第48章
「で、生存者はゼロ……だったと」
明朝、優しい朝日の光に包まれながら、村人のいない村を眺める茶髪の男。軍服の襟には少佐の証である正六角形の襟章が付けられている。
腕を組んでいるその男は部下からの報告を一通り聞き終え、鼻で笑った。
血痕、崩壊した基地、MFの破片、そして、喉に張り付くような死臭。これだけの惨状を目にしても涼しい顔をできるのは、さすが軍人と言ったところであろうか。
だが、彼、特有のちゃらけた雰囲気は微塵も無い。
そのことからこの惨状を善しとしていないことは、部隊の人間ならば理解できるであろう。
「報告ご苦労、下がっていいぞ」
「ハッ!」
先にこの村に到着していた隊員が敬礼をし、上官である彼に背を向け去って行く。
その姿が完全に見えなくなるのを見計らって呟いた。
「ポエム軍曹、お前はこの状況をどう見る。 って……お前、いい加減にMF酔いを治せ」
勇ましい少佐の側で膝を付いたまま、げぇげぇ吐いている黒髪の軍人に視線を配る。
少々呆れたといったように片目に手を当てる茶髪の男。
「はぁ……はぁ、ハッ! お見苦しいところを失礼しました! シュナイゼル大尉を疑うわけではないですが……少し報告内容が完璧過ぎる、いえ、この短時間で作ったとは思えない程のできかと」
「いや、構わん。 俺もそう感じていた。 だいたい、一切の無駄を切り捨てるシュナイゼルがこんなものをわざわざ作るとは考えにくい」
「ゲ、ゲハルト少佐……それは少し言い過ぎですよ。 大尉だって信仰する神はいるはずです」
唇に残った胃液を忍ばせていた布切れで拭き取り、ポエム軍曹はチャームポイントの黒縁メガネを整えてロイ・ゲハルトに意見する。
とても軍人には見えない優男。人など絶対に殺せないであろう童顔の持ち主のポエムにロイは、さりげなく水を手渡す。
「シュナイゼルは、盾になって死んだ兵達の墓すら作らなかったやつだ。 アイツは神なんて信じている柄じゃない。 そんな奴が、村人全員の墓を作っただと? 笑わせる」
ロイは村の入り口に並べられた数十もの墓を見やる。
花こそ添えられていなかったが、全て共和国の国教であるセフィラ教の墓構えである。
「心外ですね、少佐。 私とて、信じているモノはありますよ」
落ち着き払った声がロイの背後からした。革靴の音を鳴らしながら近づいてくる金髪オールバックの男。
「シュナイゼル、ちょうどお前に聞きたいことがあったんだ。 戦死したハンスタ少尉についてだ」
「あぁ、弟のことですか。 えぇ、何なりとお聞き下さい」
ポエム軍曹が「少佐! それはあんまりです。 少尉は大尉の――」と横で抗議したが、シュナイゼルがあまりにも涼しい声で許可したため、黒縁メガネを整えて押し黙った。
「少尉は誰に殺された」
「“帝国の悪魔”です。 先ほど、同伴した先行部隊の者に報告させたと思いますが」
「何故、それがわかる。 我々は“帝国の悪魔”ではなく、帝国の隠密を探せと命令されて来たはずだ。 何故、隠密の仕業ではなく、悪魔の仕業だと断定できる」
ロイが視線を逸らさずに、シュナイゼルの青い瞳を見つめた。逃がさないと、目でそう言っているようだ。
「なるほど、報告した者の報告の仕方が悪かったようですね」
仕方ないとでも言いたげな溜息を付いて、墓の前を無造作に歩き回る大尉。鋭い吊り目の目は、上官の瞳から逸らしていない。
「まず、第一に、敵は大胆にも迎撃システムを正面から突破して来たと思われます。 ここのシステムはハンドレットの小隊が一つあれば突破できる程度ですが、正体を明かしては不味い帝国隠密がそんなムダなことをするとは考えられません。 よって、隠密以外の何ものかの仕業」
