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ミリオン  作者: おこき
~第二幕~
44/76

第42章

 月に照らされた闇が道を開く。その道上に蒼はいた。

 六つの大型ブースターを巧みに操り、静まり返った村の側を猛烈な速度で駆け抜けて行く月花。

 見る見る内に景色が流れ月花は目的地に到着する。

 背中のブースターから魔力による炎が消え去り、慣性だけで荒野を滑るメタルフレーム。両脚部に装備されたパイルバンカーを地に突き刺し無理やり速度を抑え込んでいるようだ。

 地中深くで土の抉れる音をくぐもらせながら静止した蒼き騎士。そのコックピットから機体と同じ色の髪をたなびかせた少女が、颯爽と降りたつ。


「じぃじぃ! リオンに言われて魔石を持ってきたぞ」

「なんと、セレネじゃったか! ぬっ、その血は何じゃ! 怪我をしおったのか? 早く手当てを――」

「これは私の血じゃない。 私の血であったとしても私は……魔女だ。 ん、これが預かって来た魔石だ」


 血が付着して黒く変色している服を見てドクターMは声を強めたが、セレネの魔女という言葉を聞いて察したようだ。

 魔女から差し出される赤い石を両手で受け取り、話を戻す老人。


「魔女か……そうじゃったな。 おぉ、これじゃこの魔石じゃ! 待ちに待ったぞ。 これで治療ができる。 そういえばリオンは一緒ではないのか?」


 荒野を走る蒼い機体を目撃し、村の入り口へ出迎えに来ていたハゲ頭の老人は目を丸くしている。

 ドクターMが村人の命を繋ぐ魔石を取りに行くことを任せたのは、黒髪の少年だったのだ。行方不明だった蒼髪の少女が突然メタルフレームと共に、しかも魔石を持って登場したとなれば疑問を抱くのも無理はない。


「リオンは村の北側で見つけた怪我人を看ている。 ナイフが腹の深くまで刺さっていたんだ。 血は何とか止まったけど、ここが終わったらすぐに看て欲しい。 私が月花でじぃじぃを運ぶ」

「あいわかった! ここのもんを看た後すぐに行く。 ところで……魔石はこれだけか?」


 セレネから手渡された赤い石と少女の蒼い瞳を見比べながらドクターMは深刻そうな顔をする。


「あぁ、そうだぞ。 月花の魔石は私が乗った時には一つしかなかった」

「リオンから預かった魔石はこれだけなのか? 本当にもう一つなかったのか?」


 勢いよく足元に詰め寄り、肩や腰を這いまわりながら何かを探している老人の問いに対してセレネは冷静に答える。


「月花の魔石を届ければ、魔石が揃うと聞いていたぞ? “協力してくれたおっさんが魔石を届けているはずだから”とか何とか言っていたが。 ……足りないのか?」

「そんな者は来ておらん。 魔力も全然足りん。 この魔石の魔力は尽きかけておる……。 使いさしでどこまでできるかわからんが、やれるところまでやった後、リオンに事情を聞きに行く。 リオンが看とる怪我人の状態も気になるでな。 怪我ならば早急に手当てをする必要がある」


 セレネに首根っこを摘ままれ、宙ぶらりんの老人は細い目を更に細めながら苦肉の策を提案した。


「セレネ、すぐに月花を発進できるようここでスタンバイしておいてくれんか。 状態の悪いもんだけ治療したらすぐ戻る。 リオンとその怪我人の元へワシを運んで欲しい」

「わかった。 他にも私に手伝えることがあれば言ってくれ」


 セレネの手から解放されたドクターMは、魔力残量が少ない魔石を両手で包むように持ち、村の中に駆けて行った。

 


◇ ◇ ◇



「リオン! 怪我人はどこじゃ?」

「爺ちゃん……」


 村外れのボロ小屋に到着するや否や、勢いよく扉を開けて声を挙げる老人。

 埃が舞い上がり、夜の世界を照らしている月光がレースの様に部屋に差し込む。


「怪我人はもう(・・)いない」

「どういう、意味じゃ?」


 台の上で横になっている人物と、その手を握ってうずくまっている少年。二人を見比べ、部屋を見回すドクターM。

 老人が人を探している様子を感じ取り、リオンは重たい口を開くことにした。

 

