第1章
~共和国領土 ウインド村辺境~
大きな風車が、荒野の中にひっそりと存在する。
科学と魔術が融合した“魔科学”の時代、ただ風を受けるだけの風車はレトロであった。しかし、科学も魔術もあまり発達していないこのウインド村では、なくてはならない生活の要である。
この村には風車以外に特徴が何もない。それ故に、ここ十年間、盗賊や他国の侵略を受けることはなかった。襲う価値すらない村だった。
ごく稀に旅人が立ちよるか、年に一度の治安調査に来る軍人だけが、村の唯一の訪問者だ。
荒野の果てから、平和な村に近づく一つの影がある。
リオン・オルマークス。短く切った黒い髪、輝く黒い瞳、徒歩で荒野を行く旅人にしては、あまりに身なりが整った少年の姿であった。
「あっち~。メタルフレームのありがたみが身にしみるぜ」
声変わりしたての声を放ち、汗で張り付く肌着に空気を送りながら、炎天下の荒野を歩く少年は水筒の水を飲み干した。
魔科学の結晶であるメタルフレームに乗らず、水筒一本のみで辺境の荒野に出ることはなかなか度胸のいる所業だ。
近隣の村に帰る道中とはいえ、直射日光の荒野を歩くことに慣れていなければ途中で骨と皮になるまで干上がっていたことだろう。
村外れにある遺跡には彼の父親専用の墓がある。いくら自分の父親の墓参りといえど、大人の足で片道一時間はかかる道中に、若者が文句を言うのは当然であった。
いい加減、村の墓場に移して欲しいと思うが、彼の父親に関してそれは許されることではない。
少年が村に帰った頃には、太陽は真上に登っていた。
村に入るや否や、広場の方向から女性の怒鳴り声が聞こえてくる。
恐らく広場で子供たちが悪さでもしているのだろう。墓参りから戻ったリオンは、汗を腕で拭いながらそのように予想していた。
そして、十年程前に自分が姉や八百屋のおばさんに酷く叱られていたことを思い出す。今となっては何故、洗濯物を燃やしたのか、よく覚えてはいない。
洗濯物を早く乾かしてあげようと火を炊いたのか、それともただの好奇心か。
そんな悪ガキだったリオンが、新世代の悪ガキに対して馬鹿げていると感じるのであった。
「あっ、お帰り、リオン。お墓参り……お疲れ様。ご飯、もう少し待ってて、買い物に行ったらすぐに作るから」
村の入り口で買い物籠をぶら下げた女性が少年に声を掛ける。
少年の首筋ぐらいの身長で、少女というよりも大人の女性としての品がある。
墨を通したような黒い長髪に、春のような暖かい声の彼女は、清楚な顔立ちに似合わず煤まみれになっている。
暖炉の掃除をしていたことは一目瞭然だった。
彼女の名はマリア・オルマークス。正真正銘、リオンの姉にあたる人物だ。
「ただいま姉ちゃん。買い物なら俺が行くぜ? 姉ちゃんは少し休んでなよ」
「え? でも、リオンは父さんのお墓に行ってくれていたんだし」
「村外れにある墓に行くのと、暖炉掃除をするのとでは、暖炉掃除の方が仕事量多いって。言ってくれれば俺がやったのによ~」
姉の反論を聞いていたら日が暮れる。買い物籠を奪い、リオンは村の広場まで駆ける。
「リオン! ちょっと待って!」
「大丈夫、大丈夫~」
ポケットの中を探ることに気を取られている姉を置いて、リオンは広場への道を駆けて行った。
「もう、どうしてお姉ちゃんの言うこと聞かないのかな~」
マリアはメモ用紙をポケットから取り出し、溜息を一つする。
広場は村の中心ということもあって、人が集まっている。大都市では人が邪魔で歩けないぐらい賑わっているが、過去にこの村でそんな様子を見たことがない。
晴天の空の下、露店にある八百屋にリオンは顔を出す。
社交辞令のようなものだ。
広場に来たらリオンは必ず四件の露店に顔を出す。買い物の時もあれば、単に店主と話がしたいという時もある。今日は前者だ。
