怒り
伊織市なら電車で二駅……だが悲しいかな、田舎の電車は二十分おきだったりする。
なので自転車の方が早いと思い、妹の自転車を借りた。俺が以前通学に使ってた愛車はボロ過ぎて捨てられていたのだ。
『そういえば認識阻害のローブは着なくていいのですか?』
「着たいけど、救出に行く探索者は救出状況を知らせる為にドローンで撮影しないといけないんだよ。で、ドローンは認識阻害されてる人に追尾出来ない。だから着れないんだ」
以前のリカとの配信では、ドローンの追尾設定がリカになっていたから問題無かったのだ。
『なるほど、認識阻害は人の輪郭すら曖昧にしますからね、機械じゃ簡単に見失ってしまうという事ですか』
リュドミラはずっと俺の中にいて、俺と感覚を共有してる筈だけど、偶に俺の知ってる事を知らない、という事がある。もしかして外の情報を遮断してる時があるのだろうか?
よからぬ事を企んでいなければいいのだけど。
自転車を飛ばして十五分。
神蔵探索者協会よりも少し小さな伊織探索者協会に到着した。
駐輪場と駐車場は一般人の使用を禁止しており、その為ゲートに入る際に探索者証を翳す必要がある。
近い所に自転車を止め、急いで協会に入る。
ロビーは驚くほど騒がしかった。
壁に掛かった巨大モニターでは伊織ダンジョン内の遭難者――つまり、ミドリの配信が映し出され、右上に救出待ちの文字が小さく書かれている。
そしてそれを見ながら悲壮感に満ちた声を上げる者、誰か助けに行けと騒ぐ者、それらを野次馬根性で眺める者と、混沌としている。
『……どうして、何も出来ない者が無意味に集まるのでしょうか』
「多分、不安を紛らわす為に皆んなで騒いでるんじゃないか? 知らんけど」
騒がしいお陰でリュドミラと話しても不審に思われない。
けどいつまでも駄弁っていたら彼らと同じだ。受付に行き、ミドリの救出に向かう旨を伝えて探索者証を渡した。
協会の職員はそれを機械に翳した後、目を丸くした。
「ま、まだ探索者になって一週間も経ってないじゃないですか! 流石に許可出来ません、危険過ぎます」
「なっ……でも探索者にランク分けとかされてませんよね? 新人探索者であってもダンジョンの深層へ潜る事が禁止されてるわけでもありませんし。その許可にはどんな判断基準があるんですか?」
「基準って、それ以前に、普通に考えて、貴方みたいな初心者が深層に行けるわけないでしょう!? 命を無駄にしないで下さい!」
参ったな。まさかここで足止めを食らうとは思わなかった。
確かに、今の俺は推しの配信者を救おうとする無謀な若者に見えるだろう。
でもそうじゃないって事、もしも黒田さんがここにいればわかってくれた筈――
「そうだ、ちょっと黒田さんに電話してみます」
職員は「誰?」みたいな顔をしたけど、説明してる時間が惜しい。
すぐにスマホを取り出す。
画面には三十分前にリカからメッセージが届いていたと通知があるが、今は無視だ――
――と思ったのに、そのリカから着信が入る。
「なんですかお嬢様、今忙し――」
『アンタ、今度は未読無視なワケ!? このアタシが! アンタを! 推薦してやったってのに!』
なんの話かと思ったが、工房戦の事か――待て、もしかしたら都合が良いかもしれない。
携帯をスピーカーモードにして職員にも聞こえる様にする。
「リカさん。推薦してくれるって事は、俺の実力を認めてくれてるって事でいいんですよね?」
『な、何よ急に真面目に……まぁ、そりゃそうよ。だってアンタ、優勝するって言ったじゃない』
「聞きましたか職員さん? ランク四位のリカさんが俺の事を認めてくれてます」
「え、嘘……え、本物?」
『何? 何の話?』
「とりあえずリカさん、実績のない俺の保証人的な何かになって下さい」
