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ミリオン  作者: おこき
~第二幕~
32/76

第30章

“人が困っていたら助けてあげる。 お姉ちゃんとの約束、ちゃんと守ってくれてるんだね。 さすが……英雄さん”


 懐かしい女性の声が聞こえた気がして、リオンは目を覚ました。


「姉ちゃん……いってぇ」


 宿屋ではないベッドの上。腹部を押さえながら起きあがる。何故だか顔中も日焼けしたかのようにヒリヒリしている。

 見渡すと花や使い古したぬいぐるみなどが置かれている部屋だ。よく見れば窓のカーテンもひらひらした物が付いて、乙女チックである。


「俺は……」


「あ、目が覚めましたか!」


 ノックもなくドアを開けられ、ベッドの上で縮こまるリオンに少女が駆け寄った。


「君は? 確か食堂のウェイターさん……無事でよかった、痛ッ~」


「あまり無理をしないで下さい。 眼鏡の女の人が言ってましたけど、軍人の使ったあれは魔術だったみたいです。 呪いとかじゃないからほっといても死なないと言ってましたけど……。 凄い暴力を振るわれていたし……他にどこか痛む所はありますか?」


「全身満遍なく痛いけど……眼鏡の人、ノーションさんのことか? そうだ! ノーションさんと爺ちゃんはどこだ? まさか、連れて行かれたのか!?」


 黒髪の少女の肩にしがみ付いて、二人の安否を確認するリオン。

 あの軍人が魔術について詳しい女がいると怪しんでいたのを思い出し、最悪の事態を考えてしまったのだ。


「お、落ち着いて下さい。 少尉は、あの後すぐ基地に戻ったようです。 眼鏡を掛けた人は用事があるからと言って、どこかへ行かれましたよ? あなたをよろしくと言われまして、その、えっと……顔が、近いです」


「ぬぅわぁ! ご、ゴメン、悪気はないんだ、そんな気はこれっぽちもないから! 安心してぇ、って、痛ッテ~」


 無理に体を捻ったため、傷に触ったようだ。どちらかの後頭部を軽く押せば唇同士がぶつかるぐらいの位置に接近していた自分の行いを認識し、痛さよりも恥ずかしさが増して、顔を赤くしたままリオンが俯いている。


「全く無いって……逆にそんな風に言われても、なんだか複雑な感じです……」


 少女はしゅんとする。

 どうしろと言うのだとリオンは、頭を掻きながら困惑した。メタルフレームのことしか頭に無い日々を過ごして来たリオンには、女の扱いはまるでわからない。

 すると黒髪の少女が居直し、手に持った木製の箱を両手に持ち替えて口を開く。


「あっ、私はシリスと言います。 この度は、本当にありがとうございました!」


 深々と頭を下げるシリス。ふわりと鼻に届く花のような優しい匂いがリオンには刺激が強過ぎた。何故、女性からはいつも良い匂いがするのだろうか。

 姉のマリアからも良い匂いがしていた。年頃の女性は、体から良い匂いが出るようになるのかとリオンは推測する。

 シリスは薄黄色のカチューシャで前髪を後ろにやり、ゴムで後ろにその長い髪を一つに束ねていた。エプロンをしていることから料理か何かをしていたのだろうか。背こそ少し低いが、姉のマリアに負けず劣らない綺麗な女性である。

 優しげな弧を描いた眉、穏やかな光を秘めた黒い瞳、大人に近づきつつある唇や胸など、家庭的な雰囲気を(まとい)いながらも、大人の女性としての魅力を内包したシリスはリオンの男心をくすぐるには十分過ぎた。

