第44章
「あり得ねぇ……」
声を漏らしたのは、最新機テン・サウザンドに搭乗するハンスタ。ハンスタの目の前ではあり得ない光景が広がっている。
漆黒の機体がまだ顕在しているのだ。損傷した左肩から青白い放電が発生していることなど気にも止めず、二本の剣を振り回し、緑色のMFを斬りまわっている。一体どれほどの時間戦闘が可能なのだろうか。
二個小隊に匹敵する数で包囲したにも関わらず、俊敏な動きに翻弄され包囲網は容易く崩されていく。
『剣を捨てたぞ!』
『腕が使えなくなったんだ! 一本なら勝てる』
グリーンを基調とした軍用MF達から一斉に声が上がる。悪魔は切れ味の悪い憎悪の剣を邪魔だと感じたのか、せっかく回収した双子の愛剣の片割れをアスファルトに突き立て距離を取ったのだ。
ブースターで緊急回避を縦横無尽に繰り返す漆黒の機体にロックが重なり、MF部隊の射撃が再開された。
憎悪の剣を放置した悪魔だが、自らの細いシルエットを横に向けることで無駄に刃幅が広く、切れ味の良い剣を盾のように構えた。
『剣を、盾に……?』
『なんなんだよ、アレは!!』
『このまま撃ち続けろ! 動きを封じることはできている!』
誰が剣を盾に使おうと考えるだろうか、誰が剣を盾に使うだろうか。
悪魔が操る盾は接近された瞬間、剣となり機体を斬り去る。悪魔の剣が魔科学兵器だからこそ剣の領分を越えた使用を可能にしていた。
「剣が邪魔だな……おいお前、突っ込んで、奴の剣をどけてこい」
ハンスタは部下に命令するが、その命令を誰が聞くというのか。
味方からの弾丸ではあるが、一斉射撃をしている先に突撃しろと。
それに相手の領域に自ら飛び込むような真似ができるはずがない。特に、自機に搭載されている小型のブレードよりも早く、あの大剣を振り回す怪物と斬り合うなど兵士達にとって「自害しろ」と言われているものと大差ないはずだ。しかし、行かなくともハンスタに殺される。現に異論しただけで殺された兵士がいたのだ。
それならばと――
『あぁぁ!』
一人の兵士が勇敢にも機体のブースターを吹かせて突撃を掛ける。轟音を鳴り響かせ、銃弾が飛び交う中、緑の群から一つの光が黒点へと流れた。
緑色の機体が右に手にするブレードで嫌悪の剣を弾き飛ばすことができれば、悪魔は投降せざるをえまい。
『喰らえぇ!』
身動きの取れない機体、悪魔の最後の防壁である大剣目がけて鉄の剣が振り下ろされる。
『あ……』
突撃した機体は、振り下ろしたブレードもろとも切断された。居合抜きのように低い位置から斬りあげた嫌悪の剣が、無情にも機体の上半身を斜めに削ぎ落とす……いや、跳ね飛ばす。
空高く舞い上がるコックピットが垣間見える上半身。打ち上げ花火のように空中で破裂し、爆煙が視界を覆う中、沈黙が訪れた。
「……剣は必死に抜こうとするものじゃない、必殺で抜くものだ」
黒い煙から黒い甲冑がゆらりと姿を現す。
悪魔からの最初で最後の剣術指導を受けた兵士。もはやブレードで接近しようと考える愚か者はここにはいないだろう。
漆黒の機体が手にしている一振りは魔科学兵器。対する兵士が手にしていた一振りはただの剣。つば競り合いなど望めるわけがない。
黒い甲冑から赤いカメラアイを歪ませる悪魔。あまりの兵士の弱さを嘲笑っているようにも殺戮を愉しんでいるようにもみえる。
「チッ……使えねぇ兵だな。 足の一本ぐらい破壊してから死ねよ。 各機陣形を乱すな! こうなったら接近せず、射撃だけで動きを封じろ」
ハンスタの号令の下、緑の群の指揮をしている白のMFが手を上げてフォーメーションを組みなおさせようとしている。
が、悪魔がいつの間にか部隊の側に接近している。
弾幕が止んだのは僅かな時間だが、爆発的な加速が可能な機体が距離を縮めるには十分な時間だったらしい。ゼロは欠員が出たことで穴の空いた陣形目掛けてブースターを一瞬だけ吹かす。
爆風である。超高温である紅の爆風が緑のMF達を吹き飛ばし、穴が道へとなった。
それは漆黒の機体の“ジェット”。
強く短くブースターのスロットを回すことにより、瞬時に方向転換や加速などを可能にする操縦テクニック・ジェットが、フォーメーションを崩す。
