第51章
岩山を抜け、吹き荒ぶ砂塵をMFで掻い潜り、村があると言われる樹海に到着したリオン。
辺り一面黄土色の世界にまるで切り取られたかのように存在する緑色の木々。
通称、“魔女の森”。
緑、黄緑色の葉の群から空を見上げると、青と緑のコントラストが視界に広がる。木陰に吹き込む涼しげな風と木葉が擦れる音を聞いて誰が今、荒野にいると思うだろうか。
ここは既に異常だ。
かれこれ木々をMFで押しのけながら樹海を進むが、未だ村に到着しない。そもそも村など本当に存在するのかすら疑ってしまう。
生い茂る木々はメタルフレームをも覆ってしまい、方向感覚を失わせるには十分。そして、自然界の膨大な魔力を循環させている“地脈”のせいで、メタルフレームのレーダーさえも狂わせるというありさまだ。
例え村があったとしても、一度樹海に飛び込んでしまえばどの方角に村があるのか全くはずもない。
そして、リオンは先ほどから通信に漏れているサイの怪しげな声を気にかけていた。
「なぁ、サイ。身体の調子でも悪いのか? さっきから何かブツブツ呟いてるみたいだけど、ジェノスに知らせるか?」
『え? あぁ、気になってしまいましたか。すみません。これは道に迷わないための呪いです。この"魔女の森”は、一度迷うと同じ場所を何周もするだけで抜け出せなくなるんですよ。方向音痴のジェノスさんが先頭を歩いていますし……まぁ、気になさらないでください』
「って余計に気になるわ! っていうか、アイツが方向音痴って知ってたならお前が先頭歩いてくれよ!」
爽やかな笑顔でサイが一言。対して血の気が引くリオン。
先ほどから同じ風景ばかりの繰り返しであることにようやく気が付いた。メタルフレームの足跡が徐々に増えていることから、自分達は違う場所を歩いていると思っていたが、これらが全て自分達の足跡である可能性だって大いにあり得る。
「ジェ、ジェ、ジェノス! ちょっと止まらないか。さっきも似たような場所を通ったぞ? このメタルフレームの足跡って……俺達の」
『あぁ? 右の壁に手を付きながら歩けば……その内着くから黙って付いて来い。お、あったあった』
「それは迷路に入った時の最終手段だろ! ここ樹海だよ! 壁なんて無いんだよぉぉ!」
リオンの叫びも虚しく、気だるそうに通信を切った長髪の男ジェノス。
自信満々に先頭を歩くオレンジ色のサウザンド。まるで、導かれているかのように深い森の中を歩いている。
『いやぁ、姐さん達が先に到着していて良かったってもんです。ここは何回来ても迷いそうですわ』
ジェノスに向けて強面のウィッツが陽気に通信を飛ばしている。
リオンには迷っているようにしか見えないこの状況だが、着実に村があると言われている地点まで近づいているとでも言うのか。
『ははは、驚きましたか? ちゃんとジェノスさんは正しい道を歩いてますよ。リオンさん、ジェノスさんの前にあるMFの足跡をよく見ていて下さい。呪いよりも確かな効果があるものを先に村に向かった方々が用意してくれていますから』
月花の隣を歩く青色のハンドレット・サイからの通信。足元を拡大表示させて何かを発見したセレネが甲高い声で鳴く。
「ぁぅ……大きな……弾痕」
「セレネ、お前に他意は無いと思うんだ……でもな、お前が言うとすんげぇ卑猥に聞こえるんだ」
「失礼だな、弾痕のどこが卑猥な言葉だ! 大きな弾痕もあれば、小さな弾痕もある。いきり立つ弾痕だって! 弾痕に罪は無い!」
「最後のは明らかにおかしいだろう! いきり立つ弾痕ってどんなん弾丸がめり込んでんだよ! ……とりあえず、前向いて操縦してくれ。ジェノス達を見失ったら俺達死ぬ」
溜息を一つするリオン。
むくれているセレネが連呼していた通り、ジェノスは大きな弾痕が打ち込まれている足跡だけを追うように進んでいた。先に到着しているという仲間が付けた目印なのだろう。
確かにこの樹海では目印でもなければどうにもならない。メタルフレームを使ってこれだけの時間がかかるのだから、徒歩でこの樹海に踏み込めば命の保証は無い。
こんな樹海に村を作った人物はさぞかし、屈強な体と精神の持ち主に違いない。
『樹海が開けて来ましたね。そろそろ、バーバ・ヤーガ村だと思います』
サイの優しい声がコックピットに響く。この戦いとは無縁そうな声の主がMFで白刃取りをするなど誰が信じるだろうか。
『おい、レオン。ノーションて言う姉ちゃんを見つけたらとっ捕まえろよ。義賊の未来を担う大切な仲間だからな』
ノーションに会ってもいないのに、もう仲間にしているジェノス。彼女がこの場にいれば、オレンジ色のサウザンドは魔弾による弾痕で更にデコレーションされるに違いない。
一方で、リオンはノーション達が今から向かう村を訪れている可能性は無いと結論を出していた。
「いくらノーションさんでも、こんな樹海に入り込んだら迷う……村なんて探し出せるわけない」
