第66章
距離を取ることに成功したものの、これでは【月花】の性能を活かすことはできない。
――落ち着け、落ち着け……損傷はしたがまだやられたわけじゃない。
「っくぅふ……ふ、フッ! はぁ、はぁ……っはぁ」
極度の緊張と興奮で垂れ落ちる嫌な汗。目の前の敵が攻撃を再開するのも秒読みだろう。
乱れる呼吸は脈拍同様まだ安定しない。あの時、月花が応えてくれなければ死んでいた。あの巨大なナイフで体を抉られて……死んでいた。
射出箇所にナイフの損傷が広がりパイルバンカーの射出は物理的にも不能となる始末。
煙を上げる機体。この機体はもっと頑丈で、素早く、力があったはず。今の自分では【月花】の性能を全く引き出せていないということなのか。
MFの性能は乗り手に左右される所も勿論ある。しかし、あの時の【月花】の基本性能から自分の至らなさを差し引きしても今の【月花】は性能が下がり過ぎている。
これではリリィを奪還するどころか、セレネを苦痛な目に合わせただけで自身も殺されてしまう。
悔しいが【月花】の性能に頼らなければリリィ奪還の策は成せない。
「どうすりゃいい……セレネ」
意見を貰おうと振り返るが彼女は既に会話できないほど衰弱していた。
汗ばむ肢体から機体へと伸びる無機質なケーブル。もう限界だ。いくら魔女と言えどこれ以上は誰が見ても危険だと判断できる。
「ここまでなのか……」
これだけの機体をよく動かしてくれた。
最初で最後のチャンスを索敵された敵機の撃破に使ってしまったことが悔やまれる。あの一撃をせめて指揮官機の頭部に当てることができたなら展開は変わっていたかもしれない。
敵部隊は先程の接近戦が牽制となったのか、それとも指揮系統が上手くいっていないのか距離を取ったままこちらの様子をまだ窺っている。
今ならばセレネだけでも【月花】から降ろせるかもしれない。
魔力の供給を絶てば【月花】は鉄の塊に戻る。残存魔力を使って相打ち覚悟で指揮官機に一撃を加えることができれば十分であろう。
他力本願だが、義賊やチョベリーがその隙を上手く利用してくれることに懸けるしかない。
意を決してセレネの身体を蝕むケーブルに手を伸ばしたリオンは腕を捕まれた。
「……っ! セレネ?」
首を力なく横に振るセレネが“まだやれる”と視線を送ってくる。この拷問のような所業をまだ続けると。
その彼女の姿が国のために自害した少女と被る。
守りきれなかった……国に切り捨てられた小さな命。
自分にもセレネを切り捨てろというのか。セレネの手をただ強く握りしめることしかできない自分に。
このまま戦っても操縦技術がまるで追いついていない。自分ではこの機体を扱いきれない。
モニターの方では敵機が接近してくるとアラート音が叫んでいる。
ライフル弾が直撃しているのか機体は大きく揺れ始めた。
金髪の魔術師が言っていたように誰も傷付かず、誰もが助かる方法など存在しないのかもしれない。
どちらかを切り捨てれば片方が助かる確率が上がる。ただそれだけなのだ。
だが、
――切り捨てる方が不死身の魔女ならば、片方の助かる確率が上がるだけなのではないか――
悪魔のような計算式が頭に流れ込んできた。
――そう、セレネは不死身。頭を割られても蘇生し、背中から無数の木材が貫通しても治癒できる――
間違っていると感情が言う。しかし、間違いでないと理性が論破する。
そんな考えが過った自身が信じられない。震える拳は何の答えも掴んでいない、強く閉じられた瞳は全てを拒絶したいともがいている。
「できねぇよ……そんなこと。できるわけ」
誰かを助けるのに誰かが犠牲にならないといけない道理がどうあっても覆せない。
それは自身に力が無いからだ。英雄になれれば、英雄になるだけの力があればそんな道理はなくなる。
何かを伝えたそうにセレネがその蒼い瞳で近くにくるように示唆してきた。
耳元で何かをリオンに囁き……笑みを零すセレネ。
