第54章
バーバ・ヤーガ村に君臨している木造の大邸宅。
その大広間には二人の長が椅子に腰かけている。部外者であるリオンとセレネを追い出し、ジェノス、チョベリー共に護衛の部下も下がらせている。
しかし、未だに会話が無い。お互いに出方を覗っている様子だ。
「ババァ……何、企んでやがる」
「そっちこそ、使えないガキ共を拾って何を企んでんだい? ハイエナの懐はそんなに広くは無いだろう? カンガルーにでもなったつもりかい?」
煙管を堪能しながら、天井に向かって煙を吐き付ける老婆。
「ふん、あのガキ共は“徳”になるんだよ」
ジェノスの発言に疑いの眼を向けたままゆっくり頷くチョベリー。そして、煙管を咥えたまま語る。
「ハンスタの基地がぶっ潰されたって言うじゃないか。“拷問のハンスタ”なんて呼ばれていたクソ軍人の基地だ――世間様に公表できない何かをしていても疑われないだろうね」
そうさね、と口から煙を噴き出し老婆は続ける。
「フーッ。差し詰め、あのガキ共は基地に飼われてた《実験動物》を知ってる……とか?」
眼帯の無い方の眼が鋭くなるジェノス。
そして、もうこの老婆に隠しごとは無意味と悟ったのか、ジェノスの表情からは溜息と共に気が抜けていく。
「火の無いところに煙は立たない……か」
やれやれと老婆の情報網に感心した素振りを見せ、掌を上に向ける。
「最近、街で出回ってる甘生樹の出所を嗅ぎ詰めた思ったら、とんでもねぇのが出て来やがっただけのことよ。あの基地、やっぱ普通じゃないぜ。過剰なMF迎撃装置もそうだったが、人数が有り余っているしょぼい基地だってのに、人手不足を理由にして村人を雇用していたってのも胡散臭い」
言いながら懐に忍ばせていた一枚の紙切れを机に放り投げるジェノス。
チョベリーは滑る様に向かってくる紙を煙管の力強い一叩きで止める。
読む価値が無いというのか、一目見てそのまま床に払い落とされる基地の活動報告書。
「はん。こんなもんは……ハンスタが作った紙面上の理由だろう? 村には入らなかったのかい」
「直接確認したかったが、ぶっ壊されてたんだよ……基地もろともな。俺達以外に動いた連中はいねぇし、盗賊なんて半端な連中があそこを落せるとは思えねぇ」
「まったく使えないハイエナだね。じゃ、あの小僧共はどこで拾った?」
「近くの荒野だ。実験体が逃げ出したかと思ってアイツらと一戦交えたが白だな。自力で軍の追跡を振り払う力もねぇよ。そこで、俺は一緒に逃げたっていう女に目を付けたわけだ。アイツらのお守をしながら村を脱出したっていう化物にな」
「女ねぇ……そいつが実験体だってのかい?」
「全部が憶測だ。そもそも本当に何らかの人体実験がされていたっていう確証を掴む前に誰かに潰されちまったしな。手際が良過ぎるのも何か裏がありそうだが」
頭を掻き毟り舌打ちするジェノス。後一日早く行動していれば尻尾を掴めたかもしれない。
「わからんことを考えてもわからんさね。気になるなら小僧共に聞きな。それと自国の軍隊を嗅ぎ周るのも結構だが、バルバックス帝国がいつ宣戦布告してくるかわからないって話も聞く。帝国では王宮に引き籠ってる穏健派の連中が次々に暗殺されてるって噂だ。“帝国の悪魔”ってのが首謀者らしいけど……どこまでが本当やら」
「無差別に軍へ攻撃を仕掛ける戦闘狂が帝国の悪魔だろ? なんで戦闘ができねぇ宮廷のジジィ共だけ殺されてんだ……あっちの国も臭いやがるな。金と欲の臭いがぷんぷんと」
机の上にある足を組み直し、煙管を一吸い老婆が嘲笑う。
「共和国も帝国もごたついてるってことさ。武力があっても統治能力が皆無な魔術国家はこの先特に荒れるだろうね。わけのわからない義賊ってボンクラ共が国勢を更に乱してるしねぇ。あぁ、早く死んでくれないかねぇ」
顎でジェノスを指す白髪の老婆。
「悪いがまだ死ねねぇな。共和国にこびり付いた腐った膿を絞り出すのは今しかねぇ。この国はもう腐ってやがる。……汚れきって用済みになった膿共を絞り出さなきゃ新しい時代は来ねぇ、伝説の義賊“フェンリル”がやったようにな」
私には関係ないとでも言いたげに、天井を暇そうに見つめているチョベリー。
「そんなに膿を絞り出したかったら偉くなったらどうだい。……ロイ・ゲハルトのようにね」
「アイツは関係ねぇ……偉くなったところで、何が変わる、何が変わった?」
暗い表情で眼帯を直し、老婆を一睨み。
「俺達の国は壊死しつつあるんだ。街に住んでる人間、力のある連中は自分の地位と金のことしか頭にねぇ……自分さえよければそれでいい。そんなやつらが国を動かしていけるとは俺には思えねぇんだよ」
真剣で、且つ苛立っている様子の長髪眼帯の男。