「少し前に――」


 死んだ、と喉の奥を詰まらせるリオン。

 鉄の様に冷たくなった彼女の手からもう生気を感じられない。

 彼女は死んだ。それは間違いのない事実。


「そんな……どういうことだ。 どういうことなんだリオン!」


 遅れて入って来たセレネが老人を抜かして、リオンに詰め寄る。その声はどこか震えていた。


「出て行く前には、血も止まって会話もできたじゃないか! どうして、なんで……」


 リオンの肩を揺らして、ふと黒髪の少女を見たセレネはぺたりと床に腰を付く。

 自身の袖口に付着している彼女の乾いた血を眺め、セレネは座り込んだまま両手を開いて見ている。

 台をよじ登り、シリスの顔を確認したドクターM。


「今だから言うがリオン……この娘っ子は――」

「……帝国の隠密だった」

 

 老人が言い終わる前にリオンが発言する。ドクターMはリオンがその事実を知っていたことに大して驚きもせず、ただ頷く。

 セレネは、わけがわからないとでも言いたげな表情で老人と少年の顔を見比べていた。


「爺ちゃん……いつから知ってた」

「最初にあった時――と言えば嘘になるかもしれんが、少なくとも、リオンが共和国軍少尉と一悶着あった辺りには確信しておったよ」


 だから、リオンの見舞いにはノーションしか来なかったのだろう。今、思い返せばシリスは頻繁にドクターMの居所について質問していたような気がする。そのつどリオンは、ドクターMだけいなかったため、気になって質問していたという程度にしか思っていなかった。

 彼女は隙あらば目の前にいる老人の首を掻っ切るつもりだったのだろう。


「爺ちゃん、あんた何者だ。 俺達のこともあまり詮索してこなかったから詮索しないでおこうと思ってたけど、シリスは最期に“帝国の脅威を殺すために入国した”って言ってた。 帝国に住む全ての人のためになる標的って何だよ! 何でシリスがそんなわけのわからないことで死ななきゃならねぇんだよ! そんなの……そんなの、おかしいじゃねぇか!」


 リオンの声が部屋中に響き、静けさが再び戻って来る。静まり返る小屋の中では耳が聞こえなくなったと言われても違和感がない。気味の悪い、音の無い世界。

 そんな世界の視線を集める老人が意を決したように息を吐く。


「リオン、ひとまず落ち着くんじゃ。 帝国の隠密に何を吹きこまれたかは知らんが、お前さんは感情的になり過ぎておる。 こやつはお前さんの命も狙っていた可能性も高い『敵』じゃ。 敵の言うことを信用することは危険じゃぞ」

「じゃ、誰を信用すればいいんだよ! 何を信用すればいいんだよ! あんな真っすぐな目で、死にそうなのに懸命に話しするやつの話を信じないで何を信じればいいんだよ」

 

 老人の言っていることもわかる。そして自分がどれだけいい加減なことを言っているかということも。

 シリスの話が全て真実とも限らない。老人と共に旅をしている一味だと認識されていたのならば、仲違いをさせるため、感情的になりやすいリオンに嘘を吹きこんだ可能性もあるのだ。

 だがしかし――

 

「爺ちゃんとノーションさん、あんたらは一体何者だ……。 あんたらのせいで帝国がめちゃくちゃになるなら、俺にも考えがある」


 最初から老人達が嘘を付いている可能性だって大いにあるのだ。

 乾いたリオンの笑いを見かねてドクターMは、しぶしぶ口を開いた。


「……時と場合、使われ方次第によるがワシが死ねば帝国(・・)に住む全ての人のためになる。 じゃが――共和国に住む全ての人の厄害にもなる」

「一人の人間の命が一国の命運と同じなんてあり得ねぇだろ。 大統領でも国王でもそこまでの影響力はないはずだ。 ふざけるのもいい加減にしてくれ!」


 老人の胸倉を掴み、宙に持ち上げるリオン。シリスが死んだのに、命を掛けて帝国を守ろうとした少女がいたのに、そんな突拍子も無い解答が許されるはずが無い。

 何か、他に何か隠しているはずだとドクターMの全身を射抜くように睨むリオン。

 そうしている間に、よろよろと立ち上がったセレネが老人をひったくり、シワだらけの顔をまじまじと見つめた。

 老人は構わずリオンの怒りにも似た叫びに応える。


「この世にはあり得ないことが、あり得ておるんじゃよ。 魔術・科学の発展もそうじゃが、人はそれ以外にも“あり得なかったこと”を今まで重ねて繁栄しておる」

「時と場合、使われ方次第……」


 ショックから立ち直り始めたのかセレネは小さな声のままであるが話を続ける。引き締まった顔つきをあまり崩さないセレネだが、表情は沈み、眉は下がっていた。

 