「……選ぶべき時に“選ばない”じゃなく……“選べない”のが一番悪い」
ノーションが言っていた言葉を思い返す。
大切な人を助けてそれ以外を見殺しにする罪人か、大切な人を殺して名前も知らない大量の人間を救う英雄か、選べなくて全員を見殺しにする悪魔か選べと。
そんな選択できない。だが、できないじゃいけないんだ。
こんな仕打ちを受けているのに彼女は無理にでも笑ってみせた。
セレネの乱れた髪を軽く撫でてゆっくりと離れるリオン。
「……俺は」
彼女の覚悟を、彼女の強さを借りる。
リオンはそれだけ呟くとシートに腰掛け弾丸が飛び交う中、操縦桿の横へキーボードを引っ張り出した。
操縦しながら何かをしようというのだ。
踏み潰して困るようなものはもうない。多少乱暴な操縦であっても被弾回数さえ減ればそれでいいというのか、機体を走らせる。
文字を追い続ける黒い瞳から迷いが無くなっていた。
彼の中にある優しさと甘さは命の選別をする時には邪魔でしかない。
魔女の無限の魔力というのもこのような乱雑な接続では上手く供給されていないのかもしれない。
そもそも人という小さな器の魔力で巨大な機体を動かそうとすること自体に無理があったのではないか。
どれだけ広大なダムがあろうともそれを汲む器や水を引く為のパイプが細ければ供給量はそれ相応に少なくなるというものだ。
(機体は起動もできて活動もできてる……魔力が足りないわけじゃない)
【月花】がこうやって跳躍したり、樹海を走り抜けているとういことは魔力は足りている。メーターも確認してみたが十分に回復している状態だった。
(何かが足りてない。俺の技量、もっと他のエネルギー……もっと情報がいる。コイツがあの時みたいに戦うには――)
高速でキーボードを叩きながら損傷個所の状況とパイルバンカーの詳細を流し読む。
パイルバンカーの項目から次々と情報を読み取り、ハンドレットでは表示されていない機体特性についての項目が閲覧可能となっていることに気が付いた。
メンテナンス中にはロックが掛かっていて閲覧できなかった項目だ。
(“魔力を通して搭乗者の思考・感情を読み取り適応”……コンバットシステム)
兵器として扱われるメタルフレーム・タイプ・サウザンドには魔力を通して感情を読み取る……必要な時に必要な情報を機体が選別して開示・提案されるコンバットシステムが組み込まれているらしい。
それに倣うと【月花】はこの状態を“戦闘”と認識していないということだ。
この機体が戦闘を行っていたシーンを思い返す……。
【月花】は戦闘時、頭部の甲冑からカメラアイを保護するようにバイザーが下りていた。パイルバンカーを使用するにはあの状態になる必要があるのかもしれない。
【月花】はバイザーが開いた状態=戦闘が発生していない認識と見て間違いないだろう。
どうすればこの機体に戦闘状態だと認識させることができる。
魔力を通して感情を読み取るということは、リオン自身が戦闘を感じていないということになる。
だが、この集中砲火の中で“戦闘”を感じない人間など絶対にいない。
この感情が胸の鼓動が戦闘を感じていないはずがないのだ。
静かに呼吸をするセレネを見やる。彼女に接続されている無数のケーブル。
「そういうことか……」
落胆した声を漏らしリオンは、この運用方法の決定的な欠点を発見した。
各関節部から火花を散らす【月花】はそれでも凛としたオーラを纏っている。自身が破壊されることなどあり得ないと機体自身が意志を持っているかのように。
『動きが止まった! 有効射撃圏内まで一気に接近する。だが、絶対にやつの間合いまで接近するな』
リオンが落胆の声を漏らした一息後に、カーニン部隊が距離を詰めるべく一気にブースターで次々と跳躍する。
着地と同時に背中へマウントされているシールドを前面に出し強固な守りを実現させ、確実に仕留める姿勢に入った。
