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ミリオン  作者: おこき
~第二幕~
28/76

第26章



 それは暗黒の様な夜だった。

 空に満月があるにも関わらず、ソレの周りは暗黒。

 闇に開いた外への世界へ繋がっている穴(満月)。

 あの穴から零れ堕ちた天使。

 ソレが歩き始める。 ぬちょ、ぬちょと音を立てる地面。


「ふんすい……、フンスイ」


 ソレは、手に持ったポンプで遊んでいる。ご機嫌のようだ。数分前まで稼働していたポンプは、今ソレの玩具として活躍している。

 ソレは食料を捜し求めて、巨大な軍基地の前までやってきていた。お腹が減り過ぎて眠れなかったため、軍に食料を分けて貰おうと考えているのかもしれない。

 人気の無い無駄に整備が行き届いている道。昼間でさえこの道を使用する者はあまりいない。ここを通るということは、二度と村には帰ることができないという意味だ。

 こんな場所を歩いていて、軍の見回りに見つかれば何をされるかわからない。例え村人で無くても許可なくここに近づけば殺されても文句は言えない。


「おい、貴様、止まれ。 外出時間はとっくに過ぎている。 こんな時間に軍施設に何の用だ?」


 ソレの背中を上から下まで舐めるように見て軍人が呼び止めた。

 小柄な体系、そして長い髪。誰が見てもその後ろ姿は女だと判断できる。軍の下っ端には厳しい規律があるため女に飢えているものが多い。この見回り兵も例外ではない。

 だが、無視して歩き続けるソレは、ポンプに釘づけだ。彼の声など聞こえない、興味無い。

 ここがこの村を統治している軍施設であることなんて知りもしない。ただお腹が空いただけなのだ。


「貴様! 軍に刃向かう気か? 俺が止まれと言ったら止まれ!」


肩 からぶら下げたライフルを構える軍人。食べ物を探している少女に何の罪があるのだろうか。されど、ソレには彼の声など聞こえていない。銃の恐ろしさも知らない。

 裕福な家計で育ち、貧乏人を見下して来た彼にとって、命令を聞かない下層市民は腹正しいものである。

 

「はっ、ルールを守れない悪い子は(しつけ)ないとダメだよな~? 俺の躾はきっついぜ~。 その体に深く刻みつけてやるよ」


 軍人は組倒そうとソレの背中を力いっぱい握りしめ、草陰に連れて行こうとする。

 その時、ソレのお気に入りのポンプが地面に落下した。


 グシャリ。見回り兵の思考が壊れた。


「な、なんな……何だそれは!」


 男とは思えないヒステリックな声。

 ソレの正面を見て軍人の威勢は消える。

 男ならば威勢よくなるであろうソレの肢体を持ってしても、軍人は恐怖からそんな気など起こらなかった。

 ただの血まみれの裸体ならば、血を見慣れている彼の精神は耐えられたであろう。

 だが、ソレの正面は想像を絶するものだった。


―――内臓(まみ)れ―――


 彼女の内臓ではない。原形などわからない。

 ただ、赤褐色とピンク色の臓器が血管で繋ぎ合わされ、(おぞ)ましい形にねじ曲がった内臓が胸元で固定されている。

 まだ動いている。“ハヤク……コロシテクレ”と微弱な脈を打っている。

 正面に絡みついた血管と捻れた臓器の紐は、生温かい血をまだ噴射していた。

 ソレは人間の内臓でできた前掛けをしていたのだ。


「ふ、んすい……フフ、フ、んスいぃ」


「な、なにを言ってやがる……ばけもぉ―――んく!?」


 彼は口を塞がれる。しかし、本能的に引いた銃はソレの顔面目掛けて発射された。銃口にソレの細い 指が詰まっているとも知らずに。

 耳を(つんざ)く音を立て、銃は暴発。


「んぐんんぐ!! ぉわぃうぅうぅ」


 見回り兵の情けない声が漏れた。

 ソレの左手は銃の暴発と共に炸裂している。皮膚一枚でかろうじて接着されており、手首と手の間で、動脈が蛇のようにのたうち回っている。

 血流が噴水のように勢いよく噴出し、軍人の頭に降り注いだ。

 奇怪な方向に炸裂したソレの手首は、暴れ回る動脈の反動で地面に千切れ落ちる。それだけで彼は意識を失う所だった。彼は戦争を体験していない。ただ、楽をして暮らせるから親のコネで軍に所属しただけなのだ。