じゃりりと、砂を踏みしめ、首だけを上官に向け更に続けるシュナイゼル。
アイコンタクトを取って続けた。
「第二に、基地内には“帝国の悪魔”の物と思われる破損パーツが幾つも発見されています。 ここの基地に黒い塗装をした機体は置いていません。 そして、決定的なのは、少佐はまだ目にされていないですが、禍々しい魔科学兵器が一本残されていました。 恐らく悪魔が扱っていた物でしょう。 基地内で奴が暴れた何よりの証拠です」
言い終わったシュナイゼルは、オールバックの髪を更に上げて髪を整える。
ロイは顎に手を当てながら、口を開いた。
「ほぉ、魔科学兵器か……後で見に行くとしよう。 では、質問を変えよう。 シュナイゼル、隠密は現在どこにいると思う。 そもそも本当に隠密などいたと思うか」
「隠密は存在します。 そして、奴らの目星も付いています」
そう言って一枚の写真をロイとポエム軍曹に見せるシュナイゼル。
ポエムが写真を手に取り、爆煙の中で僅かに写っている機体をロイに指さして教えた。
「この写真に写る白銀の機体。 そして、操縦者である金髪の女が隠密である可能性が高いです」
「大尉、何故パイロットが金髪の女だと思われるのですか? その女の写真も見せて頂けますか?」
「残念ながら無い。 これは殺される寸前に我が部隊の者が残した写真です。 女の情報は、かろうじて生き残った者が最期に言い残した言葉から入手しました。 優秀な兵達です。 無駄死にしなかった」
爆煙から垣間見える白銀の機体をまじまじと見て、なるほどと呟くロイ。
「よくわかった。 ここまで的確かつ無駄の無い調査を既に終えているとは、さすが大尉だ。 少佐を奪われるのも時間の問題だな。 下がっていいぞ」
「ハッ! ふふ、私などではまだ、少佐の地位に付くのは無理というものです」
微笑をして調査が行われている村の中に振り返って戻って行くシュナイゼル。振り返った瞬間にまだね、と残酷に呟いたことは誰にも聞かれていないであろう。
すると、
「シュナイゼル大尉、止まれ!!」
腹の底から叱咤するような声がその場に響いた。名前を呼ばれた本人が肩をビクッと震わせ、振り返る。
そこには敵を見る様なロイの視線があった。
「ハッ! 何か他にもご用でしょうか? ゲハルト少佐」
「墓を作るように命じたのはお前だったか? お前が墓を作ってやるなど、少し意外だったぞ」
冷静なシュナイゼルとて、陰口を聞かれたのではないかと疑っていたのであろう。ロイの質問を聞いた瞬間に、彼の薄い唇が歪む。
そして、先程と同じような声のトーンで、
「はい、私です。 罪無き人間があまりに無残に殺されていたので」
「そうか、さっきは信じている神などいないなどと言って悪かったな。 少しお前を見直したよ」
「いいえ、気にしていませんよ。 戦場で死んだ者を埋葬することも軍の仕事です」
仲間に見せる最高の笑顔。信頼の証をシュナイゼルに送り、背を向けるロイ。
「なぁ、一つ聞いていいか。 村人はどのように殺されていた?」
「ハッ! ……どのように、ですか」
シュナイゼルの息を飲む音がした。それ程の沈黙がロイの発言の後に発生したのだ。
自分達が埋葬したのならば、絶対に知っているであろう事実。今まで難解な考察を無駄なく答えていた大尉が、死体の状況を説明することにどうしてこれほどの時間が掛るのだろうか。
「MFで踏み潰されている者が……ほとんどでした」
「そうか……そいつは酷い死に方だ。 然るべき場所に埋葬する時、俺も確認させてもらうとするよ。 俺達の力が及ばず殺してしまった者達だ。 死者全員と顔を合わせておくぐらいの誠意は見せねばいかんだろ」
感情の無い声と眼で金髪の軍人を睨むロイ。相手の出方を覗っている。いや、これは試していると言った方が適切かもしれない。