基地に侵入する時にも幾多と使用された悪魔のジェット。この機体最大の弱みである装甲の薄さは、この規格外のジェットを最大限に生かすための設計だった。
軽量になればなるほど、急加速、方向転換の勢いが上がる。もちろん、パイロットに掛かる負担も大きくなるため、この漆黒の機体程重量を軽くする者などいない。
そして、機体の推進力を瞬時に上げるジェットというテクニックを彼のように陣形を乱す“攻撃”として使用するパイロットもいない。
「おいおいおい! 包囲を固め直せ! あんな風でやられてどうする! 立ちやがれぇぇ! クソ共が!!」
高みの見物をしていたハンスタが焦りの声を出した。何故、あれだけの銃弾を避けられるのかわかるはずがない。
ハンスタも思い知らされたことだろう――悪魔に常識は通用しないと。
「はっ! 化物級の魔科学兵器にあの機動力……確かに厄介だ。 それなら――俺も厄介なモノをブチ込んでやるよ。 見物はもう終わりだ。 死なないように狙ってやるから感謝しろや!」
ベルゼブブの魔力を右に手にしたライフル、魔科学兵器“気砲狙撃”に流し始めるハンスタ。さながら、魔力の充電といったところだろうか、右手にした魔科学兵器は魔力が満ちたのか四大元素の“風”が視覚できる程溢れ出し、緑色のオーラを漂わせている。
「とっておきをブチ込まれろ! カブトムシ野郎ぉ!!」
魔科学兵器のトリガーを引くハンスタ。たちまち貫通力の高い魔弾が地面を抉りながら戦場を駆ける。
気砲狙撃からは“気砲”の名の通り、風圧を利用した超速の弾丸を発射する。
いくら剣の魔科学兵器を所有していようとも魔科学兵器同士のぶつかり合いで、その領分を越えることなど不可能である。ハンスタが発射しようとしている「風の刃を纏った弾丸」を剣の盾で受け切ることは“帝国の悪魔”といえど、この世界で生きている限りできない。
「ッチ! ハエのMFの魔科学兵器! 嫌悪の剣! ぐっ……」
大剣を壁にして、マシンガンの弾丸から逃れながら叫ぶゼロ。かろうじて魔弾を回避することができたが、弾幕を捌きながら魔弾・気泡狙撃を避けることなど不可能だ。
咄嗟に破損した左腕を使ったことで、ケーブルが露わになっている左肩から火花が散った。肩から腕が外れるのも時間の問題だ。極力、右腕だけで敵を裁いて来たゼロだが、この軍勢相手ではもう限界であろう。
「生きてるMF隊、そのまま弾幕を張って動きを封じとけ。 俺がアイツを跪かせるまでな!」
弾丸の群の中、気砲狙撃による弾がどれかなど見極める術などない。
身を縮め嫌悪の剣に身を隠しながらゼロは、被弾している左手も剣に添えた。魔力を流し込んでいるのだ。漆黒の機体を巡る魔力を両手からこの嫌悪の剣に。
弾丸の嵐をまともに受け続ける嫌悪の剣に魔科学兵器による魔弾が今まさに直撃しようとしている。
「嫌悪が、満ちた……!」
赤と黒の大剣に魔力が行き届いたことを確認し、ゼロは愛馬を蹴る。
悪魔の機体は暴れ馬のごとくアスファルトを抉りながら地面を滑走した。機体後方に残るものは地雷線。
ゼロはこの状況下、ハンスタに突撃を掛けようというのか、剣を横に向け盾にしたまま真っすぐに加速した。鈍重な剣を持っているため速度計が振り切れることはなかったが、三〇〇キロ近い速度が出ている。被弾を避けなければいけない軽量機体での突貫。
「はっははー!! 血迷いやがったかぁ! カブトムシィィ!」
ハンスタから見れば血迷ったとしか考えられない、ゼロの突撃。
しかし、数十というMFを相手に戦っていた冷静な悪魔が今更血迷うとも考えにくい。彼は本当にハンスタに死をも覚悟して突撃するつもりなのか。
左にはハンスタとその部隊、右にはゼロ。二つを結ぶちょうど中間地点。そこには悪魔が放置してきたもう一振りの大剣が突き立てられている。
眼前に迫ってくる死神を止めようとマガジンを空になるまで乱射するMF部隊。
これだけの弾幕の中では下手に旋回などできない。
「……じゃな、カブトムシ」
ハンスタが魔科学兵器の引き金を、引いた。
ベルゼブブは勝ち誇ったかのように羽音のような機械音を上げて魔弾に激励を飛ばす。
高速で突撃する機体と音速で直進する魔弾。
しかし、嫌悪の剣と気砲狙撃の弾丸がぶつかり合った瞬間、鉄のブレードでは実現できなかったつば競り合いのような状態が起こる。
