第24章
リオンはノーションが窓から外に出た後、セレネと共に隣の部屋にいるドクターMを訪ねた。
彼なら何か、この非常事態に知識を貸してくれると考えたのだ。一緒に旅をしている仲間が殺し合いに身を投じていると知れば、何か解決策を教えてくれるかもしれない。
「爺ちゃん! 大変なんだ! ……いないのか!?」
ドアが破れんばかりの勢いでリオンは部屋に入る。
静まり返った部屋は真っ暗だった。
「……静かにせぇい。壁に張り付きながら、ガッツポーズを三回、屈伸運動を五回、最後に人生で最高の笑顔でここまで来るんじゃ。決して間違えるんじゃないぞ?」
枕ぐらいの大きさの老人は、息を殺しながら、ベッドの下から顔だけ出して二人を手招きする。
言われた通り、ガッツポーズを三回、屈伸運動を五回、満面の笑みで老人の元へ寄る。直線距離でおそらく五歩程で到達できるベッドに、何故こんな回りくどいことをしなくてはいけなのかと内心で思いながらも、リオンは指示に従った。
「ころしあいよ、ころしあい」と言って外に出て行ったノーション。
確認できなかったが、恐らくノーションは自分達を助けてくれたのだ。
本当に殺し合いが始まっているのならば、戦い慣れしていると思われる女性の相方の言うことを聞くのが賢明である。
ノーションの仕掛けた魔術がこの部屋に張り巡らされている可能性だってある。
「これでいいのか?」
リオンはノーションのことを気がかりに想いながら、笑顔を無理やり作って老人の側に駆けよった。
「うわ、本当にやっておるの。あやつは……痛い子か?」
「許してやってくれ。頭が……悪いんだ。でなければこんな状況で笑っていられない」
後から部屋に入ったセレネがスタスタと一足先に老人の側に座り、ヒソヒソ話をしながら、満面の笑みで接近する少年を一瞥していた。
「アンタがやれって言ったからやってんだろうが!! こんな状況だ。何か意味があるとか思うだろう!」
「あやつは、思い込みが激しいのか?」
「あぁ、私も手に負えないんだ」
怒涛の叫びと共にリオンが老人を引きずり出した。
老人にゲンコツを三十回程叩き込んで、はぁはぁと、肩で息をするリオン。
頭にヤドカリのようなコブを連ねたドクターMは、上機嫌でベッドの下に再び潜り込む。
リオンが殴ったせいで頭がおかしくなったわけではない。そうゆう個性なのだ。
元々、特別なオンリーワン。
一方で、セレネは“もっと叩いてくれ”と目をウルウルさせている皺だらけの老人を見ながらモゾモゾとしている。
恐らく自分も殴ってたいとう衝動を我慢しているのだろう。
リオンとセレネはベッドの隣にしゃがみ込み老人の顔に近づく。
老人は長いまつ毛を動かすだけで何も言わない。
「爺ちゃん、一体何がどうなってるんだよ。“殺し合いだ”って言ってノーションさんが出て行ったんだよ! あり得ねぇ、共和国軍が管理している村のド真ん中で殺し合いなんてしたら」
「静かにせぇ。彼奴等は相当焦っておるの。ちなみに、お主も標的に入っている可能性が高い。よいか、今からワシの言うことをよ~く聞くんじゃ」
更に声を殺してドクターMは、リオンの黒い瞳を覗きこんだ。
生唾を飲み込むリオン。
まさか、自分にノーションを助けに行け、とでも言うのだろうか。それとも敵がすぐ近くにいるため、囮になれとでも。
いずれにせよ受けて立つ。老人や女の子を守ることは当然のことだ。体を張ってでも守って見せる覚悟のリオン。
「……お主は素足で踏まれるか、ヒールで踏まれるかどっちが――ふぎゃんん!!」
「ごめん……突然過ぎて、最後まで聞ける気がしなかった」
真顔で老人の顔を踏む若干十七歳の少年。英雄志望でも難しい選択だった。
ドクターMの顔は、何故だが踏み心地がいい。巨大なクッションを足で踏みつぶすような未知なる感覚、足を突っ込んだ時に帰ってくる程良い弾力、そしてこの効果音……余韻に浸るリオン。
こうやって不良や親父狩りが生まれて行くのだと実感した。
「うん? どした? セレネ……」
リオンは服の裾がクイクイと引っ張られ、顔をやると……目を輝かせて、お座りをしている犬がいた。
尻尾があれば、ワイパーの代わりが務まるぐらい左右に揺らしていることだろう。
“次は、私がやりたい、是非やらせてくれ”そんな顔をしているセレネ。
あえて無視するリオン。
寂しげな表情でベッドの隅で落ち込むセレネ。
どうやらドクターMは、人をドSにする才能があるらしい。
さすが、ドM。
リオン自身ウインド村にいた頃、老人にはそれはもう優しく接していた。 今、この姿を姉にでも目撃されたら“一週間ご飯抜きだよ!”の刑に処されるに違いない。
この刑罰はなんだかんだ言って“ちょ、ちょっとだけだからね”などと言って、気が付けば初日から晩御飯を普通に食べさせてもらえるマリアらしいと言えばマリアらしい刑罰だ。