「世界を動かす程の禁断の知識、もしくは技術を持っていれば時と場合、使われ方次第で国が滅ぶんじゃないか? じぃじぃとノーションはメタルフレームの研究チームに所属していると言っていたな。 それが本当なら、何かとてつもないモノを研究で作り上げた研究員であるとか」


 ドクターMはセレネから視線をそれとなく逸らす。その様子はセレネの推察を肯定しているのと同意である。


「一体何を作ったんだ。 魔科学兵器か!? それとも、村の人達が苦しんでいるような危ない植物か! それが原因で爺ちゃん達は追われている……それが原因で――」


 シリスは死ななくてはいけなかったのか、弟を迎えに行くこともできずにこんな辺境の地で自害しろと命じられたのか。

 そう思うとリオンは気が気でいられなかった。一体何が原因で、どうして、そんなものがあったからと知りもしない老人の研究を憎く感じる。


「これ以上は言えん。 ワシらはこの忌まわしい知識と結果を消し去るために共和国にまで来たんじゃ。 だから、これ以上他言することは……できん」

「爺ちゃん!」


 問い詰めるリオンを余所にセレネの瞳がはっと開いた。


「今はじぃじぃの話を聞いている場合じゃない! リオン、魔石だ!」


 リオンの胸倉を掴みながら、魔石と叫ぶセレネ。セレネの言動が理解できないとでも言いたげなリオンは戸惑っている。

 

「リオン、もう一つの魔石はどこにある。 この老いぼれを信用できんと言うのならばそれでいい。 じゃが、今だけは信じて欲しい。 まだ、患者があちら側に残っておる」


 ハンマーで叩かれたような衝撃がリオンの頭の中に走る。

 リオンはドクターMが全てを終わらせてここへ来たものだとばかり思っていた。少年の頭の中ではシリスの死以外、全て上手くいっていると思っていたのだから。


「爺ちゃん……何、言ってんだよ」


 助けを求めるようにセレネに視線を移すリオン。


「お前が私に渡した魔石だけじゃ足りないんだ! もう一つ魔石があっただろう。 あれは今どこにあるんだ?」


 セレネも何をするためにここへ来たか思い返した様子で、老人と共にリオンに詰め寄った。


「だって……魔石は、おっさん達が届けて――」

「……誰も来ておらんのだ。 リオン、お前さんこそ事情を話してくれんか。 誰に、誰に石を届けるように頼んだんじゃ? そやつらは今どこにおる?」

「わからない……わかるわけねぇだろう。 俺は騙されたのか……騙されて……クッ!」


 木柱を怒りと悔しさのままに拳で殴りつける。

 手の甲からジンジンと痛みが伝導し始め、皮膚が破れる。


「っそぉ! っくそぉぉ!! あぁ!!」


 まだ足りない。自分の不甲斐無さが憎い。

 何がいけなかったのか。どうすればよかったと言うのか。木柱を打つ拳の感覚が無くなろうともこの禍々しい感覚は無くならない。


「り、リオン! 何をしているんだ! やめ、ろ!」


 セレネが肩を押さえて、リオンの暴走を抑える。

 

「俺は、俺は……どうすればよかったんだよ! どうしろっていうんだよ! 何で魔石が届いてない! ……どうすれば」

「何があったのか、事情を話してくれ。 自分だけを責めるな」


 セレネの瞳を横目で見て、力無くその場に崩れ落ちる少年。

 少女の蒼い瞳は、リオンの心中に反してただただ、澄み切っていて優しかった。

 そして、ようやく認めた。自分は村の人間よりも、この少女を優先したのだと言うことを。

 

◇ ◇ ◇


 二人に岩場で起こったことを説明し始めるリオン。

 ノーションが助けに現れたこと、盗人達とのやり取り、掻い摘んで話せば数分で語り切れた。リオンが身を裂く想いで辿った出来事はたったの数分の物語でしかない。

 事情を説明し終え冷静になりつつあるリオンは、魔石のありかは不明だと答える。

 またもや音の無い時間が過ぎていた。

 それぞれ思う節があるのだろうが、誰も何も言おうとしない。魔石がないのだから、もうどうしようもないのだ。

 