赤と緑の魔力が周囲に飛び交い暴風が発生する中、MF部隊は地面にブレードを突き立てて各自飛ばされぬよう耐えていた。
「っく! 魔科学兵器の魔力同士をぶつけて相殺する気か? とことんイラつかせてくれるな、このクソ野郎ぉ!!」
部下のブレードを奪い取り、地面に這いつくばるベルゼブブ。
援護射撃こそ止んだものの、片や一振りの剣、片や一発の弾丸。追加で弾を発射されれば剣は砕け散るに違いない。
魔力を帯びた両者は、敵を斬り殺そうと、敵を貫き殺そうと一歩も譲ろうとしない。
されど、機体のブースターを全開に少しずつ押し返すゼロ機。もう一振りの愛剣まで後、四歩程。嫌悪の剣は悲鳴を上げるように揺れ動いている。
片腕が満足に使用できない悪魔の機体が煙を上げ始める。
「撃て! 害虫を駆除しやがれ!! なんでも良いから撃ちやがれ! ただし足だ! 足だけを狙え! 足以外に当てた奴は俺が殺す!」
ハンスタの号令が再び掛った。残りわずかとはいえ大国の軍部隊。いくら悪魔に殺されたと言っても盗賊を追い払うぐらいの戦力はまだ残っている。
基地内の施設が吹き飛んでゆく中、ブレードにしがみ付きながら銃口を悪魔に向け始めるMF部隊。
嫌悪の剣にとって実弾は大した脅威ではなかった。しかし、ゼロの乗る悪魔にはこの上ない脅威なのである。剣が塞がれている今、ゼロを守る物は目の前にあるもう一振りの剣のみ。
暴風の中、弾がまっすぐ飛ぶとは思えないが、でたらめに撃っても数を撃てば当たる。
共和国軍の一斉射撃が始まるまで、後数秒も掛からない。
「憎悪の剣!」
地上から抜き取り名前を叫ぶ。
黒の刃に黄の筋が装飾されている憎悪の剣・ツヴァイ。黒と赤の嫌悪の剣・アインスが物質切断に特化した剣ならば、この剣は――
「なに? 風が止んだ……魔力を……吸い取る剣、いや、斬りやがったのか?」
漆黒の機体周辺からごっそりと魔力反応が消えた。よって、暴風も途端に消え去る。あり得ない現象をレーダーで確認しながらハンスタは頭を掻いた。
ゼロの声に反応し、黒と黄の憎悪が息を吹き返す。
魔力を斬れと、奇跡を斬れとそんな殺傷願望が剣身を覆い尽くす。
左肩の放電などもはや気にならないのか、それとも魔科学兵器を保有するハンスタが戦闘に参加してきた今、そんなことに構っている余裕が無くなったのか、悪魔は不完全な状態で二本の剣を構えた。
刹那の沈黙――
「ほぉ……吸ったか斬ったか、何をしたか知らねぇけど、もう一発!」
ハンスタが容赦なくゼロへ“気砲狙撃”を撃ち込む。またつば競り合いによる魔力の暴風を起こそうと言うのか。
だが、魔弾は容易く弾かれてしまう。いや、斬られた
「んだと……この! この! このぉ! この野郎ぉぉ!!」
一発、また一発、怒り狂いながら二発の弾丸を連射。ベルゼブブの放つ魔弾は黒と黄色の剣に阻まれてしまう。まるで、飛来してくる紙を斬るかのように魔弾の魔力を斬り落とす。その奇妙な武器を見せつけられて脅える兵士達。
『なんだあの剣……少尉の魔科学兵器を、弾いていやがる』
焦りを混じらせた声を漏らす兵士達。今までにこれほどの怪異に出会ったことなどなかったのだろう。
兵器とは人を殺すために作られるものだ。兵器の妨害をする物――代表を上げるとジャミングなどならば共和国や帝国でも盛んに使われている。しかし“兵器を殺すための兵器”など存在しない。
原理や理由などは不明。
ただ確かなことは悪魔の機体が憎悪の剣を手にしている限りベルゼブブの魔科学兵器は通用しない。
ハンスタ自慢の魔科学兵器は、剣の一振りで無効化されてしまうのだ。いくら魔力を込めて発射しようが、魔力そのものを“殺す”剣の前では魔科学兵器としての役割を果たさない。
帝国の悪魔が帝国で『悪魔』と呼ばれた所以は、その恐るべき機動力でも、常識に囚われない戦術でも、嫌悪の剣による圧倒的な攻撃力でもない。
“魔科学兵器をも殺す”憎悪の剣という異端の一振りにあった。
「あり得ねぇ……あり得ねぇ!! 人形風情が! 模倣品風情がぁ!! 俺がそんなモノに負けるなんてありえねぇんだよぉ!!」
ハンスタがコックピットを揺らしながら吠える。それに答えるかのように、悪魔は教えてやる。
