりとした土草が顔面に広がっている。
砂利や湿った葉が口内に入ってうまく呼吸ができない。いや、呼吸の仕方が思い出せない。
何かがおかしい。言葉が発せないうえに後頭部がじんわりと温かいのだ。まるで湯でも湧き出てるかのように。
咄嗟に抱えた月花を庇ったためか、彼女の身体は自身の横に寝そべっている。
(……ちょっと待ってくれよ、おれ、まだやることが)
声が上手く出せず心中でぼやく少年。
リオンが最後に目にした人物は破損したMFのパーツを振りかぶる……義賊を裏切ったウィッツだった。
 




