第43章
「なんだよ……これ」
村を迂回して入り口まで戻ってきた月花を降り、口火を切ったのはリオンだった。
捜索した結果、三人組の男達は小屋にでも隠れているのか、全く見つかる気配は無い。
このままではらちが明かないとセレネがドクターMに提案したことは、意識のある者だけを完全に治癒し、確実に助かる人間を救うということだ。
だが、今や生きている人間などこの場にいない。
寝込んでいるはずの村人達が無残にも人形のように捨てられている。まるでゴミを捨てたかのように。
幸か不幸か、夜の闇が死体の群を明らかにしないため、リオンはかろうじて正気を保つことができていた。
村の奥にいくつも横たわっている物体があるが恐らく――
「まさか……魔石を渡したおっさん達が。 村の人を恨んでたおっさん達が――」
「いいや、これは……人間の仕業でない」
包帯の巻かれた拳を震わせる少年に続いて月花から降りて来たのはドクターM。
周囲を警戒しながらリオンの側まで歩み寄り、近くに転がる死体を観察し始めた。
「ただの人間にしては力が強過ぎやしないかの。 体を引き千切ったような痕跡がこの者からも、あっちの者からも見て取れる。 MFを使ったにしても機体の足跡が見当たらん。 ……魔術を使ったにしてもやり方が粗過ぎる。 まるで――」
「昼間に起きた軍人殺しと同じ……」
セレネがドクターMの背後から声を漏らす。その判断が的確だったのか少々驚いたように老人は、うむと一言返して続ける。
「まだ、血が固まっておらん。 元凶がまだ近くにおるかもしれん。 リオン、セレネ。 すぐに月花に戻るんじゃ。 胸騒ぎがしよる……」
「じぃじぃ……奥で、何かがこっちを見ている」
村内の闇を見ながら息を飲むセレネ。村には人が残っていないため、光が全くと言っていいほど灯りが無い。村の少し上を見やると炎上している基地の赤色が夕日の様に浮かび上がっている。
セレネが感じた視線の持ち主は闇に消え去ったようだった。リオンは茂みに潜む猛獣を連想する。
勇気を振り絞り何かがいると言われた暗闇に向き直ってみる。
“早く月花に乗れ”と老人はズボンを引っ張りながら再度少年に忠告するが、リオンは夜道を凝視して動かない。
少年は瞳を小刻みに揺れ動かし、血が滲み出てきた包帯の手を振るわせて何か思い付いたように目を見開く。
「生き残った人が……そうだ……生き残った人かもしれない! 生きてる人が村の中に逃げて……中にいるのかもしれない! この奥に――」
「そう思いたいのはわかるが行くことは許さんぞ! これは人間の仕業ではないと言っておろう! 中にいるのが村人ではなく怪物である可能性を忘れるな。 バラバラになる覚悟があるのなら……行くがええ」
「っく……」
ドクターMの言葉を受けて拳を宙に振り下ろすリオン。まさにその通りだ。
灯りはおろか、生物の気配すら失せてしまったこの村に都合良く村人が生き残っている可能性など無いに等しい。
黒髪短髪の少年の視線の先。人間だったモノが目を見開いて倒れている。苦しそうな顔をしたまま永遠に時が止まっているのだ。体の一部をもがれるなど……どれだけの苦痛だったのだろうか。
目を背けた先には小柄な人形が倒れていた。見覚えのある服、見覚えのある髪型。目を見開いたままの人形と合うはずの視線が合う。
リオンは胸が内側から圧縮される感じがした。小柄な人形と同じように目を見開いて、揺れる瞳孔でしっかりとソレを捉える。
掃除機に心臓を吸い上げられているかのような、罪悪感からの圧迫。
鉄の様な足を一歩、一歩、その人形の存在を否定しながら接近する。
「……この子、俺が助けた……子だ」
村人達が甘生樹を抱えて逃げている中、一人取り残されていた女の子。母親からはぐれて泣きじゃくっていた女の子。母親に再会し、ありがとうと言ってくれたあの子だ。
リオンが救った唯一の村人。
「んで……だよ……なんで、こんな子まで」
首を絞められたのか、細い首筋には黒い手形がはっきりと残っている。光を失った瞳に手を添え、まぶたを下ろしてやる。そして、メタルフレームのパーツのように冷たくなった体をゆっくり抱いた。
「神様は……」