『よくわからないけど、切羽詰まってんのはわかったわ。でもそんなの簡単よ。アンタ、協会職員でしょ? 手元の端末で調べてみなさい、次の工房戦の出場者。そこ載ってるリュートって名前の横……誰の推薦って書いてあるかしら?』
「――――っ!? こ、れは、失礼しました。リュート様に、探索者ミドリ様の救出を要請します」
『どうやら解決した様ね』
「ありがとうございました、お嬢様。ではまた後ほど」
『あ、ちょっと待――』
携帯を切って、職員に渡されたドローンとスマホ型端末の設定を完了する。
ドローンの撮影を開始すると、協会内の巨大モニターの半分に俺の姿が映し出され、ギョッとする。
しかもモニターを見てた探索者達が振り返り、俺を見た。
「あ、アンタミドリちゃんを助けに行ってくれるのか!?」
「本当に大丈夫なのか!?」
「まだガキじゃねぇかよ、遊びじゃねぇんだぞ!?」
煩わしい男達を振り払い、ダンジョンの入口へ向かう。
「リュート様、今回はリカ様の保証があったから貴方を認めました。ですので、リカ様の信頼を傷付けない為にも、二人で無事に帰ってきて下さい」
職員の言葉に返事をしてからドアを通り、そこからは走って向かう。
ふと渡された端末を見ると、ドローンに映し出された俺と、沢山のコメントが目に入る。この配信は、『伊織ダンジョン救出状況』というチャンネルで配信されている。
《がんばれー!》
《誰この人?》
《不安しかない》
《ソロ? バカかこいつ》
そんなコメントを無視して問い掛ける。
「さっきミドリさん達が落ちた穴まで、誰か案内してくれる人いますか?」
《伊織協会:二階層に降りてから指示を出します》
《穴まで行ってどうするんだよ》
《飛び降りるつもりか?》
協会の職員さんが手伝ってくれるらしい。
お礼を言いつつ一階層を抜けようとして――
「私は悪くない私は悪くない私は悪くない私は悪くない」
「いやだいやだいやだいやだ死にたくない死にたくない死にたくない」
ミドリを置き去りにしら我が身可愛さで逃げ出した二人とすれ違い、足を止めて振り返る。
『ここが私の世界なら、彼女らは殺しています。不要なものですからね』
リュドミラの言いたい事はわかる。人の足を引っ張る、調和を乱すような彼女らは殺すべき害悪だと言いたいのだろう。
しかしここは彼女の世界ではないし、俺は神ではない。
だからどうすることも出来ない。
《伊織協会:彼女らはこちらで保護しますので、ミドリ様をお願いします》
「……わかりました」
端末を見ながら走り、協会の指示通りに進む。
左と言えば左に。右と言えば右に。
当然ながら接敵する事もあるが、戦ってる時間も惜しい。壁を走り、天井を蹴り、空間を思い切り使って魔物を避け続けた。
《逃げてばっかじゃねぇか。戦えよ雑魚》
《いや普通に動き凄くね? 素人ではないだろ》
《伊織協会:煽る様なコメントは控えて下さい。次の十字路を左に行けば到着です……が、その後どうするおつもりで?》
喧しいコメントが多かったが、協会からのコメントは色文字で、尚且つ流れずに暫く残る為、無事目的地に到着出来た。
「よかった、まだ穴は修復されてない」
ダンジョン内の破壊された箇所は時間経過で修復される。その時間はダンジョン毎に違うし、更に階層毎にも違う。だから穴が残っているか否かは運次第だったのだ。……まぁ、残ってなくても再び空けるだけだが。
「それより、職員さん。さっきから気になっていたんですけど……五階層の魔素濃度、高くありませんか? これじゃあ神蔵ダンジョンの三十階層と同じくらいだと思うんですけど、これっていつも通りなんでしょうか」
《伊織協会:……直ぐに別の者を調査に向かわせます。リュート様はミドリ様の救出に専念して下さい》
「了解」
やっぱり何かしらの異常が起きているのか。コラプトゴートという強敵がこの階層に現れたのもそれが原因だろう。