 ウェイターをしていた時は、あまり気が付かなかったが、シリスはかなり可愛い部類の女の子であると認識させられたリオン。

 ウインド村の人間と同じ、ここら一帯で着られている灰色の民族衣装をエプロンの下に着用していたため、清楚な雰囲気が出ているシリスは一層、故郷の姉と被って見える。

 一方で、お礼を言ったのに返事がなかなか来ないため、頭を下げたままのシリスが上目使いでリオンの様子をチラチラと見ている。

 シリスからすれば、まじまじと自分の様子を見られているようにしか見えないのだろう。まさか、少年の姉と自分を照らし合わされているなんて思いもしない。

 シリスの視線を感じながら、リオンは頭の中で言葉を検索するが、何も出てこない。

 ただ、音の無い時間だけが過ぎて行く。そして、言葉が出ない理由を思い知らされた。

 リオンは礼を言われるようなことをしていなかったのだ。

 “英雄”という二文字に釣られて、自爆しただけ。少女に礼を言われて言い筈が無い。シーツを握りしめ、やり場のない気持ちをどうにか分散させるリオン。


(この子に礼を言われるようなこと俺は……してねぇ。 俺は、何もできなかったガキなんだ、弱ぇ負け犬なんだよ)


 浮かれた気持ちも消え去り、自分がいかに自惚れていたのかと思うと吐き気すらする。

 シリスを守るために飛び出たのではない。少女を庇うという理由を付けて、自分の英雄としてのくだらないプライドを守りたくて飛び出ただけなのだ。

 それをシリスが可愛いと認識した途端、「シリスのために飛び出た」と都合の良い動機へと塗り替えようとしていた。

 そんな偽善で少女から好意を貰おうとしていたのか。

 そんなとってつけたような理由で軍人に立ち向かったのか。

 そんな腐った考えをしている奴が英雄になんてなれるのか。

 リオンは、湧き上がる自己嫌悪で涙が溢れそうになり、ただ、“悔しい”という感情が脳裏で暴れ回る。

 「一人にしてくれ」などと口が裂けても言えない。言うのも恥ずかしい。滑稽だ。

 リオンは言葉を探し続けた。現実に突き落とされた英雄見習いは、結果的に助けた少女に何か言わなくてはいけない。

 そして、ようやく長い沈黙が破られる。


「あ、あぁ。 そんな頭を下げなくても……いいって。 俺はリオン。 リオン・オルマークス。 お礼なんて言われることしてねぇよ。 ただ……喧嘩売ってボコボコにされただけだ、ハハ。 穴があれば入りてぇぐれぇだ」


 喧嘩を売って返り討ちにあうなど、男の面目丸潰れである。思春期の特に英雄を志す少年の場合、これ以上の醜態は無い。穴があればそこに入りたいと思う気持ちになるのも無理は無いのかもしれない。

 リオンは目頭が熱くなるのを感じながら無理に笑って見せた。そんな少年を輝いた瞳で見る少女。その笑顔が人助けをして“当然のことをしたまでだ”と言わんばかりの笑顔に見えたのだろう。

 シリスにとってリオンは英雄だ。身の危険を顧みず、体を張って守ってくれた英雄。他の誰が“ただ見世物にされただけの少年”と言おうとも彼女には関係ない。

 リオンの体には無数の包帯が巻かれていた。

 手にしている救急箱から手当てをしたのはシリスと判断できる。ならば、彼女を無下にしてはならない。彼女は、リオンにとって命の恩人だ。

 一方で、目の前の少女に、軍人に負けて泣いている所まで見られていたのではないかと心配するリオン。歳の近い女の子に無様に泣いている様を見られるなんて、英雄として失格だ。それ以前に男として失格だと思う。ますます気落ちするしかなかった。


「いいえ、誰も助けてくれない所をリオンさんは、助けてくれました。 軍人相手に勇敢に立ち向かってくれました! あの、リオンさんは、旅の方ですよね? この辺りでは見かけない顔なので」


「あぁ、うん。 ちょっとわけありでな」


「やっぱり旅の方だったんですね! この村であんな馬鹿なことする人いませんもん、あぁ! すみません! 恩人の方に馬鹿だなんて、私ったら」


 悪気なく言われているため、リオンも反撃できない。自分でも馬鹿なことだと思っているため、仕方なく溜息を付く。

 自分を助けるために軍人に刃向かってくれたと疑いもなく笑顔で言われると、リオンは胸が痛くなった。

 

