第41章
基地周辺南部。そこは変死体が見つかった場所であり、村唯一の舗装された道であり、基地と村を繋ぐ地点である。
そこに一つの機影が現れた。計六つものブースターを搭載した重厚な蒼きメタルフレーム・月花だ。腰に仕込ませた黒いサブマシンガンと背負っている鉄製ブレードは、機体の蒼色に溶け込めておらず、飾り気のない灰色が露骨に浮き出ていた。
「燃料が勿体無い。 この辺りまで来れば、歩行で十分だ」
ようやく月花の操縦に慣れてきたのか、リオンは手際よくブースターの速度を調整し、歩行モードに切り替える。こんな状況で念願のサウザンドの操縦に馴染み始めるなど少年にとって皮肉でしか無いであろう。
荒野の砂を巻き上げながら、舗装された道へ停止することに成功したリオンは次に、レーダーで生体反応があるかを調べるため、キーボードを打ち込む。
東ブロックから南ブロックという数十分の移動中に思考錯誤した結果、リオンは、レーダーの切り替えを行う術を得ていた。月花の戦闘機能はまるで理解することはできなかったが、生体反応を探るレーダーなどが使えるようになったことは、リオンにとってかなりの進歩である。
データ取得中《loading》という表示がモニターの中を満たしていたが、しばらくすると電子音と共に映像が映し出された。
「三次元レーダー……生体反応探索って……どんな原理かわかんねぇけど、やっぱお前はすげぇよ。 これがあれば、セレネを見つけるのもそう時間は掛からないはずだ。 ここで見つけることができれば――」
――村の人間も助けることができる――口には出さず、魔石の残量を一目見て、自らを鼓舞するリオン。
画面に映し出されている映像は、緑と黄色の線で描き出され平面世界。真ん中には、月花と思われる点が記されている。
レーダーから反応が返ってこないということは、今の探知範囲に人がいないということである。画面上に造り出された世界を見やりながら、リオンはさらに探知範囲を広げる。
「……反応があった! ん? 二つ? これは、村外れの建物……か」
セレネしか眼中になかったリオンにとって、二つもの反応が出ていることは思ってもいなかったのだろう。しかし、冷静になって考えてみればセレネではなく、単に村から逃げ遅れた人である可能性もある。その中にセレネがいるかどうかは、別として人がいるなら避難の手伝いをするべきである。
すぐさま月花を動かし、人体反応があった村外れの建物まで月花で移動をするリオン。
しばらく歩行を続けると、レーダー反応があったと思われる木製の小屋が暗闇の中で目視できるようになってくる。そして小屋の前に佇む人影をカメラアイで確認したリオンは、月花に片足を付かせて、コックピットから飛び降りた。
腰辺りまで長く伸びた蒼い髪は、二人といない。小屋の中に佇んでいる少女はセレネに違いない。
そう思うとリオンは叫んでいた。
「セレネェ!! セレネ! 俺だ、リオンだ! おい、セレネ!」
縺れる足にも構わず全速力で蒼髪の女性の元へ駆ける。探していた人物をようやく見つけた。そんな達成感や幸福感に満たされたのも束の間、視覚から流し込まれる情報に少年の体は強張った。
振り返ったセレネは血塗れで、血を吸いこんで黒くなった服と前髪が風でなびく。
リオンの顔を確認すると、セレネは助けを求めるようにリオンにしがみ付いて来た。
「リオン! 早く来てくれ、血が……血が止まらないんだ!」
リオンは咄嗟にセレネの体を確認するが、胸の中にいるセレネは怪我をしていない。では、この生温かい大量の血液はどこから滴り落ちて来るというのか。
「よかった……怪我はないんだな、心配かけやがって。 じゃ、この血はどこから――」
思考を凝らしていると、血が付着した蒼髪の向こう側に黒い長髪の女性が一人、腹を抱えるように丸まっている。地面を見ると血で水たまりができており、水たまりから赤い足跡がリオンの前まで付いていることから、おおよその見当を付けることが出来たリオン。
すぐさま、うずくまっている女性の元まで掛けて行き、様態を確認した。
「っな……シリス……。 おい、しっかりしろ! セレネ、月花の後部座席に包帯とか薬草とか……あれだあれ、救急箱! あったよな? それを持ってきてくれ!」
