第46章
荒野を疾走する蒼い機体。月花が地平線から零れる朝日に向かって直進している。
最高速度に達したこの機体に付いて来れるMFなど、共和国でも数機だけであろう。
「セレネ、機体反応はもう無くなった。 ……撒けたみたいだ」
前部座席で月花を操縦している少女に向かって声を飛ばすリオン。
村の惨状が頭を過り、言葉に活きが出ない。それを見通したのか蒼い機体を華麗に操縦する少女は長い蒼髪を手で払いながら返答する。
「そうか。 少し速度を落そう。 リオン……大丈夫か?」
「あぁ……大丈夫だ」
ブースターを弱め、パイルバンカーの付いた両足で月花に歩行させるセレネ。
セレネに心配される程にリオンの声は弱々しかった。いつもなら、無理にでも元気にみせようと努めるだろうが、脳裏にこびり付く映像がそうさせてはくれない。
助けたかった少女が自害した。助けた女の子が殺された。そして、死体の山を見せつけられた。
「……無理はするな」
そう言うセレネの声にも全く張りが無い。
何かを振り払うかのように首を振り、声を張って彼女は不満そうに続ける。
「ところで、なんで私達が軍隊に狙われるんだ? 私達はむしろ保護してもらってもいいぐらいだぞ! あいつらは私が頑張って作っていたものが見えなかったのか!」
「わかんねぇよ……あの村の軍少尉を見ただろ。 腐ってんだよ、軍そのものが。 俺達を守ってくれていると思っていた軍は自分達しか守らない。 爺ちゃんが言った通り逃げて来たけど、これじゃ俺達が村を壊した犯人みたいじゃねぇか!!」
座席に拳をぶつける少年。村で別れた老人に巻いてもらった両手の包帯。少年の心の様に今や土塗れで黒ずんでしまっている。
リオンとセレネ、そしてドクターM。この三人は突如として軍に襲われた。
ただ村に残っていただけなのに、MFによる攻撃が警告も無しに開始されたのだ。まるで、最初から自分達を殺すためにやってきたかのような容赦のない攻撃であった。
そんな中、MF部隊の跡を付けて来たというノーションのアルテミスが月花と合流。その場の敵を大型狙撃銃による超長距離射撃で蹴散らしたのだった。
ドクターMもアルテミスに乗り込んでしまい、リオンとセレネは逃げろとだけ言われて村から遠く離れた今の荒野に辿り着いた。
リオンにとって全くわけのわからない事態。どうして自分達が殺されなければいけない。
そんな張り詰めた想いが手を震わせる。
リオンの緊迫した表情を見て、セレネが声をかけた。
「ノーション達が……私達を囮にしたとでも言いたいのか?」
「ならどうして、アルテミスは別の方向に逃げたんだよ! 逃げるなら一緒にいた方がいいだろ」
「それは、アルテミスと月花では速度に違いがあり過ぎる。 アルテミスに合わせて逃げれば、月花は逃げ切れない。 だから、じぃじぃは先に逃げろと言ったんだ」
「それも……嘘かもしれねぇだろ!!」
「リオン……」
両手で頭を抱えて声を震わせる少年。黒い瞳は潤み始めている。
「もう、誰を信じて良いかわかんねぇんだよぉ……どうしてこんなことに」
虫の鳴くような声。リオンの心と体はとうに限界である。特に精神の疲弊は尋常ではない。
裏切られ、騙され、志の高さゆえに苦汁を飲まされた。いくら真っ当に生きてきたリオンと言えど、優しくなどなれるはずもない。いや、真っ当に生きて来たリオンだからこそ、ショックが大きいのだ。
静まり返るコックピット。動力音が規則正しく音を刻む。
「なら、私を信じろ」
「えっ?」
リオンは両手から少し顔を出し、前部座席に座る蒼髪の少女を見た。何故かムスッとしている魔女。
「だから……私を信じろ。 ノーションは私達を囮になんか使わない。 色々怪しいところはあるが、私達を助けてくれたことに間違いはないじゃないか。 ノーション達が信じられないなら、私を信じろ」
「セレネ……」
荒んでいた気持ちが自然と和らぐ。茶色く濁った感情の汚水に浄化の波紋が広がって行く。
ノーションが信じられないならば、私を信じろと、清々しい程胸を張って言うセレネ。
感情の汚水が押し流される先は目と鼻。
「っず……ぁぁ。 泣かないって決めたんだけど、ダメだ……ありがとな」
「な、泣くな! わ、私は、お前の……か、家族なんだろう? 礼なんていらないぞ。 こ、これぐらい、じょ、常識の範囲内だ! 任せろ! 私は死なないんだ! あはっ、あはははー!」
あたふたしながら支離滅裂な言葉と棒読みの笑い声を上げるセレネ。いつも冷静にズレた言葉を残すセレネが珍しく挙動不審に陥っている。
その様が逆に安心感を与えてくれる。
「お、お前は英雄を目指すと言ったな。 でもまだ、英雄じゃない。 だから、そんなに気負いしなくてもいいんじゃないか。 お前は英雄どころか、人間にすらなれていないぞ」
「どういう意味だよ、それ?」
「つまり、そういう意味だ!」
「だから、意味のわからんところで威張るな!」
旅に出た時の賑やかさが月花に戻っていた。リオンが身を乗り出して唸った後、セレネは振り返る。 視線がしばらく合ってしばしの沈黙。