(俺は、そんな奴じゃない。 君のためじゃ……ない)

 

 俯いたまま布団を見つめるリオン。このシーツのように自分の心も汚れが無く、綺麗ならば、救いはあったのかもしれない。


「……父の知り合いの方でしょうか? 村以外で父は知り合いがいなかったと思うのですが、あの軍人と言い合っていた時に、父を信じて下さっていたので」


「いや、知り合いというか、昨日、この店でナンパ野郎と勘違いされて叱られたんだよ。 包丁とか色々な物が飛んできて……正直死ぬかと思った」


「す、すみません……お父さん、私のせいで若い男の人を見たらナンパする人だと思う習性がついちゃって」


 えへへ……と恥ずかしそうに父親のことを話すシリス。

 人間、いつどんな習性が付くかわかったものではない。今まで何人の人間が自分のような目に合ったのか聞かないことにした。

 代わりに違うことをシリスの後に付け加える。


「でも、良い人だと思った」


「え? どうしてですか?」


「料理が旨い人に悪い人はいないって、姉ちゃんに教えられたんだ。 料理ってのは心で作る。 だから、どんなに腕前がよくても心が綺麗じゃないかぎり不味い飯になるんだってさ。 ここのおっさんの料理は旨かったし、叱ってくれる人に悪い人はいねぇよ。 俺の村にも、よく叱ってくれるおっさんがいたんだけど、そのおっさんと君のお父さんの雰囲気が何となく似ていたんだ。 真っすぐで、悪いことは悪いと言える人じゃないか?」


「あぁ、はい。 そいう人です父は。 あ、いけない。 私、リオンさんの傷薬を代えに来たんです。 えぇと、その……上着をですね、ぬ、脱いでもらえませんか?」


 こんなにも素直な笑顔ができる女の子を守れた。

 ただの男ならそれだけで満足だったかもしれない。だが、リオンは完璧な英雄を志す。それ故に、ただ人を助けることができただけでは満足できないでいた。

 しかも、助けた動機が自分のプライドのためだ。そこに英雄たる“心”が無かったとリオンは思っている。

 英雄ならば、英雄という肩書きを守るのではなく、一番に少女のことを思って行動しなくてはいけなかった筈だ。それなのに、自分は肩書きを、いずれ手にしたい肩書きのために行動した。

 英雄と同じ行動を取っていたのだとしても、“心”の在り方がすでに違う。今回リオンが取った行動は模倣だ。英雄“みたいな”行動だ。英雄の行動ではない。


「あの……やっぱり女の子の前で服を脱ぐのは嫌でしょうか?」


「へぇ? ごめん、ボーっとしてたから。 あぁ、服を脱げばいいのか?」


「……はぃ、お願いします」


 何故、そこで照れるのだろうかとリオンは疑問に思い、肌着を脱ごうと肩を上げる。


「いってぇ!! マジでぇ、痛ぇ~。 クソ、あのワカメ野郎、本気で肩踏みやがって……よし、もう一回」


 リオンは何度も肩を上げようとしては、口の中で「痛い」を連呼する。


「私が……脱がせましょうか?」


「いや、服ぐらい自分で、痛ぃ……ぃてぇー!」


「ほら、腕を私の前に突き出して下さい。 肩を上げようとすると痛むんですから、ここなら大丈夫ですよね? はい」


 はい、と言われ胸の前に手を移動させられたリオン。後、数センチ先にはシリスの控えめな胸がある。

 リオンは手を硬直させ、全身を固まらせた。不可抗力で触りかねない。

 シリスは、気が付いていないのか、リオンの上着を脱がせるためにベッドへ前かがみになっている。


(しゃがむなよ! 見えるだろ! ダメだダメだダメだぁ!! それ以上は~)