血を流している女性の顔を見て一瞬戸惑ったリオンだったが、すぐさまセレネに指示を出す。
セレネが持ってきた木製の救急箱を手に取ったリオンは、考えられる限りの手当てを施した。
幸いにもシリスの腹にナイフが突き刺さっている以外、最近付けられたであろう外傷は無かったため、血止めの薬草と消毒作用のある薬草をありったけ使い切ることで一命を取り留めることが出来た。
もし、この場にノーションかドクターMがいればと悲観していたリオンだったが、シリスの呼吸が安定してきたことを確認でき、安堵する。
そして、リオンとセレネはしばらく祈る様にシリスの回復を待っていた。
「……うぅ、あ、れ? 私は……いたっ」
「よかった! 一時はどうなるかと思ったけど、薬草がかなり効いたみたいだ。 さすが、姉ちゃんが集めてくれた薬草達だぜ」
「私も薬草を塗った……私も褒めろ」
シリスが目覚めると同時に、物置と思われる離れ小屋内が賑やかになる。リオンは、程良い広さの台に乗っているガラクタを全て払い落し、シリスをそこに寝かせていた。そのため、台の周辺には本や、穴のあいた籠などが散らかっている。
水汲み桶を逆さにして椅子代わりにしているリオンは、シリスの顔を覗き込んで、喜びの声を上げている。
ぬっ、とリオンに頭を差し出すセレネだが、頭を突き出し過ぎた結果、リオンの顎に頭突きをかましていた。
涙目になりながらセレネの頭を抑えつるリオンは、無理に起きあがろうとするシリスを止めに入る。
「まだ、動くなよ! かなり深くまでナイフが刺さってたから、しばらく安静にしておいた方がいい。 後は、月花で爺ちゃん連れてくるから、それまで大人しくこの小屋で待っててくれ。 ってぇ、マジでいてぇ……このアホ、セレネ! 俺に何の恨みがあんだよ」
シリスの頭に優しく手を乗せ、赤くなった顎を擦りながらにこやかに笑うリオン。そして、シリスの頭に乗っている手を恨めしそうに眺めるセレネ。
セレネを思いのほか早く探すことができ、月花の魔力もかなり残っている状態だったためか、リオンは心に余裕があるように見える。
「南側まで月花を移動させて、じぃじぃを連れてくればいいんだな?」
頬を膨らませながら、セレネが小屋の入口まで勢いよく行進していく。それを不思議そうに見送るリオン。
シリスが眠っている間、セレネに事情を説明しておいたリオンだが、念のため小屋の外に出向いて付け加えた。
「魔石を爺ちゃんに渡して、村の人達の治療が済んでから連れてくるんだぞ! それまで俺がシリスを看病しておくけど、なるべく急いでくれ!」
「わかってるぞ! 同じことを何回も言うな、私はお前と違ってアホではない! ……私が心配だったというのは嘘なのか、全く」
リオンに聞こえない大きさで、いじけたような言葉を出すセレネは、素早く月花に搭乗し、コックピットを閉めようとした。
ふとセレネが視線を下ろすと、頬をかりかりと掻きながら視線のおぼつかないリオンがセレネを見上げている。
「セレネ……早く戻ってこいよ。 もう、あんな思いするのはこりごりだ」
「ん……心配をかけてすまない。 なぁリオン……後で、色々話しておきたいことがある。 今はシリスの側に戻ってやってくれ」
見上げる少年と見下げる少女。二人がこうして言葉を交わし合うのは、数時間ぶりなのだが、リオンにとっては果てしなく長い時が流れたようにさえ思う。
村人のためとはいえ、せっかく再び出会えたセレネを一人で村の南部まで行かせることは不安であるが、やらねばならない。
村人を助けたいと思った、ドクターMに託された、そして、盗人達と約束した。
リオンは、少し大きめの操縦席に座る少女へ握り拳を向け、「また後で」と無事を祈る。首を傾げながらその動作を見やり、コックピットを閉めるセレネ。しかし、その顔はどこか満足げで、リオンの心を柔らかく、温かくさせた。
やがて月花は進路を定めブースターで去る。
一命を取り留めたシリスだが、まだ安心はできない。できることならば、医者に見せた方が良いに決まっている。
月花にシリスを乗せてドクターMが待っている南部まで運ぶこともリオンは考えたが、傷が深い人物を機体に乗せるなど危険である。万が一、戦闘でも発生すれば打つ手はなくなるだろう。
