命懸けのリアル
俺の後に帰って来た妹が、俺が探索初日から三十階層に潜った事を母に告げ口した。
しかも危険な新種の魔物と戦った事も、大袈裟に話した。
そのせいで次の日は十階層までしか潜らせて貰えず、更にその次の日、土曜日は強制的に休日にさせられた。
「まぁ、折角家族揃っての休日だし、昼飯はどこか食べに行こう。俺が奢るよ」
家族揃っての朝食時、俺はそう提案した。
二日間の探索で、思ったより稼げたのだ。因みにブラキリアの鱗は鑑定士も初めて見たらしく、まだ査定待ちだ。
さて、昼まで時間があるけど何をしようか。
そう思って家の中をウロウロしてると、リビングでゴロゴロしてる妹が探索者の動画配信を観ていた。
「また配信観てるのか。飽きないの?」
「飽きるわけないじゃん! 今私の最推しのミドリちゃんが朝活配信してるんだから!」
聞き覚えある名前に驚き、後ろから妹のタブレットを覗き込む。
後衛で風魔法を操る緑髪の女性は、確かに以前会ったミドリで間違い無かった。
「この人推してたのか……あんな目に遭ったのに配信者辞めてなかったんだな」
暫く観てると、前衛の女性剣士と、同じく前衛の女性槍使いにカメラが向く。二人とも知らない人だ――どうやら新たなチームで配信者として復帰したらしい。
「あ、そっか。あの時はドタドタしてて忘れてたけど、ミドリちゃん助けてくれたのお兄ちゃんだもんね」
俺が興味を持ったと思ったのか、妹は解説を開始する。
「ミドリちゃん、神蔵に住んでる探索者なんだ。今いる所は隣市の伊織ダンジョンの五階層だよ。この前のレンちゃんのチームを含めて、何回かチームの解散を経験してるんだけど、ミドリちゃんは配信者を絶対に辞めないんだよ。その直向きさというか頑張ってる姿を応援したくなる人が多くて、かく言う私も――」
「お前いつからそんな厄介オタクになったんだ?」
「や、厄介じゃないし!」
ぷりぷり怒る妹を宥めながら不思議に思う。
どうしてそこまで配信者に執着するのだろう。
チームの解散を何度も経験してるという事は、以前の様な危ない目に遭ったのは一度や二度じゃないのだろう。
コイツもレンと同じ承認欲求の怪物なのか?
それを妹に問おうとした時、画面の向こうに変化があった。
魔物を倒して先に進もうとする三人。
歩き出す彼女らの横の壁にヒビが入り、後ろにいたミドリは前衛二人の襟首を摑み、思い切り引っ張る。
二人は尻餅をつき、突然の乱暴に文句を言おうと振り向くが――直後に響いた轟音が、呑気な二人にも危険を知らせた。
崩れた壁の向こうから現れたのは、巨大な二足歩行のヤギ。似ている魔物で言えばミノタウロス、だろうか。
恐ろしいのは肥大した筋肉と、頭部から伸びる凶悪な角。瞳は真っ赤に光り、その異様な眼光は見る者全てを萎縮させる。
その魔物の名はコラプトゴート。本来なら――
『こんな浅い場所に出る魔物では無いのですがね……どうにせよ、彼女達では勝てないでしょう』
冷たく言い放つリュドミラだが、別に勝つ必要は無い。敵の脅威度は三人とも理解した様子だし、すぐに逃げれば――
そう思ったのも束の間、コラプトゴートの太い腕が振るわれ、尻餅をついたまま動けない前衛を狙う。
「――展開!」
だが、唯一その場に立っているミドリが前に出て、ポケットから出した棒状の魔道具を発動させる。
それはミドリの命令に従って透明なシールドを生み出し、見事攻撃を防ぐ――が、後衛の彼女は非力で、シールドごと吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。
「ぐうぅ……だい、ジョーブだよ、みっちゃん、なっちゃん。こういう時の為に練習したんだから、隙を作って三人で逃げれば――」
先程のミドリの動きと、彼女の言葉からわかるように、危機的状況に陥った時の対処法は相談済みらしい。
彼女は前回の失敗から成長している、という事か。
これならば安心――
「いやぁぁぁあぁ!」
タブレットのスピーカーから耳が痛くなる程の悲鳴が響き、俺も舞もギョッとする。
その声は恐怖に正気を奪われ、絶望と生存本能が腹の底から込み上げてきた様な、聞くに耐えない痛々しいもの。
その声を上げたのがどちらかわからない。或いは両方かもしれない。
確かな事は、我が身だけを助けようと身勝手に逃げる、醜い人間が二人いたという事。