「リオンさん、そんなに目を瞑らなくても。 塗り薬ですし、少し()みるだけですよ」


 笑いながらシリスはリオンの顔を見ている。薬を怖がるリオンを見て可愛いと思ったのか、シリスは「痛くないですよ~」などと子どもをあやす様な声を出している。

 口が裂けても初対面の女の子に「胸、見えそうだぞ」などと言えないのであった。


「や、や、やっぱ、薬とかいらねぇよ。 俺はこの通り元気だし、他の誰かが怪我したときに使ってやってくれ」


「無理はよくないですよぉ。 せっかくお薬持ってきたんですし……」


 この貧しい村では、薬はとても貴重に違いない。ウインド村では、薬草を栽培している家がほとんどであったため、さほど薬に困ることはなかったが、この村を見た限り薬草ではない植物ばかり栽培されているのをリオンは目撃している。

 気候や立地などの条件でウインド村では栽培できる薬草が限られており、同じような気候と立地のこの村で栽培できる薬草の名前と種類は、リオンにも馴染み深いものしか栽培できない筈なのである。

 通りすがりの旅人に薬を処方する余裕など無い筈だ。


「とにかく、いいって! いいって! 舐めとけば治る!」


「え? どうやって全身を舐めるんですか……ま、まさか……私がですかぁぁ!」


「ば、馬鹿! 誰がそんなマニアックな……げふん! そんなことしろって言うか!」


「じゃ、じゃあ……誰が舐めるんですか? お薬、嫌いですか?」


「はぁ……わかったよ。 そん代わり、ゲンロン草とタユタユ草を煎じた塗り薬だけでいいから」


 一番簡単に栽培できる薬草の名前を条件に処方を受けることにしたリオン。臭いがキツイため、ウインド村にいる時からこの二種類の薬草は大嫌いだったが、リオンは覚悟を決めた。

 こんな目がクリクリした女の子に全身を舐められたらドキドキし過ぎて心臓発作で死ぬだろう。リオンは邪な妄想をしてしまい耳まで真っ赤になった。鼻からの血が噴射するのも時間の問題かもしれない。拷問された後のように白いシーツが血の海に染まることだろう。

 そうこうしている間に、シリスの白い手がリオンのシャツをまくし立てていた。


「うわぁ、肩幅……広いんですね。 す、す、すみません変なこと言って! さ、さぁ、もっと腕を前に伸ばして下さい」


「あ、うん……って!」


 シリスの胸がやはり近い位置にあり、逃げようと後ろのめりになる。どうして、こんなに触って下さいと言わんばかりの位置に女性の胸はあるのだろうか。

 それに腕を限界まで伸ばせば胸に当たるのではないかと不安になり距離を取ることにする。


(無我の境地だ、無我の境地。こんな時はメタルフレームの型式を……)


 リオンは目を瞑りながら余計なことを考えないよう努めた。しかし、匂いがする。今思えば女の子の匂いがこの部屋には充満していた。さっきから頭がシャッキリしないのはこの匂いと雰囲気のせいだとようやく気が付いたリオン。

 リオンが下手に後ろに下がるため、「あれ?」と言いながらシリスは徐々に近づいてくる。リオンが遠のいていることに気が付かないのだろうか。自分の腕がまっすぐに伸びていることに気がついては、いそいそとにじり寄る。それを何回か繰り返したため、今やシリスはベッドに上がっている状態だ。


「あの……リオンさん、じっとしてますよね? 私の腕、気が付くと伸びているんですけど……」


「へ? あぁ、大丈夫! 大丈夫! 成長期だろ、成長期! 腕も伸びるもんだって、ハハハ」


 胸を見ながら成長期と連呼している姿がドクターMと重なってリオンは泣きたくなった。

「おかしいな~腕も成長期なのかな……」とシリスは首をひねっている。

リオンは観念して、さっさと腕を伸ばした。世話をしてもらっているのにこんな態度では申し訳ない。何も胸がある高さで腕を伸ばす必要はないのだ。腰辺りに手を伸ばせば十分服は脱がせてもらえる。そんなことも考えることができない程今の状態に参っていた。