そこで、リオンが提案した案は、魔石を消費せず月花を動かせるセレネが月花で村の南部まで行き、魔石を渡す。その後、村人達の治療を終えたドクターMを月花に乗せてこの小屋まで来てもらおうというものだ。
シリスの様態は今や一刻を争うような事態ではない。出血も止まっており、恐らく会話も少し程度ならばできる程まで回復している。ドクターMが生命力を吸い取る甘生樹の毒を抜くまで数十秒掛からないことを確認済みであるリオンは、村人全員の治療にそれほど時間は掛からないと踏んでいる。
思考を巡らせ、セレネが戻ってくる時間を推測しながら、再びシリスが横になっている物置き小屋に入ったリオン。
「リオンさん、少しお話……聞いてくれますか」
シリスの側にある桶に腰を掛けた時、唐突に声を浴びせられ、戸惑いを覚え思考が止まった。
「ん? 怪我が治ったらまた聞くよ。 今は横になってた方が」
「いいえ、今でないと……忘れてしまいそうだから」
真剣な目つきをするシリスに負けて、シリスの手を引っ張りながら台に座らせるリオン。礼を一言述べた後シリスは、さっそく本題に入った。
「私が考えたお話を聞いて欲しいんです。 タオ……弟がよく私の作った話を楽しみに聞いてくれていて、リオンさんに今考えたお話を聞いてもらって感想を聞けたらいいなぁ……なんて」
言うのがよほど恥ずかしかったのか、顔を伏せながらしどろもどろとしているシリス。あまりに真剣な目をして訴えかけてくるものだから、身構えていたリオンだったが、シリスの様子を見て顔がほころぶのであった。
「セレネと爺ちゃんが来るまで時間もあるし、シリスがそうしたいって言うなら。 でも、気分が悪くなったり、傷が痛むようならすぐに中止してもらうからな」
リオンの言葉を聞いて心底嬉しそうに返事をするシリス。こんなことでよければ、いくらでもしてあげたいと思い、シリスの体をゆっくりと起こすリオン。
「では――さっそく」
恥ずかしそうに咳払いをして、シリスは語り始めた。
――それは傷を負い続ける少女の物語――
物語の始まりは戦争で両親を失った少女とその弟が、街の片隅で支え合いながらも強くたくましく生き抜くという内容だ。
子どもに聞かせる話ということで、窮地に陥ると魔法が出てきたり、王子様が出てきたりと奇跡やロマンチックなことが起こり、少女を助けるものだとばかり思っていたリオンだが、登場するものは車や、姉弟に食べ物を分け与えてくれる優しき街の人々、学校に通う子どもたちを遠くから眺める弟の話など、やけに現実的なものばかりだった。
共和国育ちのリオンにとって、何よりウインド村育ちのリオンにとって、車というものは、魔法のそれと大して変わらないぐらい奇怪な機械であったため、非現実的といえば非現実的である。
シリスの語り方があまりにも魅力的だったということもあるだろうが、貧しくも幸せに生きている姉と弟の話はリオンとマリアを思わせ、リオンはシリスの話の虜になってゆく。
辛いことがあっても姉である齢十才の少女は、弟に“神様がちゃんと見てくれているから大丈夫、お金がなくてもきっと幸せになれる”と言い聞かせていた。
しかし、そんな小さな幸せは長く続かなかった。姉弟を引き裂く事件が起こるのだ。
貴族の少年が、自分の犯した罪をたまたま近くにいた貧しい少女に被せた。貧しく、学の無い少女と裕福で将来を期待されている少年の言うことでは後者の方が力を持っているのだそうだ。
少女は身に覚えのない罪を、頑なに認めなかった。認めれば誰が弟の面倒を見るのだ、認めれば自分の将来はどうなってしまうのだと首を縦に振ることはしなかったのだ。
だが、弟まで共犯者として扱われるようになると言われ、少女は遂に犯罪を認めた。弟を盾にされれば、少女は首を縦に振るしかなかった。
冷静になって捜査をすれば、少女が無実であるとわかるはずなのだが、捜査は行われなかった。代わりに行われたのは情報の“操作”だけ。
自ら容疑を認めて釈放された少女に対して、世間の目は冷たかった。食べ物を分けてくれていた人々からも犯罪者として見捨てられ、少女達を保護してくれる人などいない。だが、彼女はそれらを全て受け入れた“神様からの試練だ”と思い、いつかわかってくれる人が現れるそう信じて。