『これが人間の本質。覚悟を持たぬまま危地へ赴く浅はかな人の末路。彼女らのせいで、本当に救われるべき人間が犠牲になる。私はこの理不尽を――心底嫌悪します』
「……舞。もう……見るな。ここからはただ惨たらしいだけだ」
妹のタブレットを取り上げると、舞は困惑と不安を煮詰めた様な表情で俺を見上げた。
タブレットの中では「なんでなんで」と、呟きながら後ずさるミドリの姿。それは理不尽に対して絶望混じりの疑問を口にし続ける、裏切られた者の姿。
振り下ろされるコラプトゴートの拳を見て、ミドリは何を思ったのだろうか。
一人残された自分が助かるとは思っていなかっただろう。それでも咄嗟に回避行動をとったのは、生存本能が働いたからか。
その生存本能は、彼女の運命を変えた。
ダンジョンの壁を破る程の力を持ったその拳は、今度は床を打ち破った。
足場を失い、落ちて行くコラプトゴート。それに続いて、側にいたミドリも当然落ちて行く。
落ちる先が下の階層ならば、やはりミドリはコラプトゴートに殺されただろう。
しかし伊織ダンジョンの六階層は奈落エリアだ。そこは階層全体が巨大な穴になっており、そこから落ちると遥か下の階層まで落ちて行く様な危険な場所。
奈落エリアには架け橋の様な岩の道があり、そこから落ちない様に歩くのが通常の進み方なのだが、ミドリとコラプトゴートが落ちたのは穴の方だ。
「いやぁぁぁあ!」
半狂乱になりながら落ちて行くミドリに、彼女に追尾設定されたドローンはしっかり撮影しながらついて行く。
また、高性能なドローンは下の方で響いた音をキチンと拾う。
その音は――
『コラプトゴートの重量に耐えきれず、落下先の床までもが破壊されましたね』
そう、彼女らはただ奈落の底に落ちただけではなく、更に深くまで落ち続ける。
何度か床を破った音が聞こえた後、大きな落下音が響き、そこでコラプトゴートが止まったのだとわかった。
強靭な肉体を持ったコラプトゴートは落下程度で死ぬ事はなかったが、遅れて落ちて行くミドリはどうだろうか。
《ミドリちゃん! 風を使って!》
《風魔法!》
《なんでもいいから撃って!》
リスナー達は彼女が生き残る手段を伝えようと、必死にコメントを送る。
だが、そんなものを見ている余裕はミドリにはない。ないけど――
「あぁぁぁ!」
きっと思考などせず、生きようと足掻いた結果だろう。
ガムシャラに両手から風魔法を放つミドリの身体は減速しながら、どうにかダメージを最小限に抑えて着地した。
地面を転がり、壁にぶつかって止まる彼女に、大きな怪我はない様子。
その事に安堵したのも束の間――
「――――!」
同じ階層に落ちていたコラプトゴートの雄叫び。
それを聞いたミドリは再び恐怖に支配され、転がったままの姿勢で、四つん這いのまま無様に逃げようとする。
「いや! いや、来ないでっ!」
四つん這いから二足走行になり、空いた手を後ろに回して風を撃つ。
その魔法に追ってくる敵を牽制する程の威力は無いが、それでも彼女は拒絶する様に撃ち続けた。
少しずつ縮まる、狩る者と狩られる者の距離。
狩られる者は冷静さを欠いて、偶然見つけた階段を降りてしまう――下にはもっと強力な魔物がいるかもしれないのに。
階段を降りた所は草原エリアだった。先程までの洞窟エリアよりも明るく、見晴らしが良い。
しかしそれは彼女にとってデメリットだ。見晴らしが良いのでは隠れる事も不可能。
「いやぁ! 来ないで!」
階段を降りても追って来ているであろうコラプトゴートに、振り向きもせずに風を放とうとして――
「――え? なん、で、出ない……の……ぁ、ぁあぁぁ!」
自分の唯一の武器である魔法ですら使えなくなった彼女には、もう走る事しか出来ずに。
《逃げて!》
《下の階層でもいいから、今は逃げて!》
コメント欄ではコラプトゴートを警戒するコメントばかりが流れる。
しかし、妙だ。
ここはダンジョンの深層。という事は魔素濃度が濃く、魔法発動効率が高い。だからこそ、集中力を欠いたミドリでも風魔法を放つ事が出来たのだろう。
なのに突然魔法が使えなくなったのは何故か。
魔力切れ?
そんな前兆はなかった。二足で元気に走り回ってる姿からして、今も魔力は残ってる筈。
いや、そもそもコラプトゴートはここにいるのか?