 シリスは手慣れたようにリオンのシャツを脱がし、腹部に巻かれた包帯を外して薬を塗り直す。


「いぃ、冷たいぃ、しかも……ぬるぬるするぅ~。 何だよこれ、こんな薬草見たことねぇよ、うぇ、気持ち悪りぃ~」


「あ、すみません。 声を掛けてからの方がよかったですよね。 名前は長くて覚えていませんけど、傷にはこれが一番なんです。 なんでも、軍人さんも同じものを使っているとか」


 そう言いながら、リオンはジェル状の生まれて初めて見る“お薬”を塗ってもらっていた。

 腹部には握り拳ぐらいの(あざ)が無数にあり、見ているだけで痛そうだ。自分の体ではないような錯覚を起こす。今朝まで何も無かった部分に、これだけの痣ができるなんて、男でもショックなのだ。他の個所もこれから痣が浮かび上がってくるだろう。


「この程度で済んでよかったです。 ハンスタ少尉に刃向かって生きていた人はいません……お父さんもきっと」


 シリスの手が止まる。泣きそうなのを我慢しているような声だ。


「きっと大丈夫だって! ちゃんと調べれば、おっさんが犯人じゃないってわかる筈だ。 昨日、シリスと一緒にいたんだろ?」


 空気に触れたせいかベタベタし始める“お薬”に寒気を感じながら、頭を垂れる少女を何とか励まそうとできるだけ明るい声を出すリオン。無責任で、楽観的過ぎる考え方だとわかっていながら、そう答えることしかできない。

 なぜなら、リオンにシリスの父を助け出すことなどできないのだから。


「……あの人達は何も調べてくれません。 ハンスタ少尉の言ったことしか聞きません」


 あの人達とは軍人の事を指すのだろうと思いリオンは、続けて話を聞き入る。


「どうして、あの人はこんな酷いことをするんでしょうか……この国の軍人さんは皆あんな人ばかりなのでしょうか? 私たちはただ、静かに暮らしたいだけなのに」


 リオンは、ますます力が欲しいと感じた。他を圧倒する力さえあれば、軍隊を一掃できる力があれば、目の前にいる少女だけでなく、この村を救えるのにと心の中で弱い自分を呪った。


「あ、すみません……リオンさんにこんなこと言うつもりなかったのに、酷いですよね、私。 命を助けてもらっただけじゃなくて、愚痴まで聞いてもらって……怪我までさせて」


「別にいいんじゃね? 誰だって愚痴を言いたいことぐらいあると思うぜ? 俺でよかったら聞くって。 そん代わり、俺の愚痴も聞いてくれ、それでおあいこだろ?」


 リオンには、その程度のことしかできない。偽善で塗り固めた英雄。真の英雄になる人物が助ける人間とおあいこでは話にならない。だが、今はそう言うことが一番いいと判断したのだ。


「は、はい! リオンさんの愚痴も聞かせて下さい。 リオンさんは……優しいですね。 リオンさんみたいな人が共和国軍にいれば、私たちも――」


「え? なに?」


 何でもありませんよ、と笑顔を作って薬箱に薬を片づけていくシリス。

 リオンは優しくなりたいのではない。強くなりたいのだ。誰よりも強く、誰よりも気高い英雄になるために。

 一方で、シリスの元気が出た様子を見てホッとするリオン。返り討ちに合ったが、こうやって目の前の少女の笑顔を守れたのなら、飛び出したことにも何か意味があったのかもしれないと考えれるようになった。

 さりげなく手を握られ、心臓を圧迫されたような気持ちになる。そして、ふとシリスの背後を見てしまった。


「ひぃぃ!」


「キャッ、どうしたんですか、リオンさん? ちょっとぁっぁ」


 思わずリオンはシリスの体にしがみ付いてしまった。

 シリスの体はリオンが思っていた以上にゴツゴツしていた。日々、家事をしているとやはり、これ程筋肉が付くものなのだろうかそれとも、親による遺伝なのだろうかなどと包丁を投げつけた男を思い浮かべシリスについて考える。

