第39章
ただ、金髪を見送るしかできなかったリオン。
ただ、白銀の機体が跳躍して行く姿を見届けることしかできなかったリオン。
荒野に横たわったまま放心状態になっている少年。
天を向いている左頬の痛み以外、何も考えられない状態がしばらく続く。
――甘過ぎるのか――
大の字に寝ころび、満月と睨みあうようにしながらそれだけを思う。
――両方を助けるということは、甘過ぎるのか――
天に君臨する白き瞳と地を這いずる黒き瞳の視線が交差した。
「坊主……どうして村の奴らを助けることにそこまで必死になる。 仲間がいるならそいつを助けに行けばいいだろう? 旅人なら村の人間なんて、一期一会、一回出会ったら、もう二度と出会うことなんてないだろうよ。 俺なら、そんな一回限りの人間、助けようなんざ思わねぇぜ、お前は頭が狂ってるんじゃねぇか?」
アルテミスの風圧で吹き飛ばされた結果、仰向きで口だけ動かしているデブが半ば笑っている。その笑みは馬鹿にしているというよりも、呆れたと言った風に声をあげる。
しかし、リオンは大の字に寝そべり、月を視野に入れているだけでデブの声に反応を見せない。
「私にも理解できませんねぇ。 私たちのこともそうですが、君には助ける意味がないじゃないですか。 人が人を助けることができるのは、自分に余裕がある時だけですよ? まさか、この状況で君に余裕があるとも思えませんし、セレネというお仲間のことが大切ならそちらを取るのが普通ですよ。 さっきの金髪魔術師が言っていた通り誰も君のことを恨みません。 この場合、恨むであろう人は死ぬんですからねぇ」
うつ伏せになっているメガネは理解できない、意味不明だと眉を寄せている。言いたいことを先に言われてしまったのか、デブの腹の上に寝そべっているチビは、被りを縦に振るだけである。
そこでようやくリオンが口を動かし始めた。
「人が人を助けるのに意味なんていらねぇじゃねぇか……俺は、英雄になりたいんだ。 弱い人を守れるような、強いやつに虐げられないような、強い英雄になりたいんだ。 両方助けたいって思っちゃダメなのか。 どっちか選ばないと……ダメなのかよ」
言葉が途切れ途切れになりながらも言葉を紡ぐ。何もできない。選択できないが故に何もできない。こうしている間にも時間は過ぎ去って行く。
十代後半の少年にはあまりにも荷が重過ぎる選択だったのだろう。自分の命の実感すらしっかり持てないというのに、自分の選択で他人の命が消えるとなると選択できなくなるのも無理はないのかもしれない。
「……だらしねぇ」
デブが静かに言った。その発言にチビとメガネも何かに気が付いたかのように目を見開く。
「全くもってだらしねぇな、オイ!」
今度はメガネとチビにアイコンタクトを取りながらデブがはっきりと言う。
「おい、アホ坊主。 土下座に対する返事がまだだったな……坊主、縄を解け。 その命の半分とやら、俺達が届けてやるよ」
「……俺が時間内にセレネを見つけることができなけりゃ、ノーションさんの言う通り、両方殺すことになる」
ノーションの言葉が蘇り、胸が重たくなる感覚を味わうリオン。しかし、デブは陽気に続けた。
「坊主、英雄がよぉ、誰でもできることだけして英雄になれたと思ってんのか? 不可能なことを可能にしちまうのが英雄様なんだろうがよ? なら、やってみせろや! 英雄に大人も子どもも関係ねぇだろう!」
デブが片目で右側だけ砂まみれになっているリオンの顔を覗った。金が何よりも大切であると主張していた彼らがいきなり、精神論を唱え始めている。リオンに銃を向けていた者達がリオンに協力しようとしている。
英雄を志す少年の純心で真っすぐな想いが、大人達に届いたのだろうか。それとも、考え直した結果、村の仲間がみすみす死ぬことを善しとできなかったのか、。
いずれにせよ、少年は男達のことを信用し切れないと言った様子である。盗人に協力を申し出たのはリオンだが、こうも協力的になると何か裏があると勘ぐってしまうのも当然だった。
「あんたら……なんで、協力してくれるんだ。 俺は断られると思っていたんだ、あんたらは、村の人を恨んでるんだろ? これは村の人を助けるための石だ、あんたらを裏切ったっていう村の人をな」
汗で張り付いた砂を払い落し、顔を隠す様にして英雄志望は立ち上がる。
「坊主には……命を助けられた。 俺達が命を奪おうとしていたにも関わらずな」
デブが自分の出っ張った腹を見ながら呟く。リオンとてあの時、死を覚悟していた。これからの選択を考えるとあの時、重傷を負っていた方がマシだったとさえ思う。
無事だったが故に、どちらかを選ぶ余地が生まれてしまったのだ。瀕死の重傷でも負っていれば、後ろ髪を引かれる思いをさせられるだろうが、ノーションが無理やりにでも村まで送り届けてくれたかもしれない。勿論、そのまま切り捨てられる可能性もあるのだが、今のリオンにとってそこまでの思考は回せない。