涙を堪えながら震える声でシリスの言葉を思い出す。
「――神様は貢物の多い人間しか救わない――」
この惨状を目のあたりにしたドクターMとセレネはリオンの言葉をただ目を瞑って聞いている。
村人の中にMFを所持できる程の金持ちがいれば、あるいは膨大な金を費やして魔術を体得した魔術師がいれば、ここまで酷い状況に陥っていなかったことであろう。
金は力。金は力で得ることが出来る。力は金で買うことができる。片方があればおのずともう一方が手に入るという一見、平等に見えるこの世界。
だが、金も力も無い者はどうやってその平等を手に入れることができるというのか。
金が無ければ力を得ることが出来ない。力が無ければ金を得ることが出来ない。
そんな世の中は――
「そんなの間違ってる。 こんなの絶対に……おかしいだろう! 力の無い人間を守ってくれるのが神様じゃないのかよ! 金が無くたっていざって時に……守ってくれるのが神様じゃないのかよ……なぁ……」
この村の人間に神は微笑まなかった。代わりに微笑んでいたのは金と権力を蓄えた軍少尉。彼は自分の管理している村がこんな状況だというのに一人たりとも救助員を寄越していない。
神を呪った。シリスもこの村も救おうとしなかった神に怒りを向けなければ気がおかしくなりそうだ。
「魔術を扱う者は神を信じておらん。 帝国で異端とされた魔術で栄えた共和国に神は元々おらんかったのかもしれん。 盗賊や軍人崩れ、このような事態を起こす人間は溢れておる……このような村はそこらじゅうにあるじゃろう」
数々の救われない者を目にしてきたのだろう。皮肉めいた老人の言葉にはこれだけの惨劇を目のあたりにしても余裕が見てとれる。いや、本当は神と呼ばれる存在を諦めていただけなのかもしれない。
だが、少年は諦めたくなかった。黒い瞳に涙と炎そして決意を宿す。
「だったら……だったら俺が助けてみせる。 神様が見捨てた人も助けることができるぐらい強くなって。 誰も……死なない世界に、誰もが笑っていられる世界に」
もっと強く、もっと力を。それは少年の切実な願い。
自分がウインド村という小さな世界で暮らしていた頃、外の世界ではこんなことが起こっているなど知りもしなかった。外の状況など時々街に出かけたカーストから聞く最新メタルフレーム情報だけだった。
カーストからは一言もこんな虐殺についての話を聞いたことなど無い。
だからこそ、ウインド村が襲われた時、どうして自分の村だけが、と考えが走った。
ウインド村のように魔術の支援をされていない村が一夜にして消えることなど、この世界では日常的だったのだ。ただそれを知らず、幸せにのうのうと十年間もあの村で生活ができたことが、今では奇跡のように感じる。
リオンは目を擦りながら肝に銘じた。
「俺は……本物の英雄になってみせる」
この程度の惨劇で子どものように涙を流し、打ちひしがれてはならない。英雄とは苦行を乗り越え、その先に多くの者を救った存在だ。
自国のために命を絶った少女。彼女のように強い心と覚悟を持てるかなどわからない。
無残に殺された人々を見て涙を隠し通せる程、自制を利かせることができるかもわからない。
だが、この日、少年は誓う。
どんなことがあっても涙を見せない、どんなことがあっても弱音を吐かない、そんな強い人間になると。
自分のような子どもでも、他人の命を救うことができるなどとおこがましいことを本気で信じてきた。
今の自分では到底不可能な奇跡だ。これだけの惨劇を今の自分で止められるはずがない。それはウインド村の時に痛感している。
腕の中の女の子一人守れなかった。選択すべき時に決断しきれなかった。今、目の前に広がる地獄絵図が存在する場所は恐らく、ここだけではないのだ。
「爺ちゃん、セレネ……一つだけ頼みたいことがある」
この非常時にこんなことを頼むなど反対されるに決まっているだろう。しかし、リオンは一人でも行う気でいた。誰もいなくなってしまった村には不要かもしれない。ただ、少年がそうしたいと思っただけのこと。
二つ返事のセレネに対して、リオンの頼みに少々頭を悩ませている老人が沈黙を破る。
「……わかった。 ワシも協力させてもらおう」