 抱きついたシリスからは女の子の匂い……いや、焦げた臭いがしていた。部屋に籠った花のような優しい香りではなく、火薬か何かを燃やしたような臭いだ。料理をしていて何かを焦がしたのだろうか。殺意の波動が勢いを増すのを感じてそれ以上、何か考える暇などなかった。それに上半身裸で女の子に抱きつくなど、変態行為をしてしまっている。

 リオンの中の英雄像が音を立てて崩れ落ち、変態の二文字が浮かび上がってくる。

 ナイフの銀の部分を背中にピタリと貼り付けられたような、物理的な寒さと精神的な寒さを合わせたもの……悪寒を感じる。


「ぐ……ちょっと気分というか、立ち眩みが、その、えっとだな」


「リオンさん、その、あ、あ、あの。 私、男の人にそのこんなに引っ付かれたことぉ」


 声をドアに向けて放つが、シリスに抱きついた言い訳をシリスにしているみたいで、ますます不味いことになっている。

 何故、もう一人重要な人物を忘れていたのだろうか。何故、半開きのドアの隙間にある闇を見てしまったのだろうかと後悔している。

 男は隙間があると垣間見てしまう。眼下にあるシリスの谷間や暗黒に繋がるドアの隙間など。これはもはや業なのかもしれない。


「ジー」


「よ、よぉ。 どうしたんだそんなところで」


 布団でこの現場をどうにか隠そうと目の前の悪魔から視線を外さず、布団を探す。ただ、抱き合っている自分達は隠しきれない。無理だ、いくらなんでも無理だ。


「あ!! セレネさん!? えっとこれはその! 立ち眩みなんです!」


「ぅわ!」


 シリスは、手をジタバタさせ、自分にもたれ掛かっているリオンを吹き飛ばして、逃げるようにベッドを下りた。さらに、真っ赤になった顔を両手で隠しながらモジモジしている。


「ジー」


「ど、どうしたんだよセレネ、そんなに見つめて」


 腰まである長い髪を揺らし、若干猫背のまま少女はリオンの顔を下から眺めている。蒼髪の少女は大変ご立腹のようだ。リオンは彼女が怒っている理由は、何となくわかるが明確にわからない。別にセレネとは付き合っているわけでもない。だが、冷や汗が毛穴から(にじ)み出て来ている。


「あ、あぁ。 なんだその、何か……」


 “あったか?”と聞けば恐らく月花のパイルバンカーで殺されると直感して、口籠るリオン。

 

「随分シリスと仲良くなったんだな、ヒモよ。 シリス、ヒモに何をされたんだ?」


「は、はい、何もされていません。 だ、大丈夫です、少し引っ付かれただけです、引っ付かれただけです……私、引っ付いちゃった、どうしよう」


 セレネは、体を忙しなく動かしているシリスの肩を掴んで怪我を探すようにシリスの体を入念にチェックしていく。


「さりげなく名前みたいにヒモって言うな! それに、俺は獣じゃねぇ! さっきのは、びっくりしてシリスに飛びついてしまっただけで、うがッ!」


「すまん、手が滑った」


「てめぇ……どんな滑り方したら、薬箱が頭に直撃すんだよ! 滑るという次元じゃねぇぞ……くっそ、いってぇ~」


 リオンはセレネに木製の救急箱で殴られた。しかも、角で。

 いきなり飛びついてしまったため、シリスも驚いたに違いない。今回は甘んじてセレネからの鉄拳制裁を受けることにする。

 鼻を鳴らしてセレネが椅子に腰かけた。


「なぁ、セレネ。 どっかに買い物にでも行ってたのか? あんま出歩くなよ? ここの軍人連中を見ただろ」


「いや、ずっとこの部屋にいたぞ? わけあって部屋の外に出ていただけだ。 第一、村を出歩こうにも金が無い」


 一問一答をするように淡々と受け答えするセレネ。


「はぁ? どうして外で待ってたんだ。 ここには椅子もあるのに」


「あぁ、それはセレネさんが……」


「シリス! それは言わないと約束したじゃないか!」


 しまった、と言わんばかりに椅子を倒して立ち上がるセレネ。

 シリスの口を塞ごうと狼狽するセレネを見てリオンは、何かあると直感しシリスを見つめる。こんなに慌てるセレネは滅多に見られない。リオンは自分が寝ている間にどんな可愛いことをしてくれたのか気になって胸を高鳴らせた。


