第63章
重い目蓋を空けて眼球を動かす。
一面が闇。夜のせいなのかそれとも光の無い部屋に押し込められているのか。
だが、首を動かした時に踏みしめた草木の感触で屋外だと悟る。
「っ……ここは。ぁっ! ぐぅっぅ!! はぁっ、はぁっ」
意識がはっきりした瞬間、激痛が全身を襲った。
こんな痛みを味わうなら目覚めなかった方が良かったとさえ思うほどに。
額からは血と汗が混じわった液体が垂れ落ち、震える握りこぶしはこれ以上ないほど固くなった。
「リオン!? 目を覚ましたか!」
「せ、セレネ。一体どうなっちまったんだ」
「家が踏み潰されて衝撃をもろに受けたお前は意識を失った……私がどうにか安全なところまで運んだが、私には手当の心得がない」
そう言いながら【月花】に積んでいた救急箱を見下ろすセレネ。薬草や包帯が地面に零れ落ちていることからセレネが試行錯誤していた様がうかがえる。その中に血液の付着した木片が無数に紛れておりリオンは怖気を感じた。
おぼろげながら思い出してきた。ジェノスとアルダインを救い出そうと瓦礫を撤去しようとした矢先の出来事だったはず。
ということは、ジェノス、アルダイン両名は助けることができなかった……ということだ。
「……また、何もできなかった」
「私を守ろうとしてくれただろう」
「それは――セレネ、お前怪我は大丈夫だったのか!?」
言いかけて今、鮮明に思い出した。セレネを庇おうとしたが逆に庇われたのだ。土壇場でセレネが盾になってくれたおかげで自身は生きていると言っても過言ではない。故にセレネが無事であるはずがない。彼女の姿をよく見れば服は全身穴だらけで服としての機能をかろうじて果たしている状態だ。
頬を掻きながらバツが悪そうにセレネは続ける。
「あ、いや。即死だったから大して痛くなかったぞ。気付いたら服はボロボロ、体は泥まみれだったが。ふんふんふん……うん、臭わないし大丈夫だろう。なに、問題ない。おっ……?」
腕の匂いを嗅いでいたセレネは予想外のできごとだったのか唖然としている。リオンが打撲まみれの腕でセレネを抱きしめていたからだ。
「馬鹿……野郎」
即死だったから痛くなかった。それは普通ではありえない悲しい形容の仕方だ。死ぬのを回避するために痛みが来るのだ。それを痛くなかったから問題ないで済まされることか。
血の付いた無数の木片は恐らく全て彼女の肉を抉っていたものだろう。引き抜くのにどれだけの苦痛を強いられたかなどリオンには想像すらできない。
状況が飲み込めてきたのかセレネはあたふたし始めた。
「おぉおい! なんで抱き着く? どうして抱き着いている!? ん、お前、また泣いてるのか?」
「う、うるせぇ……! 泣いてねぇ、何でもねぇんだ、何でも!」
「まったく、お前はアホという人種だな。それで隠しているつもりか。隠すならもっとうまく隠せ。それに――」
――鼻垂れリオンの方がお前らしい。
そう優しく告げて蒼い髪の少女は泣き顔のリオンを撫でる。
強がるリオンだったが鼻孔に入ってくる彼女の血の匂いはもろくも少年の心に突き刺さった。
◇◇◇
セレネはリオンの背中に薬草を塗りたぐりながら現状を説明する。
「……本当にウィッツのおっさんが裏切ったのか? ぃっ……てぇ」
「おぉ、すまない。適当に塗りたぐってしまった。私も直接会話していないから何とも言えないが、ウィッツのハンドレットと【夜光】が対立しているのを見た。今でこそ静かなものだが、さっきまで戦闘中だったんだぞ」
「【月花】はまだあそこにあるのか? もしかして、持っていかれたんじゃ」
あの機体はセレネの記憶を戻す鍵であるに違いない。もし、本国に運送されでもしたら打つ手が無くなる。
「大丈夫だ。村人と軍の間で色々あって……まだ見つかってない。【月花】も燃料が抜き取られていて動かすことができなかった」
「色々って……それに燃料が抜かれていた?」