 無抵抗な村人を拷問したことはあるが、されたことなどない。これは精神の拷問。考え付く限りの惨い仕打ちを眼球に焼きつかされる拷問だ。


「ふぅっぅ!!っぅううん!」


 人間と思えない握力。訓練を毎日している軍人が両手で掴んでも口を覆う右手はビクともしない。

 口を塞いでいる手が、そのまま軍人の体内に入っていく。人間がすることじゃない。彼の目からは恐怖で涙が出ている。

 しかし、喉から侵入するソレの右腕は止まらない。彼の口には、二の腕が納まっている。 指先は、もう胃袋を突破しそうだ。


「ぼぉえぇおっ……おっ……ぇえぇ」


 嘔吐するが二の腕が邪魔して上手く出せない。それどころか先ほど地面に落ちた筈の左腕が元に戻っており、処刑台のような掌が自分の喉を固定している。

 “殺される”

 ここに来てようやく頭が理解した。

 幸か不幸か、彼の発した汗で手が滑り、処刑台から解放される軍人。右腕は体内だが首をへし折られることは回避できた。

 ソレは、彼の口から噴き出てくる緑色の液体を不思議そうに眺める。


「ふん……すい、ふんすい、ふんすい」


「ッッッッ!!」


 ソレは喜びのあまり、胃袋の中の腕を上下させた。胃袋の中で蛇が暴れ回っている。


“苦しい苦しい苦しい苦しい、助けて……ぅ、助けてくれぇぇ!”


 言葉にならない呻き声が漏れる中、軍人は(もだ)え苦しむ。

 出せる液体は上から下まで全て出し切っている。目を輝かせて噴き出す液体を眺めるソレは、もっと強く噴き出す“ふんすい”を見たそうに妖艶な喘ぎ声を出している。

 しかし、彼に残っている液体は、体内を巡る血液だけだ。

 噴射が緩くなった緑の液体を残念そうに眺めて、ソレは内側から軍人の心臓を(えぐ)り取る。

 あらゆる手順を無視した切除。

 胃袋を破り、肋骨を砕き、心臓を握りしめ、胸骨を内側からへし折りながらの切除。

 痛みなんて感じない。“痛い”という感覚の限界を超えている。

 バケツの水を撒き散らすように、胸から血液をソレに浴びせて軍人は……やっと死ねた。


「……オニク」


 ソレは何事も無かったかのように、横たわるニクを(むさぼ)り始めた。食事の後、お手製の内臓前掛けもその場に捨て、当てもなくソレは歩き始める。

 夜が明けるまで後数時間、新しいニクを捜し求めてソレは彷徨った。



 朝が来た。

 久しぶりの布団だったためか、どうやらリオンは爆睡している。

 昨日、隠密部隊に命を狙われたり、横暴な軍に色々聞かれたりしていたなど嘘のようだ。

 

「また、夢……酷い夢だ」


 セレネは汗ばんでいる体を抱いて、夢のことを忘れようとする。

 先日から嫌な夢ばかり見ていた。誰かを殺したくてウロウロする夢、少年を食べたいと思う夢。だが、いつも“ダメだ”という抑制の声が聞こえて目を覚ます。そんなことが旅に出てから、続くものだからまともに眠れる日は無かった。

 今日のように、朝日が昇ってからの起床は初めてだ。

夜中に起きているため、お腹が空いてリオンに怒られるとわかっていながら、隠れて食事を取ったり、月花と会話してみたりなど夜が明けるまで時間を潰す必要も今回はなかった。