「セレネが?」


「り、リオンさんの顔を見て、せ、せ、セレネさんが」


 視線を逸らしながらシリスが声を絞り出す。口にするのもはばかれる内容なのか。よほど恥ずかしい内容に違いない。そう考えただけで、リオンの顔もセレネ同様に赤く染まる。


「セレネさんが、洗濯バサミをリオンさんの顔中に挟んで、悪戯するから出て行ってもらったんです!」


「おぃ! セレネてめぇ! 怪我人に何してやがる!」


「ぅぅ、すまん、暇だったから……つい」


 ポケットから青い洗濯バサミを取り出し、気まずそうに青い洗濯バサミをはむはむとして遊ぶセレネ。


「お前は暇だったら意識不明の怪我人の顔面に、洗濯バサミを挟むのか? とんだ鬼畜野郎だな、お前は!」


 寂しげな視線で見ていただとか、手を握っていてくれただとかリオンの幻想は妄想で終わった。

 そして、身に覚えのない日焼けのような顔面の痛さの謎も解決した。


「早く起きると思って……」


「そんな言い訳がぁ! あ、……早く起きると思って?」


 呟くようなセレネの声を聞いてピタリと口が止まるリオン。

コクっと頷いてリオンの目を見ながら続ける。

 

「悪い夢から早く覚めるには、つねるに限る」


 セレネなりにリオンのことを想ってやってくれたのだと理解し、それ以上何も言えなくなった。

 だが、洗濯バサミでつねるのはどうなのだろうか。寝ていた自分の顔に洗濯バサミが無数に挟み立てられている姿を想像し、顔を思わず顔をしかめるリオン。

 

「……悪い。 お前の気も知らずに怒鳴ったりして、でもな、洗濯バサミは止めてくれよ」


「あぁ、すまない。 シリスにも怒られた。 いきなりで悪いんだが、リオン、一つ頼みがあるんだ」


 セレネがリオンの瞳を見たまま懇願するように言った。


「私が悪い夢を見ている時……お前が私の頬をつねって起こして欲しい」


 悪い夢を見ているかどうかなど、他人にわかる術などないのだが、リオンは頷く。


「わかった。 お前が悪い夢を見ていたら俺が起こしてやるよ。 ただし――洗濯バサミでな」


「お、お前は、過ちを繰り返すつもりなのか! これでつねるのはダメなんだろう!?」


「ちげぇよ、この場合仕返しだろ? なぁ、シリス? まぁ、せいぜい悪夢を見ないよう気を付けろって。 お前の場合、食い物を食ってる夢しか見なさそうだけどな」


 照れるシリスの肩を寄せて味方に取り入れ、リオンは笑う。

 むくれた顔をするセレネと交わしたこの何気ない約束がどんな意味を含んでいるのか、今のリオンに気付く術などなかった。





「ドクターこれはやはり……」


 ノーションは宿屋の自分達の部屋で植物の枝を机に並べ、観察している。隣の部屋からは、先日破った窓ガラスを直しているため、修復工事の物音がしていた。


「そうじゃな。 噂の村はここじゃったか、そりゃ共和国政府が血眼になって探しても見つからんわいな、まさか身内の陣にあると思わんじゃろて」


「そうですね、まぁ、ここの少尉なら公認しているものだと勘違いしていてもおかしくないですよ。 頭悪そうですから。 ご存じだと思いますが、全客室にありましたよ。 この分だと、村規模で栽培していますね。 こうも堂々と置かれると逆に違和感ありませんね」