しかし、神様は厳しかった。路頭に迷う姉弟は、更に身に覚えのない罪で捕まる。一度あることは三度あると街中の人間が少女に対して思った。そして、それと同じことを少女は貴族の人間に思った。
そうして気が付いた頃には、少女は犯罪者としてしか見られなくなり、街を堂々と歩くことすらできなくなったのだ。
「馬鹿な少女はそこまで堕ちてやっと気付いたのです。 “この世に神様は、いない”と。 いるのは汚い貴族そして、少女をどう弄ぶかしか考えていない男だけ。 それを打破できるのは、お金なのだと。 神様は貢物が多い人達しか見てくれないのだと気付いたのです」
少女と一緒にいては弟までダメになってしまう。教会に行けば保護してもらえると知った少女は、弟だけ教会に残し、闇の世界へと帰った。お金を稼ぎ、いつか貴族をも凌ぐお金持ちになって堂々と迎えに来ると小さな胸に少女は誓い、姿を消したのだ。
一方、光の当たる所では、学を付け、食べ物を食い散らかす本当の犯罪者が堂々と歩いている。
そんな姿を目にする度に少女は、殺意に駆られた。しかし、貴族達は簡単に殺されるような環境にいない。家のセキュリティも万全、守衛がいる家だってある。
「シリス……この話、本当に――」
「お願いです。 最後まで……聞いて下さい。 聞くだけで構いません。 聞いた後……忘れて下さって結構です。 だから……」
そう言うシリスにリオンは、頷くしかできない。恐らくこれは、弟に聞かせたい話などではない。リオンに聞かせたい話なのだ。そして、この名も無い物語の少女は――。
「神様を信じなくなった少女は、お金欲しさにあらゆる犯罪を繰り返します。 最初は軽いものばかりでしたが、結局、行き着いた最もお金を稼げる仕事は要人の暗殺。 皮肉にもあれ程殺したいと思っていた貴族を殺すことでお金が貰える仕事を見つけてしまったんです。 軍や貴族が公にできない暗殺を肩代わりする。 一人殺せば二十万キャン以上のお金が貰えます。 その世界では、過激な戦争は終わり、冷戦に移行したため、軍は実質的な戦力よりも邪魔者を排除してくれる人間を欲していました。 体を売るより遥かに高額なお金を貰え、仲間と呼べる人間ができたため、どんな厳しいセキュリティも突破し、確実に標的を仕留める暗殺者として少女は裏社会で名を馳せました。 五年もすれば少女にも弟を養うだけの十分なお金が集まりましたよ」
犯罪をしていなくても犯罪者になる。それならば、犯罪をしてもしなくても変わらない。神様は貧しさに耐えながらもルールを守っている人間ではなく、堂々とルールを破る貴族達を守った。ならば、少女もルールを破り、金を稼ごうと思うのも無理はない。
そこでリオンは思う。それは幼き頃の少女が自ら求めた将来の姿だったのか。そのように成長した少女の姿を見て喜んだのは誰か。邪魔者を排除してくれる雇い主の貴族ではないのか、優秀な駒が使える軍人だけじゃないのかと。誰も少女の幸せなど祈っていなかったであろう。せめて彼女の弟だけは姉の幸せを祈っていて欲しいと思うリオン。
「しかし、少女は弟と二度と会えなくなりました。 少女は時間を掛け過ぎたのです。 少女がお金を稼いでいる間に、彼は神父になってしまったんですよ。 殺人犯の姉と神父の弟、会えるはずがありません。 それ以来少女は個人的な依頼は一切受けず、平和を守るため、国を守るため、軍に入りました。 やることは同じ。 命令を受けて、殺して殺して、また殺して……そうやって彼女なりに国を守り続けたのです。 彼女にとって国を守る術は……弟を守る術でもありますから」
「そんなことしなくても、その女の子は堂々と弟を迎えに行って二人で暮らせばよかったんじゃないか? 弟だって姉ちゃんの話を聞けばきっとわかってくれるだろ。 まして神父なら、罪を許すはずだ」
教会の神父とはそういうものだとリオンは理解している。かつてウインド村にいた神父もそうだったように。
しかし、リオンは次にシリスから帰ってきた返答に、何も言えなくなる。
「莫大なお金を抱えて少女が迎えに行った時、すっかり成長しきった弟は教会にやってくる貧しい子ども達に、笑顔でこう教えていたんですよ。“神様がちゃんと見てくれているから大丈夫、お金がなくてもきっと幸せになれる”って」