けど、職員さんの言う通り今はやるべき事がある。
靴の裏を氷で覆い、穴のふちに氷の道を――曲がりくねった滑り台の様な一本道を作る。
流石に見えない奈落の底まで作る事は出来ない為、途中からは滑りながら作るしかないか。
「よし」
覚悟を決め、小さく飛ぶ。
着地した両足を固定して、横向きのまま滑り出す。
《いやマジか》
《こんな事出来る魔法使いいた?》
《情報求む》
《ジェットコースター楽しそう……》
コメント欄は平和になりつつあるが、あまりよそ見してると危険だ。
本当なら風魔法で飛んだ方が楽なのだが、この世界では氷だけと決めている。これくらい出来なきゃ秘密を守り通すことなど出来ない。
風を浴びながら速度を増し、氷の道を継ぎ足しながらどんどん進む。
ようやく奈落の底へ辿り着き、足場が土に変わった所で大きく減速する。
どうにか止まって一安心だが、まだ目的地ではない。
《伊織協会:奈落の底から四度床を破っています。穴が残っていれば分かり易いのですが……》
そのコメントを読むと同時に大きな穴を確認した。
ここからは容易い。穴のふちからふちへ、上から下へ飛び移るだけだ。
そうして四度降りた所で――
《伊織協会:その向きのまま進んで左です。ですが近くにコラプトゴートがいる筈です、気を付けて下さい》
指示通りに進み、左を向いた所で、遭遇した。
「…………」
階段前で待機してるコラプトゴートの執念深さには、思わず呆れてしまう。
奴は待ち構えているんだ、逃した獲物が出て来るその時を。
そんな魔物が俺の気配に気付いて振り返る。
《あ、死んだな》
《動けねーでやんの》
《無名の雑魚がしゃしゃるからこうなるんやで》
《伊織協会:すぐに逃げて下さい。全力でサポートします》
俺がコイツを倒すのは容易い事だ。
けど、ここに来て不合理な思考が過ぎる。
本当にそれでいいのか?
それで救えるのはミドリの命だけだ。
刻まれた恐怖、心的外傷は決して癒えない。
彼女が探索者に復帰する事は、多分ない。
それじゃあダメだ。
だから俺は――コラプトゴートを倒さない。
「――どけ」
久々に使用した固有魔法、威圧を込めて正面の赤い瞳を睨む。
一瞬の間。
その後、直ぐに壁際に寄って道を空けたコラプトゴート。
譲られた道を堂々と通り、そのまま背中を見せてもコラプトゴートは襲って来なかった。
《え? え?》
《伊織協会:可能であれば説明を願います》
「一定の知能を持つ魔物は彼我の戦力差を見極め、戦闘か逃走を正しく選択する事が出来ると聞いた事があります」
《俺もその話聞いた事あるけど、マジなの?》
《そもそもコイツにそれ程の力があると? 有り得んやろ》
《伊織協会:参考程度に留めておきます》
信じて貰えなくても、みくびられても、別に構わない。
今の目的はミドリという探索者に立ち上がって貰う事だけだ。
階段を降りて草原を少し進むと、階層の中央に座り込む少女の姿が見えた。
以前会った時よりも、配信で観るよりも、ずっとずっと弱々しくて幼く見える不安定な一人の子だ。
わざと足音を立てて近付くと、追われていた恐怖からか、慌てて顔を上げて周囲の確認を始める。その様子を見て、彼女にはまだ生きる意思があるんだと感じた。
「――あ、貴方は……」
こちらに気付いたミドリは慌てて立ちあがり、頭を下げた。
「すみません、二度も助けに来て頂けるなんて……私なんかが迷惑掛けて、本当に……」
助かる意思はあるけど、卑屈になっているらしい。
「気にしないで下さい――」
「あ、すみません、前回助けて貰ったお礼も出来てないんだった……そ、それと、敬語なんかやめて下さい。私なんか探索者としても人としても未熟で……」
驚く程ネガティブになっているのは、失敗続きで醜態を晒したせいだろうか。
何にせよ、これからする事を考えれば敬語は邪魔なので、ありがたい申し出だ。