「いいえ、少佐がそのようなことをする必要はありません。 我々、下の者が責任を持って然るべき場所ができれば墓を移します」
シュナイゼルはそれだけ言い残して逃げるように去った。
貯め込んでいた息をゆっくり吐き、ポエム軍曹がロイの背中を見上げている。
「はぁ……少佐、あまり大尉を刺激しないで下さいよぉ。 僕は大尉達とここに残って調査をするんですから」
「刺激? 俺は大尉を褒めただけだ。 そういった意味では良い刺激だったかもしれないな――ところで」
してやったり、と言った表情で笑うロイ。
が、表情を一変させ、横目で軍曹の黒い髪に視線を落した。
「悪魔が殺した相手の墓を掘るか、軍曹?」
「サービスの良い悪魔ですね。 永眠させるベッドまで用意してくれるなんて」
「隠れるので忙しい敵国の隠密が敵国民の墓を掘るか、軍曹?」
「とんだ残業ですね、僕なら掘りませんよ」
二人の意見が一致したと、目を合わせる少佐と軍曹。
「じゃ、一体誰が墓を」
「掘ったのか」
最後の言葉を軍曹に言われ、よろしく頼むと肩を叩いてその場を去るロイ。その期待に応えると敬礼で意思を示す童顔の軍曹。
ポエム軍曹の敬礼に見送られて、ロイは並木のように並んだ墓の道を堂々と歩く。
「どこぞの埋葬屋……早く見つけなければ消される。 ハンスタ……奴はここで何をしていた。 シュナイゼルも一枚噛んでいると見て間違いない。 そして、悪魔に隠密……っくそ、わからん」
一人になった途端、推理を開始するロイ。
苛立っているのか、でこに当てた人差し指がとんとん動き続けている。
「ん? これは」
ロイは踏みつけた一枚の赤い葉を拾い上げ、指でくるくると回す。
棘が生えたような痛々しいフォルムを持つ特徴的な葉。荒野に生える植物の葉ではない。
何かを予感したのか、整った顔だちの口元を緩ませた。
「フッ……ナンセンスだ」
◇
巨大な弾跡が残る家々、全ての弾痕はシュナイゼルが白銀のMFと蒼のMFを殺すために撃たせた軍によるものである。
廃墟の外れに人気は無い。差し込む朝日も瓦礫によってそこだけ影が出来ている。
金髪オールバックの男、シュナイゼルが凛々しい顔を歪ませていた。
「ただのぼんくらかと思ったが、わりと頭も回るようだ。 少佐の階級は伊達ではないということか」
「大尉……他の者に聞かれます」
耳打ちで注意を促すシュナイゼルの部下。ロイに現状報告をしていた兵である。彼の耳打ちに軽く手を上げて下がれと命じる大尉。
そして、シュナイゼルにしか聞こえない程の声で、
「大尉、逃げ出したもう一機の青いMFですが……迎撃に送った五機のMFは全滅です」
「青い方は戦闘もせず、驚異的な速度で逃げ切られたとふざけた報告を聞いたが? なるほど、伏兵がいたのか」
シュナイゼルが遠くを見ながら、部下の反応を待っている。
「いえ、伏兵はおらず、単機で我が部隊と戦闘したもようです」
「ほう? かなりの腕ということか。 魔科学兵器を隠し持っていたか……あるいは、それに匹敵する武器を。 それで、敵サウザンドの機体色以外の特徴は?」
言葉に詰まる兵士。よく見ると手が震えていた。
「は、ハッ! それが、敵はハンドレットです。 荒野に出た後、待ち伏せていたかのように舞い戻り……部隊の者を」
「――ただのハンドレットにやられたと? 他に情報は?」
吊り目を更に吊り上がらせて怒りを露わにするシュナイゼル。ハンドレットがサウザンドに勝つなど有り得ないことである。まして、軍用MFは装備も行き届いており、武装した盗賊などでも太刀打ちできない強さを誇っている。
それを――ただのハンドレットにやられたと。
「て、敵はほとんど丸腰だったようです、ひっ!」