「よわったのぉ……魔石が無ければ、どうしようもならん。 そもそも石があってもほぼ賭けに等しい荒療治。 どうするべきか」


 いくらドクターMが優れた魔術師だったとしても、魔石がなければ手も足も出せない。

 医者がいても医療器具がなければ、治療などできない。

 そもそも、ドクターMが弱った村人達に施していたものは治療ですらない。

 魔術と医療は結びつかないのだ。壊すことしかできない現代魔術で中毒患者を治癒しようと考える時点で、この計画は破綻していたのかもしれない。

 だが、それでも何とか少年は足掻いて見せた。村の在り方を垣間見、決死の思いで魔石を求め、現実を突き付けられ、苦汁の選択を余儀なくされた。そして、目の前で守ってあげたかった少女が息絶えた。

 もう十分に、十分に手を施したではないかと、慰めの声を差し伸べれば少年は諦め切れたであろうか。

 それとも、もっとお前が上手くやっていればこんなことにはならなかったのだと罵られれば、奥歯を噛みしめながらも心に火が付いたかもしれない。

 荒野の様に乾き切った喉と心。そこに流し込まれるのは老人の一言。


「セレネ。 もう一度、ワシをあの場所へ連れて行ってくれ。 できるだけ村を満遍なく見渡す様に」


 ドクターMは静かに口を開き、小屋の外へと歩を進める。


「あ、あぁ。 だが……どうしようもないんじゃないのか」

「どうしようもないが、どうしようもあるかもしれん」


 振り返りリオンを見やる老人。老人の発言の意味がわからず首を傾げるリオンとセレネ。


「リオン、その者達は何かに乗っておったか?」

「いや、乗っていなかった。 たぶん徒歩で基地から逃げてきたんだと思う」

 

 月花とアルテミスを盗もうとしていた現場を思い返しながら答えるリオン。手には老人によって施された応急処置がされていた。

 リオンの言葉に大きく頷きハゲ頭の老人は続ける。


「村を出るにしても足を確保する必要がある。 徒歩で夜の荒野を水も食料も無しで移動するなど自殺行為。 メタルフレームを盗もうとしておったのも足が欲しかったからじゃろう」

「村にはメタルフレームは一機も見当たらなかったぞ」

「じゃ、メタルフレームがある基地に向かったっていうのかよ?」


 セレネとリオンが口々に言う中、ドクターMは二人を宥めるように両手を挙げた。


「そう、村にはMFは見当たらなかった。 恐らく、村人でMFを持っている者はおらんのだろう。 そして、基地から逃げ出したのに危険を冒してまで基地に戻るとは考えにくい。 この村とてMFを持った行商人や、旅人がやってくることもある。 現に昼間は結構な賑わいじゃった」

「爺ちゃん、つまりどういう意味だ?」


 痺れを切らしたリオンがドクターMを持ち上げて揺さぶる。


「日が昇るまで、要するに、行商人や旅人が来る時間までどこかに身を隠しているかもしれん。 MFを確保できない以上そやつらも村を出れんはずじゃ」

「じゃ――」


 リオンが身を乗り出しながら老人の言葉を待つ。


「その三人組みは、まだ村におる」



◇ ◇ ◇



 蒼いメタルフレームが再度、村の北を目指して発進して数十分後、夜の荒野から村に近づく三つの影があった。

 先程まで道を照らしていた月は雲に掛かり、闇の先は何も見えない。


「ふぅ、やっと村が見えたっちゃ。 誰かさんが、意固地のせいでとんだ時間を食ってしまっちゃよ」

「うるせぇ! 俺は、今でも反対だ。 こんな村ぁ、こんな村どうなろうが知ったこっちゃねぇ! 一キャンの得にもならねぇぞ!」

「と言いながらも、はぁ……はぁ……あなたは魔石をここまで持って来たではありませんか」


 肩で息をしながらメガネの男が、汗を滴らせているデブの右手を指さす。完全に息が上がっているメガネは言葉を続けようと口を動かそうとしたが、声になっていない。


「それは、その……村を出るにしても足がねぇだろう! 医者か村人からメタルフレームを奪ったらそのままずらかるんだよ! わかったらさっさと坊主が言ってた医者を探せ」

「言われなくとも探すっちゃ。 オレが先に行って村の様子を見てきてやるっちゃ。 二人は後から来るっちゃよ」


 ハッと右手を背に隠し、乱暴に声を張るデブ。デブの背中を軽く叩き、背の低い男が一足先に村の中へ入って行く。

 この中で一番体力があったのはどうやらチビだったらしい。


「まぁまぁ、村の人間に恩を着せておいて悪いことはありませんよ。 上手くいけば、これをきっかけに同胞を立ち上がらせ、ハンスタを追いやる機会をまた作ることができるかもしれません。 私も……ふぅ。 医者を探してきます」