「お、リオンじゃねぇか。珍しくマリアちゃんの手伝いか?」
「まぁ、そんなとこだよ。おっちゃん、儲かってる?」
野菜を売っている大男のカーストは、筋肉で岩のように膨れ上がった腕をリオンの肩に乗せ顔を近づける。
「それがだな……。今日は帝国軍の動きがあって人が流れてこねぇんだ。商売上がったりだ。まったく、あいつらまた戦争でも起こそうってのか。商売の邪魔をするな! 商売の邪魔をぉ! 捻りつぶすぞぉ!」
唸る大男の影から女性が顔を出す。
「人が来ないのはいつものことだろ。まぁ、あんた落ち着きなよ。それより、腕解かないとリオンがのびちまうよ!?」
カーストの妻、ナタリが食材の入った買い物籠を、夫のカーストの脳天にぶつける。怒り狂うカーストの剛腕は、いつの間にかリオンの首に食い込んでいた。
「おっ?」
大男はすっとんきょんな声を出して腕を解き、目の焦点の合わないリオンへ一喝入れる。
「リオン、男ならこんなことぐれぇで倒れてどうする。ガッツだガッツ! どわっ」
「何が『ガッツだ』よ! お客さんの首絞めて何言ってんのさ。大丈夫かいリオン。これ何本だかわかるかい?」
大根を夫の頭に叩きつけ、ナタリはリオンに駆け寄りながら問う。
「一、二、三、……さ、三十本?」
「お、おかしいわね。今日は、おまけしてあげるから、勘弁しておくれね」
ナタリは自分の人差し指をまじまじと観察して、リオンの買い物籠に野菜を適当に放り込む。
「冗談だって。ガキの頃におばちゃんの回し蹴りを何発も食らった俺が、これぐらいで倒れるわけないだろ? おまけは、ありがたくもらってくぜ。へへ~ん」
待っていたかのようにリオンは立ちあがり、八百屋夫妻に舌を見せて、次の店へ駆け去った。
「こらぁ! 明日は御所望の回し蹴りをくれてやるからね! 覚えておき」
ナタリは力いっぱい叫んで少年の背中を見守る。
「まったく、リオンはいつまで経っても子供だのぉ」
顎をぼりぼり掻きながら、カーストは少年の走り去った後を見る。
「そうかい? ほら、見てみなよ」
優しい顔をしたナタリが商品棚を指さした。
野菜を並べているおんぼろ棚の上に、白い花が一輪置いてある。
「サヤが好きだった花……だな。今年もこの日が来たか」
「リオンなりに気を使って来てくれたんだよ。今日はあの子の命日でもあるからね。父親に比べて、あの子は優しい子だよ」
八百屋の夫妻はユリの花を見ながら、愛娘のことを思う。
「すみま、せん。リオンが……来てませんでしたか」
「そんなに息を切らして、どうしたんだいマリアちゃん?」
満身創痍で走ってくるマリアに、ナタリは水を渡してやる。
「はぁ、ありがとうございます。リオンが買い物に行ってくれたんですけど……また買い物メモも、お金も持たずに行っちゃって」
小さな紙切れをポケットから取り出して、マリアは顔を赤らめながら白状した。
「あんた……やっぱリオンは、いつまで経っても子供だわ」
深い溜息をついて、ナタリは夫の意見が正しかったと素直に認めた。
「あっ、その……花」
ナタリが大切そうに手にしている花を見て、マリアが気まずそうに俯く。
「リオンが持ってきてくれたんだよ。毎年あの子はね、この日に摘んできてくれるだろ?」
マリアの心情を察してナタリは暖かな口調で言った。
「サヤが死んだのは、あなたたちとは関係ないよ。私たちに力がなかっただけさね」
語尾を小さくしてナタリは花を花瓶に活けた。
「ナタリ、ちょっと出てくる。店、頼んだぞ」
さっきまで轟々と騒いでいたカーストが逃げるように去って行った。不規則なリズムを刻みながらカーストは店を出ていく。
彼の右足は十年前の事件以来、メタルフレームと同じ材質になっている。硬くて温度の無い足だ。
その広い背中を、マリアとナタリはただ見送るしかできない。