「丸腰のハンドレットに五機ものサウザンドがやられたと? そしてそれ以外何もわからなかっただと? はっ、屈辱的なことだよ、これは。 理解しているか?」
「ハッ! 十分に! 十分に理解しております!」
「それならばいい。 知ってると思うが、私はムダが大嫌いだ。 君の給料、いや、君の命がムダにならないことを祈っているよ、君の代えはいくらでもいる」
にこやかに笑っているシュナイゼル。兵士はこの世の終わりに遭遇したような顔で地面に座り込んだ。
「白銀の機体は隠密としてゲハルトが探し出してくれるだろう。 敵国とのデリケートな問題だ、白銀の機体の存在が表沙汰に出ることは無い。 が、問題はこっちだ。 青のハンドレット、君に始末することができるか?」
無言でやらなければ殺すと言われているようなものだ。この兵士に選択肢など無い。
「ハッ! 始末してみせます! あの……大尉。 お言葉なのですが、白銀の機体は本当に隠密なのでしょうか? 万が一、冤罪だった場合……そのように報告した私の立場は――」
「つまらん心配をするな。 白銀が一般市民であった場合、それを裁いたゲハルトの首が飛ぶだけだ。 そして、我々にとって白銀の機体が隠密であるかどうかなど、どうだっていい。 ここで行われていた実験を知った可能性がある。 それだけで十分な罪だと思わないか?」
「は、ハイ!」
冷や汗を流しながらも、悪魔の囁きに答える兵士。
シュナイゼルは、「他に報告は?」と手を翻す。その鮮やかな動作を見て、慌てながら報告を再会する。
「っあ、標的は恐らく“ハイエナ”の一味かと」
ズボンのポケットから一枚の写真を取り出す兵士。それはロイには見せていない青いMFの写真だった。
「このエンブレム……間違いない“戦争のハイエナ”。 略奪・虐殺の限りを繰り返して来たハイエナ共……都合が良い。 害虫駆除という名目で上を利用することも可能だ。 君が死ぬ確率も少し減ったな」
写真を取り上げ、写真を破り捨てる金髪の男。
突然の出来事に兵士は言葉が出ないようだ。
「これでこの事実を知っているのは私と君だけだ。 ここで行われていたことを口外されると非情に不味い。 青のMFを見つけ次第――そのムダな口を抉り取れ」
風に乗って消えていく、サイが乗っていた青いメタルフレームの写真。
「“戦争のハイエナ”を討伐する部隊は私が何とか要請する。 部隊が揃い次第、君は精鋭を揃えてこの“青”を殺せ。 いや、情報を共有している可能性もある。 探し出して、皆殺しにしろ」
「皆殺し……ですか、ハッ!」
シュナイゼルの眼から寒気を感じたのか背筋を震わせ、敬礼をする兵士。
兵士を下がらせ、親指の爪を噛みながら言葉を垂れる金髪の男。
「青色のネズミは彼が。 帝国の悪魔は国が探し出して始末してくれる。 そして、隠密はゲハルト。 ……ふふふっ、実に、実にムダが無い!」
歓喜の声を上げ笑いを堪えるシュナイゼル。実の弟が死んだことなど、もう忘れているかのようだ。
村の物置きだったボロ小屋を一望し、側に作られた一つの小さな墓に視線を落す。
土の上には遺品と思われる黄色いカチューシャが備えられていた。
いぶかしげに目を細めるシュナイゼルは、墓に近づき木に彫られた文字を読み上げた。
「“百万の命を救った英雄”……だと。 ふん、笑わせてくれる。 英雄様の墓だったとはな……どこの誰か知らんが、ムダなモノを作ってくれた」
文字の彫られた木を薙倒し、靴底で墓標を踏み砕く吊り目の男。
「この世に英雄など必要無い。 時代はいつも魔女を求めているのだよ、魔女と言う強力な絶対悪をな!」
足形の付いた英雄の墓へ、唾と一緒に言葉を吐き捨てシュナイゼルはその場を去った。