 嫌悪感を抱く夢を見て気分は最悪だったが、グッスリ眠れたことにセレネは満足した。

 抑制と覚醒の合図である声も聞こえることなく、夢は続いていたのだから体は休まっている。


「水を……飲もう」


 喉がカラカラであったのもそうだが、気分を変えるために何か飲み物を探すセレネ。あんな不気味な夜の施設を歩いた感覚など忘れたいのだ。

 水筒を口に付けて水を流し込むセレネ。


「ッ!? ごほっ、ごほ」


 思わずむせ返った。水筒の水が錆びていたようだ。


「ん~? どうしたセレネ? またぁ、変なことやってんのか~」


 リオンが眠たそうに布団の中から頭を出す。


「いや、何でもないんだ。 それより、この水! 錆びているぞ!」


 セレネは、ややむくれて水を入れてきたリオンに水筒を突き付ける。


「はぁ? 寝る前におっさんに入れて貰ったやつだぞ。 んなわけねぇだろ、どれどれ」


 ゴクゴクと錆びた水を飲むリオン。


「旨いじゃねぇか? 錆びてねぇよ。 あぁ~、宿屋のおっさんがレモン入れてたからそれが変な味だと思ったんじゃねぇか? レモン水は口に合わなかったみたいだな。 こっちにあるやつは、普通の水だからこっち飲めよ」


 寝癖で鳥の巣のような髪型になっているリオンは、自分の枕元にある水筒をセレネに渡し、レモン水のおいしさについて語り始めた。

 

「んく……あぁ、普通の……水だ。 レモン水は、私の口に合わなかったようだ」


 どこか残念そうな顔をするセレネ。

 だが、その水も鉄のような味しかしていない。

 まるで血の様な味だ。鉄の匂いがする液体が、喉を通過したせいで気持ち悪くなってきた。


「どうした? 気分でも悪いのか?」


 リオンが心配そうにセレネの顔を覗く。


「いや、別にどうもしないぞ? 元気過ぎて困るぐらいだ」


 どうもしている人物に限って、そう言うものだ。

 リオンは、しばらくガッツポーズをしているセレネを見つめていた。

 しかし、視線を逸らすセレネを見て、それ以上踏みこんだことが言えなくなる。


「まぁ、具合が悪くなったら言えよ? 別に急いでどこかに行く旅でも無いんだし、俺は、お前の記憶が戻ればそれでいいんだ」

 

 セレネが聞いているのかわからないが、これだけ伝えておきたかった。

 伸びをする少年をチラリと見て、セレネが呟く。


「私は……本当に記憶を戻した方がいいのか?」


 意外な返事にリオンは動作が止まる。


「当たり前だろ? 記憶喪失なら記憶を戻したいって思うのが普通だろうし、お前の家族とかにも会えるかもしれないだろ? 記憶を戻したくないのか?」


「戻したいけど……魔女に家族なんているのか? 私を待っている人がいるのか? 魔女なんて……待っている人がいるのか」


 セレネが、まくし立てた。今までこんなことが無かったため、リオンは唖然としている

 沈黙を破ろうとリオンがゆっくり口を開く。


「本当にどうしたんだ? いるかもしれねぇだろ……お前の帰りを待ってる人。 爺ちゃんが言っていた紅い髪の魔女に会えれば何かわかるかもしれないぞ? だいたい、魔女に家族がいないなんて誰が決めた。 それに伝説に聞く魔女とお前は全然違う。 お前を見て俺は確信した。 魔女にも良いやつがいるって、伝説なんてそんなもの見てみないとわからないんだって。 だから、俺は伝説を確かめるんだよ、魔女が悪い奴だっていう伝説を覆してやるんだよ」


 寝癖でぼさぼさの頭を掻きながらリオンは笑った。


「だいたい、お前は怖くないのか? 真夜中に私に殺されるかもしれないぞ? 喰われるかもしれないぞ? 魔術でお前を操るかもしれないぞ? どうして私を助けてくれる?」


 布団を握りしめてセレネが少年をうるうるした目で見つめる。セレネは今までの想いをぶつけている。夢の出来事をこの少年に当てはめてしまい、そんなことをしている自分が恐ろしくて、悲しくて……胸が苦しくなる。あんなことが現実で起こると思うと不安で堪らない。

 しかし、リオンは、セレネが何をそんなにうろたえているのか全くわからなかった。


「怖くねぇし喰われる気もしねぇって。 最初はその……正直怖かったけど、今は大丈夫だ。 お前はいいやつだってわかってるからな。 それから、女の子助けるのに理由なんていらねぇだろ」