「ウィッツの仕業だと思う。リリィの機体も恐らく同じ手口で戦闘不能にされたんだろう」
「そうだ! リリィは!?」
セレネが手招きして樹海の隙間から顔で覗いてみろと催促した。
「……ひでぇ。どうしてこんな」
決して賑やかな村ではなかったが、現在の村とは静かさの種類が違う。
ただ、ただ音が無い。静かにしているのではなく、静かにする人間がいない。そういった殺伐とした村へと成り果てている。
そして、微動だにしない紫色の鎧武者がサウザンドに囲い込まれていた。
相当な無茶をしたのか放熱板が剥き出しの状態で力尽きているその機体は、見るも無惨に力任せに解体されている最中だ。
恐怖を植え付けるための演出としてエース機を解体しているのか、それともあの中にいるリリィを引きずり降ろそうとしているのか。
いずれにせよ、現状では見ていることしかできない。
隣にいるセレネが付け加える。
「リリィはまだ脱出していないはずだ。さっき突撃したところを狙撃されてあの状態だからな」
「他の機体もみんなやられちまってる」
「動かなくなったところを撃墜されたんだろう」
唇を噛み締めるリオン。物量が勝っている義賊ならば善戦できたかもしれないが、機体を封じられれば何もできない。どれだけ人数がいようとも人対MFの戦いで勝てる術などないのだ。
「リオン……リリィを助けたいか?」
「助けたいに決まってんだろ」
「良かった、私も同じだ」
「でも……どうすりゃ」
やれやれと肩をすくめるセレネ。そして、何か思うところがあるのか意志を込めて彼女は言う。
「いずれにせよMFが必要だ。だが、【月花】の燃料は空だった。動かせるハンドレットも恐らく残ってない」
「……何かないのかよ」
何か……そう呟いて周囲を、思考を巡る。
自分の手元にあるものは救急箱と木の枝そして、燃料切れのMF。リリィを助け出せるようなものは一切ない。対人用の銃火器があったとしてもMFが相手では目くらましにもならないだろう。金髪の魔術師ノーションのようにMFを遠隔操作するような魔術が使えるわけでもない。そもそも動けるMFがないではないか。思考がふりだしに戻る。
何か見落としていないか、何かできないのか。一瞬でもいい、何か軍用MFの気を逸らすものはないのか。思考を詰まらせるリオンにセレネは静かに口を開いた。
「リオン、一つ提案がある――」
覚悟を決めた様子のセレネが自身の考えを述べ始める。だが、それは常識を逸脱した強行手段……セレネと旅をしてきたリオンには想像に容易いことだったが、その結論は彼が目指すもの故に考えつかなかっただろう。
良心の呵責に苛まれながらリオンは魔女の蒼い瞳を見る。彼女の瞳に迷いはない。
「……やれそうか?」
そんなことできるわけがない。脳裏にその言葉が過る。しかし、やらなければ何も変わらないのも事実だ。
何かの犠牲なしに得られるものなんてない。
それは力のあるやつの方便だ。
どうして犠牲になっている人間が更に何かを犠牲にしなくてはいけない。
力ある者が何かを犠牲にしたというのか? リリィのMFをあんな姿にしている軍人は一体何を犠牲にした結果の力だ。今まで散々犠牲や代償を払ってきた樹海の人間はこんなところに追いやられて得た力は何なのだ。
代償を払うのは弱者。何かを得るのは強者。そんな悲しい理がこの世界を作っている。
「……お前は本当にそれで」
「いいんだ。なに……私は魔女だからな」
力で負けているなら想いで勝たなければならない。覚悟で相手の上をいかねばならない。
力が強過ぎれば誰の想いも届かない。力が無ければ誰の想いも叶わない。しかし、想いが強ければそれはいつか届く。だから、何かを強く想うことが――英雄になって大切なもの全て守る――そう何かを想い続けることが大切だと、心のどこかで信じていた。
でも現実は違った。
「わかった……」
リオンは拳を握りしめて彼女の決断を受け入れる。セレネが提案した最初の一言、それは
――月花に普通の燃料は必要ない――