方位磁石にS極とN極の間が無いように、人間もドSとドMのどちらしか存在しないのかもしれない。
“ドクターMを踏んだ人物はドSになる”一種のジンクスや呪いにならなければいいのだが。
「しゅんおんらい、しゅんおんらい」
「あっ、ごめん。 爺ちゃん!」
踏まれたままドクターMが口を動かしたため、リオンは慌てて靴を退ける。そう、本題はこれからなのだ。
「やはり、お主はいい線をしておる。何故、女に生れなかっ―――ぎゃんぅぅ!!」
「ごめん、頼むから本題に入ってくれ。そろそろ本気で人殺しになりそうだ」
この後、セレネがリオンの袖をまた引っ張ったことは、言うまでもない。
◇
「まさか、軍の管轄している村で襲ってくるとは思っておらんかったわい」
「だいたいなんであんな奴らに爺ちゃん達は狙われてんだ」
顔に靴後を付けたドクターMが正座しながら、「うむ」と頷く。
「心当たりが多過ぎてわからん、ハハッ!」
「爽やかに、とんでもないこと言わないでくれますか! じゃ、なんだ……あいつらは、爺ちゃん達を捕まえようとしている……軍の部隊で間違いないんだな。あんたらやっぱり犯罪者か?」
老人は眉をピクリと動かした。少年が今朝の混乱した状態でどうやって軍のMFと判断したか定かではないが、この少年を侮り過ぎていたようだ。
少年達を下手に刺激して騒がれると不味い。
リオンは一歩後ろに下がり、右手でセレネを庇うように身構えている。
「リオンよ、お主は二つ間違えておる。彼奴等はワシらを捕まえようなどと考えておらん。殺そうとしておるんじゃよ。そして、もう一つ。軍に追われるから犯罪者だという安直な考えは止めた方がえぇ。今の世の中、罪もなく軍に殺される者はたくさんおる。ワシらもその内の一人かもしれんじゃろ?」
ツルツルの頭を撫でながら老人は、続ける。先ほどのヤドカリのようなコブはもう治っていた。
「それに犯罪者なら、村に入った瞬間、共和国軍が全勢力を持って押し掛けてくる。 大義名分があるならば何故、こんな姑息な手段を取る? それができんということは、彼奴等に非があるんじゃないかの? 人目に付くと不味い何かがの」
ドクターMはベッドの下から、顔だけ出してリオンの顔を見る。
「……確かにそうだけど。共和国軍がそんなこと、国を守っている軍が民間人を暗殺しようなんて! そんなことするのかよ!?」
「ん? 追って来ておるのは、帝国の軍人じゃろ。共和国軍なら、それこそ村に入った瞬間、蜂の巣にされとるわぃ。それにお主が思っている程、共和国も帝国も、まともではないぞ? 国は守っても、民衆を守らん軍人がそこらを歩き周っておる。現に、お主らも殺される所だった。恐らくノーションがどうにかしたんじゃろうが、あの部屋にあやつがおらんかったら二人とも死んでおったかもしれん。巻き込んでしまったことは、ワシから謝らせて貰おう。じゃが、どっちの国にしても、軍は信用せんほうがええ」
帝国の軍人が敵国に潜入してまで暗殺しようとする人物とは一体何者だ。ただの凶悪犯ならば両軍共に協力体制を敷いて、捕まえるはずである。ならば、犯罪者ではないというのか。
しかし、リオンはまだ納得がいかなかった。犯罪者が軍のことを悪く言うことは当然だし、彼らの素性があまりにもわからな過ぎる。 軍の隠密部隊から狙われる一般人なんていないだろう。
それに、共和国は民主国。軍が何もしていない民衆に危害を加えるなんてあり得ない。
ならば、やはり彼らは犯罪者なのか。
「爺ちゃん達は……犯罪者じゃないんだな?」
「犯罪者も何も、何もしておらんよ。ただ帝国にとって目障りな仕事を頼まれたから、こうして命を狙われておるじゃろうな。いや~、引き受けるじゃなかったわい」
仕事の内容までは聞いても教えてくれないだろうし、知りたいとも思わない。
リオンはセレネの記憶を取り戻すことが目的なのだ。余計なことに首を突っ込んでも仕方がない。
とにかく、月花の魔力消費を抑える魔石さえ貰えればそれでいいのだ。
「ノーションさんが魔石の話をしてくれたんだけど、あれで本当に月花の魔力消費は抑えれるのか? その、セレネは――」
ふと隣に座っているセレネに目をやる。豪快な欠伸をしていた。とても女の子が男の前でするような行為ではなかった。
「ぅ~ん……にゃ?」
(“にゃ?”じゃねぇよ。 少しぐらい意識しろよな。 どうせ俺は、原始人だよ、嫁はアウストラロピテクスだよ)
リオンがいじけた。セレネは首を傾げて、暇そうにもう一度欠伸をする。
「その件に関してはワシも聞いておる。 大丈夫じゃろ。 本物の魔女ならどっちにしろ死なんて」
「なっ……!」
リオンは思考が止まった
セレネは欠伸が止まった。
何故、この老人はセレネが魔女だとわかった。
ウインド村の神父と違い、かつてセレネに似た魔女を見たわけでもない筈だ。
ますます、この老人の実態がわからなくなるリオンとセレネ。
 