いつかの少女が彼にいつも言っていた言葉。まだ、少女が神という存在を信じていた時の言葉を彼は、未だに信じていたということか。
結果的に目に見えない多くの人間を救い続けてきた姉。目に写る全ての人間を救おうとしている弟。彼らの行いは似ているようで似ていない。月と太陽のような違いがある。
依頼次第で罪の無い人間を殺す者と無条件で罪のある人間を許す者。
一方で、彼女は薄々勘づいていた。今まで行ってきた軍の任務ですら、全て貴族の利己的なものばかりだと。国の正義などどこにもない。救われた目に見えない人間とは、全て、あぐらをかいている貴族。自分が本当に助けたかった部類の人間はそこにはいない。
彼女は金欲しさに殺しをしてきたとようやく気が付く。弟を守る手段など大義名分を掲げ、金を貴族から巻き上げていただけなのだ。
なぜなら彼女は、軍に入ったというのに“共和国の人間を一人も殺していなかった”のだ。
そんな自分では弟に顔向けできないと悟った少女だが、もう後戻りはできなかった。その身は既に国に捧げたものだ。今更、犯罪者に戻るわけにもいかない。
「もう……いい。 シリス、これはお前の話……だろ? お前が辿った物語なんだろ?」
「そして、少女は生まれて初めて、敵国の共和国に入国することが決まります。 帝国の脅威を殺すために入国したんです。 今までとは違う! 本当に、帝国に住む全ての人のためになる、そんな標的が現れたんです」
リオンが語りを止めないシリスの手を優しく握ると同時に、シリスの瞳から涙がこぼれ始める。
「でも国の脅威を倒すために送り込まれた少女……は失敗しました。 だから、国民のために死ななければ……いけないんです」
「死ななくていい! どうして死ななくちゃいけない! その女の子は幸せにならなくちゃ……そんな世界は嘘だろ」
強く手を握りしめるリオンに対してシリスは首を横に振る。
「隠密が入国したことが共和国軍にバレていました……完璧に私たちは入国したのに、あなたのおかげで共和国軍に悟られるのは、任務が終えた後だったはずなのに」
「それって、どういう意味だ」
「ハンスタ少尉……女の子を捕まえるとしばらく基地から出てこないんですよ。 だから、村の警備兵も気が抜けて村にやってこなくなる。 その間に、標的に奇襲をかけて倒すというのが人数の減った私たちの苦肉の策でした」
リオンがハンスタとトラブルを引き起こしたため、隠密達の策は失敗した。警備兵がはびこる村の中では隠密達は集団行動が取れない。魔術師相手に一対一では勝ち目はないのだから、隠密は集団で攻撃をしかけるチャンスが必要だったのだ。
「そんな……俺のせいで」
呟くリオンだが、もし、隠密が集団行動を取っていたならば、ノーションとドクターMが殺されていたかもしれないのだ。そして、恐らく二人と一緒にいたリオンとセレネも例外ではないであろう。
「でも、俺があいつを止めなかったら、シリスがどんな目に遭ってたか!」
「国からの“任務”だから仕方ないんですよ、それに何をされても……もう慣れてますから。治療して下さったリオンさんは、見たでしょう私の……体」
悲しげに声を漏らし、肩を抱くように縮こまるシリス。その仕草はとても暗殺者には見えなかった。リオンには、ただ力の無い一人の少女にしか見えない。
そんな少女の姿を見てリオンは咄嗟に声を上げた。
「そんなこと言うな……もっと自分を大切にしろ! お前の弟もきっとそんなこと望んじゃいない……姉ちゃんがそんな辛い目にあって喜ぶ弟なんているわけねぇだろ!! 今すぐ弟に会いに行けばいい! 命令とか任務とかよくわかんねぇけど、シリスがしたいようにすればいいんだ! お前の罪は……許されないことかもしれないけど、許されるべきなんだ!」
血の付いたシリスの服を見つめ、傷ついた体を思い出す。シリスの体は傷跡だらけだったのだ。ナイフで抉られたものだけではなく、弾痕のような丸い形の後も無数にあった。
シリスの弟が神父であろうが関係ない。弟ならば、家族ならば、お互いに幸せでいて欲しいと思うことが自然だろう。
彼女の体を見れば、どれだけの修羅場を掻い潜ってきたのか容易に想像できるはずだ。心を痛めるはずだ。