「おばさん、ごめんなさい……おじさんの足も、サヤちゃんのことも……きっと父にも何か、理由があったんだと思います」
頭を垂れながら、マリアは声を詰まらせる。
「うちの旦那は、もうそんなこと気にしちゃいないさ。メタルフレームに乗るのも潮時だったしね。 そんなことより……やっぱり、まだ親父さんのことを信用しているのかい? 親父さんは……」
責めるでもなく相談に乗ろうとする母のような口調の問いに、マリアはお辞儀をしてその場を去った。ナタリの口から、次に続く言葉を聞きたくなかったからだ。
村を裏切り、家族を見捨て、自分だけ助かろうとした父親の存在は、マリアにとって村で生活する障害となった。それは、弟のリオンとて同じことである。幼い時に言われた村人からの言葉が頭を過る。
――裏切り者――
――お前達が死ねばよかったんだよ――
――よく、笑っていられるわね、人殺し――
小屋のガラスに映る自分の姿を見た。
捨てられた野良犬のような人間の顔は、実に滑稽だった。
こんな顔をしたまま弟に会えば、何かあったのかと心配されることだろう。自分も大変なくせに、内気な姉のことをいつも気にかける弟。
姉思いの優しい弟だと胸を張って言う自信はある。しかし、それ故に、マリアは自分の弱さに落胆する日もあった。
そして、その度に自分も姉として、弟を守っていける立派な人間になろうと心を奮い立たせてきた。
リオンという弟がいなければマリアの心は死んでいたであろう。
今でこそ、何不自由なく生活しているが、母が生きていた頃、村人からの仕打ちは酷いものだった。思い出しただけで、胸の中が冷たくなる。
「姉ちゃん? 何してんの?」
能天気な声が後頭部からして、飛び上がる。
「ふぇっ!? リ、リオン? な、何でもないの。何でも! ちょっと入ろうか迷ってただけで。お姉ちゃん、ほら、優柔不断でしょ。ダメだよね、こんなことで悩んでちゃ」
胸の鼓動につられて、マリアはそわそわ動く。
「何を悩んでんのか知らないけど、そこ男子便所。やるならあっちだろ? っていうか、そんなこと悩むなよ」
一銭も持って行ってないのに、野菜やパンで一杯になった買い物籠をリオンは肩からぶら下げ、親指で隣にある女子トイレを指さす。
「え……あ、あぁぁ。どうしよう。どうしよう。 私ったら」
お金も持たずに、どうやってそれだけの食材を買ってきたのか。という疑問よりも、自分が男子トイレに半歩侵入していた事実を知って、頭の中がパニックになる。
「いいから、さっさと行って来いよ。思春期の少年少女には、トイレを間違うなんて……よくあることだ。……たぶん」
三つ年上の姉に少女という言葉はあまり適していないが、弟の腕にしがみつく姉は少女そのものである。
「違うの! 誤解なの! 気が付いたら男子トイレの前に立ってただけなの!」
必死に弁解してくる姉に対して、弟は赤面していた。
「姉ちゃん、それはそれで危ねぇよ。って、くっつくな~」
育ち盛りの胸がリオンの腕を加圧する。間違っても姉にそんな気はないが、生理反応という性に勝てるわけがない。
「忘れて! 私がここにいたことは、忘れて!!」
「あぁ忘れるから! 忘れるから! あぁ! 引っ付くなぁ! 人、見てるし! 集まってるし!」
村の中でも一、二を争う美人に成長した姉の必要以上のボディタッチは、リオンの思考を暴走させようとしている。
村人から仲のいい姉弟と評判な二人だが、弟離れできない姉は、弟にとって嬉しくもあり、気恥ずかしい存在である。
何もない一日、何もない日常。
それを平和と言うならば、この村は実に平和だった。
それはこれからもずっと続く、リオンは明日も同じ毎日がやってくると信じて止まなかった。いや、平和以外の一日など少年に想像することすらできなかったのだ。