 ノーションが枝の先に付いた赤い葉をもぎ取り、タバコの巻紙で巻き付けて火を付けた。


「ふぅ……やっぱビンゴです。 まさかとは思っていましたけど、嫌な予感っていうのは当たるものですね」


「そんなもんじゃよ。 これだけ大量に栽培されているとなると裏があるとしか思えんが……リオンのように飛び出すでないぞ」


「そうですね~。 後、十年若かったら飛び出して宿屋の亭主をボッコボコにしていたと思います。 でも、怒りよりも憎しみの方が強いですよ。 まさか、こんな村でこれを目にするなんて。 目を背けようとしてきた罰なんでしょうかね」


 溜息を付き、静かなる怒りを拳に露わすノーション。


「ここの宿屋で栽培しているだけでも、あの薬を作るには十分。 魔術薬品を民間人が調合できる筈がありませんし、仮に個人で葉っぱを燃やして楽しむにしては量が多過ぎますよね。 それに軍の横暴が酷いこの村で自主的にこれを栽培できる筈がない。 軍が戦争の終わった今にそんなものを作る理由がわかりませんが、見過ごせませんね」


「じゃが、ワシらには何もできんぞ。 余計なことは考えるんじゃない。 隠密が静かにしておる間に、村を離れるぞぃ。 これ以上、罪のない少年少女を巻き込みたくないでの」


 ドクターMが荷物の整理をしながら、窓の外を見る。

 ノーションは煙を吹かしながら、気持ちを落ち着かせた。今は私事より仕事を優先せねばならない。わかっている。そんなことは、わかっているのだが――

 

「あぁ、それともう一つ嫌な予感がするんですよ、とてつもない嫌な予感が」


 口が勝手に話しを始めていた。


「なんじゃ?」


 火の付いた葉を灰皿で押し消して、次にタバコを取り出すノーション。


「近くの村に“帝国の悪魔”が現れました」


「勿論知っておる。 今更、何の確認じゃ?」


「ここから先は私の憶測なんですけど、昨夜の軍人惨殺事件……彼の仕業じゃないでしょうか?」


「何十機ものMFを破壊するテロリストがそんな姑息な手を使うとは思えんのじゃが?」


「仮にですが、軍人惨殺事件は共和国の力量を計るものだとしたら?」


「あやつにそんな計算高いことができるわけがなかろう」


 ドクターMは、話を早く切り上げようとしているようだった。しかし、ノーションはまだ話を続ける。


「これだけは言いたくなかったんですけど――この村にはオリジナルがいます」


「だから、さっさと村を去るんじゃ、彼女がワシらのやってきたことを知れば生かして置く筈がない」


「ですが、幸いなことに彼女は重度の記憶喪失です。 いえ、あそこまでいくと人格が変わったというべきでしょうか? 私もまんまと騙されましたからね。 “世の中にはあり得ないことことがあり得ている”師匠の言葉は、まさにその通りだと実感しましたよ。 だから、いきなり殺されるようなことは無いと思います。 現に私たちは生きていますし、リオンの話しぶりから人を殺すようなことはしていないようですし。 ……ドクター、逃げないで下さい、あなたは私と同じく自分の業から逃げることは許されません」


 隣の部屋から金槌を打つ音が響く。鳴り終わるのを待って、ドクターMは口を開いた。


「………荒野で彼女と出会い、魔女と知った時ワシは運命を呪った……お前さんの言うようにワシも目を背けてきた罰なのかもしれんな。 いいじゃろう、お前さんの好きなようにせい。 もしかしたら、ナンバー0とロストナンバーも親の臭いを嗅ぎつけて、やってくるかもしれん」


「ありがとうございます」


 ノーションが深々と頭を下げる。金髪の頭が上がるのを待ってドクターMはノーションに言った。


「ただし、ナンバー0とロストナンバーが姿を見せたら必ず殺せ、そのためにワシらはここまで来たのじゃからな」


“帝国の悪魔”(ナンバー0)“共和国の武者”(ロストナンバー)……。 どっちらも殺して差し上げますよ。 私の命に代えてもね」


 ノーションは、自分の宿敵である赤い花を見つめ、ホムンクルスとしてドクターMの命令を受けた。


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