これでいい
私が君に話した事、告げた思い、過去、記憶。
全部本当の事。
嘘偽りなく、ありのままを教えました。
だから君は私を信じた。
語らなかった本当の目的を、無関係の真実を語る事で隠した。
君はそれに気付かなかった。
気付ける筈もない。
精神も肉体も打ちのめされ、絶望に追い込まれた時に救いの手を差し伸べた私を、君は拒める筈がない。
疑念を口にし続けたのは、保証が欲しかったからでしょう。
私が君を裏切らない保証。
それは契約魔法一つで成された。
だからもう君が私を疑う事はない。
この世界にいる間は私と君は良き隣人でいられる。
そして、良き隣人のまま別れられる。
これでいい。
だって、私が最も恐れているのは帝国でもフィオナでもなく――
――君なんだから。
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いつまでも泣いている妹の後ろで、探索者協会のスタッフが慌ただしく動き始めたのが見えた。
その騒ぎを聞いて、ロビーで寛いでいた探索者達もこちらを向く。
多くの視線に晒されて居心地の悪さを感じるが、舞を引き剥がすのも気が引ける。
そう思っていたが、奥の扉から協会スタッフの制服に身を包んだ初老の男が歩いて来たため、仕方なく妹の肩を右手で押す。
そこで漸く俺の左腕が無いことに気付いた舞が絶句するが、その隙をついて男がさっと割り込んで来た。
「初めまして、私は探索者協会神蔵支部の支部長、黒田と申します。貴方は朱雀竜斗様でお間違いありませんね?」
神蔵市はこの街の名だ。
俺は頷きながら、随分と偉い人が出て来たなと驚いた。どうやらカウンターにいる太一が報告したらしく、こちらに目配せをしている。
まだ目が赤いままの舞は、職場の上司の前という事もあってか、慌てて姿勢を正す。
「朱雀さん……朱雀舞さん。行方不明の兄との再会です、無理をしないで下さい。今日はまだ早いですが、あがって貰って結構ですよ」
「お、お気遣いありがとうございます……では着替えて来ます。お兄ちゃん、待ってるからね」
紳士的な黒田さんに頭を下げてから、舞はスタッフルームに駆けて行く。そんな彼女と入れ替わる様にして太一が歩いて来る。
「では朱雀竜斗様とタイチ様はこちらへ。事情をお聞かせ願います」
支部長の黒田さんに通されたのは応接室らしき場所で、初めてリベルタの冒険者ギルドに行った時を思い出し、懐かしく感じる。
だが、ガイストが使っていたあの部屋と違い、ここは非常に清潔感があり、整理整頓されていて、物を少しでも動かしたら勘付かれるんじゃないかと思う程だ。
「まずは無事の帰還をお喜び申し上げます」
促されるままソファに座ると、黒田さんはそう言った。
「体調に問題はありませんか? 少しでも異変があるなら直ぐに病院へ向かいますが」
「いえ、身体の調子は万全ですので、このまま直ぐにでも家族の元へ帰りたいと思ってます」
言外にさっさと解放して欲しいと伝えるが、態々そんな事を言う必要も無かった様で。
「えぇ、そうですよね。妹さんもお母さんも待っているでしょうから、手短に話を聞かせて貰えればと思います」
そう言って早速本題へ入る黒田さんだが――
『君が敬語を使うのは違和感がありますね』
頭の中でリュドミラに茶化されムッとする。
確かに異世界では傍若無人な冒険者の様に振る舞っていたが、日本でそんな振る舞いをすれば白い目で見られる。
というか俺の記憶を見たリュドミラならそれくらいわかるだろう。わかってて言ってるのだからタチが悪い。
「まず、タイチ様からの報告によれば、神蔵ダンジョン六階層にて魔物との交戦中、危機的状況で竜斗様に助けられたと。その後はメンバー全員でダンジョンを脱出。この点に間違いはありますか?」
「ありません」
「では竜斗様の実力についてです。氷の剣を持って五十体弱の魔物の群れをお一人で討伐したと。これも事実ですね?」
「……事実ですが、魔物がこちらに背を向けていた事により、奇襲が上手く成功したのが大きいです。正面からあの数の魔物と戦ったら、同じ結果にはならなかったかもしれません」
「なるほど。では続いて……竜斗様は二年前ダンジョンに落ちた後、どのようにして今日まで生き延びられたのでしょうか?」
「セーフエリア……って俺は呼んでるんですが、ダンジョンの一階層には魔物が入って来ませんよね? そこを拠点にし、偶に魔物を倒したり宝箱を探してドロップ品を漁る。そうやって生活していました。別に全ての魔物を倒していたわけではありません。強い魔物からは逃げ、倒せる魔物だけを倒していました」
『やはり君は異世界の事を隠しますか』
当然だ。違う世界の人々は、混ざり合うべきじゃない。エルゼア大陸と暗黒大陸の住民でさえ共存出来ないのだから。
「……? 私の理解が足らずすみません。竜斗様はずっと一階層で暮らしていたのですか?」
「……え? いや、中層以降にもセーフエリアがあって、そこで暮らしてました」
もしかして探索者達は一階層のセーフエリアしか知らない? いや、或いはこの世界のダンジョンには一階層にしかセーフエリアがないのか?
