第40章
砂を、風を、そして、命をブースターで吹き飛ばしながら月花は共和国軍基地を目指す。
ノーションは“基地の周辺でセレネを目撃した”と言っていた。村で別れ、先程の岩場でリオンとノーションが再会するまで時間はそれほど経っていない。加えて、その短時間でセレネが徒歩で移動できる範囲を推測すると基地の北側でセレネが目撃されたとは考えにくい。村から一番近い、基地の南側が最有力候補であるが、リオンが盗人とトラブルを引き起こしている間も移動し続けていたとすれば、基地の東か西にも足を伸ばすことは可能である。
これらの情報を元にまずは岩場から一番近い、基地の東側から捜索を開始しようと考えたのである。
数分も経たないうちに東ブロックの入り口へ到着したリオン。
基地の東側は、嫌な静けさと鉄が焦げた臭いに満たされている。
“部外者立ち入り禁止”と書かれていた鉄柵は、歪なS字を描いたまま地面に横たわっており、二十近く設置されている自動機関銃は全て破壊され、メタルフレームの残骸と思われる金属の破片が、点々と黒く変色している荒野の上に散らばっていた。
月花の速度を一気に落し、立ち止ったため地面に散乱した何かをゴミのように吹き飛ばして行く。
「なんだよ、これ。 盗賊なんてレベルじゃない。 基地は軍隊に襲われているのか……いや――」
“悪魔”か、と冗談のようなノーションの言葉を思い返して息を飲むリオン。
基地内部にカメラアイを望遠してみると、周囲には焦げた軍服と赤褐色の肉塊が肉食動物の餌のように地面に転がり落ちていた。
基地施設からは灰色の煙が舞い上がり、火の手も周っているようだ。そこは、まさに戦場の後。
リオンは、モニター越しにここでの戦闘の激しさを想像する。
銃痕と空薬きょうで埋め尽くされた砂の上を一歩、また一歩と月花を進出させ、ひび割れたコンクリートへ鋼鉄の足が乗ったため足音が変わり始める。
基地内部に入るとカメラで目撃した通り、朽ち果てた機体と肉体が転がっており、先程より顕著になったそれらを直視できずリオンは目を背けた。背けた先にあるのは、月花の燃料メーター。これがゼロになった時、少年もこの墓場へ仲間入りすることになるのだ。
ブースターを使用せず、セレネの捜索だけに集中すれば、後二十分程度稼働するだけの残量はある。しかし、この先に何があるかなど、少年にわかるまい。
基地の迎撃システムが壊滅しているここ東口より数キロ先、闇で閉ざされた中央ブロックで何が起きているかなど。
立ち尽くす蒼い機体の背後で突然、何かが炸裂する音が一つ響いた。
――銃声――それは、少年にとって死と直結する死神の足音である。
「ッア! ふ……ぅ。 ほ、放電……か。 クソッ! 手の震えが止まらねぇ」
メタルフレームの残骸が荒野より流れ入った砂と触れ合い、ただ放電しただけであることを確認し悪態をつきながら安堵するリオン。
今のが本物の銃声であったならと考えると、背筋が凍り、緊張でそのまま神経が焼け千切れそうな思いがする。逆立つ毛を寝かせ付かせつように、ゆっくり、ゆっくりと周囲をカメラアイとレーダーで確認しながら操縦桿を強く握り返す。
「この機体のサブマシンガンと、ブレード……まだ使える」
何の装備も無しに戦場に赴いていることが急に怖くなったのか、放電したメタルフレームから武器を拾い集めるリオン。
これらの武器を有事に使用できるかどうかなど関係ない。使えぬ武器でも戦場を知らない少年の気持ちを紛らわせる程度には効果はある。
「……これだけの戦闘があったなら、いくらアイツでもこの辺りに近づこうなんて思わないはず。 でも、もし中に入っていたら……誰がアイツを助けてやるんだよ、っく!」
手で胸を押さえながら急く気持ちを抑える。顔に力が入ったせいか頬の痛みが蘇り、それと同時に金髪の魔術師の言葉を思い返す。
ノーションに指摘された通り、この広い基地内で女の子一人探すことは困難極まりない。まして、戦闘のプロが潜む未知なる土地へ踏み込むなど愚の骨頂である。ノーションはセレネを基地周辺で目撃したと言っていたのだ。セレネとて、無意味に危険しかない基地の中に入るようなことはしないはずである。
ならば、基地周辺の南と西を月花で周り、セレネを探すことが一番現実的な手段ということだ。
だが、頭で理解しているつもりでも、最悪の事態ばかり頭を過る少年の脳内では現実的な手段が最善でないと思い始めている。
「俺は戦闘ができないんだぞ……武器があってもこれ以上進むのは無理だ。 無理なんだ!」
不可能なことを可能にする者が英雄である、盗人はそう言っていた。そして、リオンも心のどこかでそうであると、自分がそうでありたいと願ってきた。