「なら、平和ボケしてやがる街をぶっ壊してやんな。井の中の蛙も周囲が炎に包まれれば目が覚めるだろうよ。お前が担保にしてるブツとお前のチンピラ共を使えば一つか二つはぶっ壊せるだろう?」
「街をぶっ壊したところで、考え方まではぶっ壊せねぇよ。俺達が犯罪者として処刑されれば、平和になってまた同じことの繰り返しだ。それに――」
椅子に深く座った眼帯の男は腕を組んだまま、前髪越しに視線だけを老婆に向ける。
「俺達は盗賊じゃない。義の無い戦い、無抵抗なやつとの戦いはしねぇ」
力強い口調で言い切るジェノス。
「ともかく、軍が引くまでこの村にいさせてもらうぜ。家賃ならアレをバラせばまだ釣りがくる範囲だろ?」
椅子から立ち上がり、靴音を鳴らしながら邸宅を後にしようとするジェノス。
「あぁ、そうだ、ジェノス。人造人間ってのを知ってるかい?」
わざとらしく今、思い出したかのようにしゃがれた声を発する老婆。
「……喧嘩売ってんのか、ババァ」
途端、ジェノスの瞳から生気が消え失せた。その形相はハイエナなんてものではない。
邪悪で黒い体毛を纏い、鋭利で金色の眼を持つ黒豹のようである。
そんな人物相手に顔色一つ変えない老婆。チョベリーはジェノスから一瞬たりとも視線を逸らさなかった。
胸の血管を押し潰すような緊張感。
痺れを切らしたのは眼帯の男。
「ッチ、大戦中に量産された人形……いや、兵器か。痛みも感じない感情も無い、まさに殺戮兵器。だが、あまりの強力さ故に、自我を持ったホムンクルスが反乱を起こすことを恐れ、ほとんどが処分された。以後、製造は禁止……これで満足か。胸糞悪いこと思い出させやがって」
背中越しに手を振りながら、急ぎ足で外を目指すジェノス。
良い回答だと満足げに微笑む老婆。人の不幸をまるで美酒のように味わっている。
「じゃ――人造魔女なんてのも知ってるかい? 割と旬な情報だよ」
老婆の声を聞いたジェノスは動揺を瞳に宿したまま完全に固まっていた。
「なんだと……」
「人造人間でそれほど強力だったんだ。人造魔女なんてものがいれば、さぞ愉快なことになるだろうね。人体実験をしても公にならない村……そんな村が確かあったような」
「その情報元はどこだ! 答えろ!!」
「まぁ、話はここまでだよ。お前の得になることばかり、これ以上言えやしないね。アタシ達にも得になるモノをくれるっていうんなら考えてやってもいいじゃないか……例えば、蒼いMFとか……担保にしてる“黒い豹”とかねぇ」
骨と皮だけの顔には、欲と勝利に道溢れた眼球が二つ。
ジェノスは深く息を吸い込み、短く吐く。
そして、意を決したように机に掌を強く叩き付け、老婆を下から睨む眼帯の男。
「上等だ……いいだろうババァ。あんたの言う通り、あんたの得にもなることをしなくちゃフェアじゃねぇよな。どうしても、アレが今すぐ欲しいってんなら……俺と勝負しな!」
記号の羅列が数行に渡って記入された羊皮紙、少し黄ばんだ白い羽ペンを胸元から取り出し、血液をペンの先端に滴らせるジェノス。
慎重に何かを書き終えた後、親指の血印を押して乱暴に老婆へ突き出す。
「ほぉ~血の盟約かい。いいだろう。アタシが勝ったら、蒼いのと黒いのを頂くよ」
記号の羅列を隅々まで舐めるように見た後、ジェノスの血印の横へ自分の血印を押すチョベリー。
魔術師同士で行われる血の盟約は、現在違法とされている。
法律など無い、無法地帯に近かった古代において、魔術に長けた古代人が相手に約束を守らせるために作った呪術の一種。
血の盟約においては、古代人が組み上げた術式・言語をほぼそのまま使用しているため、効力は絶大。内容によっては次代にまで影響を及ぼすものまである。
決して違約のしようが無い取り決めを行う時だけに使用される、容赦の無い呪術。
「俺が勝ったら、洗いざらい知ってることを吐いてもらう。勿論、アンタだけじゃない――犯罪経歴がびっしり詰まったヤバイことに関わって来た村人達も対象だ」
「そこに書いてる呪戒を読んだからわかってるよ。まさか、こんなものまで持ち出してくるとはね。で――」
どうやって白黒付けようってんだい?そう言う老婆の両手には、魔術による炎が高々と燃えたぎっていた。
「ふん、相変わらずだなババァ……もちっとクールに考えろや。俺達がドンパチやっても面白くねぇ、だろ?」
椅子に掛ける老婆目掛けて歩み寄る長髪眼帯の男ジェノス。老婆が攻撃しようものなら直撃は免れないであろう。
長髪眼帯の男は防御する気配も見せていない。
老婆の両手に宿る炎が音を立てる中、遂には老婆の眼前まで迫り、小さくある提案をささやいた。
「ふ~ん……面白いじゃないか。その話、乗ったよ」
二人の長だけで取り決められた契約。
最後に嘲笑うのはどちらなのか。