もう何発目になるかわからない被弾。次々と剥がれ落ちる蒼い装甲はそれでも機体に張り付いている。だが、激しくなる震動と警報が撃墜音に変わるのは近い。
「……【月花】は魔力が扱えない俺を乗り手として認識していない」
俯いたまま動こうとしない蒼い機体。弾丸が肩、脚部に直撃、遂には蒼い装甲が吹き飛ぶ。暗闇に光る敵の無数のカメラアイは獲物を追い詰めた肉食動物の眼にも見える。
もはやこの状況下では逃亡も難しい。
「どうする……どうする、どうする!」
鼓動が機体震動よりも早くなる。
魔力を媒体として乗り手の状況が機体へ情報を与えていくのだから、魔力を扱えないリオンがいくら戦闘を感じていようとも戦闘状態は【月花】に伝わるはずがなかったのである。
機体と心を通じ合わせる媒体=魔力が扱えない。
魔力が扱えない者がサウザンドに乗れないと言われる本当の理由はこれだったというのか。
動かすことはできても真価を発揮できないのでは乗れないのと同義だ。
特に【月花】のような接近型のMFは戦闘時の燃費が凄まじいため、非戦闘時と戦闘時の切り替えを行うのだろう。いくら腕の良いMF乗りが性能の高い機体を扱おうとも魔力が扱えずセーフティーの掛かった状態では性能は発揮できない。
【月花】のセーフティーを解除するには魔力を機体に送っている“セレネ”に“戦う”という強い意識がなければいけない。
人ならば何回死んでいるかわからない程の魔力を機体に供給。限度を超えた緊急起動の末、セレネの意識は完全に失われている。
セレネが魔力供給、リオンが操縦という役割分担をしたことが裏目に出てしまっている。
リオンに魔力を扱う素養が無いゆえに、どう足掻いてもこの作戦では勝ち目など無い。
「ちくしょう……っ!!」
セレネの覚悟まで裏切る形になった。
体中が焼け焦げそうな中、笑いながら背中を押してくれた彼女の期待まで無下にしてしまった。
今さらそれに気が付いたところでもう手遅れだ。操縦席を叩いた衝撃でノーションから貰った赤い魔石が足元に転げ落ち、無意識にそれを見つめる。
彼女ならばどうする……魔術が扱え知識に長けたノーションなら、驚異的な技量を持った天才サイなら、魔科学兵器を扱える侍姫リリィなら、義賊を束ねる頭領ジェノスなら……月花なら……英雄なら。
何発目になるかわからない着弾を受けてモニターの被害箇所が更新されていった。
「あんな子どもに二機も撃墜されるなど恥さらしもいいところだ!! 機体もろとも破壊せよ! 殺せぇ! 殺すのだぁ!!」
『了解! 敵機は……マシントラブルか? 動きが無い今がチャンス。繰り返すが、撃墜許可が出た今接近する必要はない! 火力を集中して確実に撃墜させる。迷子にならないようちゃんと付いてこいよ』
『り、了解!』
冷静な口調のパイロットは跳躍ブースターで部隊の先陣へ移動、樹海内を二足走行しながらマシンガンによる掃射を継続、後に続くカーニンを含む四機のサウザンドは扇形にフォーメーションを展開。
性能差のせいで明らかに追従しきれていないウィッツのハンドレットは樹海のどこかに置き去りにされたのかこの場にいなかった。
途切れることの無い部隊の弾幕。距離が縮んだ結果、先程より確実に命中率が上がってきている。
リオンは遠方から総攻撃を仕掛ける敵部隊を凝視。
敵のライフルは【月花】の装甲を持ってしても有効。アテにしていたパイルバンカーは使用不可。
機体のセーフティはリオンには解除不可能。
損失によって推進力、機動力が低下したこの状況で何ができる。
モニターが真っ赤に染まり機体耐久値も限界を迎えた。
「っく! 機体が……! 機体がもたねぇ!! セレネ、せめてお前だけでも助け――」
次々と着弾するライフル弾によってリオンの言葉はかき消される。
穴だらけの【月花】は大きく左右に揺れ動き、着弾煙が辺りを覆うほどの弾幕。兵器がガラクタへと姿を変えた瞬間だった。
 