何故だか笑いが堪えられなくなり、リオンは笑い始める。それに釣られてか、セレネも笑い声を上げた。
腹の底から悪い気を追い払うような大笑い。
息が切れる程笑い、落ち着いてきたのを見計らってセレネが言う。
「と、とにかく今は安全なところまで逃げるぞ。 盗賊のように見るも無残に逃げ失せるんだ。 それから色々考えようじゃないか」
「あぁそうだな。 セレネ、今、ノーションさんと連絡は取れないか?」
「それは無理だ……。 アルテミスの通信番号は教えて貰っていない。 向こうは月花を隅々まで調べたから知っているかもしれないが、距離も随分と離れているから通信を受けるのも難しいな」
「そうか……」
蒼瞳の少女は通信機器を弄って溜息を付く。それと同時に言葉を漏らしたリオン。
ノーションと連絡が取れないということは、助けを当てにすることはできない。
すなわち、この先、自分達でどうにかしなくてはいけないということだ。
それを察してか、冷静な声でセレネが続ける。
「共和国軍製のマシンガンとブレードは持っていても、月花ならともかく私は軍人相手に勝てる自信は無い」
「……あぁ」
俯くリオンから笑顔が消える。
月花を操縦している少女もそれは同じだった。透き通るような蒼い瞳には深い悲しみが見え隠れしている。
メタルフレーム・月花。
脅威的な強さを誇るこのメタルフレーム本来の力を以ってすれば、恐らく軍用MFが束になってこようが切り抜けることは可能だ。
「軍に囲まれたら……どうすれば来るのかわからないが、月花を呼ぶしか」
「呼ぶな!! 呼ばなくていい……呼ばないでくれ」
「あ、あぁ。 じゃ、どうすればいい?」
「……俺達が命を狙われる理由がわかれば、戦わなくて済むかもしれない」
お互いに顔を背け、月花が歩く音だけが耳に入ってくる。
短い黒髪を掻きむしりながら、胸の内に宿るもやもやも掻きむしる。
少年と少女の表情は暗くなったままだ。
軍人達は自分達のことを盗賊と思って攻撃を仕掛けて来たのだろうか。あの村を破壊したのは自分達であると認識されたのかもしれない。事情を説明し、誤解を解くことができれば殺し合うようなことは防げるか。
だが、軍人達はこちらの話を一切聞く気などなかった。“敵”と見なされていることは間違いない。 敵の言うことは信用しないだろう。
答えの見えない出来事にリオンは何度も思考を巡らせた。
すると息を短く吐いて、急にセレネが重たげに声を出す。
前に座っている少女の表情は見えない。だが、緊迫した空気がコックピットを満たしている。
「月花は呼ばない。 っと言っても勝手に来るかもしれないが、何とか抑え込む。 もし、軍に追いつかれたら、私がこれで相手を撃つ。 それでいいか?」
「……あぁ」
力の無い返事が勝手に漏れた。撃つということは、殺すということだ。
月花が背負っているブレードと腰に付けているマシンガン。蒼い機体色には不釣り合いな灰色と黒の異物に目が行く。
月花が身に纏っている物は、どちらも人を殺すモノだ。それだけではない。月花自体が人を殺す殺戮兵器なのだ。今まで、MFを乗り物としてしか見てこなかったリオンは、ウインド村の事件からずっとそこに違和感を覚えていた。
一方で、ノーションが兵器としてアルテミスを使って敵を殺していなければ、こんなことを考えることすらできなかっただろう。
MFは乗り物である前に兵器なのである。
リオンの気の無い返事を気にしてか、蒼髪の少女が申し訳なさそうに目を瞑った。
「すまん、人を殺すのは……いけないことだったな」
「違う……確かにいけないことだけど、こんな時は……」
仕方ない――とでも言えばいいのか。彼女に仕方ないから人を殺してもいいと言うのか。
感覚が、倫理観がおかしくなり始めている。
リオンの脳裏には殺戮を愉しむ“あの彼女”の顔が浮かんでいた。MFを串刺しにし、口元を歪ませる彼女。
もし、あの時の彼女になってしまったら誰が止めればいい。あんなセレネなど見たくも無い。だからといって、セレネに人を殺せと言うのか。手にした銃と剣で殺せと。
一方で、シリスがいたあの食堂で、ノーション達ともめたことを思い出す。リオンは勿論、セレネも人殺しはいけないと主張していた。
ところが今はどうだろうか。血も涙も無い金髪の女性に反論した自分が、殺すことを必死に考えている。
どこを狙えばMFは爆発するのか、この盗んできたマシンガンはしっかり弾が出るのか、無骨な鉄製ブレードはコックピットを潰す程の威力を持っているのか。そんなことを彼は黒い瞳の奥で考えている。
リオンと同じことを考えていたのか、前髪で自らの表情を隠そうとするセレネ。
彼女が引き金を引かなければ、自分達が殺される。
人を殺してはいけない。命を狙われているこの状況ではそんなこと、ただの偽善だ。
まして相手は殺しのプロ、軍人である。そんなことを気負いしながら逃げられる程甘くない。
そして、リオンを追い詰める警報がモニターから発せられた。
「な……セレネ! レーダーに反応がある! 正面で……待ち伏せされてる」