「なんと、そうなのですか……これは新事実です。因みに何階層かは……」
「力になれず申し訳ありませんが、階層を数える余裕なんてありませんでした。物資を蓄え体調を整えた後、決死の覚悟でここまで上がって来ましたから」
『まぁ、嘘が上手』
頼むから黙っていて欲しい。
「それはそうですよね……配慮が足らず申し訳ありません。因みに、今の装備や、食料など。全てダンジョン産の物ですか?」
「はい。食料についてはセーフエリアに生えている雑草も食べられたので、なんとかなりました」
「そ、それはなんと過酷な……」
まるで自分が辛い思いをしているみたいに顔を顰めた黒田さんは、思い出した様に壁掛けの時計を見た。
「本日はここまでにします。ですが明日、念の為市内の病院にて検査を行わせて頂きます。九時にお迎えに上がらせて頂きますがよろしいでしょうか?」
「えっ? 自分で行けるので大丈夫ですよ」
「いえ、これくらいはさせて下さい。恐らく検査の後、私の上司が来てもう一度詳しい話を聞く事になると思うので……」
やっぱり今の話だけじゃ終わらないか。
「そういう事なら、九時にお願いします」
話し合いが終わり、太一と共に退室する。
従業員通路からロビーに戻ると、太一のパーティメンバーと舞が待っていた。
「お兄ちゃん早く帰ろ、お母さんもう家にいるって」
いち早く母に連絡を入れていた舞が俺の手を引く。
「ふふ、じゃあリュート君、また後日ね」
「リュート先輩、今度改めて自己紹介させて下さいねー!」
仲の良さそうな太一パーティに見送られつつ探索者協会を後にする。
外に出れば日が落ち始めた頃で、少し肌寒い。
振り向いて探索者協会の建物を見ると、予想以上に大きかった。どうやら俺達がいたロビー以外に沢山の大きな部屋がある様子。
「たった二年でここまで変わるんだな……」
かつて俺達が住んでいた家も、そのご近所さんも、探索者協会に潰された形だ。
とは言え、神蔵市はそこそこ田舎。我が家周辺は空き地や畑が多かった為、被害を受けた家が少ないのは幸いか。
「私達がよく行ってたスーパーあるでしょ? あの辺にマンションが出来たんだよ。ご近所さんも殆どの人が今はそこに住んでる。ダンジョン関係の被害者はかなりの補助金? みたいの貰ってるから、割と文句は出なかったみたい」
金の力は偉大だ。家を壊される事に憤る人は絶対にいただろうが、そういう人を丸め込んでしまえるのが金だ。
まぁ、それでもずっと住んでた家がなくなってしまうのは寂しいけどな。
それから暫く雑談しながら歩くと、見覚えのあるスーパーに辿り着き、そこの駐車場を突っ切って真新しいマンションに入った。
「後でお兄ちゃんの鍵も作って貰わないとね」
そう言いながらカードキーでエントランスの扉を開けてエレベーターに向かう妹に着いていく。
「ウチは六階だよ」
通い慣れた道の様に綺麗なマンションを歩く妹を見ながら、俺はどれくらいの月日があればここを帰る場所と思えるんだろうか、なんて考えていた。
「あ、そうそう。お母さんにお兄ちゃんの事話してないから」
「は? 連絡したんじゃなかったの?」
言ってから、呆れた。
昔から妹は悪戯とか、人を驚かせる事が好きなのだ。
「相変わらずだな……」
俺の呟きを聞いているのかいないのか。
「ただいまー」
そう言って玄関を入って行く妹に着いて、正面の部屋に入る。
そこがリビングらしく、キッチンで料理中の母を見つけて――沢山の思いが溢れてくる。
「おかえり。今日は早かったね、七時までじゃなかった?」
そう言いながら振り向いた母は、最後に見た時より少し痩せていた。
そして疲れを溜め込んだような瞳で俺を見つけて、その目を大きく見開く。
「竜斗?」
俺と舞の表情を交互に見ながら、母は調理器具を置いてこちらへ来る。
悪戯が成功したかの様な顔で笑う舞に呆れつつ、母さんは俺の事をそっと抱きしめた。
「おかえり。ずっと、待ってたよ」
俺が帰る事を信じて疑わなかったとでも言うように、当たり前のようにおかえりと言ってくれた母に、俺も同じように返す。
「ただいま。遅くなってごめん」
何度も戦い、過酷な日々を乗り越えて。
漸く、俺は家族の元へ帰るという目的を果たせた。