 呼吸が整ってきたメガネは、チビの後を追う様に駆けだした。

 魔石を持っているデブだけが荒野に残される。

 くすんだ緑の木で作られた村の囲い、薄闇の先に確かに存在する家々。それらを眺めデブは口を緩ませた。


「医者見つけても、これがなけりゃ意味ねぇんだろうがよ……全く、ここまで来てよぉ。それこそ一キャンの得にもならねぇ」


 デブが意を決したように村へ踏み出した。

 村の中に入ると佇む影が存在した。それが何か見定めようと目を細めるデブ。

 背丈、肩幅から推測するに影は男だと思われる。だが、屈強さで言えばデブの方が何倍も上であろう。ひょろ長い影が蜃気楼の様に揺れながらデブに接近しているのだ。

 背丈から先に村に入ったチビではない。そして規律正しい歩き方をするメガネでもない。

 手拍子をしながらステップを踏むその影は、どこか愉しげに見えた。

 デブは慎重に一歩一歩、未知に接近する。


「隠滅、隠滅~と。 証拠は隠滅しなきゃ、よっ、いけないよね?」


 何か作業をしているのか、ぎこちない音をさせた後、影が誰かに尋ねた。

 物が落ちる音に続いて、誰かがすすり泣きをしている。村の子ども達が泣いていると悟ったのかデブは今にも駆けだしそうな姿勢を取った。

 だが、姿勢を維持したまま拳を作り、男の声に耳を傾ける。

 影の正体が共和国軍人という可能性もある。万が一、軍人ならばデブはたちまち基地の牢獄へ逆戻りだ。ここまで決死の覚悟で逃げ延びたデブにとってそれは何よりも避けがたいであろう。

 暗闇の中、音を立てずに村の入り口へと歩を進めるデブは、木の囲いに隠れるようにしゃがみ込んだ。

 幸いにも影はデブの存在に気が付いていない様子である。

 影は、身をかがめて慰めるように優しい声で言っている。


「お嬢ちゃん。 本当はね、僕だってこんなことしたくないんだよ? ハンスタがしっかりやってくれないから、仕方なくこんなことしているんだ。 だからほら、笑って。 僕は人形が大好きなんだ」


 デブが目を凝らして影の正体を軍人か村人か見定めようとする。

 影の前で小さく丸まりながら泣いているのは、恐らく子どもが一人。

 

「一体、どこのどいつだ。 こんな時間に子ども泣かせているやつは」


 胸内で小さく語るデブ。その声には怒りが聞いて取れる。

 デブが息を殺して様子を盗み見ている間に、雲に掛かっていた月が顔を出し始める。

 道を照らす月が未知を照らし出す。


「なッ! ぅ、ぉっんく」


 咄嗟に手を押さえて声を押し殺したデブ。嘔吐しかけたが、何とか音を立てずに飲み込んだようだ。

 今の僅かな声が聞こえたのではないかと横目で影の様子を確認してデブは安堵した。

 そして、その周囲に広がるおぞましい光景に目を閉じる。


「ほら泣き止んで。 ほら、君のお母さん。 いや、これはさっき飛び出して来た変なおじさん達だったね。 あれ? 君のお母さん、どこに行ったかな?」


 死体の山から人形(・・)を取り出し、人形を横に投げ捨てる男。人形は頭が欠けていたり、腕が片方だけなかったりと不揃いな()ばかりである。

 この世のものとは思えない、村人で形成された山にまた手を突っ込んで新しい人形を取り出していく。

 耐えかねたのか女の子が大声を上げて泣いている。その声を聞いて頭を掻きむしり、苛立った声で男が女の子に詰め寄った。


「全く……ヘリオスも面倒な願いを思い付いたもんだね。 ほら! 笑え! お前が笑わないと魔術が使えないんだよ! さっさと笑え、ほら、さっきから注文していたお前の母親だ」