シリスが怪我人ということを意識しているため、リオンもあまり問い詰める様な事は言えない。
真剣にシリスのことを考えての発言だったが、リオンの顔を見ながらシリスはくすくすと笑う。
「ふふ、やっぱり、リオンさんは優しい方です……私とは違う、光に溢れた世界の人。不謹慎かもしれませんが……リオンさんがハンスタ少尉から私を守ってくれた時、嬉しかったんです。私は今まで守ってばかりで、守られたことがなかったですから……あぁ、こういうのが普通の女の子が思う感情なのかなぁって、少しだけ思うことができました」
言い終わるとすぐにシリスは吐血し始めた。リオンにもたれ掛かるように倒れてくるシリスを受け止め、傷が開いたのかと服をまくる。
「すみません……私の血、服に付けちゃいましたね」
「傷は広がってない。何でだ、何で! シリス、他にも怪我してたのか!」
シリスの背中や腕などを確認し怪我を探すリオンの手を両手で包みこむように握るシリス。
「他にどこも怪我はしていませんよ。さっき飲んだ薬が……やっと効いてきただけです。っぅ、ふっ……戦争を止めることができる魔法の薬、最後に神様が残しておいてくれたみたいです。こんな犯罪者にも慈悲の御心が頂けたようで――」
呼吸が乱れ始めているシリスにリオンは成す術が無い。恐らくリオンがセレネを見送りに行っている間に、体のどこかに忍ばせていた自決薬を飲んだのだろう。
その覚悟に息を飲むリオン。国のために死ぬなんて到底自分にはできない。
「共和国から“密偵を見つけ次第、休戦協定を切る”と本部に通達が来ました。帝国の隠密はここにはいなかったことにしなければいけません……。大半があの魔術師に殺されたからいいのですが、ここに一人まだ生きている隠密がいます」
「馬鹿! 国のために死ぬなんて……そんなこと」
「私は軍人です。私がもし、共和国軍に生きたまま捕まればやがて戦争が起こります。私の祖国も戦争をしたくない人だけではありません。過激派が勢力を伸ばせば多くの人が……弟も死ぬかもしれない。姿を見ただけならば本国がどうにか誤魔化すと思いますが、私が捕らえられて魔術で自白させられればどうなるか……。あの魔術師に殺されれば身元不明の死体になれたのですが、私は死にきれませんでした。だから、こうやって……自決するしかないんです」
肩で息をしながら一気に言葉を言い終えたシリスはリオンの腕を離れ、ぐったりと眠る様に柱にもたれ掛かる。口に付いた血を拭う力すら残されていないのか、虚ろな目でリオンを見上げている。
「国から……私に下された最後の任務は“村娘として自害しろ”……だから“村娘”として、リオンさんに私のことを知ってもらおうと思うのは……欲張りだったでしょうか……記録には残らないけれど、せめて記憶に残ることができればいいと……なんだかこのまま死ぬと思うと……急に寂しくなって、勝手なことばか、り……言って」
――ごめんなさい――
そう口が動いたように見えた。少女の体から体温が失われていく。夜の空気が体温を全て吸い上げて行く。
黒髪の少年は黒髪の少女をゆっくりと温めるように抱きしめた。泣いてなどいない。決して、泣いてなど。彼女は、自らの使命を、助けたい人を、自らの命を犠牲にして守ったのだから。
それは幸せに違いないのだ。だからこそ、こんなにも安らかな顔をして眠りについた。だから、少年が泣く必要などないのだ。
「……あぁ、忘れない。 絶対に」
守ってばかりで、守られたことの無い少女。そして、最後は守っているモノに、死ねと告げられた少女。
国から捨てられた少女は、それでも最後まで国を、弟を守ろうとし、国の命令を全うした。
一人が自決することで、国の人間が守られる。実に、実に理にかなった犠牲ではないか。自らを犯罪者と言っていた少女の理念は本物だ。だが、大義を成し遂げた犯罪者の彼女が称えられることはない。
墓も、彼女の事を思い出す人もいない。いや、彼女の事を思い出す人物はいる――黒髪の少年と彼女の弟。彼らが生きている限り、彼らの中で少女は、“少女”でいられるだろう。
「シリス……お疲れ様」
リオンは傷を負い続ける少女からそっと離れ、祈りを捧げる。どうか、天国に行かせてやって欲しいと。
そして、後少しだけ、もう少しだけ世界が少女に優しければ――と。