ドローンは彼女しか映していないが、音は聞こえる。
その音は、さっきから響いていた巨体の足音を、拾っていない。
『……もしかして』
「セーフエリアか!」
だからこそ魔物は入って来れない。
ならばこの階層にいる限りミドリは安全――なのだが、正気を失った彼女は今も逃げ続け、更に運が悪い事に、下へ続く階段を見つけてしまった。
《止まれ! そこは安全階層だ!》
《階段だ! 降りてでもいいから逃げて!》
《早く逃げてミドリちゃん!》
ダメだ、舞のタブレットでコメントした所で、他のコメントに埋め尽くされる。そもそも、彼女にコメントを見る暇は無い。
「クソ――」
「この階層なら安全なんだね?」
歯噛みする俺の後ろでタブレットを覗き込んでいた妹が、俺からタブレットを取り上げた。なんだかんだで妹はこの残酷な配信を見続ける事にしたらしい。
舞は画面を操作した後、マイクに向けて大声で叫んだ。
「ミドリちゃん! その階層は安全だから立ち止まって! 冷静に周囲を確認して!」
隣で聞いていた俺はビックリするが、それくらいの大音量だから届いたのだろう。
直後、同じ大音量が画面の中で響き、それを聞いたミドリが立ち止まる。
「お金払ってボイスチャットを送れる機能だよ。お兄ちゃんも少しは時代に着いて来た方がいいよ?」
「た、助かった……」
いや、助けられたのは俺ではなくミドリだが、この際いい。
冷静さを取り戻したミドリは周囲を確認して困惑顔になる。そしてそれは、コメント欄も同じ。
《止まれって、無責任な事言うなよ!》
《あれ、でも確かにデカヤギ追って来てないな》
《安全階層って一階層の事だろ? どゆこと?》
舞に再びタブレットを渡されたので、説明は俺からする。
《maimai:探索者協会が新たに情報を共有しただろ。ダンジョンの中層以降にも安全階層が確認されたって。それがここの事だよ》
《あれ? マイマイいつもと口調違くね?》
《そう言えばあったなそんな話!》
《奇跡的に安全階層に落ちたって事?》
《だから魔法が発動しにくかったり、魔物がいないんだね》
《じゃあここにいれば安全か!》
《問題はどうやって助けに行くかだよね》
《間違いなく伊織ダンジョンの未探索階層なわけだしな、並の探索者じゃ救出は不可能か》
何人かまともな探索者が観ているらしく、俺が一度コメントしただけで状況を把握してくれた様子。
落ち着いたミドリもポケットからスマホを取り出し、コメントを眺めている。
そして自らの安全を理解したのか、脱力した様に座り込み、膝を抱え込む様にして顔を隠した。
彼女を慰める様なコメントが続くが、ミドリはもうそれを見ない。いや、それ所か顔を上げずに動かなくなってしまった。
「ミドリちゃん……」
心配する妹を横目で見つつ、流れるコメントを確認する。
《誰か行ける人いないの?》
《上位ランカーくらいじゃない?》
《そもそも伊織市ってどこの田舎だよ》
《その辺に強い人いるの?》
《仮に今日出発したとしても、未探索階層を降りてここまで行くのに何日掛かるんだよ》
《問題は何日分の水と食料があるかだよね》
《ミドリちゃん話せる?》
《今はそっとしておくしか……》
《確か、普段から三日分くらいの非常食は入れてるって以前の配信で言ってた筈》
《三日じゃキツイな……》
《降りるだけじゃなくて、コラプトゴートもいるしな》
《深層なら他にも強いのがいるかも》
《maimai:俺が行くよ》
《は?》
《は?》
《いや男だったん? 声女だったよね?》
《そこはどうでもいいやろがい》
俺はタブレットを妹に返して準備を始める。とは言ってもポーチの中に全て入っており、そのポーチは大事な物故にいつでも肌身離さず持っている。
服さえ着替えれば直ぐに出発可能だ。
「え? ちょ、嘘、なんで、お兄ちゃんが……」
『そうですよ、君が行かなくても、多分上位ランカーとやらが何日も掛けて救出しますよ』
「俺なら今日中に帰って来れる」
「……え?」
『まぁ、そうでしょうけれど』
「偶然近くにいて、偶然暇で、俺には助ける力があって、おまけに舞の推しなんだろ? なら、行かなくちゃだろ」
そう言いながらも、なんとなくどれも重要な理由ではない気がした。
「母さん、悪いけどランチは別の日でお願い」
リビングの入口に立ってこちらを見ていた母に出かける旨を伝える。
「……無事に帰って来れるの?」
「当たり前だろ、異世界では竜とも戦ったんだぜ」
そう言って笑い、家族を安心させてから家を出た。