「なら遠慮なく……ところで、階段を登った所にさっきの魔物が待ち構えてるんだけど、戦えるか?」
「――――え?」
さっきまでグチグチと弱音を吐いていた口が止まり、見開いた目からは信じられないとでも言う様な視線が送られて来る。
「俺ならコラプトゴートを倒せると思ったか? 残念ながらそれは無理だ。だからアンタに協力して貰わないとここから帰れない。戦えるよな? だってアンタ、危険なダンジョンで呑気に配信やってるくらいには豪胆なんだし、いくら敵が強くても恐怖とか感じないだろ?」
きっとコメント欄では俺に対する罵倒が飛び交ってる事だろう。
あんなに散々な目にあったミドリに対する思いやりがないのか、とか言われてそうだ。
でもそんな事はどうでもいい。
「…………怖いに、決まってるじゃないですか」
煽る様な発言をした俺に対して、怒りを感じただろう。しかし彼女はそれを押さえ込んだ。
「怖いのに配信なんかやって、ヘラヘラしながら殺し合いしてんのか? 何の為に?」
「……私が、そんな風に見えますか? 他の子みたいに、生半可な気持ちでダンジョンに潜ってる様に、見えるんですか……?」
少しずつ感情を抑えきれなくなって来たミドリに、俺は尚も続ける。
「さぁ? アンタの事知らないし、他との違いがわからないな」
「――だったら勝手な事言わないで下さい! 私は他の子みたいに能天気でダンジョンに潜ってるわけじゃない! 楽観的なまま探索者になって死んだ弟の為に……これ以上弟みたいな死に方をする人が出ない様に……そう思って真剣にダンジョンと向き合って来た……!」
ようやく感情を見せたか。
それでいい。
怒れ。
人の行動力を最も刺激してくれる感情は怒りだ。
怒りはその人が普段しない様な言動をさせる程のエネルギーを秘めている。
「なのに……。なんで私が必死にやってるのに、なっちゃんもみっちゃんも私を置いて逃げたの……?」
抑圧されていた感情が、今まで吐き出せなかった恨み言を口にさせる。
「ちゃんと準備したのに! 何があっても逃げ出せる様にって沢山話し合ったのに! どうして今更逃げたの! 覚悟がないなら最初っから私に近付かないでよ! なんでいつも、私ばっかり……」
何度かチームの解散を経験してると言うだけあって、辛い記憶は多いのだろう。何度も理不尽に腹を立てただろう。そんな過去の怒りまでもが、再び呼び起こされる。
「さっきから被害者ぶってるけど、アンタと他の人の違いがイマイチわからないな。アンタは配信で何を伝えたかったんだ? 覚悟を決めて欲しいならカメラの前で仲間か、或いは自分が死ねばいい。それだけで多くの人の記憶に残り、ダンジョンの危険性は認知される」
「違う! そんなんじゃ意味がない! 私は探索者として正しい姿を見せたくて、どうすれば生き残れるのかを教えたくて――」
「――なら、戦えよ」
「――――」
まだ恐怖で立ち上がれないミドリに追い討ちをかける。
「悔しくないのか? 負けたまま立ち上がれないお前は、お前が恨んでいる覚悟無き探索者と同じ姿をしているぞ」
「――一緒にしないで!」
「ならば戦え。戦う事によって見せつけろ、お前の言う正しい探索者の姿を。弟に恥じないお前の勇姿を」
今の彼女にとって、一番許せないのは自らを裏切った覚悟無き探索者……ではなく、彼女らと同類と思われる事だ。
だから俺の言葉が許せなかったのだろう。
売り言葉に買い言葉。そんな単純さで漸く立ち上がった。
「……わかりました。私はあの子達みたいに、くだらない承認欲求やお金の為にやってるんじゃないって事、証明してみせます」
それでいい。
例え怒りで冷静な判断が下せなくなってるだけだとしても、戦う決断をしたなら後は問題ない。
お前は負けない。
俺が負けさせない。
優秀な探索者を、失いたくないからな。