 右足が欠けた人形を無理やり子どもの顔面に擦りつけて、男は叫んでいた。泣き叫ぶ子どもは男の声など聞こえていないかのように声を上げている。


「うるさいな……うざいんだよ。 うざいんだよ……うるさいんだよ。 たかが人間にどうして僕がここまで媚びらないといけない。 しかも、ただのガキに」


 手にしていた人形を闇へ投げ飛ばし、男はふつふつと笑う。

 

「あぁ……屈辱的だ。 まさに呪いだよ、ヘリオス。 君の『願い』は僕にとって『呪い』以外何でもない」


 手の甲を空に掲げて皮肉を言う様に笑う男。

 デブは、ようやく現場の異常さが飲み込めてきた様子で、姿勢を低く保ったまま村から離れようとゆっくり動き始めた。

 ここであの影に見つかれば間違いなくデブも死体の山の一部になることであろう。


「あぁ……面倒だぁ。 お前だけは生かしてやったのに、お前は笑わない。 笑わないガキに用はないんだよ。 ほら、笑え。 ほらぁ」


 この惨状で笑う子どもがいれば、精神が病んでいるとしか言いようが無い。

 肉片で出来た血まみれの道。薪の様に積まれた死体の山。

 子どもは助けを求めるようにただ泣いている。

 だが、この惨状を作りだした男は片手で子どもの首を持ち上げて、力をゆっくりと掛け始めた。

 次第に子どもの細い首に指が食い込み始め――鈍い音が飛び散る。


「はぁ……はぁ……嬢ちゃんを、返してもらうぜ」


 忍び寄ったデブは子どもを殺そうとしていた男の頭を角材で思いっきり殴り飛ばしていた。

 頭に当たった衝撃で角材が折れ、破片がどこかへ吹き飛んでゆく。

 男の手から解放された女の子は、むせ返っている。苦しそうにもがいているが、幸いにもまだ生きていたという何よりの証拠だ。

 首があらぬ方向に向いた男が倒れるのを確認し、デブは女の子を拾い上げようと腕を伸ばす。


「あぁ……屈辱的だ。 今日、二回も頭割られるなんて……ほんと。 まだ、残っていたのか? 人間(・・)


 後頭部があらぬ方向を向いたまま立ち上がる男。人間は死んでも数秒間意識があると言われているが、デブの目の前にいるコレはそんな次元を超えている。

 コレは、――死んでも数秒間生きている――

 この光景に遭遇すればそう思うのが自然であろう。

 呼吸のリズムが狂い始めているデブは、男の顔を見て息を飲んだ。

 デブの腕以上に太い角材が折れる程の力で頭を殴りつけられたというのに、男は平然と首が折れ曲がったまま会話をしているのだ。

 道の端には血まみれで壊れた眼鏡が落ちていた。その隣には子どもの様に小さい死体が転がっている。


「お前が殺したのか……村人を、俺の仲間達を」

「僕以外誰がこんなことできると思うの? っていうか、あんたいい度胸してるね。 さっきやってきた眼鏡を掛けた男なんて、腰抜かしてたのに」


 思い出し笑いをしながら男は自分の手で無理やり首の位置を元に戻す。そして、血の混じった唾を吐き捨てた。

 デブは女の子を庇うように、男と対峙する。


「この腐った村の連中は真面目だが……根性無しばかりでよ。 魔術師が来た途端怯えて暮らす毎日。 我が身かわいさで村長まで売りやがる最低な野郎だった」


 俯いたまま角材を握りしめるデブは震えながら続ける。


「だがな……お前らに殺されてせいせいすると思える程、悪いやつらじゃなかった。 お前らに殺されていいやつなんて、一人足りともいなかったんだぁ!!」


 デブは震える足を大きく上げて、地面に振り下ろす。先程までの目とは違う。意を決し、覚悟を決めた目で男を睨む。

 それはまるで何十人といる村人達を束ね、ここまで導いて来た村長(むらおさ)の目。

 

「やられた分はやり返す……それが俺の村(・・・)の流儀だ!」


 デブが折れた角材を抱えて首の曲がった男に向かって駆け出した。

 勝負は一瞬。

 ズシャリとぬかるんだドブに腕を突っ込んだような音だけが、虚しく響くだけ。

 デブが持っていた鎖の付いた赤い石が、宙を舞っている。

 宙を舞う石を取った手には、

 ――蛇と剣の刺青が彫られていた――

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