「それに、魔術師の言っている通りになるなんて、いい気はしませんしね。 “力は積み上げるもの”とはよく言う。 魔術が使える……ただそれだけで、二百も三百も力を積み上げてきた私たちの努力は、魔術師の一撃で無に帰される。 アレは積み上げられる力を元々持っていた人間だから言える言葉です。 積み上げる力が元々ない私たちに適応できるはずがありません。 どこまで私たちをコケにすれば気が済むのですか、魔術師という人種は!」
メガネがデブの背後から憎しみを込めて言った。続けてチビが口を開く。
「話が逸れてるっちゃ、村の人間を恨んでいないと言うと嘘になるっちゃよ。 でも、よくよく考えてみれば、皆、魔術師が怖かっただけなんだと思うっちゃ。 戦うか従うか、その二つしかなくてそれぞれ違う方を選んだ。 裏切られたというより、別々の道を選んだんだっちゃよ、きっと」
チビがまとめて三人の想いをリオンに告げる。それが嘘か本当か確かめる術などない。リオンとて、これ以上迷っている時間はないのだ。どれほどの時間が経過しているか明確にはわからないが、予想以上の時間を費やしているということをリオンとて承知している。村人の命も甘生樹によって尽きかけているに違いない。
セレネを探しに行くとしてもノーションの援護無しで基地に侵入し、基地の近辺を捜索することになるのだから、時間はいくらあっても足りないぐらいだ。
それ以上に、ここまで休憩無しで動き続けてきたリオンの体は、限界を訴えかけるように痙攣を開始している。恐らく、村まで走ることは目の前にいる盗人達にしかできない。
村人を助けるならば魔石の魔力を使ってはいけない。リオンが自身の足で村まで帰らないと意味が無いのだ。
「神様……あんたは、迷わせる時間もくれないのかよ。 ……信じなきゃ何も始まらない。 信じなきゃ、信じなきゃ……信じるんだ。 俺は、月花でセレネを見つけて必ず合流する、“必ず”だ」
自分に言い聞かせるように“必ず”と強く言い直し、村人の命を半分だけ男達に託す。
「出来るだけ早く……月花の魔力が無くなる前に合流する。 だから、村の人達の命……今はあんたらに預ける。 絶対に届けてくれ、村の入り口に背が極端に低くて、ボロ雑巾みたいな服を着ている爺さんがいるはずだから、その人に渡してくれ。 その爺ちゃんは、医者だ」
縄を解いてもらったデブ達は「あいよ!」と威勢のいい返事をし、真剣な眼差しをコックピットに乗り込もうとしているリオンとぶつけ合う。
その目をしばらく見つめ、意を決したようにリオンは、コックピットを閉じる。その瞬間、デブが笑ったような気がしたが、リオンは見なかったことにし、震える手で月花の起動プロセスを開始する。
片方の魔石を月花にセットし、セレネ無しで月花を起動した後、岩陰の外へと歩を進めさせた。
岩を削りながらの無粋な前進をしばらく続け、月と星以外何も無い荒野に進み出る。
「不可能なことを可能にするのが英雄……俺にそんなこと」
――できるのか――
左脳と右脳が同時に問うてくる。その結果を考えると胸が冷たくなる。
「いや、やるんだ! 俺が英雄見習いなら、やらなきゃ、俺がやらなきゃいけない。 俺は選んだんだ。 百かゼロの選択を……力を貸してくれ、月花」
祈るように操縦桿を握りしめるリオン。この世に神も英雄もいない、架空の生物だと断言していたノーションの言葉を振り払うように首を振る。
魔石により送られてくる魔力をモニターに映されているメーターで確認し、操縦桿を握り直すリオン。
エネルギー残量を顕わす円グラフは、時計で言う十二時二十五分を指している。十二と二十五の間が残りエネルギー。
ノーションの言っていた通り、戦闘など激しいエネルギー消費をすれば、数分でエネルギーが尽きる量であった。
もう、月花を起動した以上あの盗人達を疑っても仕方が無い。魔石を持って逃げられればそれまでのこと。村人は誰一人助かることは無いだろう。リオンは盗人にみすみす村人の命を差し出したことになるのだ。
デブが一瞬、歪な笑みを見せたことが頭の片隅にこびりついている。あれは見間違えなのか、それとも角度の問題で笑っているように見えたのか。
月花のブースターを踏み込もうとする右足が固まる。
今ならまだ引き返せる。他に方法があるかもしれない。ノーションがセレネを見つけてくれるかもしれない。
そして、――本当にこれでよかったのか――と自分の胸に目に写らないナイフを抉り込む。
嗚咽に似た声を飲み込み、リオンは一気にブースターを踏み込んだ。
「迷うな! 迷うな! 迷うな!! 俺は、セレネを……セレネを助けるんだ! それから、それからぁ! 村の人達をぉ……っ」
少年はそれ以上言葉が出せなかった。その言葉を言ってしまえば、できなかった時、立っていられないから。英雄としてではなく、人間としてこの地上に立っていられないような気がしたから、嗚咽で言葉と思いを誤魔化した。
軋むような轟音を立てて荒野を突っ切る蒼き甲冑。それは今にも崩れ落ちそうな、重く、胸に響く音だった。
余談だがその後、盗人達の姿を見た者は――誰もいない――