『ん……あぁ。ノーションっていう女じゃないにしろハイエナ以外の“誰か”がこの村に足を踏み入れてるのは確実だ。メタルフレームの足跡がやけに多い。まるで、軍の追っ手がぞろぞろと……ん? お前ら……散れ!!』
強い殺気を感じ取ったのか、眼帯の若頭は鋭い視線を樹海の奥にやり、跳躍とクイックブースターで射線軸から逃れた。
ジェノスが勘付いたのが先か、招かざる客が姿を現したのが先か。
その刹那。
弾丸ではなく、弾丸となった“紫色のメタルフレーム”が突如として後方の茂みから高速接近。腰に付けた巨大な刀を構え、木々を全身の走行で粉砕しながら道を作っている。
待ち伏せ。大木が舞い散る中、リオンの直感がそう答える。
リオンは何かを叫ぶ暇すら与えられなかった。息を飲んだ瞬間、そこには紫色の鎧を着た処刑者が眼前に迫り、銀色に輝く長刀を構えていただけのこと。
それが軍の機体なのか、盗賊の機体なのかなど判断する猶予など無い。
ただ理解できたことは、この油断し切っていた瞬間に神速で抜き放たれた光の刃を止める術など無い。
頭の合図に反応したハンドレット達は瞬時に散開。が、月花の機動力でそれは不可能である。
最初からターゲットを絞っていたかのように、月花へと一直線に接近してくる処刑者。
今や距離はーー。
『っく、頭ぁ! 小僧達がぁ!』
ウィッツが叫んだのを最後に音が失われた。
鳥の鳴く声も風が木々を揺らす音も消え失せ、敵機による風圧が遅れて周囲を駆け抜ける。
音さえも切断した紫色の武者。
無音。
静寂。
沈黙。
リオンの呼吸は止まっている。緑に覆われた世界で走馬灯が過り、現実を拒絶するかのようにまぶたを強く閉じたまま。
「……あ、れ?」
リオンが恐る恐る目を開くと、依然として緊迫した空気が張り詰めたコックピットがまだ存在している。
セレネも操縦桿を握りしめるのがやっとだったのか、蒼髪が掛かった小さな肩が心なしか震えている。
月花は全く動けていない。ならば何故彼らは生きているのか。
すると、紫のMFから静かなる声が響いてきた。
『……思いがけない事態。背後から斬り付けるなんて、武士道に反する行為。私はこんなことをするつもりでチョベリーを連れて来たんじゃない……』
その女の声を表すならば水が適切だったであろう。汚れも、味も愛想もない。
しかし、その声の主からは僅かだが怒りが聞いて取れる。
『うるさいねぇ。お前はね、真面目過ぎるんだよアホんだらが。武士道なんて捨てちまいな! 邪道の方が何倍も役に立つ。だいたい、アタシの庭に土足で上がり込んできたボンクラを斬り殺すのに誰の許可がいるってのさ?』
イントネーションがズレた擦れ声。それでいてサバサバと人を斬り捨てるようなその口調。老婆のものと思われるその声は、同乗者の声に噛みついていた。
『あ、あのお二方、とにかくこの刀……締まってもらえませんか』
月花を庇う様に飛び出していた青いハンドレットが恐る恐る意見する。
超高速で抜き放たれていた反りのある細長い刀。
ようやくその全貌を見ることが出来た。
芸術品とも呼べるその一刀。森林の緑の中に、一筋の銀が陽炎のごとく揺らいでいる。刀身に映るは、サイが駆る青色のハンドレット。
身を呈して飛び込めるサイもさることながら、MFの武器で寸止めを行える紫のMFも普通ではない。
『……ごめんなさい』
擦れる様な声を口にした途端、鋭利な切先をいそいそと腰の巨大な鞘に納め始める紫色の機体。
機械仕掛けの兵の双眼から敵意が消えた。
見る限り月花と同じく接近戦パワータイプのMF。装甲を極限まで高め、大型のブースターで鉄の塊となり接近する戦闘スタイル。この機体に接近されれば最後だろう。
助けを求めるようにジェノスの機体へとカメラアイを向ける紫色のメタルフレーム。
『ッチ。オイ! 婆さん! 随分な挨拶じゃねぇか。ウチの姫さんを足に使った上、結構なことしてくれたな。レーダーが使えないとはいえ、カメラアイで俺達だとわかったはずだが?』
『はん。ほんの挨拶だよ。アタシが本気だったらお前たちが生きてるはずないだろ……ババァ舐めんじゃないよ』
『っ……上等だ』
通信を交わすジェノスと老婆は決して穏やかではない。今にも殺し合いが始まりそうである。
「ちょっと! ちょっと待ってくれ! もう、何が何だかわかんねぇって! この紫はジェノスの仲間か?」
『機体と機体の持ち主は仲間なんだが、中にいるクソババァは違う』
リオンの言葉に眼帯の若頭は毛を逆立てるように返す。
「じゃ、何もんだよ」
完全な敵というわけでもない。かといって味方に奇襲をしかける馬鹿がいるとでも。
明らかに老婆の存在が、異質であった。
『ふん……バーバ・ヤーガ村の所有者だ』
ジェノスはバツが悪そうに言い捨てる。
そして、月花のモニターに煙管を堪能しているガラの悪そうな老婆が映し出され、煙を吹きつけながらこう言った。
『小僧共、よく来たね。ようこそ――クソ野郎共の集う村へ――』
リオンがとんでも無い村に連れて来られたと思ったのは言うまでもない。