「――世の中には、あり得ないことがあり得ている――」
魔力を殺す黄と黒の剣を横に倒し正面に、物質を殺す赤と黒の剣を逆手に持ち背後に構える。古今東西聞き及ぶことのない、剣で自分を囲い込む奇妙な構え。
たった一機にここまで追い込まれている時点でハンスタの面目は丸潰れとなっているだろうが、帝国の悪魔はハンスタの面目を潰しに来たのではない。
「貴様に嫌悪と憎悪……そして、絶望をくれてやろう」
目が血走っているハンスタに死の宣告をする漆黒のMFのパイロット・ゼロ。ブースターに収束する風が今、解き放たれた。
爆風が施設を吹き飛ばす。突風が燃え盛る基地を消火する。規格外の速度で闇を疾走するは死神。規格外の爆音は亡者の叫びを連想させる。
帝国の悪魔はもう、止まらない。
「うぜぇ! うぜぇぞお前! お前はもう私刑だ! 死ぬまで私刑決定だ!! さっさと死にさらせぇやぁぁ!」
魔科学兵器とマシンガンを両手で乱射するハンスタ。数を撃てば当たると考えたかロックオンする前にトリガーを引き続けている。
先ほどから酷使し続けてきた漆黒のMFの左腕は、機体速度に耐えきれず無残にも後方へもぎ飛んで行った。
「ッチ……憎悪の剣!」
もとより、速度も耐久力も規格外。完璧なコンディションであったとしてもかなりの負荷が掛っていたはずだ。それが被弾し、長時間も重量のある剣を振り回していたのだから今まで機体に左腕がくっついていた方が奇跡ともいえよう。
この瞬間をハンスタは逃さない。
「腕と大切な剣が落ちましたよ、カブトムシさぁん!! くたばれぇぇ!」
悪魔が正面に構えていた左腕と魔力殺しの剣が無くなった。
ハンスタは歪な笑みを浮かべて魔科学兵器・気砲狙撃をコックピットに狙いを定め、トリガーを引いた。
嫌悪の剣で魔科学兵器を防げないことはハンスタとてこの戦いで承知しているはず。故に、ゼロは慌てて憎悪の剣を回収するべく死を覚悟で突撃してきたのだ。
高速で接近してくる機体へ、音速で放たれる魔科学兵器の射撃。これが意味するのは、回避不能な死。
一秒も経たない間に漆黒の機体は爆発し、空を朱に染めるという意味である。
しかし、空は依然と黒のまま、爆発は起きない。
「あり……えねぇ、私……刑だ……ぁ」
火花が散っている。
ベルゼブブに深々と刺さった両刃剣それは先ほどまで二本の大剣だったものだ。
飛びゆく憎悪の剣は後方に構えていた嫌悪の剣と組み合わせられ、一対の剣となっていた。もげた左腕が両刃剣の柄にぶらさがっている。
「……絶望の剣……ぶっ、くっ」
コックピットで突如として吐血するゼロ。機体に掛かった慣性によって古傷が開いたのか、それとも何かが胸を抉ったのか、黒一色の胸元から血が滲み出ている。
赤でも黄色でもない。青と黒の装飾をされている両刃剣・ドライ。悪魔が保有する第三の剣がハンスタの座っているコックピットを深々と貫いている。
能力が不明な両刃剣をコックピットから抜き取り、リーダーを失った部隊の前に向き直る。
悪魔の背後では村の神が爆発し、破片を飛び散らしている。その姿を見てこの場の全機が一歩後退した。
「お見事ぉ~。 さすがゼロ。 僕が殺すまでもなく完璧にここの軍隊をめちゃくちゃにしてくれた」
場違いなほど明るい声が緑色のMF部隊の背後から響く。
血を塗りたくったような紅い機体。鎧武者のような外装をし、腰には中身の無い鞘を帯びている。
重量と装甲の分厚さを見た限りではパワー型のメタルフレームである。
「っ……ネロぉ!!」
片腕しかない漆黒の機体から機体色と同じ色をしている嫌悪と憎悪が滲み出ているかのようだ。
ようやく出て来たか――と今にも斬り付けそうな勢いで、ベルゼブブを貫いたばかりの左右対称の両刃剣を乱暴に地面に突き立てる。
悪魔の宴は終わらない。
それに反して、明るい声が紅のメタルフレームから発せられた。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえているよ~」
漆黒の機体と紅の機体は睨み合っている。動けば殺される。そんな空気の中、紅の機体のパイロット・ネロが喜びを込めて声高々に笑った。
「家畜殺し、ご苦労さん。 ゼロ」