 即答されたが、セレネは納得できない様子だ。今まで普通に接していて何の違和感も感じなかったが、最近この少年が異常であると思い始めている。

 ウインド村の村人のように魔女という存在を忌み嫌う人間がいる中、魔女と一緒に旅をする人間とはどんな神経をした人間だと考えるようになってきたのだ。


「お前は、女だったら誰でも助けるのか?」


「うわぁ、俺がスケベみたいな言い方をするなよ。 俺はお前に、そんな気なんてないからな!」


 リオンは顔を赤らめて、ベニヤ板で補強された窓を見る。セレネは少年から視線を外さない。


「はぁ……誰でも助けねぇよ。 んなことできるわけねぇだろ。 誰でも助けたいけど、俺にはそんな力なんてない。 お前だから助けてやりたいと思った」


「私……だから?」


 首を傾げるセレネにリオンは振り返る。


「最初は女の子だから助けようと思ったけど、お前は、ウインド村の人がお前を怖がっているのに、月花で最後まで村の人を助けてくれた。 俺の家族同然の人達を最後まで諦めないで、寝る間も惜しんで捜してくれたじゃねぇか。 そんな優しいやつが困ってたら助けたくもなるだろ?」


 黙り込むセレネを見てリオンが付け加える。それだけが理由じゃないなんて言っている本人でなくてもわかるだろう。ただ、セレネが無条件で助けてやりたい人物であるなんて、リオンには言う勇気がまだ無かった。


「あんまり言いたくないんだけど、笑うなよ……?」


 どうしても信じようとしない少女を見てリオンは、自分の夢を言うことにする。


「俺は英雄になりたいんだ、目の前の女の子一人助けれないやつがどうやって英雄になればいい?」


「英雄?」


「あれ、英雄ってわかんねぇのか? 英雄ってのはだな……えっと、あれだ! 正義の味方みたいなやつ……って、英雄がわかんないんじゃ、それもわかんねぇか?」


 リオンはセレネが英雄という言葉の意味を忘れていると思い説明をする。


「困っている人を助ける人……だな。 誰もできないようなことを俺はいつかやって、皆が笑っていられる世界にしたいんだ。 ウインド村を焼いた盗賊みたいな連中が生まれないような世界にしたい」


 子どもの理想論。誰に言っても鼻で笑われるような夢物語。社会の汚さを知らない彼の様な理想論者が、政治を行っていれば恐らく共和国は、ここまで腐らなかっただろう。しかし、一方で、ここまで発展はしなかっただろう。

 輝く英雄を目指す少年に向かって少女は、言ってはならないことを言ってしまった。


「じゃ、お前はもう、英雄だな」


「は?」


 目が点になるリオン。リオンは英雄と呼ばれる程人を助けていない。


「困っていた私を助けてくれたお前は、英雄だろ?」


 確かにそうではあるが、彼の目指す英雄はそんなものじゃない。規模が違う。

 彼は世界中の人間を救いたいのだ。世界中の“悪”を取り除きたいのだ。


「俺はお前を助けていない。 助けようとしているけど、助けることができていない。 いつもお前が一人でどうにかしちまうし、俺が助けられてばかりだ。 英雄とは程遠い」


 ここ数日の事を思い出しても、リオンが決定的にセレネを助けたことなどない。セレネには一人でどうにかしてしまう力がある。リオンが自覚している通り、助けられてばかりだ。


「そうか、ならもうちょっとお前を頼りにする。 困った時に呼べばいいのか?」


「あぁ、そうしてもらえるとありがたいけど……」


 セレネが妙に素直だ。リオンは今まで見たことのない彼女の一面を見て少し戸惑っている。頼られることはこの上なく嬉しい反面、不安である。

 自分の力で彼女をどこまで助けることができるのかと。


「じゃ、英雄よ。 飯を買ってきてくれ!」


「パシリかよ!」


 陽気に話す少年と少女だが、彼らは気付いていない。

『英雄』と『魔女』。それらが対極に位置する存在であるということに。


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