不可能とも無謀とも言われる英雄的行動を起こし、人が助かる。それと引き換えに自分が死ぬことになったとしてもそれはそれでいい。人々に感謝されて散るなんてなんと英雄的な死に様だろうか。
しかし、現状は違った。
身の丈に合わない行動をすれば、数え切れない、掛け替えのない人間が死ぬだけなのだ。今、月花が撃破されるようなことがあれば、村人を助けるための魔石も失い、セレネも救うこともできない。背負っている命の重さがリオンの突き走る気持ちをかろうじて抑え込んでいる。いや、抑え込むしかない。
「南側に……いてくれよ!」
リオンは、サブマシンガンを腰に鉄製のブレードを月花の背中に収納し、ブースターを吹かせ次の捜索ポイントに移動を開始した。
◇
ちょうどリオンが立っていた基地の東ブロック。そこから基地内の闇を抜けた先、中央ブロックでは悪魔が待っていた。否、舞っていた。
「少尉ぃ!」
もう幾つ目になるか、数えることすら忘れてしまう程の断絶魔がこの場にはあった。
黒一色。それは軍人の心理か、それは追い詰められても尚、人を殺し続ける機体の色か。
悪魔は、まだ生きていた。悪魔の右手には刃に赤色の筋が走った嫌悪の剣、半壊した左手には刃に黄色の筋が走った憎悪の剣が握られている。
そう、帝国の悪魔は窮地に立たされたにも関わらず、もう一振りの愛剣・憎悪の剣を回収することに成功していたのだった。
「絶対に殺すな! アイツは、アイツは……生きて捕獲しろ。 奴の言っていることが本当なら……お前らの命なんて何百あっても足りねぇ価値があんだよ!」
『ですが、そんなことをしていては我が部隊は……相手は“帝国の悪魔”です。 ここで仕留めなければ――』
ハンスタに異論を唱える一機のメタルフレーム。兵士が言葉を言い終える前に、ハンスタは――魔科学兵器の引き金を引いた――
「……二階級特進でたった今、あなたは私の上官になった。 まだ、文句がおありでしたらお伺いしますが? マグナス中尉殿?」
膝を付き、胸に風穴が開いたメタルフレームはハンスタに何か言おうと手を向けるが、時が来た。
「……なるほど、異論はないようでぇ」
爆発音が響く中、ハンスタは笑みを零す。人の皮を被った悪魔はここにもいた。
己が目的のためならば、味方であろうと殺す。ハンスタにとって部下はコマでしかないのかもしれない。
コックピット内で自機を蹴り飛ばすハンスタは、興奮で感情の臨界点を突破しているようだ。先の尖がったサングラスもコックピット内のどこかに投げ捨てており、露わになった吊り目でモニターに映る漆黒の機体を串刺している。
ハンスタは圧倒的数で悪魔を追い詰めることに成功し、トドメを刺そうとしたその瞬間、弾を外した。少尉ともあろう人間が新米兵士でも狙いを付けることが可能であろう距離で魔科学兵器の弾を外したのだ。
その時、配下の兵士達は、ハンスタがいつものように殺せる敵を驚かせて遊んでいるだけと思ったことだろう。はたまた、時間をかけてゆっくりなぶり殺すつもりなのか、などと自軍の絶対勝利を信じて疑わなかったはずだ。
しかし、弾を発射した本人はそうでなかったらしい。
というのもハンスタが、“帝国の悪魔”の正体と目的を問いただした時、ゼロと名乗る人物はこう答えていたのだ。
『絶望の淵から蘇った、正義の死者とでも言っておこうか……』
四方から銃口を向けられた状態で、不敵に笑うゼロ。追い詰めているのはゼロの方ではないかと思わされる程、余裕のある笑みを見せる悪魔の声が戦場に響く。
「は! 減らず口を。 あくまで俺の憶測だが……お前のその魔力……人間じゃねぇな。 人造人間か? いや、まさか……人造魔女か!」
『……さぁ』
感情のない声、造りモノがただ言葉を並べただけのような口調の持ち主は、ハンスタの油断した瞬間を逃さず、急加速しながらハンスタの背後に刺さっている剣を抜き去ったのだった。
その後ハンスタは“撃破”から“捕獲”に命令を変更したため、隊は見る見るうちに壊滅状態になり今に至る。
テンサウザンド・ベルゼブブから黒い機体がどこまで戦えるのか性能テストをするような目で、悪魔の勇士を眺めているハンスタ。
そして、部下が次々と殺されるという状況下で楽しそうに声を上げた。
「あぁそうかぁ。 わかったぞ、カブトムシ野郎。 お前、ハハッ! ヘクセクルスだろぅ? それならその強さにも納得だ。 それに、帝国軍がてめぇを撃墜できなかった理由も恐らくソレだ。 てめぇを突き出す場所が場所なら、金なんて燃やして捨てるぐらい手に入る。 だからよぉ、いい加減大人しく捕まれや! 俺の悪いようにはしねぇからよ!!」
目の前の敵を斬り捨てる正義の死者か、部下の命をも切り捨てるハンスタか。
彼らの戦闘はハンスタの優勢のまま続いている。